恋する理由

砂鳥はと子

第1章

第1話 独身の理由

 


 十月が迫る金曜日のことだった。


 私はお昼を食べるために会社の近くのお店に来ていた。


 柔らかな陽射しが差し込む窓辺の席は眺めもよく、ランチも申し分なく美味しい。


 しかし目の前の相手だけが多少不服だった。


 「理子りこさん、そろそろ結婚した方がいいんじゃないですか? 来年四十ですよね?」


「私が独身だと何か困るの? 由茉ゆまちゃん」


 ここ最近、部下である高橋たかはし由茉は何かと言うと私が未だに独身であることを弄ってくる。入社三年目でまだ若いせいか、物怖じしない娘だった。


 ランチの時くらいもっと楽しい話題を振ってほしい。


「別に⋯⋯。私は理子さんが早く幸せになって欲しいだけですよ?」


「今は必ずしも結婚が全てではないじゃない。若いのに考え方が古いのね」


「でもある程度の年になったらみんな結婚するじゃないですか」


 それは最もなのだが、私にはおおよそ関係のない話だった。


「理子さんだって本当は結婚したいんでじゃないですか?」


「私、結婚願望ないって何度も言ってるでしょ。人の話はちゃんと聞きなさい」


 結婚願望が全くないかと言えば嘘になるが、男と結婚したいかと聞かれたら迷わず否と答える。


 何故なら私は女しか愛せないから。

 

 

 


「理子さんって、けっこう美人だし、見た目だけならめちゃくちゃやり手っぽいですし、探せば結婚相手なんてすぐ見つかるんじゃないんですか?」


 ランチを食べ終えてお店を出た後も、由茉ちゃんは相変わらず同じ話題しかしない。私の結婚など彼女の人生に全く関係ないのに、お節介な娘だ。


「見た目しかやり手っぽくなくて悪かったわね」


「それは言葉の綾ってやつで、中身もやり手ですから大丈夫ですよ。理子さん、眼鏡やめてコンタクトにしたらどうですか?」


「唐突に何なの、由茉ちゃん。私は眼鏡の方が楽なの」


「絶対にコンタクトの方がいいですよ! ちょっと眼鏡外してみてくれませんか?」


「外しても変わんないけど」 


 全く、この娘はどうでもいいことばかりに執着する。入社時からやたら懐かれてなかったら、激辛対応してやるところだ。


 無視したらまたうるさそうなので、眼鏡を外してみせる。


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 ぽかんとしてこれと言って面白みがなさそうな顔つきだ。


「ほら、だから変わらないって言ったじゃない」


「⋯⋯⋯そうですね、眼鏡はしたままでいてください」


「はいはい」


 由茉ちゃんというのは変な娘だ。もっと年が近い人と一緒にいれば話も合うだろうに、何を好んでかいつも上司の私に付いて来る。


 そういう所を多少、可愛いと思わなくもないが、結婚の話題ばかり振られてはこちらも疲れる。


「そうだ理子さん、夜も一緒にご飯食べませんか? 私気になってるお店があるんですけど」


「ワリカンなら行ってあげる」


「え〜、何で奢ってくれないんですか?」


「由茉ちゃんがつまんない話ばっかりするから奢ってあげない」


「理子さんのケチ! でもいいや。ワリカンでもいいので付き合ってください!」


 にこにこしながら、腕を組んで来る。


(由茉ちゃん同僚と上手く行ってないのかな)


 わざわざ私なんかと行かずに同僚たちと行く方が楽しめるはずだ。


(まさかいじめられてるとか? 見てる限り他の娘たちとも良好そうだけど)


 少し心配になってくる。


「ねぇ理子さん、一緒に行ってくれますよね?  断るの禁止ですよ」


「断るの禁止なら選択肢が一つしかないじゃないの。仕方ないなぁ。いいよ」


「やったー! 夜も一緒にご飯ですね!」


 私はなかなか由茉ちゃんのペースから抜け出せそうになかった。押しの強い部下というのも大変だ。 

 

 


 私たちはお昼に約束した通りに、ディナーを食べに行き、店を出て夜風に当たりながら駅に向かって歩いていた。


 冷たすぎない秋風が心地良い。何も考えずに黙って風に吹かれていたいけど、由茉ちゃんはそうではないらしい。


「私、理子さんが独身なのが納得できません。本当は事実婚してたり、内縁のイケおじな夫とかいるんじゃないですか?」


「いないって言ってるでしょ。あんまりしつこいとそこの川に投げ捨てるけどいい?」


「だって、理子さんみたいな素敵な人が独り身なんておかしいです! 理子さんは仕事もできるし、人望もあるし、美人だし、優しいし、完璧じゃないですか」


 お酒が多少入っているせいだろうか、やたら褒めちぎってくる。


「独り身には独り身の理由があるの。由茉ちゃんには分かんないよ。そういう由茉ちゃんこそ相手はいるの? 若くて可愛い由茉ちゃんのことだからいるんでしょ?」


 私から話を逸らすために矛先を彼女に向ける。


「い、いますよ。すっごく、すっごく! 優しくてイケメンな彼氏が。そのうち結婚だってしちゃうかもしれません」


「それは良かった。一生を添い遂げたいと思えるパートナーがいるのはいいことよ。幸せになりなさいね」


 由茉ちゃんは相手がいるから、私が独身であることが理解できないのかもしれない。しかし私の返答が気に入らないのか眉根を寄せている。


「私のことはいいんです!  理子さん、この先も独り身のままでいるんですか? 独り身でいる理由って何ですか? まさか社長と不倫してませんよね!?」


「おバカ。そんなわけないでしょ」


 想像力が豊かすぎてため息が出る。


 まさか結婚について関心があるのは、そんな妄想をしていたからなのか。


「じゃあ、何で独り⋯⋯、なんですか?」


 一体何をそこまで私が独り身であることを気にするのだろう。ただのお節介なのか、好奇心が旺盛なのか分からないが、私はそろそろこの話題に食傷気味だった。


 それと同時に少し意地悪な気持ちが芽生える。


 私たちは高架の下に入った。タクシーが一台通り過ぎると、人影もちょうどよく途絶える。すぐそこにコンビニの明かりが見えるが、高架下は薄暗くて遠くからならここがどうなっているかは分かりづらい。


「由茉ちゃん、私が独り身の理由教えてあげる」


「本当ですか?」


 由茉ちゃんは不安そうでもあり、興味深そうでもあるような顔をして私を見上げる。


「独りの理由はね⋯⋯」


 私は由茉ちゃんに腕を回して体を抱き寄せるとたっぷりとキスをしてやった。びっくりしたのか抵抗もせず受け入れているので、嫌がるまでしてやろうと頭を押さえる。


(全然抵抗しないな)


 されるがままなので、こちらもどのタイミングで離していいのか分からない。


(普段のうざいくらいの元気はどこにしまったのよ)


 車が近づいてくる音がしたので、私は由茉ちゃんを解放した。


「こういうこと。分かった?」


 由茉ちゃんは黙りこくって俯いている。


(さすがにやりすぎちゃったかな)


「理子さん⋯⋯」


 顔を上げた由茉ちゃんの瞳は潤んでいて、心なしか頬も赤い。何かを求めるようなそんな表情に見えるのは気のせいなのか。


(何でこんな反応なの⋯⋯?)


「理子さんが結婚しない理由って私が好きだからですか?」


 その返答に呆れていいのか関心していいのか分からなかった。随分と自分に自信があるのだろう。由茉ちゃんは日頃から見ていても自己肯定感が高そうな娘だった。


(よく考えたらキスするくらいなら『好き』だと勘違いするか) 


「違う。女が好きだから」


 私はきっぱりと事実を突きつけた。


 社内の人間にカミングアウトなんてしたことなかったのに、自分でもよく分からないが話してしまった。


「理子さん、私のことは好きじゃないですか?」


「由茉ちゃんのことは好きだよ。可愛い部下だもの」


「私は⋯⋯、理子さんが好き⋯⋯です。上司としてではなく、恋愛の好きです」


 と演技とも思えないような真剣な眼差しを私に向けている。


 思ってもみない展開になってきた。


「好きって、イケメンの彼氏がいるんじゃなかったの?」


「嘘です」


「何でそんな嘘をついたの?」


 これはいたずらした私への仕返しで好きな振りをしているのか、それとも本当に彼氏がいるのは嘘なのだろうか。


 由茉ちゃんの純真そうな瞳を見つめても真実は浮かび上がっては来ない。


「⋯⋯彼氏いるって言ったら理子さん、ちょっと嫉妬とかしてくれないかなって思って⋯⋯。私、理子さんの部下になった時からずっと好きだったんです」


 全く予想外の答えが返って来た。


「その割には結婚の話ばかり振ってたじゃない」


「それは⋯⋯。理子さんが独身って偽って裏では結婚してたら嫌だなって思って⋯⋯。だって理子さん非の打ち所がない完璧な人だし。そんな人が誰のものでもないなんて信じられなくて。それで確かめてたというか⋯⋯。確認したくて」


 由茉ちゃんは私に抱きついて来る。


「私、理子さんが好きなんです。理子さんも女の人が好きなら私を好きになってください!」


 私はその言葉に思わず笑ってしまった。


「何で笑うんですか!? 私は本気です!」


 私のことが好きだから好きになれとはなかなか由茉ちゃんらしい。もし私が逆の立場なら、なかなかそんなセリフは吐けない。


「私、由茉ちゃんのことはただの部下としか思ってないんだけど」


「キスしたのにですか!? なら今から恋愛対象にチェンジしてください! キ、キスの責任取ってください!」


「どうしようかな」


「私、理子さんのこと一生大切にしますから!」


「遊び相手というのは⋯⋯」


「それはなしにしてください。私は本気、なので!」 


必死にしがみついてこられて、そこまで悪い気もしない。むしろちょっと愛おしさすら湧いてくる。


「そんなに言うなら、由茉ちゃんと付き合うことも考えないでもないかな」


「本当に、本当ですか!?」


 暗くても由茉ちゃんの顔が太陽のように明るくなるのが分かった。瞳が輝いている。


「うーん、それじゃあ試しに付き合ってみる?」


「はい! できれば試しじゃなくてわりとずっと付き合う方向性でお願いします!」


「しょうがないなぁ。由茉ちゃんのお願いだからそっちの方向性で考えますか」


「嬉しい」


 由茉ちゃんのきらきらとした笑顔を見ながら、私の独り身生活が終わるのを感じた。 

      

  

           

        

     

               

   

        

  

             

  

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