第18話 新しい生活が始まる



 新居は以前のマンションに比べると新しく、目の前にも大きな建物があまりないせいで見晴らしがよかった。


 コンビニやドラッグストア、スーパー、郵便局なども比較的近くにあるので、かなりの便利さを感じている。


 会社への距離も近くなったので、通勤もより快適になった。


 リビングでは私が年末に福引で当てた抱き枕にしがみついて、由茉ゆまちゃんがごろごろしている。


「私も来週からはこの家で暮らすんですよね。何だか夢みたいです」


「引っ越しの準備はちゃんと進んでるの?」


「この間、理子りこさんがお手伝いしてくれたおかげですごく捗りました。あとは引っ越すだけです」 


「それなら良かった。厳しくしたかいがあったね」


「厳しすぎですよー。もう理子さん解禁してもいいですよね?」


「どうしようかなー?」


 面倒くさがりな一面がある由茉ちゃんは、先日私が家に行くまでろくに引っ越しの準備をしていなかった。


 あとで頑張れば何とかなると思っていたらしい。のんびり屋さんなのは悪いわけではないが、さすがに目に余ったので厳しくした。


 甘えたがりな由茉ちゃんに、引っ越しが終わるまで甘えるのを禁止した。キスもハグも禁止である。


 びっくりするくらい効果があり、由茉ちゃんは、せっせと引っ越しの準備に取り掛かった。


「理子さん、もういいですよね?」


「あともう少しだけね」


 私だって耐えているのだから、由茉ちゃんももう少し耐えてほしい。


 彼女に厳しくするつもりが、自分へも厳しくすることになるなんて想定外だった。


 大事な恋人が目の前にいるのに触れられないのは堪えると知った。


 由茉ちゃんの私への愛はとても大きくて深い。何で私なんかに、とたまに不思議に思うこともある。


 でも気づいたら私も由茉ちゃんがとても大切で失うことのできない存在になっていた。


 だからこそ、一緒に暮らすことをお互い望んだ。

 一つ屋根の下に違う人間が暮せば楽しいことだけではなく、喧嘩したり齟齬が起こったりすることもあるだろう。


 それでも、私たちなら乗り越えられると判断して同棲することに決めた。


 悲喜こもごも引き受ける覚悟が私にも由茉ちゃんにもある。


「理子さーん、抱き枕飽きましたー」


「もうちょっとだけ、それを私だと思ってて」


「えー、嫌ですよー。これ理子さんみたいに温かくないし、喋らないし、ぎゅってしてくれないし⋯⋯」


「そんなこと言われたら気持ちがぐらつく」


「理子さん、私ちゃんと引っ越しの準備終わりましたよ。あとは引越し屋さんに任せるだけだから、目的は達成してますよね!?」


「そうなんだけど⋯⋯」


 由茉ちゃんはがばりと起き上がると、抱き枕を放り投げた。私ににじりよって、とうとう抱きついた。


「由茉ちゃん、来週の土曜日になれば今まで通り仲良くできるんだよ」 


「あと一週間なんて拷問です。はぁ、やっぱり理子さんのぬくもりは落ち着きます」


 由茉ちゃんは私に頬ずりをする。


「まぁ、いいか」


 私も由茉ちゃんを抱きしめ返した。


 久しぶりすぎて、腕に力が入ってしまう。もっと、もっと近づきたい。触れたい。


「早く毎日理子さんがいる生活がしたいです」


「そうね。二人で暮らすの楽しみね」


 大好きな彼女との新しい生活。


 わくわくしないわけがない。


 この年になってもときめきが目の前にあるのだから、私はとても贅沢で幸せだ。


「理子さん、いいですよね。ちゃんと準備できたご褒美ください」


 由茉ちゃんは私の右手を取ると、自身のシャツの第一ボタンを掴ませた。


「誘ってるの、由茉ちゃん」


「もちろん、誘ってますよ」  


「遠慮なく誘いにのってもいいけど、久しぶりだから手加減できないかもよ?」


「望むところです。理子さんに溺れさせてください。たくさん、たくさん」


 私たちは久しぶりに肌を重ねて、ひたすらにお互いの愛に触れ合う夜を過ごした。

 

 

 


 一週間後の土曜日。天気は朝から曇りだったが、昼過ぎから晴れ間が差し、爽やかな青空が広がった。


 引っ越しを無事に完了した由茉ちゃんはリビングでへたりこんでいる。


「何か久しぶりの引っ越しで疲れました〜」


「お疲れ様。ちょっと遅くなったけどお昼にしようか。食べに行く? それとも何か作る?」


「理子さん特製チャーハンが食べたいって言ったら、聞いてくれますか?」


 上目遣いで甘えるように私を見つめる。


「そんなのでいいの? 今から作るから由茉ちゃんはのんびりしてなさい」


「わーい、嬉しい! 理子さんの作るご飯大好き」


 というわけで、引っ越しを労うために私は台所に立って、チャーハンを作ることにした。


 いつも冷蔵庫に入ってるもので適当につくるのだが、由茉ちゃんからは大層気に入ってもらえている。


 玉子スープも作ってリビングに運ぶ。


「理子さん、ありがとうございます!! 美味しそう〜。夜は私が何か作りますね」


「それは楽しみだね」


 私たちはまだダンボール箱が積まれたリビングで、遅い昼食を食べた。


 ご飯なんてしょっちゅう一緒に食べているし、週末ともなれば二人で台所に立つのも珍しくなかった。


 でもこれからはそれだって毎日の当たり前になるのだから、感慨深い。


 昼食後はひたすらダンボール箱を開けて、荷物の片付けに追われた。


 気づけば西の空は紫にピンクにオレンジと様々な色が溶け合った幻想的な姿を見せている。


 完全に夜になり、整理も落ち着いたところで、由茉ちゃんに促されて向かいあって座っている。


 ぴしりと正座した由茉ちゃんはいつもののほほんとした顔を引き締めて、私を見据える。


「どうしたの、そんな改まっちゃって」


 私も由茉ちゃんに合わせて座り直す。


「理子さん、これからよろしくお願いします」


 三指をついて由茉ちゃんは深々と頭を下げた。


「こちらこそ。よろしくお願いします」


 私も同じように頭を下げた。


「私、理子さんがいない世界はもう考えられません。できるならずっと、この人生が終わる時まで一緒にいたいです。理子さんのこと、幸せにしたい。いつもいつも私が幸せにしてもらってばかりだから、これからはもらった分を返せたらいいなって」


「充分返してもらってるよ。一緒にいて幸せなのは由茉ちゃんだけじゃないんだからね」


「私でも理子さんを幸せに、できる⋯⋯?」


 私は由茉ちゃんに腕を伸ばして抱きしめた。


「由茉ちゃん以外の誰が私を幸せにできるの?」


「理子さーん、やっぱり、大好き! 大好き! 世界一理子さんを幸せにしますから!!」


「うん。私も大好きだよ。二人で幸せになろうね」


 きっと私たちなら、どこまでだって幸せになれる。たとえ壁が立ちはだかっても、由茉ちゃんとなら乗り越えられる。


 

 

「あーっ!!」


 夕飯を終えてテレビを見ながらくつろいでいると、由茉ちゃんが突然声を上げた。


「どうしたの、急に」


「ママに電話するの忘れてました。引っ越し終わったら連絡しなさいって言われてて」


 由茉ちゃんはスマホを取り出すと電話をかけ始めた。


「もしもし、ママ。由茉だよ。あのね、引っ越し終わった。⋯⋯⋯ううん、お昼過ぎには終わったんだけど連絡するの忘れてた。⋯⋯⋯大丈夫だよー。私だってたまには理子さんの役に立つことがあるよ。たまにはだけど」


「!?」


 私の名前が出たことに驚く。由茉ちゃんは私のことをご両親に話しているのだろうか。上司とルームシェアしているとでも説明しているのかもしれない。


「理子さん、ママが理子さんと喋りたいって言ってます」


「えっ!?」


「大丈夫ですよ。うちの両親、私が理子さんと『付き合ってる』の知ってますから。理子さんが私の恋人って分かってます。⋯⋯ママ、今理子さんに変わるね」


「えぇっ!?」


 思ってもみない展開に胸がばくばくしている。


 私は由茉ちゃんにスマホを渡される。


 恐る恐るスマホを耳に当てる。


「もしもし、お電話変わりました。由茉さんとお付き合いさせていただいております、河合かわい理子と申します」


 今まで何人もの女性と付き合ってきたが、こんな挨拶は何気に初めてだった。



 

 

 電話を終えてしばらくしてもまだどきどきしている。


 うちの両親は私が女しか好きになれないことを知っているが、最初から認めてくれたわけではなかった。


 大学卒業後に打ち明けたものの、何年か疎遠になった期間がある。


 今では彼女がいることを話したりもするが、恋愛についてはお互い込み入ったことを聞いたり話さない。


「由茉ちゃんのご家族はすごくおおらかなのね。同性との交際にも理解があってすごいわね」


「うちの家族は当人が幸せならそれでいいって感じです。私がいかに理子さんが好きかってずーっと話してたから、私が理子さんとお付き合いすることなった時は喜んでくれましたよ」


「話してたの⋯⋯。由茉ちゃん本当に素直ね」


 世の中には色んな家族がいるものだ。


「だって嘘ついて好きな男の人がいるふりとか無理ですよ。私は理子さんが好きなのに。私が理子さん以外の人と付き合っても幸せになれないって、両親も何だか納得してる感じです」 


 由茉ちゃんには妙なパワーと強さがある。きっと由茉ちゃんという人間の全てをありのままに受けとめてくれる両親がいるからこそかもしれない。


「いつか実家にも来てほしいです。パパもママも喜ぶと思います」


「うん、いつかね。こんなおばさんが来てがっかりしないといいのだけど」


「がっかりなんてしないですよー。パパとママには理子さんの写真見せてますから。美人だねって言ってました」


「そう。顔も知られてるのね」


 もう何もかも筒抜けなのだろうか。それは覚悟しておこう。


「だって理子さんのこと自慢したかったから。なかなか他の人には自慢できないし」


 本当に由茉ちゃんといると驚くことばかりだ。


「私、理子さんを好きなってよかったって毎日思います。理子さんに恋できて、幸せです」


 本当に幸せに満ちた笑顔で私を見つめる。優しく甘い視線に私の心もとろけていく。


「私も同じ気持ちだよ」


 愛おしい彼女を抱き寄せて私たちは唇を重ねた。


 この先もずっと由茉ちゃんに恋していたい。


 それが何よりも幸せだから。          

      

     

 

           

       

               

        

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