第4話 やっぱりボクは先輩のことを ―②


 海辺の脱衣所で水着に着替え、浮き輪を膨らませ、ボクらはビーチへと繰り出した。


「さああきら! まずは泳ぐ? 泳いじゃう?」


「その前に準備体操をしてからですよ」


 今にも海へとスタートダッシュを決めそうな先輩に釘を刺す。


「ぶぅーわかったよぅ」


 二人並んで準備体操を行う。

 屈伸運動やストレッチ。手足をよくほぐして深呼吸。


 それにしても先輩……水着もよく似合うなあ……。


 フリルの付いた水色のビキニ。

 別段際どいとかそういうわけでもないのに、見ているとなんだか緊張してきてしまい、自然と視線を逸らしている自分がいた。

 今日は自慢のロングヘアをポニーテールにまとめ上げているため、新鮮な感じがして余計にドキドキしてしまう。


 対するボクは紺色のワンピース水着。ヒラヒラのスカートは付いているが、特にこれといって他に装飾はない。

 スタイルもよくないし、先輩の隣にいてはどんどん自信を失っていく感じがする。


「よしじゃあ海行こう泳ぎまくろー!!!」


「あ、こら先輩」


 準備運動を終えた先輩が海へと駆け出した。

 砂浜に足を取られて走りにくいはずなのに、そんなことを感じさせない足取りで波打ち際へと到達。

 さすが運動神経抜群の先輩だ。


 頭まで海に潜り、一気に沖の方まで行って浮上。

 息が長いし泳ぎが速い。

 恐らくあの辺は足のつかないところだろう。


 髪が吸った水を払い、こっちを向いて何かを叫びながら大きく手を振っている。

 たぶん、「明もおいでー」とか言っているのだろう。

 仕方がなくボクも駆け足で海へ。


 ぴちゃぴちゃ。

 海の水は思ったより温かかった。

 何の抵抗もなく腰くらいまで入れる。

 しかし、それ以上は少し怖い。


「どうしたのー? もっと深いところまで行こうよー」


 先輩が平泳ぎでボクの方まで戻ってきた。


「先輩一人で行ってきていいですよ」


「もしかして明、泳げないの?」


 ぎくり。


「えっと……はい、泳ぐ機会があまりなくて」


 浮き輪があれば大丈夫だと思ったのだが、それでも深いところは抵抗があった。

 トラウマがあるわけではないが、足がつかないところまで行ったことがないから。


 すると先輩は浮き輪を掴むボクの手を取った。


「泳ぎ方、教えてあげる!」


「え、いいですよ」


「ダメだよー! いざとなった時に泳げた方がいいし。はい、浮き輪外して」


「な、何を言うのですかっ! これはボクの命ですよ!?」


「大げさだよ……」


 苦笑する先輩。


「第一、これ持ったままだとうまく泳げないでしょ?」


「ぐぬぅ……わかりました」


 しぶしぶ、ボクは浮き輪を手放して先輩に渡した。


 それからしばらく、先輩から泳ぎ方のレッスンを受ける。

 頭まで水に浸かる練習やバタ足の練習。

 自分では行ったこともないようなくらい深いところまで進んだ。

 それでも、不安は全くなかった。


 その時間のほとんど、先輩がボクの手を握っていてくれたから。


 心拍数が上がる。常に上がりっぱなしだった。

 これが運動によるものなのか足がつかないところを泳いでいる恐怖から来てるのか、あるいは先輩に触れているからなのか。

 わからない。もしかしたらその全部かもしれない。


 そして泳ぎを教わることおよそ1時間……。


「すごい! だいぶ泳げるようになってきたじゃん!」


「お、泳げてるんですかっ? これ」


「うん! 一応? こんな水平移動が綺麗な犬かき見たことないもんっ!」


「それは褒めてるんですか……?」


 先輩から離れ、足のつかないところを泳ぐ。

 これだけで、最初と比べたら大きな進歩だ。

 しかしこれは、泳ぎと言っていいのか自分でも怪しい。


 水泳選手が見せるようなどの泳法とも違う。

 沈まないようにどうにか維持しながら前へ進もうと手足をバタつかせているだけ。


 一応は溺れなくなったが、今のボクは傍から見たらひどく不格好だろう。

 先輩が近くにいてくれるからまだマシだが、一人の時にこれはさすがに恥ずかしい。


「あ、えーと、そろそろ休憩しよっか! わたしお腹空いちゃった!」


「あ、こら先輩逃げないでください」


 クロールで浜へと向かう先輩の後を追う。


「わー!? ものすごく速い犬かきが追いかけてくるー!」


「やっぱりバカにしてるー!!」


「あははは」


 熱い砂浜に戻ったボクたちは、海の家で昼休憩をすることに。


 昼にしては少し早かったおかげか、そこまで混んでいなかった。

 ボクたちは多人数掛けのテーブルに向かい合って座り、それぞれの注文したものを食べた。

 ボクはたこ焼きで、先輩はラーメン。


 とりわけいい素材を使っているわけでも、いい腕の料理人が作っているわけでもないのに、こういうところで食べると不思議とこれまでになく美味しく感じる。


 とくに今日はたくさん泳いだこともあり、適度な疲労感がいいスパイスとなっているようだ。


 午前中の特訓のおかげで一応は泳げるようになったから、午後はもう少しだけ沖の方まで行ってみたいな。

 一人だったら絶対怖くて無理だったが、先輩が一緒だから大丈夫。


 そんなことを考えつつ海を眺めていた瞬間だった。


「えい、隙あり!」


「あ、こら先輩っ」


 先輩の箸がボクの皿へと伸び、たこ焼きを一個さらっていった。

 そのまま口の中へとホイ。


「あっふあっふ」


 そして、熱そうに口をハフハフとさせていた。


「もぉ、人のものを勝手に盗るからですよ? はい、お水です」


 紙コップを手渡すとごくごくと飲み干し、ぷはぁと豪快に一息。


「だって明、すごく美味しそうに食べるんだもん~」


「え、そうですか?」


 そんなこと初めて言われた。

 表情に乏しいせいか、母親ですら「大丈夫?美味しい?」と心配させるのが常だというのに。


「というか、言ってくれれば分けたのに。口の中大丈夫ですか? 火傷とかしてませんか?」


「うん、全然大丈夫だよ! あ、それより、はい」


 先輩がラーメンのチャーシューを箸でひょいと掴み、こちらに差し出してきた。


「これは?」


「たこ焼きのお返し」


「いいのですか?」


「ふふーん、等価交換ってやつだよ~」


「では、いただきます……あむ」


 一口サイズの厚切りチャーシュー。

 噛んだ瞬間、ほろりと崩れる。

 程よくスープを吸っていてとても美味しい。


「ね、これ美味しくない?」


「はい、すごく」


「えへへ、良かった~。美味しかったから明と共有したいと思ったんだ~」


「そ、そうですかっ」


 あれ、なんだこの感情。

 胸のあたりがポカポカする。

 泳ぎすぎたせいだろうか。

 手足にうまく力が入らないし、なんだか顔も火照った感じがするし


 水を飲んで冷まそうにも、たった今先輩が飲み干してしまってコップの中は空っぽだ。


「ちょ、ちょっとぼく、水汲んできますね」


「あ、それならわたしが」


「大丈夫です、ボク行ってきますので」


 ボクはコップを手に席を立ち、ウォーターサーバーのあるカウンターの方へと早歩きで向かった。


 なんだなんだ、なんなんだ……!


 どうしてこんなにも全身が熱いんだ。

 どうしてこんなにもそわそわするんだ。

 どうしてこんなにも……、


「ドキドキしてるんだろう……」


 ……いや、ダメだ。

 これ以上は考えてはいけない。


 カウンターで汲んだばかりの水を一気飲みし、思考をリセット。


 この楽しい時間を続かせるにはこれが一番。

 余計な感情に流されてはいけない。

 ただただ今を楽しもう。


 そうだ、“友達”と遊びに来たのなんて初めてなんだし、そうしなきゃ損だ。

 よし、午後もいっぱい遊ぶぞ。


 もう一度コップに水を注ぎ、わくわくとした気持ちで先輩が待つ席へと戻った。

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