第13話 Extra理子さんに会いたい!



 私が初めて理子りこさんに会ったのは四歳の時だった。地元に新しくできたショッピングモールに家族と出かけ、楽しくてはしゃいでいた私はいつの間にか一人になっていた。


 周りを見ても、父も母も兄たちもいない。それに気づいた私は怖くて寂しくて、もう一生家族に会えない気がして泣いてしまった。


 けれど泣いても家族は来ないし、心細さだけが増していく。


 一人わんわん泣いている私に声をかけてくれたのが理子さんだった。


「どうしたの? 迷子?」


 頭の上から声がした。顔を上げると優しそうなお姉さんが、私を見つめる。


 お姉さんは屈むと私と同じ高さで目を合わせる。


「お父さんやお母さんとはぐれちゃった?」


 私は泣きながら頷いた。


「そっか。周りにもいないかな?」


 私はまた頷く。


「お姉さんにあなたの名前教えてくれる?」


「⋯⋯ゆま、たかはしゆま」


「ゆまちゃんって言うんだね。可愛い名前だね。ねぇゆまちゃん、ここから少し歩いたところに迷子センターあるの知ってるかな?」 


 私は今度は首を横に振る。


「そこまで行けば、もしかしたらゆまちゃんの家族がいるかもしれない。お姉ちゃんとそこに行ってみない? ゆまちゃんの家族が来てなくても呼び出ししてもらえば、きっと会えると思うんだ」


 脳裏に母から何度も言われた「知らない人について行ってはだめよ」の言葉が浮かぶ。


 でも私はもう一人になるのは嫌で、目の前のお姉さんはお向かいの高校生のお姉さんと同じくらいだし、大丈夫なんじゃないかと思えた。


 私は差し出されたお姉さんの手を取った。温かくて、柔らかい手に少し安堵する。


 そうして私はお姉さんと共に迷子センターまでやって来た。しかし私の家族はいなかった。


 お姉さんとセンターにいた人が何か話をして、しばらくすると館内放送で、私の名前が流れた。


「ゆまちゃん、これできっとお母さんたちが迎えに来てくれるよ。もう少しだけ待ってようね」


 頭をそっと撫でられて、私は頷いた。


 二人でセンターの隅にある長椅子に腰掛ける。

 目の前には机があり、らくがき帳やクレヨン、色鉛筆などが置いてあった。


「ゆまちゃん、絵でも描こうか?」


 お姉さんが私の顔を見ながららくがき帳のページをめくる。


 私はお姉さんの、幼稚園の先生みたいな、優しくて可愛い笑顔にすごく惹かれた。


 一人で泣いていた私を助けてくれたお姉さん。私はお姉さんの名前を知りたくなった。


 「おねえちゃんの、なまえ、なんていうの?」


「私? 私は河合かわい理子。理子だよ」


「かわいいりこ?」


 初めて聞いた名字を、私は「可愛い」と聞き間違えた。


「ふふ、違うよ。ゆまちゃん。か、わ、い、り、こ」


「かわい、りこ? おねえちゃんのなまえにもかんじある?」


「漢字? 漢字でどうやって書くかってこと?」


「うん。ここにかいて」


 お姉さんは近くあった鉛筆を手に取ると、さらさらと自分の名前を書いた。見たことがない難しい漢字を書いているのが、私にはとても格好よく見えた。


「河合理子。これでいい?」


「ありがとう、おねえちゃん。りこおねえちゃんのなまえ、すごくきれいだとおもう」


『りこ』という響きが私の中でこだまする。


「本当? ありがとう。ゆまちゃん!」


 お姉さんの嬉しそうな笑顔に、私も心が跳ねるような感覚になったことを今でも憶えている。


 そうこうしているうちに、私の家族がやって来た。安心した私は母に飛びつく。

 父がお姉さんにお礼を言うと、お姉さんは私に手を振りすぐに去ってしまった。そして母に叱られた。


「もう由茉ゆまったら、離れちゃだめって言ったじゃない」


「ごめんなさい」


「でも由茉が無事に見つかって良かった。みんなでお昼食べに行こうね」


 センターを離れようとした時、私の目にあのらくがき帳が留まる。


「お母さん、あの紙ほしい」


「あの紙? ああ、らくがき帳ね。あとで買ってあげるわよ」


「ちがう。りこおねえちゃんがかいたかみ」


 最初は上手く伝わらなかったけど、側にいたセンターの人が気づいて、名前の書いてある紙を渡してくれた。


「由茉、それ持って帰るの?」


「うん」


「折ってポシェットにしまっておきなさい」 


 私は母に言われた通り、その紙を大事にポシェットの中へと入れた。


 家に戻った私は、その紙をおもちゃの宝石箱にしまった。


 それから二年。奇跡的に紙をなくすことなく持っていた私は、机を買ってもらい紙を引き出しの奥にしまった。


 この紙を持っていたら、いつかあの優しいお姉さんみたいに自分もなれるかもしれないと思っていたから。

 

 



 月日は流れて、私は高校二年生になっていた。


 蒸し蒸しと暑い八月の上旬。


 塾の夏期講習から帰った私は、途中で買ったアイスを持って兄の部屋へ向かった。


「お兄ちゃん、これ食べる?」


「いる、いる。サンキュー、由茉。そうだ、由茉もこれ見るか?」


 兄はテレビを指す。


「昨日録画したやつ」


 それはとあるバラエティ番組だった。私も兄も大ファンだったアイドルグループが出演している。


「私もまだ見てないから見る」


 クーラーの効いた兄の部屋で番組を見始める。


 今回は東京にある会社にアイドルたちが一日体験入社するという内容だった。


 アイスを頬張りながら見ていると、社員の女性が登場する。


 彼女がアイドルたちに仕事を教えるようだ。


 テロップには『広報部 河合理子さん』の文字。

 それを見た瞬間、何かが引っかかる。


 でも思い出せない。


 そのむず痒さを気持ち悪く感じながら、テレビを見ているうちに、私は迷子になった時のことが蘇る。


「理子お姉さん!!」


「何だよ、急に」


 突然声を上げた私に、怪訝そうな目を寄越す兄をよそに、私はこのお姉さんはもしかして、あの時のお姉さんなのではないかと気になり始める。


 番組が終わると同時に、私は自分の部屋に急いで戻った。


 机の一番上の引き出し。ペンやハサミなどの文房具が入っている仕切りを持ち上げ、紙を引っ張り出す。


 開くとそこには先程見たテロップと同じ『河合理子』の文字。


(あの時助けてくれた理子お姉さんと同じ名前)


 私は後日その番組を兄にダビングしてもらい、理子さんが働く会社について調べた。


(私、絶対にあそこに就職する!)


 周りの友だちが将来やりたいことを見つけていく中、私はなかなか見つからずにどうしていいか分からないままだった。


 でも私はそれを脱した。


(あのお姉さんに会ってお礼を伝えたい)


 同姓同名の別人かもしれないのに、私はその可能性があることなど頭になかった。


 ただ、またあのお姉さんに会いたい。


 それだけだった。

 

 

 


 単純すぎて、端から見たらバカみたいな理由で夢を決めた私は、幸運にも理子さんがいる会社の面接を受けることができた。


 もう面接でどんなことを言ったかはよく覚えていない。ともかくこの会社に入りたいとアピールをしまくった。


 それが伝わったのか、私は無事に内定をもらい、就職先が決定した。


 同じ会社にいればいつかは理子さんに会えると浮かれていたら、私の配属先である営業企画部の上司が何と理子さんだったのである。


 「はじめまして。営業企画課で課長を務めさていただいております、河合理子と申します。よろしくお願いいたします」


 今でも鮮明に思い出せる。


 一見すると少し近寄りがたい、厳しそうな雰囲気。


 黒い艷やかな髪に、黒いスーツ。


 美人と形容しても大げさではない、整った顔立ち。


 芯があるよく通る、落ち着いた声。


 だけど眼鏡の奥の瞳は存外に柔らかく、最後に見せた笑顔はどことなく人懐っこい。


 自分の中で何かが弾けた。


 私は一目見て、理子さんに恋に落ちていた。


 それからの私はともかく理子さんに少しでも好かれるよう、仕事を頑張った。


 理子さんは私が頑張ればいつも褒めてくれる。それが嬉しくて更に仕事に熱が入る。まるで子供だったけど、私は理子さんに近づきたくて必死だった。

 




 入社して半年が過ぎた頃、社内の飲み会で理子さんの隣りに座った。


「あっ、あの河合課長」


「なぁに、高橋たかはしさん」


「か、河合課長って呼びにくいです。あの、何というか。噛みそうっていうか。長いっていうか。あの、それで違う呼び方をしたくて⋯⋯」


 私は心臓をばくばくさせながら話しかけた。自分でも強引なことを言っていると分かっている。


(だって下の名前で呼びたいから)


 嫌われたらどうしようと思いつつ、理子さんの顔を伺う。取り敢えず、怒っている様子はない。

 

「そう。呼びにくいなら河合さんでもいいよ」


「り、理子さん、じゃだめですか?」 


「うん、いいけど。高橋さんが呼びやすい言い方で構わないよ」


 理子さんは微笑む。


「ありがとうございます!」


 無茶苦茶なお願いだったけど、すんなり通ってしまった。


 下の名前で呼べる。その嬉しさで私は浮かれたまま飲み会を終えて、翌日を迎えた。

 

「由茉ちゃん、この資料のことなんだけど」


「!?」


 何と理子さんも私のことを下の名前で呼んでくれた。


「ごめんね、下の名前で呼ばれるの嫌だった? 高橋さんが私のことを下の名前で呼ぶことにしたでしょ。だから私もそうしたんだけど」


「いえ、全然そんなことないです、理子さん!」


 こうして私は理子さんと少しずつ距離を縮めていった。

 

 




 

 理子さんの膝枕は好きだ。


 柔らかで温かな腿に頭をのせて、髪を梳かれる。


 私が幸せを感じる瞬間の一つだ。


「由茉ちゃん、そろそろ寝る?」


「ん〜、はい」


 上を見れば私を見下ろす理子さんと目が合う。頬に手を伸ばしたら、反対に掴まれてしまった。


「どうかした?」


「理子さんに会ったばかりの事を思い出してました」


「会ったばかりっていつ?」


「『全部』です。理子さんに会えて良かったなぁって改めて思ったんです」


「そう。私も由茉ちゃんに会えて良かったよ」


 理子さんは私の手にキスをする。


 もう何度もキスしているのに、未だに嬉しくてどきどきしてしまう。


 私はこの春から理子さんと一緒に暮らしている。


 高校生の時に会いたいと願った人と。


「理子さん、私ずーっと理子さんが好きで、多分死ぬまで好きなままかもしれません」


 きっと、四歳の頃から理子さんに魅了されたままなのだ。私は。


「それだと何か困るの?」


「理子さんは、困らないですか?」


「困らないよ」


 至って自然に返される。


「由茉ちゃんが私を好きでいてくれて、こんなに嬉しいことはないもの。私も由茉ちゃんが大好きだから」


「理子さん⋯⋯」


 唇にキスを落とされる。


 できることなら、永遠に理子さんに愛されていたい。


 私が愛せるのは理子さんだけだから。

 

 

        

          

   

  

   

 

               

 

   

       

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