第15話 理子と由茉の日常2



Episode1 

 

理子りこさん、来てくださいっ! 私たちが会ったあのショッピングモールです」


 食後のコーヒーとミルクティーを作っていると、リビングのこたつから由茉ゆまちゃんが身を乗り出して手招きしていた。


「ちょっと待って」


 私はカップを持ってリビングに戻る。


「ほら、ここですよ」


 テレビではバラエティ番組が流れている。画面には、私や由茉ちゃんの生まれ故郷である埼玉県内にある大型ショッピングモールが映し出されていた。


「本当だ。懐かしい」


 何かの取材に訪れた芸能人たちがモール内を歩いている。その背景に映し出される店内は見覚えのあるものだった。


「理子さんは最近だといつ行きましたか?」


「三年前くらいかなぁ。お正月に実家に戻って、姪っ子たち連れて行ったのよね」


「同じですね。私も三年前の夏に家族と行きました。理子さんと行きたいなぁ」


「それじゃ、今度遊びに行こうか」


「はいっ!」


 そのショッピングモールはかつて迷子になった幼い由茉ちゃんと出会った場所である。私たちを一番最初に結びつけた場所。


 きっとここが存在しなければ私たちは出会っていなかったかもしれない。


 にこにこしている由茉ちゃんにミルクティーを渡す。


「ありがとうございま⋯あっ!」


 何かに驚いた由茉ちゃんは画面に釘付けになったまま、カップを受け取る。


「どうかした?」


「本屋さん!」


 芸能人一行は本屋の前に来ていた。かなりの大型店舗で、私も何回も訪れたことがある。


「ここ品揃えいいよね」


「はい。実は私、高校生の時にここでバイトしてたんです」


「そうなんだ」


 エプロン姿で一生懸命に本を陳列する由茉ちゃんが、頭の中に浮かび上がる。


「私、ここのモールのどこかで働いてたら理子さんに会えるかもって思ってて。バイト先を急遽ここに変えたんですよ」


「私に会えると思って?」


「はい。ちょうど理子さんが出たテレビ番組を見た後です」


 会えるかどうかも分からないのに、そんな理由でバイト先を選ぶとは、実に由茉ちゃんらしい。


「私、本屋さんでも知らない間に理子さんに会ったことあるのかなぁ」


「そうね。由茉ちゃんが高校生の時はもう東京に来てたから、可能性は低いけど絶対ないとは言えないかな。実家に戻った時に何回か行ってるし」


「本当ですか? だったら嬉しいなぁ」


 由茉ちゃんは目をキラキラさせて私を見つめる。


(可愛いなぁ)


 純粋無垢な子供みたいな表情をしているのを見ていると、しみじみと感じる。


 私の彼女はとても可愛いと。


 できるなら、どこかですれ違っていたいものだ。 

 

 

 



Episode2 

 

 冬の定番の食べ物と言えば、おでんと言っても過言ではない。寒い時季の熱々のおでんは体に沁み入るような美味しさである。


 というわけで本日の夕飯はおでんとなった。由茉ちゃんは特におでんが大好きなので、湯気をもうもうと上げる鍋を嬉しそうに覗いている。


「理子さん、こんにゃく食べますか?」


「うん。ありがとう」


 お玉でこんにゃくを取り上げた由茉ちゃんは、私の器に灰色のぷるぷるした物体を入れた。


 正直、私はこんにゃくは好きではない。


 食べ物は何でもいける口だが、子供の頃からこんにゃくだけはどうにも苦手だった。あの石のような見た目なのにぷるんぷよんしてるのが、何とも好きになれなかった。


 しかし由茉ちゃんは私とは逆にこんにゃくが大好きなのだ。おでんにはたくさんこんにゃくを入れたがる。


 私がきちんとこんにゃくが苦手だと表明しなかったせいで、由茉ちゃんは私もこんにゃくが好きだと思っているふしがある。


 自分の好物を最初に私にくれる健気さを見ていたら、今更嫌いなどと言えるだろうか。


 美味しそうにこんにゃくにかぶりつく由茉ちゃんを横目に、私は心を無にしてこんにゃくを貪った。

先に全部食べてしまえばいい。


「理子さん、こんにゃく二つ目食べますか?」


 すでに私の器からあのぷるぷるがなくなったことに気づくと、由茉ちゃんがお玉を構える。


「こんにゃくは由茉ちゃんの好物でしょ。だから由茉ちゃんが食べて。私はちくわと玉子が食べたい気分かな」


「ちくわと玉子ですね」


 由茉ちゃんが私が望んだものを器に入れてくれる。


 何だろうか。嘘はついていないのに、ものすごく騙しているような気分になる。どうして私は素直にこんにゃくが好きではないと言えないのだろう。


 おそらく私はかっこつけたいのだ。


 こんにゃくが好きなことは特段にかっこいいことではないが、由茉ちゃんの好物とあっては嫌いなんて言いたくはない。


 それに私が無理して食べてたなんて知ったら、由茉ちゃんは悲しむ。そんなことはさせてはならない。


 夕飯を終えて、私と由茉ちゃんはこたつでぬくぬくしながら見るともなしにテレビに目を向ける。


 由茉ちゃんは何か言いたそうに、時折ちらちらとこちらを見つめる。


 何度目かの時にばっちり目が合った。


「由茉ちゃん」

「理子さん」


 同時に名前を呼んでいた。


「なぁに、由茉ちゃん」


「⋯⋯理子さんっておでん好きですよね」


「ええ。そうね」


「こんにゃくは好きですか?」


 どきりとする質問に体がこわばる。


「理子さんってこんにゃくいつも一個しか食べない」


「そうだったかなぁ。色々な具があるから⋯⋯」


 変な汗が背中を伝う。


「理子さん、もしかしてこんにゃくあまり好きじゃないですか?」


 さて、どう答えればいいのだろう。今後のことを考えれば素直に答えるのが最適解だ。由茉ちゃんが悲しむなら、こんにゃくくらい黙って美味しそうに食べるのが大人なのではないかとも思う。


「私はこんにゃく大好きだから、いつも理子さんにすすめてたけど、もし嫌いだったらどうしようって⋯⋯。買い物してる時も理子さんはこんにゃくいっぱい足そうって言ってくれるけど、何かちょっと嬉しそうじゃないから、私に気をつかってくれてるのかなぁって」


 由茉ちゃんも完全に私がこんにゃく好きだとは思ってなかったようだ。


 私はバカだ。とんでもないバカだ。


 彼女を逆にわずらわせるようなことをしてたのだから。


「ごめんね、由茉ちゃん。本当のことを言うとこんにゃく苦手なの。こんにゃく以外は何でも平気だけど、どうしても、ね。由茉ちゃんに言わなきゃって思ってはいたの。でも何かいい格好したくて言えなかった。ごめんね、嫌な思いさせちゃったね」


 少し寂しげなだった由茉ちゃんは太陽のように笑うと私の手を取った。


「嬉しいです。理子さんが私のこと大事に思ってくれたのが分かって。私の方こそなんとなく気づいてたのに、理子さんに苦手なもの食べさせちゃってごめんなさい」


「いいの、悪いのは私なんだから由茉ちゃんは気にしないで」


 私たちは恋人同士だ。やはり些細なことでも変に誤魔化すのはよくない。


 由茉ちゃんはこちらに近づいてくると、抱きついてきた。


「理子さんはいつも優しくて、私を大事にしてくれて、すごく幸せでいっぱいです」


 私も思う存分抱き返す。


「由茉ちゃんこそ、いつも私を大切に思ってくれてありがとう。だからね、私も幸せ」 


 かけがえのない人がいるというのは、この上もなく幸せなことだと、由茉ちゃんが教えてくれる。


「理子さん」


 私の目をじっと覗き込む由茉ちゃん。私は彼女の柔らかな頬に触れる。


「ねぇ、由茉ちゃん。私の好物って何だと思う?」


「おでんの、ですか? ちくわですよね。理子さんちくわ食べてる時はちょっと顔が違うから分かります」


 特別どの具が好きかなんて話したことはないが、ちゃんと見ていて分かるらしい。由茉ちゃんはのんびりしているようで、意外と鋭い。


「あたり。でももっと好きなものもあるんだけどね」


「ちくわよりですか?」


 考え始めた由茉ちゃんに私はキスをする。


「理子さん?」


「一番の好物は由茉ちゃんに決まってるでしょ」

   

 びっくりしたのか、由茉ちゃんはきょとんとした顔の後ににこりと笑う。


「私も理子さんが一番の好物です!!」


 その日のデザートが何だったかはもちろん言うまでもない。

 

 




   

Episode3

 

 今日は朝から雨が降っている。身体の芯から冷えるような冬の雨から逃れるように、私はマンションのエントランスに入った。


 集合ポストから郵便物を取り出し、エレベーターを待つ。その合間に郵便物を確認する。宅配便の不在票が混じっていた。 


 送り主の欄には「高橋由茉」と書かれている。


(由茉ちゃんから?)


 職場でも毎日顔を合わせ、週末はお互いの家を泊まり合っている。今日だって一緒に夕飯を食べた。


しかし荷物を送ったなんて話は聞いてない。


(サプライズ?)


 ふとそんな言葉が過ぎる。


 家に着き私はコートを脱ぐのも忘れて、配送会社に電話をした。


 三十分ほどで荷物が届く。


 箱に貼られた伝票には「品名 毛布」とある。どうやら毛布をプレゼントしてくれたようだ。


 早速箱を開けてみる。


 中からすべすべのビロード地の茶色い毛布が出てきた。よく見ると電気毛布だ。


 数日前、家での由茉ちゃんとの会話を思い出す。

 

『理子さん、寒いと寂しくならないですか?』 


『人恋しくはなるかもね。やっぱりぬくもりが欲しくなるから。冷え性だから特にね』


『理子さん冷え性なんですか?』


 由茉ちゃんは私の手をにぎにぎする。


『確かに理子さんの手、ちょっと冷たいかも。私がいる時は私が理子さんをあっためますね』


『それは嬉しい提案ね』


『うーん、でも、私がいない時はどうしよう』


 由茉ちゃんは真剣に考え込んでいた。


『ヒーターがあるから大丈夫よ』


 と答えて終わった。


 私が一人の時に何か体を温められるものを探してくれたのだろう。


 由茉ちゃんに電話をかける。


「プレゼントありがとう」


『毛布届きましたか? それすっごくあったかくて使いやすいっていとこのお姉ちゃんにおすすめしてもらったんです。それで理子さんにプレゼントしようかなって。届いてよかったぁ』


「突然由茉ちゃんから荷物が届いたから、驚いた。でもありがとう。これなら一人の時でも暖かく過ごせる」


『理子さんの冷え性治るといいですね。毛布に浮気はしないでくださいね』


 ちょっと本気っぽい言い草に思わず笑いがこぼれる。


「それはどうかな。一緒にいて居心地が良かったら毛布ちゃんに浮気しようかな」


『だめですよー』


 そんなしょうもない会話をしながら、私たちはしばらくふざけて笑い合っていた。


 

 

 金曜日。由茉ちゃんが泊まりに来る日。


 夜も深まり、私たちは同じベッドに入る。私は電気毛布のスイッチを入れる。


 布団の中がじわじわと暖かさを増す。


「理子さん、これどうですか」


 由茉ちゃんが毛布の端を掴みあげる。


「夜はこれで暖かく過ごせるから、朝まで気持ち良く眠れるよ。あんまり出たくなくなるのが難点だけどね」


「理子さん、もう毛布に取り込まれてる⋯⋯」


 由茉ちゃんは憮然とする。


「だってこれあったかいから」


 私は毛布の中に潜り込む。


「ほら、由茉ちゃんももう寝ましょう」


「私より毛布⋯⋯」


 納得がいかなさそうにしながらも、由茉ちゃんも潜り込んだ。体を私にぴったり寄せて来る。


「私の方があったかいですよね?」


「電気毛布の方があったかいかな」


 私はわざと真面目くさった声で返す。


「理子さんのいじわるー」


「うそうそ。ごめん」


 私はしっかりと大事な彼女を抱きしめる。甘える仔猫のように私の腕の中で丸くなると、暖かさで気持ち良くなったのか、すぐ眠りに落ちてしまった。寝息が聞こえてきた。


 安心しきって私に身を預ける無防備な様子をしばし私は感じていた。ささやかな幸福を。

 

    

 

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