エピローグ
――透子side
「……っ!?」
目が覚めると、そこは朝の教室。
窓側の壁際で横になっていたようである。
「あれ、わたし……」
消えていない。
手を見ても、足を見ても、顔を触っても、確かにそこに存在している。
試しにスマホのカメラ機能で顔を確認してみれば、紛れもなく望月透子本人の顔だった。
「どうしてわたし、まだ存在してるの……? もしかして、わたしが明……なの?」
いや、それはあり得ない。
ドッペルゲンガーは本来の自分の存在をほぼ忘れてしまう。
明のことは鮮明に覚えているからその可能性はない。
「まって、明は……っ!?」
教室内を見渡しても、明の姿はどこにもない。
この状況から起こったことを察する。
第五段階へはぎりぎりのところでいかなかった。
そして、明はこの場を立ち去った。
もう二度とわたしを消さないために。
「そんなのダメだよ……っ!!」
わたしは教室を飛び出した。
もしかしたらまだどこかにいるかもしれない。
そうだ、屋上からならば駅まで見える。ひょっとすれば明の姿を確認できるかも。
スマホで着信を入れながら廊下を走る。
しかし、出る気配はまるでない。
「明……っ」
もうどこにも行かないって約束してくれたのに……!
どこに行っちゃったの!
泣きそうな思いで階段を駆け上がり最上階へ。
重い鉄の扉を開けた瞬間、外の空気が押し寄せて身体を押し返してくる。
負けるものかと床を強く踏み、何とか風に押し勝ち、扉を開け放った。
外は雲一つない快晴だった。
朝方だからだろうか、夏にしては珍しい。
それはそうと、早く明を捜さないと。
そう思って視線を奥に向けると、先客がいることに気が付いた。
フェンスのあたりで景色を眺める背中。
たぶん生徒だ。ここの制服を着ている。
一瞬、明だ、と思ったが、よくよく見ればそれは男子生徒の制服。
髪も清潔感があるように短く切り揃えられている。
その男子生徒は、わたしの視線か、あるいは扉の開く音でこちらに気付いたのか、驚いたように肩を揺らしながら振り向いた。
整った顔立ちの男子生徒だ。
カッコいい系というよりは、どこか小動物を思わせる愛らしさがある。
その目は大人しくて優しい雰囲気をしており、美しく、どこか儚げな印象を覚えた。
見覚えのある目だ。
その男子生徒はわたしを視界に収め、しばらく停止したかと思うと、悲しそうに目を伏せこちらへ向かってくる。
そしてそのまま、わたしの脇を抜けて扉に手を掛けた。
「明……っ」
「……っ!」
その男子生徒――明が大きく見開いた目をこちらへ向けた。
どうして、と問いたげな顔だ。
「わたしが気付かないわけないでしょ、明」
「先輩……透子先輩……っ!」
綺麗な顔を崩して泣きだす明。
そんな明を抱き締めた途端、わたしも目元が熱くなり、視界が涙にぼやけた。
明のことだ。
姿が変われば、わたしが明のことを分からなくなると、明のことが好きでなくなると思ったのだろう。
そんなことは絶対にない。外見なんて全く関係ないのに。
ほんと、すぐ変な気を働かせようとするおばかなんだから。
「大好きだよ、愛してる。明」
「ボクも愛してます、透子先輩」
わたしたちは抱き締めあった。
もう絶対に離さないと強く心に刻みながら。
◆◆◆◆◆
――5年後
ある大学の敷地内。
黄金色に色づいた木の下のベンチで、読書をする女子学生がいた。
後ろで一つにまとめた黒髪ロングヘア。だぼっとした茶色のセーターにロングスカート。
元からかなりの美人だが、僅かに化粧をしており、素材の良さをさらに引き立てている。
先程から、道行く学生たちがその美しさにちらちらと視線を向けながら通り過ぎていくが、鈍感な彼女はそんなことには微塵も気付かない。
ふと彼女は、文庫本の文字を追っていた視線を、細い腕に巻かれた腕時計へと移す。
「そろそろ終わる頃かな」
時刻は17時。
日が短くなってきたため、そろそろ読書をするにも薄暗く感じてきた頃だ。
女子学生は文庫本を閉じて肩掛け鞄に収めると、ベンチを立ち、大学構内を移動し始めた。
赤や黄に葉を色づかせた木々たち。
石畳の道はところどころ落ち葉が転がり、吹く風には冷たさを感じる。
すっかり秋の装いになったなぁ、と思いつつ、彼女はレンガ造りの古い洋風の建物へと入った。
明かりの少ない暗い廊下を進んで、建物の端へと行き、ある部屋のドアをノックする。
「はーい」
元気な声が聞こえてきたかと思えば、すぐにドアが開かれ、茶髪を緩くワックスで立てた男子学生が出迎えてくれた。
「やっほー」
「あ、
男子学生が八重歯を見せてニッと笑い、部屋の中を振り返る。
「おーい明ー、お前にはもったいなさすぎるくらいの美人彼女がお迎えだぞ~」
部屋の中央に5つほど並べられたデスク。
その上は書類や本で散らかり放題だった。
そんな紙の山に埋もれるようにして素早くパソコンに文字を打ち込んでいた小柄な男子学生――
「うぇっ、せ、先輩!? また迎えに……! ごめんなさい、すぐ! ここまで終わらせたら行くので!」
「ううん、焦らせてごめんね~! ゆっくりでいいからね」
「ほんとすみませんっ」
明は再度パソコンの打ち込み作業に取り掛かった。
先程までよりさらにキーボードを叩くテンポが速い。
ここは大学三年生である明が所属する研究室。いわゆるゼミ室というやつだ。
明はここで、毎日のように卒業論文に向けた研究や執筆をしているのである。
「さすが明、真面目だなぁ。俺なら研究より彼女を優先する場面だぜ」
腕組みをして唸る茶髪の男子学生に透子が問いかける。
「えっと君、
「
「弓削くんは研究大丈夫なの?」
「ぶっちゃけ、めちゃやばいっす!」
グッドサインにウィンクで答える弓削に透子は苦笑い。
「あはは……がんばってね」
「透子さんは卒論大丈夫なんすか?」
「ぶっちゃけ、めちゃやばいよ!」
弓削よろしくグッドサインにウィンクで答えた透子。
「仲間っすね!」
「うん! 仲間がいてよかったよ!」
「そこ、変なところで仲間意識持たないで! あと先輩の方は冗談じゃなくやばい方ですから、一緒にしちゃダメですからね!! ちゃんと頑張ってください!」
すかさず明のツッコミが飛んできた。
透子はシュンと縮こまる。
「はーい……がんばりまーす」
夏休みの宿題にしても、大きな課題にしても、透子はぎりぎりまで手を付けようとはせず、いつも明に尻を叩かれながらどうにかこなしてきた。
それは出会った当初から何も変わっていない。
「よし、と……すみません! お待たせしました!」
明がパソコンを閉じ、書類や本をまとめて手提げ袋に詰込み、透子に駆け寄った。
「はい、3分待ったからケーキ奢って」
「えぇええ」
「あはは、うそうそ。頑張っててえらいね」
そう言って透子は、優しく明の頭を撫でる。
「ちょっ先輩、恥ずかしいですって」
弓削の視線を気にして顔を真っ赤にする明を見て、透子は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ明、行こっか」
「はい!」
二人肩を並べて、部屋を出て行く。
しかしふと、透子が思い出したかのように振り向く。
「あ、
「弓削です。ねえわざとでしょ透子さんっ!」
「あはは、あんねぇ、弓削くんはわたしに明がもったいないって言ってたけど、逆だよ。明にわたしがもったいないんだよ?」
「へへ、そうっすか。お幸せに」
弓削がニヤニヤと笑って答えた。
アツアツで羨ましいっす、とでも言いたげな顔だ。
それに気が付き、顔を赤くしていた明が今度は耳まで真っ赤に染めて、透子の背中を押して部屋を後にしようとする。
「せ、先輩っ、ほら行きますよもぅ」
研究室のある建物を出た二人は、大学構内を歩きながら話をした。
「研究は順調?」
「ええ、着々とドッペルゲンガーに関する論文を仕上げて発表をしていっています。まあ、あくまで民俗学、都市伝説的なものとして扱っているんですけどね。5年前にボクたちの身に起きたことを分析して、少しでもボクと同じ人を救えたら」
5年前の夏休みを通して、明と透子は絶対にほどけない愛の糸で結ばれた。
同時に、明はドッペルゲンガーとして誰かに変化する前の姿に戻り、その特殊な体質も消えていた。透子を消してしまうこともなかった。
明はこの出来事に一つの仮説を立てた。
自分が消えると思った透子が最後に言った言葉、自分を好きになって、ということ。
これが関係あるのではないかと。
通常、ドッペルゲンガーは皆、自分のことが嫌いになる。
誰かを消さなくてはいけないのだから仕方のないことだ。その人生を、体質を、自分自身を恨んで当然である。
けれども、ドッペルゲンガーは好きになった人間に成り代わる。
つまり、明は、透子の言葉通り自分を認めたことにより、自分自身に成り、透子を消すことがなかったのではないか。
あくまで仮説であり、これからまだまだ研究しなければならないことがたくさんあるが、ひとまず明はこの体験談をいかにも調査した伝承の中にあったようにして、昨今の都市伝説に関する研究論文の中に収めて発表をしている。
ドッペルゲンガーとして生まれてきた人間が自分のことを調べた時に、行きつけるように。
「あと、ボクと同じ人たちに、伝えたいんです。自分の存在を否定しちゃダメだって」
「ぅぅん~~! 明かっこいい!!」
「せ、先輩っ! からかわないでくださいっ」
「透子」
急にムスッとした顔になる透子に、明はポカンとする。
「へ?」
「二人きりの時はそう呼んでっていつも言ってるじゃん」
いったんは秋風で冷えた明の顔が、またじわじわと熱を取り戻す。
せっかく一旦は秋風が明の顔を冷ましてくれたというのに、また赤面してぎこちなく言う。
「とう……と、透子」
「うん!」
透子は満足げに笑い、明の腕にぎゅっとしがみついた。
一人の時より、少しだけ歩きにくい。けれど、温かい。
そして何よりも、幸せだ。
明はそんなことを思いながら透子と歩みを進めた。
だけど、ボクには恋ができない。 海牛トロロ(烏川さいか) @karasugawa
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