第11話 大切な理由



 待ちに待った十二月二十四日。


 幼い頃、何日も前からツリーを飾り、今か今かと待ちわびたクリスマス。年を重ねるにつれて、わくわくする気持ちは減って行った。彼女と過ごしたことも何度もある。それなりいい時間を過ごせたけど、今日は例年以上に楽しみにしている自分がいた。


 それもこれも由茉ゆまちゃんという、年下の愛くるしい彼女ができたせいだ。数ヶ月前は今こうして部下が恋人になっているなんて、微塵も想像していなかった。可愛い彼女がいるというのはいいものだ。


 終業時間になるとどことなく皆、そわそわしているように見えるのは考えすぎだろうか。


「由茉、今日朝からずっとご機嫌だよね」


「そんなことないですよ、先輩」


「いやいや、私から見ても由茉ちゃんはご機嫌だったよ」


「そうですか?」


 部下たちが楽しそうに会話しているのが聞こえる。


「由茉、ついに彼氏できたの?」


「そんなんじゃないですよ〜」


「これは絶対できたね。今日はその彼氏とデートか? 素直に吐きなさい!」


「秘密でーす!」


 先輩や同僚にいじられている由茉ちゃんと目が合う。照れたように笑みを浮かべて、こっちまで恥ずかしくなってきた。


 誰も相手が私とは思うまい。


 大方、みんなが帰ったところで由茉ちゃんが私のところへ来る。


理子りこさん、ディナー行きましょう! ディナー!」


「じゃあ、行きましょうか」


 私たちは連れ立って会社を後にする。


 駅に着いて、電車を待つ。


 これから向かうのは、由茉ちゃんが先日当てたお食事券を使えるお店だ。どこのお店にするか話し合った結果、スペイン料理店になった。


「何か夢みたいです」


 電車待ちの列に並び、私の前にいる由茉ちゃんはカバンから手帳を出してにへにへしている。


 そのページはクリアポケットになっており、以前も見たことがある、折りたたまれた古びた紙が入っていた。由茉ちゃんにとってはとても大切なものらしい。


「それ、クリスマスに見たくなるようなものなの?」


「特にそういうわけじゃないですけど、これを見ていると、色々な歴史を感じるんです」


 よく分からないが、やはり由茉ちゃんには重要なことのようだ。


 ちょうど電車が到着し、由茉ちゃんは慌ててカバンに手帳をしまった。


 クリスマスイブだからと言って帰宅ラッシュが無くなるわけもなく、私たちは電車に寿司詰めになる。流れて反対側のドアの所まで来てしまった。


 ひしめき合う人々に押され、由茉ちゃんとちょうど抱き合うように向かい合う。付き合って日も経つのに何となく照れくさい。由茉ちゃんも目を伏せて、私にもたれていた。


 五つ目の駅で降りる。駅を出てすぐ側、聳え立つ重厚感のある百貨店へと足を踏み入れた。


「理子さん、ちょっと寄り道していいですか?」


 由茉ちゃんは途中でエレベーターを降りた。彼女が指すのは本屋さんだ。


「まだ、時間あるしいいよ」


「ありがとうございます。欲しいものがあるんです」


 本屋の中へ入って行く。少し迷って私も後を付いて行った。


 由茉ちゃんは文具コーナーの一角にある、手帳のリフィルが並ぶ棚の前で立ち止まる。


「来年用のまだ買ってなくて」


 様々なリフィルに目移りしながら、由茉ちゃんはいくつか商品を手に取る。


「色付きがある」


 ピンクや水色のクリアポケットを見つけた由茉ちゃんは、大層感動したように目を煌めかせた。


「例の紙、入れるの?」


 私は気になって聞いてみる。


「分かりますか? せっかくだから可愛いのに入れ替えようかなって」


 由茉ちゃんはたくさんリフィルを買って、ほくほく顔で店を出た。


 そしてようやくお店のある階までやって来る。


 入り口脇にはナチュラルな色合いのリースが飾られていた。


 私たちはウェイターに案内され、奥の席に落ち着く。明るさを程よく控えた照明に、欧風の内装。なかなかいい雰囲気だ。


「私、スペイン料理店は初めてです」


 由茉ちゃんは目を輝かせながら、メニューを開く。


「スペイン料理って何があるんでしょうね」


 あまり分かってないまま、このお店にしたらしい。そこが由茉ちゃんらしい。


「理子さん、パエリヤにしましょう! パエリヤ。エビが乗ってるのが食べたいです!」


「そう? ならそれを頼みましょう」


「エスカルゴもありますよ。理子さんはエスカルゴ食べたことあります?」


「けっこう前にだけどあるよ」


「サラダもありますね。サラダも食べますか?」 


 由茉ちゃんは心から楽しそうにメニューを眺めている。


 正直、私は胃もたれしないかということが心配だったりするのだが、若い由茉ちゃんに合わせるにはそれくらいは覚悟しなければならない。

 

「ブイヤベースもいいですね〜。あっ、飲み物何にしますか? スペイン料理ならワインがいいのかなぁ。でも私、ワインあんまり飲んだことないや」


 子供みたいに楽しそうにメニューを吟味している姿を見ていると、一緒に来られて良かった思いが強くなる。


 由茉ちゃんが幸せそうにしていると、私も幸せになれる。


(彼女がいるって、こういうことよね)


 最近、しみじみと実感することが多くなった。一緒にいられることで幸せを分かち合えるのはいいことだと。


 あれもこれも頼みたくて迷っている由茉ちゃんとどれにするか話して、今日のディナーが決まった。

 食事が運ばれて来るまで、他愛もない話で活気づく。


「ところで理子さんは去年のクリスマスは何してましたか?」 


「去年は一人で家でご飯食べてた。いつもと変わんない感じね」


 一人暮らしで恋人がいなければそんなものだろう。


「私と一緒ですね。私も一人でお家でご飯食べてましたよ。チキン買って、ケーキも買って」


「それは、意外ね。由茉ちゃんたくさん友だちいそうなのに」


「そうですか? 私そんなに友だちいないですよ。正直、他人にあんまり興味ないんです。あっ、でも⋯⋯」


 由茉ちゃんはじっと私を見つめる。


「理子さんだけは特別です」


 花が咲いたように笑う。


 こんな人のいる場所で、いきなりそれは卑怯というものだ。やはり若いからだろうか。


「ありがとう」


 と返すのが精一杯だった。

 

 




「今日からしばらく理子さん家の子になるんですよね〜。はぁ、嬉しい」


 食事を終えた私たちは駅に向かう。


 ワインですっかり気持ちよく酔った由茉ちゃんは、ずっとふわふわしている。


「年明けまで一緒ね」


 由茉ちゃんは年明けまで家に泊まりに来ることになっている。二十五日の明日は金曜だし、月曜日に仕事納めとなる。なのでお正月休みが終わるまで二人で過ごせる。


「私、一生理子さん家の子になりたいです」


「春にでもなったら、一緒に住む?」


 私は冗談のつもりだったのだが、由茉ちゃんは存外に真剣な顔を私に向けて来た。


「本当に、ですか?」


「⋯⋯由茉ちゃんが本気なら考えるけど」


 今まで何度か彼女と同棲するのは経験して来た。それでも、付き合って二ヶ月ほどで同棲を考えたことはない。


(私も大分由茉ちゃんに甘いというか、惚れているというか⋯⋯)


 若い女の子に好かれて私も浮かれているのかもしれない。


「私はいつだって理子さんには本気ですよ」


「休みの間に考えようか」


「わぁ、いいんですか? こんな幸せがいっぱいなんて栄華を極めてる感じがします!」


「すごいもの極めたね」


 私たちは仲良く同じ家へと帰宅した。

 

 


 由茉ちゃんの荷物はすでに昨日、私の車で迎えに行き運んである。


 これから一週間ちょっと共に暮らすのは、上手くいかなかったらという不安二割と、楽しみ七割だ。


「理子ハウスだー!」


 さっそく部屋着に着替えた由茉ちゃんはこたつに入って伸びをしている。


「もう、変な言い方しない」


「えぇ、だってここ理子ハウスですよ。なので理子ハウスです!」


「はい、はい」


 酔っているし言っても意味がなさそうなので諦めた。


 由茉ちゃんはカバンの中身を盛大にこたつの上にぶちまけている。


「何してるの? 探しもの?」


「さっき買ったリフィルです。⋯⋯⋯あった!」


 カバンの奥からリフィルを取り出した。


「見つかってよかったけど、カバンの中もちゃんと整理しておきなさい」


「はーい」


 由茉ちゃんは会社の机の引き出しの中もわりと、ごちゃごちゃさせている。仕事はできるくせに、片付けは苦手なようだ。


「あれ、入れ替えよう〜」


 今度は手帳を取り出して開く。

 

「ん〜?」


 ページをパラパラとめくったかと思うと、また元に戻してもう一回めくる。それを繰り返して何度もめくっては返しめくっては返す。しまいに手帳をぶんぶん振っている。


「どうしたの?」


「ないです⋯⋯」


 由茉ちゃんは明らかに動揺していた。


「あれが⋯⋯」


 開かれたページはクリアポケットになっているところだ。ないというのは、例の古い紙のことだろう。由茉ちゃんにとってはとても特別で大切な紙。


「⋯⋯どうしよう。どうしよう、理子さんっ」


 私の腕にすがるが、その手が震えていた。


「⋯⋯あれが。⋯⋯⋯あれは」


 彼女の瞳に一気に涙が溢れ出る。


「無くしちゃった⋯⋯。ずっと大事にしてきたのに」


 私に抱きつくと幼い子供のように声を上げて泣き出してしまった。


 見ているだけで辛くなるような泣き顔に、私まで胸が痛くなる。


 取り敢えず今は落ち着かせるのが先だろう。


「由茉ちゃん、まずはその紙を探しましょう」


 しかし私の声が聞こえてないのか、由茉ちゃんは泣き声を上げたままだった。


 私は背中を撫でながら、床に落ちている由茉ちゃんの私物をこたつに載せる。あれだけひっくり返したのだから、ここで失くした可能性が高い。


 全ての持ち物を拾ってこたつの周りもくまなく確認したが、それらしきものはなかった。


 次にほっぽり出されているカバンを手元に引き寄せる。


「由茉ちゃん、中確認するね」


 と言ったが多分彼女の耳に届いてなさそうだ。


 私はカバンの中から物を一つ一つ取り出して、どこかに紛れていないか探す。内ポケットにも手を入れて探るが、出て来ない。


 最後に由茉ちゃんがあの紙を見ていたのはいつだったか思い返す。


 おそらく、駅で電車待ちの列に並んでいた時だ。私も由茉ちゃんが手帳を開いていたのを覚えている。


 部屋にないなら、あとは駅しかないだろう。

 

 私は泣いている由茉ちゃんの顔を掴み、こちらを向かせて目を合わす。


「今から外に探しに行って来るから由茉ちゃんはお家で待ってなさい」


「⋯⋯理子さん」


 私の服を握る由茉ちゃんの手をそっと離す。


「⋯⋯無理ですよ。⋯⋯⋯見つからない、です。⋯⋯⋯ただの紙だし」


「でも由茉ちゃんにとっては大切なものなんでしょう?」


「⋯⋯私も、行きます」


「だめ。まずは落ち着きなさい。私が見落としてるだけかもしれないから、もう一度カバンやこたつの周りを探しておきなさい」


 私はさっき脱いだばかりのコートを引っ掛け、小さなライトをポケットに突っ込んで外へ出た。歩いて来た道を見回しながら駅へと向う。


 丁度、ホームに到着した電車に乗って会社の最寄り駅まで揺られる。その間も気が気ではない。何の変哲もない古びた紙が落ちていても、誰も遺失物とは見なさないだろう。どこかにまだ落ちていることを祈るしかない。


 二十分ほどで駅に着く。由茉ちゃんから連絡はない。家にはなかったようだ。


 帰宅ラッシュも去り、さほど人気のないホームを見て回る。列に並んでいた近辺を見渡して見るが、それらしきものは見当たらない。


 ホームから線路を覗き込む。やはりない。ゴミすらない。


 近くのベンチの下を確認するが、ない。


 次は自販機の下。私は持って来たライトで照らす。


(あれは⋯⋯)


 白っぽい四角が浮かび上がる。紙だ。


 私は指先を伸ばして摘む。


 チラシや何かの切れ端ではなかった。うっすらと黄ばみ、少しよれて古くなった四つ折りにされた紙。


(これ?)


 そもそも何の紙か私は知らないわけだが、確認するために私は砂埃を払って紙を開いた。


 

 河合理子



 そこにはそれだけ書いてあった。


(私の名前⋯⋯?)


 おそらくこれだろう。たまたま自分と同姓同名の名前が書かれた紙を、由茉ちゃん以外の人が落とすとは思えない。


 鉛筆で書かれた私の名前は、よく見慣れた字体だ。しかし由茉ちゃんの字体ではない。私の字だ。間違いなく。


 でもこんなものを書いた記憶はない。


 私は念の為、これが由茉ちゃんの探しものか確認するために電話をかけた。


『理子さん、もう帰って来てください。外寒いのに、理子さん風邪引いちゃいます。そんなの嫌です。もう諦めるので帰って来てください』


 電話の向こうではまだ泣いていた。


「落ち着きなさいって言ったでしょ。私はこんなことで風邪引かないから。ところで、由茉ちゃんが失くした紙って私の名前が書いある紙で合ってる?」


『⋯⋯⋯理子さん』


 またさっきみたいに泣き始める。これではどっちか分からない。


「由茉ちゃん、これでいいの? 違うの?」


『⋯⋯それ、です』


 私はほっと息をつく。


「良かった。見つかって。今から帰るから、もう由茉ちゃんは泣かない。いい?」


『⋯⋯はい』 


 私は急ぎたくても急げないもどかしさを抱えながら帰宅した。早くあのを笑顔に戻さなくては。

 


 家に着いてドアを開けた瞬間、由茉ちゃんが飛びついて来た。


「理子さんっ」


「ちゃんと見つかったよ」


 私は由茉ちゃんの手を取ってリビングに戻ると、あの紙を手渡した。


「理子さん、ありがとうございます」


 それは大事に大事に受け取った。ようやく笑顔になる。


「ああ、もう顔ぐしゃぐしゃね」


 私は真っ赤な顔した由茉ちゃんの目元を拭った。


「やっぱり理子さんは私には特別な人です。きっと一生」


「それはありがとう。で、それは何なの? 聞いてもいい? 私書いた覚えないんだけど」


 振り返ってみても、書いた記憶がない。


「あの、理子さん。理子さんが高校生くらいの時に、迷子の女の子を助けたことないですか?」


「あるね」


 この間一緒に由茉ちゃんと買い物に行った時に、久しぶりに思い出した出来事。


 家族とはぐれて一人になって泣いていた幼い女の子を、迷子センターに連れて行ったことがある。


 その子の家族が迎えに来るまで私はその子と一緒に並んで座って待っていた。


 センターには待ってる子が退屈しないようにおもちゃがおいてあった。


 私たちの前にはらくがき帳と鉛筆。


『おねえちゃんの、なまえ、なんていうの?』


『私? 私は河合理子。理子だよ』


『かわいいりこ?』


『ふふ、違うよ。⋯⋯ちゃん。か、わ、い、り、こ』


『かわい、りこ? おねえちゃんのなまえにもかんじある?』


 女の子はらくがき帳を私に差し出す。


『漢字? 漢字でどうやって書くかってこと?』


『うん。ここにかいて』


 私は言われた通りに鉛筆で自分の名前を書いた。


『河合理子。これでいい?』


『ありがとう、おねえちゃん。りこおねえちゃんのなまえ、すごくきれいだとおもう』


『本当? ありがとう。⋯⋯ちゃん!』

 

 

「あの時の女の子が由茉ちゃんってこと?」


「そうです。私、あの時からずっと理子さんが憧れのお姉さんだったんです。この紙、迷子センターの人にお願いしてもらったんです。私にはあの時の理子さんは天使みたいで、すごくキラキラして見えて、あの紙は絶対に持ち帰るって思ったんです。もらえたので今もこうして手元にあります。失くしかけたけど理子さんのおかけで戻って来ました」


「まさかそんな昔に会っていたなんてね」


 予想外の展開に、いまいち現実味がない。


 抱きついて来た由茉ちゃんを受け止めて、撫でながら奇妙な気持ちにとらわれる。


 もうあの時の迷子の女の子の顔も声も服装も覚えてはいない。何となく白いクマのぬいぐるみを持っていたような朧気な記憶しかない。


 その女の子は大人になって私の腕の中にいる。こんな繋がり方もあるのかと、感慨深くなってきた。


「何だかすごい偶然で出会ったのね、私たち」


「理子さん、偶然じゃないですよ。運命です」


「そうね。運命かもね」


 少し前まではよく懐いてる部下だったのに、今では手放せないくらいに大切な存在になっている。


 未来の歯車が違えば、私たちはまだ上司と部下のままだった。 


 でも誰より大切な人になっているのだから、きっと運命なのだろう。


「さて、取り敢えず、由茉ちゃんのカバンの中身を片付けましょうか」


「はい」


 明日はクリスマス。


 いい一日になる予感がした。    

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