第2話 眼鏡の理由

 


 金曜日の夜は由茉ゆまちゃんが家に泊まりに来る。そのまま週末を一緒に過ごすのが私たちの最近の流れだった。


 お風呂から上がった由茉ちゃんは、居間のソファにちょこんと座り、私の隣りでミルクティーを飲んでいる。


 仕事では若いながらなかなか頼りになるのに、それ以外ではどちらかと言えば幼さを感じることが多かった。


 それもまた、可愛らしいなどと思っていることは心の中にしまっておく。言ったら調子に乗るからだ。


「私もお風呂に入って来るから、由茉ちゃん眠かったら先に寝てて」


「私は理子りこさんと寝るのでちゃんと待ってますよ」


 こういう所は変に律儀なのが由茉ちゃんだ。


「理子さん、眼鏡預かりますよ」


 手を伸ばしてきたので、私は眼鏡を外して由茉ちゃんに渡した。由茉ちゃんはふざけて私の眼鏡をかける。


「もっと視界がぐにょんぐにょんするかと思いましたけど、そうでもないですね」


「そこまで度、強くないから。でも目悪くもないのに眼鏡なんてかけたら駄目だよ」


「はーい。そう言えば理子さんはいつから眼鏡をするようになったんですか?」


「大学生の頃。二十歳になったくらいの頃かな」


「それじゃあ子供の頃はかけてなかったんですね」


「そう。大人になってからだから」


 由茉ちゃんは眼鏡を外してテーブルにそっと置くと、私の顔を覗き込んできた。


「コンタクトにはしないんですよね。したらだめですからね!」


 前にもそんなようなことを言っていたことを思い出す。


 眼鏡をかけてる人が裸眼になると何か物足りない顔になるから、それが嫌なのだろう。ずっと眼鏡をしていると、それは次第に顔のパーツの一つのようになっていく。


「そんなに私の顔、のっぺりしてる?」


「違いますよー。もう理子さんのバカ。鈍感」


「そこまで言う?」


 ちょっとムカついたので由茉ちゃんのほっぺたを引っ張ってやった。


「りこひゃんのびゃかー」


「まだ言うか」


 由茉ちゃんは良くも悪くもまっすぐで純真な娘だった。私の周りにはあまりいなかったタイプなので見ていて飽きない。


「じゃ、お風呂入って来るね」


 私はソファから立ち上がった。


「理子さん」


「何?」


「眼鏡をしてない理子さんって、眼鏡してる時よりずーっと気さくで話しかけやすい雰囲気なんですよ。眼鏡の理子さんは理知的でちょっと近寄りがたい感じなんです」


「褒めてくれてるの? ありがとう」


「褒めてますけど、そうじゃなくて。だからなるべく眼鏡はしてて欲しいんです。だって気さくな雰囲気になったら、みんな理子さんに群がっちゃうから」


「眼鏡を外したくらいで群がられたりしないと思うけど?」


 由茉ちゃんはぶんぶんと頭を振る。


「ともかく! 理子さんの人気が上がったら私が一緒にいる時間が減っちゃいます。それはあってはならないので、できるだけ眼鏡派でいてください!」


「分かった、分かった。由茉ちゃんのお願い通りなるべく眼鏡はかけておく」


 私がコンタクトになったところで周りの反応など変わらないと思うが、由茉ちゃんにとってはそうではないらしい。


 由茉ちゃんにとって大事なことのようなので、彼女としてはそれを守ってあげなければいけないだろう。


 今度こそ私はお風呂へと向かう。


 振り返ると由茉ちゃんが付いてくる。


 ちょこちょこと後を付いてくる様は小さな子供のようであり、親鳥のあとを追いかけるひなのようでもある。


(全く、可愛いんだから)


 意外に鬱陶しく感じないあたり、私も由茉ちゃんに染まってきているのかもしれない。


「なぁに、由茉ちゃん」


「背中流しましょうか?」


「別に一人でも大丈夫だけど、由茉ちゃんが流してくれるならお願いしようか」


 途端に彼女の表情が花のような笑顔になる。これだから突っぱねられない。


 結局、さっき入ったばかりの由茉ちゃんと二人でお風呂に入ることになってしまった。    

          

  



 ベッドに並んで寝ることにもすっかり慣れてしまった。彼女がいる久しぶりの生活は一人の時よりもずっと心が潤っている。


 一人でいることもけして嫌いではないけれど、一緒にいたいと思える人が側にいる心地よさとは比べ物にならない。


「私いつか理子さんにとっておきの話をしたいなぁって思ってるんです」


「とっておきの話? それは楽しみにしてていいの?」


「いいですよー。理子さんに話せたらいいなって思ってて。一生話せないかもって思ってたから早く話したくてたまらないです」


「それは今は話せない?」


「う〜ん。まだです。もう少しだけ待っててください」


「由茉ちゃんが話してくれるまで待ってるよ」


 私はすぐ横で丸まってる由茉ちゃんを抱き寄せた。温かくて柔らかくて、とても愛おしい存在。


「私、理子さんの腕の中が一番どきどきして幸せになれる場所です」


「それは良かった」


 由茉ちゃんの声がすでに眠そうになっているので、私は電気を消した。


 思ってもみない相手が彼女になってしまったけれど、この随分と年下で物怖じしなくて、まっすぐで可愛い存在がかけがえのない相手になっている。


 私は由茉ちゃんの寝息を聞きながら目を閉じた。                   

   

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