第4話 悪戯の理由



「トリック・オア・トリート! 理子りこさん、お菓子をくれないといたずらしちゃいますよ!」


 玄関のドアを開けると黒いワンピース姿に、ジャック・オ・ランタンの絵が描かれた紙袋を持った由茉ゆまちゃんが立っていた。


「本当に来るとは思わなかった」


「理子さんの命令ならどんなことも聞きます!」

   

 同じ会社の十四歳年下の部下であり、最近恋人になったばかりの由茉ちゃんは、ともかく私に懐いている。


 来年四十になる私なんかを何故そんなに好いてくれるのかは分からないが、まさか『あれ』を真に受けるとは思わなかった。


「どんなことでも聞くなら、今帰ってって言ったら帰るの?」


「え⋯⋯」


 由茉ちゃんは明らかに動揺した顔で私を見つめる。


「理子さん⋯⋯⋯」


 すでに泣きそうになっているので、私は由茉ちゃんの腕を掴んで玄関の中に引き込んだ。


「ごめん、冗談」


「もう、理子さんのいじわる!!」


 親に甘える子供のように、まだパジャマ姿の私に抱きついてきた。




 

 昨日の別れ際のことだった。


『理子さん、明日のお休みにお菓子もらいに行ってもいいですか?』


『お菓子? ⋯⋯あぁ、ハロウィンだから? 朝の七時に来れるなら構わないけど』


 どうせ冗談だろうと適当に返したのだが、由茉ちゃんは本当に朝の七時に来てしまった。


 秋とはいえ、明日から十一月だ。朝の冷え込みも厳しくなりつつあるのに、寒い中やって来てくれた。


 私は半分呆れつつ、素直すぎる由茉ちゃんが無性に愛おしくなる。


「寒かったでしょ。何か温かいものでも淹れるから、こっち来なさい」


 私は由茉ちゃんを連れてダイニングに向かった。

キッチンに入り、ケトルでお湯を沸かす。


「理子さん、お菓子はないんですか?」


「お菓子⋯⋯、ごめんね由茉ちゃん。本当に来るとは思わなかったから用意してなかった」


 がっかりされるだろうかと思ったが、由茉ちゃんは不敵な笑みを浮かべていた。何か企んでいる顔だ。


「理子さん、分かってますよね?」


「ん?」


「とぼけてもダメですからね。お菓子をくれないといたずらされるんですよ」


「そう言えばそうだね。ハロウィンだもんね。由茉ちゃん私にいたずらする気?」


「そうですよ〜。お菓子がないなら、それなりの代償がいるんですよ」


 由茉ちゃんがどうしたいのかは分からないが、ここは彼女の好きにさせておこう。わざわざ休日に早起きして会いに来てくれたのだから、それくらいは許してあげなくては。


「いたずらされるのは困るけど、お菓子持ってないし今日は由茉ちゃんの好きにさせてあげる」


「本当ですか!? 本当に好きにしていいんですか? すごいいたずらしますけど!?」


「⋯⋯いいよ」


 どんないたずらをして来るのか少し怖いけど、由茉ちゃんのことだから私が嫌がることはしないだろう。


 由茉ちゃんはリビングのソファに座り込んで何やら考え始めた。すごいいたずらをする気でいたのかと思いきや、内容は考えてなかったようだ。詰めが甘いのが何とも由茉ちゃんらしい。


 お湯が沸いたので私は由茉ちゃんが好きなミルクティーを作って持って行った。


 まだ何か考え込んでいる。


「理子さん、ありがとうございます。⋯⋯ミルクティーだ。私が好きなのちゃんと覚えてくれてたんですね」


 はにかむ姿が可愛くて、これならどんないたずらでも受けて立つ気になってしまう。


「いたずらは決まった?」 


「まだです。もう少し待ってください」


 ミルクティーをすすりながら熟考している。


 その間に私は着替えと洗顔を済ませる。


 それでも由茉ちゃんはソファで石みたいになっているので、私は朝食の支度を始めた。おそらく由茉ちゃんのことだから何も食べずに出てきたに違いない。


 簡単に朝食を作り終え、ダイニングのテーブルに並べる。


「由茉ちゃん、朝ごはん一緒に食べる?」


「理子さん私の分も作ってくれたんですか? 私何も食べずに出てきたからお腹空いてたんです」


 やはり予想通り、食べていなかった。


 由茉ちゃんが席についたので二人で向かい合って食べ始める。


「由茉ちゃん随分と考えてたようだけど、肝心のいたずらは決まったのかな?」


「あのですね、理子さん。私、よく考えたらいたずらなんてできない気がします」


「別に遠慮しなくてもいいよ。今日は無礼講にしてあげるから」


「私、理子さんのこと大好きすぎてどうしていいか分からないです。いつも理子さんといるとドキドキして幸福感でふわふわして、世界一幸せなんじゃないかなぁって思うんです」


 真顔で見つめられて、朝食の手が止まる。


 急にこんな事をいい出すなんて反則だ。


 可愛くて可愛くてたまらなくなる。


 ただの部下だったはずなのに。


 多少は可愛いと前から思ってはいたけれど、私だけのものにしていたいという独占欲が増えていく。


「由茉ちゃんって卑怯。そんなこと言われたら⋯⋯もっと、好きになるじゃない」 


「理子さん⋯⋯」


 由茉ちゃんは立ち上がると私を抱きしめに来た。


「やっぱり、好きです。好き、好き、好き!!! 理子さんが好き!!! ⋯⋯好きです⋯⋯」


 涙声になっていることに気づく。


「本当に何もかも卑怯ね、由茉ちゃんは」


 いつもいつも真っ直ぐに愛を向けられて、もうどうやってもこの娘を突き離せないではないか。


「⋯⋯⋯いたずらは決まったの?」


「デート⋯⋯したいです。理子さんと、お出かけしたいです。手繋いだりしたい」


「それはいたずら?」


「理子さん、好きにしていいって言いましたよ」


「そうね。今日はデートしようか」


 私たちはその日楽しくデートをして過ごしたのだった。

 

 



「ところで理子さん、これ着てほしいんですけど⋯⋯」


 夜になり、泊まって行くことになった由茉ちゃんはうきうきとしながら紙袋からラッピングされたプレゼントらしきものを取り出した。


「何? 開けていいの?」


 由茉ちゃんがにこにこしながら頷いている。


 中身を取り出すと黒いランジェリーだった。レースがふんだんに使われた、なかなかにセクシーな下着だ。


「由茉ちゃん⋯⋯⋯」


「理子さんが着たら似合うと思うんです。今日はそれを着て私をかわいがってください!」 


「由茉ちゃん⋯⋯。私なんかが着ても似合うわけないでしょう。からかってるの?」


「からかってなんかいないです!! 理子さんのような大人な女性にこそ似合うと思って買ったんですよ。けっこう高かったんですから」

 

「由茉ちゃんの趣味ってちょっとどうかしてると思う」


 私なんかを好きになるあたりも含めて。


「えー、理子さん何でも聞くって言いましたよね? 言いましたよ!」


「なるほど、いたずらってわけね。これが」


 頭を抱えたくなる。


「違いますよ理子さん。いたずらするのは理子さんで⋯⋯」


 私は近くにあった枕を由茉ちゃんの顔にぶん投げた。


「理子さん何するんですか!!」


「さっさと寝るよ。由茉ちゃんも早くベッドに入って寝なさい。寝ないなら私は先に寝るからね」


「待ってください、理子さん! 何もなしですか? 何もないんですが? 何もしないんですか!?」


「寝るって言ったでしょ。もう寝るの。眠るの! おやすみなさい。電気消しておいてね」

 

「理子さ〜ん」 


 半分泣きそうな声になっている由茉ちゃんを無視して私は毛布を被った。


「怒ったんですか? ⋯⋯私、本当に理子さんに似合うと思って選んだんですよ。似合うというか、単に私が着てほしかっただけですけど。いつもよりちょっとドキドキする格好見たかったんです」


 しょんぼりした声で話しているのを聞いていたら、私も大人げないことをしてしまったと反省した。


「理子さんは自分はもうおばさんだからって思ってませんか? 私にとって理子さんは憧れのお姉さんなんです。ずっと。理子さんがいくつになってもそれは変わりません。それだけは覚えておいてほしいです」


 こんなことを言われては何も拒否できないではないか。


(本当に、ずるい)


「由茉ちゃんが私のことを憧れのお姉さんだと思ってくれてるのは嬉しい。ありがとう。 ⋯⋯その、下着は正直恥ずかしいけど、由茉ちゃん以外に見せるわけじゃないから、まぁちょっとくらい着てもいいかな」


「本当ですか!?」


 嬉しそうに私に覆いかぶさってくる。


「たまーに。たまにちょっとだけ、ね」


「はい。それでも嬉しいです!!」


 というわけで由茉ちゃんセレクトの下着を身につけることになった。


 前の彼女と別れてからあまり下着に気を使わなくなっていたことに気づく。


「着てみたけど、どう? ちゃんと似合ってる?」


 背中を向けている由茉ちゃんに声をかける。


 こちらを振り返った由茉ちゃんはぽかんとした顔で私をベッドの上から見上げている。


「やばいです、理子さん」


「えっ、やばい?」 


「ものすごく百八がやばいです」


「百八???」


 体型がやばかったのだろうかとどきりとしたが、違うらしい。しかし意味は分からない。


「理子さんが素敵すぎて、煩悩が百八では足りなくなりそうです」


 やはりいまいち意味が分からないが、がっかりはされなかったようで安心する。


 私はベッドに腰を下ろして、ぽやんとしたままの由茉ちゃんを引き寄せる。


「で、どうしてほしいんだっけ?」


「それはもちろん理子さんにいーっぱい可愛がられたいです!」


「そう。じゃ、由茉ちゃんが望むままに」


 私ははにかむ由茉ちゃんを押し倒した。


「今日はいつもよりたくさん可愛がってあげる」


 こうしてハロウィンの夜は更けていったのだった。                      

        

        

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