第7話 幸運の理由

 


 今日は朝からずっと由茉ゆまちゃんがそわそわしている。何か言いたそうにこちらを見つめてくるので、何度も目が合う。しかし直接言いには来ない。取り敢えず仕事絡みではないと察したので、私は視線を気にしながらも仕事に没頭した。


 お昼になると由茉ちゃんはすっくと立ち上がり私のデスクまでやって来る。


理子りこさん」


 意を決したような凛々しいがどこか抜けてるような顔で私を見下ろす。


「お昼、食べに行こうか」


 私は由茉ちゃんを半ば連れ去るようにして会社の外へと出た。ランチは二人でよく行く喫茶店にした。一緒にナポリタンを頼むと、由茉ちゃんは先に来たコーヒーを飲んで一息つく。


「理子さん」


 と神妙な声。


「朝から何か言いたそうだったけど、話してくれるの?」


「き、気づいてたんですか!?」


「むしろ気づかないのがおかしいくらいに分かりやすかったけどね」 


「さすが理子さんですね。あのですね、私⋯⋯、一生分の運を使い果たしたかもしれません」


「運?」


「はい。理子さんとのことでも一生分の運の九割は使ったと思うんですけど、当たっちゃったんです」


 色々と突っ込みたいところだが、由茉ちゃんの真剣そのものの鋭い眼光で真っ直ぐに見据えられて、私は口を閉じた。


「当たった?」


「はい。私、ラジオが好きで家にいる時はよく聞いてるんです。メールを出して参加するくらいヘビーリスナーしててですね、『メールを送ってくれた人の中から抽選でお食事券ペアチケットをプレゼント』の日に送ったら、当たりました」


 由茉ちゃんはカバンから白い封筒を取り出した。中からチケットを引き出す。


「お食事券当たったんです! 汚職事件じゃないですからね。賄賂じゃないですよ」 


「うん、それは分かってるから大丈夫」 


 今朝から私に言いたかったのはこの事だったようだ。


「すごいじゃない。良かったね、由茉ちゃん」


「はい。もちろん理子さん一緒に行ってくれますよね?」


「え?」


「私には理子さんしか行く相手いませんよ」


 がっしり手を握られて、爛々とした瞳で見つめられる。期待に満ち溢れたその表情を見てしまった以上、断るなんて無理だろう。私としても由茉ちゃんがいいなら、それで構わない。


「分かった。由茉ちゃんとお食事ね」


「やったー! 理子さんとディナーできるの楽しみ!」


「ご飯ならしょっちゅう一緒に食べてるじゃない」

 

「何回だって私にとっては特別なんです。チケットが当たったのもラッキーだし、理子さんと行けるのはもっとすっごく運がいいなって思うんですよ!!」 


 由茉ちゃんは興奮気味だ。落ち着くためにか、ごくごくとコーヒーを呷ってからむせた。


「大丈夫? もう一気に飲むから」


「大丈夫です。嬉しすぎて調子に乗っちゃいました。それでディナーなんですけど、クリスマスに行くのはどうですか?」


「私は今のところ特に予定ないからいいけど」


「本当? 本当ですか? 嬉しいなぁ。クリスマスも理子さんと過ごせるんだ⋯⋯!!」


 掛け値なしに喜び満面の様子を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。私なんかとクリスマスを過ごす。ただそれだけで幸せになってくれるこの娘はやっぱりどうあっても愛おしい。


(ちょっと前まで、由茉ちゃんにこんな気持ちにさせられるなんて思いもしなかったなぁ)


 人間の運命というものは全くもって分からないと、この年になって改めて思う。


 私があの時に由茉ちゃんに手を出してなかったらどうなっていたのだろう。まだ由茉ちゃんから結婚の話ばかり振られていたのだろうか。付き合った今となっては分かりようもない。


「おまたせしました」


 ウェイターさんが私たちの前にナポリタンを置いていった。食欲をそそる美味しそうな香りが漂っている。フォークを手にしたところで、ぐぅぅとお腹が鳴る音が向かいから聞こえた。目が合う。


「理子さん⋯⋯、聞こえました?」


 顔をほんのり赤くした由茉ちゃんが恥ずかしそうに私を見ている。


「そんなに気にすることでもないでしょ」


「気にしますよ〜」


 さっきの元気がなくなってむくれている。


「こんな事で恥ずかしがるような関係でもないじゃない」


 私は早速熱々のナポリタンを口に運ぶ。


 由茉ちゃんは更に真っ赤になっている。


「り、理子さんのばか」


「えぇ、何で?」


「知らないです!」


 怒ったようにナポリタンを食べ始めた。由茉ちゃんはともかく喜怒哀楽が豊かで、表情がころころと変わる子だ。見ていて楽しいが、たまに感情の行方が私には分からなくなることがある。私は世代が違うということで、全てを理解することは諦めた。


 二人して黙々と食事を進める。


 ふと由茉ちゃんの口元を見るとソースがついていた。


「ついてるよ」


 私はテーブルのサイドに置かれていたペーパーナプキンを差し出し、彼女の口元を拭う。


「あ、ありがとうございます」


 こうしてちょっとした面倒を見るのも、本人には言わないが私の楽しみでもある。


「理子さん、私のこと子供扱いしてませんか」


「まさか。可愛がってあげたくなってるだけ」


「う〜、理子さんって本当にずるい」


「ずるい? どこが?」


「全部、全部です!」


 拗ねているのか、喜んでいるのか複雑な顔をしながら由茉ちゃんはコーヒーを飲む。ずるいかどうかは分からないが、多少はいじりたいという気持ちがあるので、由茉ちゃんからするとそれが「ずるい」なのかもしれない。


 食事を終えた私たちはお店を出て、裏通りの人気が少ない路地を選んで会社へ戻ることにした。


「今日は理子さんのせいでナポリタンの味が途中から分からなくなりました」


「味が分からなくなるようなことなんてしてないでしょ」


「き、昨日のよ、よ、夜の事とか思い出させて卑怯です」


 昨日は会社の飲み会があり、酔った由茉ちゃんを家に泊めた。そして私も酔ったまま二人してベッドで乱れた。


「思い出させるようなことなんて言ったかな」


 何となく察したけど、それらを結びつけたのは由茉ちゃんなので私には問題ないはずだ。


「嫌なら、もう由茉ちゃんのことは抱かないよ」


「もー、何でそうなるんですか!?」


「あれ、嫌じゃないの?」


「⋯⋯嫌ではないです。どちらかと言えば好き、ですけど」


 また顔を赤くしている由茉ちゃんが、やはり私には可愛くて愛おしい。


「意地悪なこと言ってごめん」


 由茉ちゃんの頭を撫でる。


「私、やっぱり理子さんには敵わないや」


 花がほころぶように笑う。


(それは私のセリフでもあるけどね)


 真横に並んで歩いているせいで、お互いの手が触れる。私は一瞬手を繋いで離す。由茉ちゃんも私の手を掴んでは離す。人と遭遇してもすぐ離せるように、私たちは手を触れては離しを繰り返して遊びながら歩いた。


「理子さん、恋みくじやってみませんか?」


 途中で差し掛かった神社の前で由茉ちゃんが立ち止まる。濃い桃色の幟が立っており「恋みくじ」と達筆な字で白抜きされていた。


「運試しにやってみようか」


 私たちは神社の鳥居を潜った。社務所の前まで来る。いくつかおみくじが並んでおり、私たちは恋みくじを選んで引いた。


 私は薄紅色のおみくじを開く。そこには真っ赤な文字で「大吉」の文字が並んでいた。


「由茉ちゃん、結果どうだった?」


「⋯⋯⋯⋯」


 くじを開いたまま黙りこくっている。 


「凶でも引いちゃった?」


 由茉ちゃんはゆっくり私へ振り返ると、ふるふると首を振った。


「どうしよう、理子さん。私すごく運を使ってる気がして怖いです」


 由茉ちゃんが見せてくれたくじにはこれまた「大吉」の文字。


「運がいいなら、それでいいじゃない。生きていればそんな事もあるから、怖がらなくても大丈夫。私も同じだし」


 私は自分のおみくじを由茉ちゃんに見せた。


「理子さんも大吉なんですか!?」


「私たちきっとすごく運がいいのかもね」


 そう、これ以上ないくらいに素敵な相手がいるのだから大吉じゃなくて何だと言うのだ。


「でも理子さん、大吉以上はないんですよ。ないってことはこの後に大凶になることもありますよね」


「それなら私も由茉ちゃん二人で乗り越えてまた大吉になればいいと思わない?」


「理子さーん!」


 飛びついて来た由茉ちゃんを抱き止める。


「うん。私、理子さんが大凶になっても大吉になるように絶対助けます!」


「ありがとう。私も由茉ちゃんが困っていたら助けるよ」


 私たちの幸運が続くように、私はこの幸せを大切に大切に育てて行こうと改めて思った。               

          

     

      

        

    

          

         

   

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