第7話 好きの証 ―①
――明side
夏休みは短い。
7月中旬から8月末まで。たかだか40日程度しかないのだ。
高校生の少年少女たちが遊びたいことをやりつくすにはまるで足りない。
それに、学生の本分は遊びだけではない。
「ねーえ、どっか遊びに行こうよ~」
「ダメです。だって先輩、全く宿題手付けてないんでしょう?」
先程からボクは、怠けようとする
夏休みも八分目まで終わった今日。
ここまでボクと先輩は毎日のように色々な場所へ行って遊んでいた。家でお泊まり会をして、パジャマパーティーを開いたこともあった。
ボクのドッペルゲンガーとしての体質が第二段階まで進んでしまった現状。
先輩といられる時間はあとわずか。
一分一秒たりとも無駄にはしたくない。
全力で楽しみ、幸せを噛みしめ、絶対に忘れない思い出にするんだ。
しかし、どうしても避けては通れないもの。
それが夏休みの宿題である。
ボクは遊び疲れていても夜にちょくちょくこなしていたからまだいいが、聞けば先輩は全くの手付かずだと言う。
そういうわけで今日は、透子先輩の家で勉強会をしようということになったのである。
先輩宅のリビング。
テーブルに課題や教科書を広げ、絨毯の上に座り込んで問題を解く。
けれども先輩が突如、自分の課題の上に倒れ込んだ。
「だぁ~~宿題なんて最終日から頑張ればいいじゃん」
時計を見れば、さっき弱音を吐いてから10分しか経っていない。
驚異の集中力の無さである。
「それ最終日にとてつもない後悔を抱えるやつですから。心地よく新学期迎えるためにも、今日からコツコツやっていきましょう」
「え~~……わかったよ~」
先輩はひどく不服そうに起き上がり、シャーペンを握った。
たぶん、いや絶対分かってないやつだ。
課題を見つめる目にやる気がまるで感じられない。
それにシャーペンを握った手はちっとも動く気配がない。
案の定、3分もしない内に先輩はシャーペンを放り出した。
「うぅぅん解けないっ……」
「難しい問題なんですか?」
「超難問。ハバ卒でも解けないねきっと」
「そんなですか……!? ちょっと見せてください」
先輩から課題用紙を受け取る。
そんな問題が宿題として出されるなんて。
先輩は相当レベルの高いクラスにいるのでは――
「――って、基礎中の基礎の問題じゃないですか……これならボクでも教えてあげられますよ?」
「ほんと!? 教えて教えて~!」
パァッと顔を輝かせて、ボクの隣へと移動してきた。
返事を待つより先に教えてもらうスタイルに入ってるし。
「後輩に勉強を教えてもらうことに全く違和感を覚えないんですか……?」
「明に教えてもらいたいだけで、これが全部演技だとも考えないの?」
「ほう、演技なのですか?」
「なわけないじゃん! わたしにそんな器用な真似できないって」
「ですよね。では、この問題を解く手順ですが……」
先輩に問題の解き方を教えていく。
すぐ真横にいる先輩に。
体温が伝わるような距離感。
先輩からシャンプーの爽やかな香りが漂ってきて、心拍数が上昇し、頭が少しクラクラした。
問題の解法を組み立てようとする傍ら、どんどんと頭の中は先輩のことでいっぱいになっていく。
この時間が永遠に続けばいいのにと思った。
この問題が一生解けなければいいのにと。
「ダメだぁ~ちかれた~!」
先輩に問題の解き方を教え、そこからさらに応用問題まで解けるようになったところで、先輩が後ろに倒れ込んだ。
なんだかんだで、教え始めてから1時間ほどが経過していたようである。
頭をフル回転させただろうし、集中力が持続しない先輩にしてはすごく頑張ったと思う。
「そろそろ休憩にします?」
ボクのその声に、先輩がガバッと勢いよく起き上がった。
そしてぱあっと笑顔を輝かせる。
「うん! 甘いもの食べよ! 甘いもの!! 実はおやつ準備してたんだ~」
「さすが先輩です」
疲れ果てていたと思っていたのに、勉強以外のこととなるとこの元気である。
先輩はぴょんぴょんと跳ねるような足取りで一度キッチンの方へと行って戻ってきた。
その両手には二枚の皿。
「えへへ~、ショートケーキ~! 甘いものが苦手な明にはビターなチョコケーキだよ」
以前から甘いものが得意ではないと言っているボクへ配慮をしてくれていることに感動だ。
しかし……、
「あ、ありがとうございます」
第二段階まで進んだ今のボクの味覚は先輩と同じ。
つまり、甘いものが好きで、苦いものや辛いものが苦手になっているのである。
けれども、そのことを先輩に察されてはいけない。
先輩には、変なことは何も考えずに、自然にいて欲しいから。
「コーヒーとミルクも持ってくるね」
先輩が飲み物を取りに行っている間に勉強道具を片付けておいた。
「いただきまーす!」
「いただきます」
ボクたちは向かい合ってケーキを食べる。
先輩はショートケーキを一口食べた瞬間、うっとりとした顔で頬を押さえていた。
「んん~~~! 美味しい~!」
ボクもビターチョコケーキを食べてみる。
……よかった、先輩の味覚でも不味くは感じない。
「そうですね、美味しいですね」
「……」
先輩が少しだけ驚いたような顔で、じっとこちらを見つめてきた。
「先輩? ボクの顔に何か付いてます?」
「ううん、ただ、あまり美味しくなさそうな顔してたから」
「え、そんなことは――」
「ねえ、
「な、何でしょう?」
「第二段階が来たんだね」
「……っ」
不意の一撃。
心臓が一度大きく鼓動し、
「ち、違いますっ」
「ううん、その顔は図星の顔」
「……」
そもそも先輩に隠し事なんて無理だったのだ。
先輩はボクの、この無表情の裏にある本当の感情に気付けるのだから。
……白状するしかない。
「……はい」
ああ、もうこれでこれまで通りに過ごすには無理か。
別れまでの時間をより意識することになるかも。
けれど、先輩の反応はボクが思っていたものとは全く違った。
「んふふ、嬉しいな」
まるで好きな人に想いを告げられた乙女のように、若干頬を染めてにこりと笑みを浮かべる。
どうして……!
「ど、どうしてですか……っ! この段階が進めば、先輩は消えてしまうかもしれないんですよ! それに……っ」
そうでなかったとしても、別れの時がもうすぐそこまで近づいている証拠だというのに。
「どうして先輩は喜べるんですか……? どうして……悲しんでくれないのですか?」
「確かに、悲しいよ。怖いよ。こうして明といられる時間もあと少しなのかなって。でもね――」
先輩は太陽のように温かい表情で言う。
「だって、段階が進んだってことは、それだけ好きになってくれたってことでしょ。わたしのことを想ってくれてるって分かったんだもん。嬉しいに決まってるじゃん」
ドキリ、と胸が鳴った。
確かに、そうだ。
ボクは先輩が好き。
そうなのだが。
それだけで、悲しみや恐怖を越えてしまうほど喜べるなんて。
「先輩は、ばかです」
「うん、そうかも」
先輩は照れ笑いを浮かべ、頬をポリポリと掻きつつ言う。
「好きな人が自分のことを好きになってくれるなら、どんなものを犠牲にしたっていい。そう思えちゃうんだから、ばかなのかも」
そんなことのためにすべてを投げうたないでください。
もっと自分を大切にしてください。
ボクにとっては、自分の感情よりも先輩の方が大事なのだから。
「あんね、それにね、明!」
先輩がウィンクをして明るい声音で言う。
「もし明がわたしになっちゃっても大丈夫だよ。明はわたしより頭いいし、真帆ちゃんもみんなもいるし――」
「そんなことにはなりません!」
先輩の言葉をぴしゃりと遮った。
驚きを表した真ん丸の目で見つめられ、我に返る。
へ、わっ……どうしよう!
先輩に怒鳴っちゃった。
それでも、ボクが先輩になるという未来。ボクが先輩を消してしまうという未来なんて想像するもの嫌だった。
「絶対に……冗談でもやめてください」
最初は驚いたようだった先輩も、ボクのその言葉を聞くと穏やかに微笑んで頷く。
「うん、ごめん」
少し
いつもは街の反対側まで届くのではないかというほどしっかりと通るのだが、今だけは弱々しく、どこか悲しげだった。
「さあ、気を取り直しておやつ食べよ! あ、明も甘い方がいいなら半分こしよっか!」
怒鳴ったことを謝罪するより先に、先輩に仕切り直されてしまった。
これ以上掘り返すのはよくない。
ボクたちは甘いケーキと苦いケーキを半分ずつ食べ、嫌々ながらも再度課題と向き合った。
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