第8話 最後の一日 ―①
――
朝9時。
太陽はすっかり顔を出し、すでに熱気に包まれ始めてきた頃。
ボクは
けれど――
「……出ない」
もう二回かけたが先輩は出てくれなかった。
朝ということもあり、家のチャイムを鳴らすのは気が引ける。
そこで先輩と話し合い、着いたら電話するということになっていたのだが……。
まあ先輩のことだし、まだ寝ているのかもしれない。
もう一度かけてみてもし出なかったら、少し経ってから家のチャイムを鳴らそう。
そう思っていたところへ、家の中からダダダと走り寄ってくる音が聞こえていた。
ガチャ。
「ごめんごめん明!」
玄関の戸を開けて出てきたのは、ジャージ姿の先輩。
焦りと申し訳なさを混ぜ混ぜにした顔をしている。
普段はさらりと美しい長髪にはところどころ
こんな先輩の姿を見るのは初めてだ。だらしないけれど、なんだか可愛い。
母性本能? をくすぐるというやつだろうか。
なんだか何でもやってあげたい気持ちになった。
そんな感じで待たされたことなんて一瞬でどうでもよくなり、自然と笑みがこぼれてしまう。
「あ、おはようございます、先輩。寝坊ですか?」
ボクが怒っていなさそうなことに安心したのか、先輩が頬を緩めて恥ずかしそうに後頭部を
「えへへ、久しぶりの早起きだったから。それに、今日が楽しみすぎて昨日の夜あまり寝られなくて」
「遠足前の子どもですか」
「それ以上に落ち着きなかった自信があるよ!」
「そんなことでいばらないでください」
「あはは。でも本当にごめんね。待たせちゃったよね」
「大丈夫です。ほんのちょっとしか待ってませんよ」
「明優しいぃ~!」
ガバッ。
「わぅっ! せ、せんぱいっ!? い、いきなり抱き着いてこないでくださいっ!!」
ドキドキがやばすぎて。
心臓がもたない……!
「あはは、ごめんごめん。まあとにかく上がって。まずは冷たいもの飲もうよ」
はあ……まったく先輩は。
こっちがどれだけ動揺しているか分かっているくせに。
いじわるだ。
でも、抱き着いてきた先輩の方も、小刻みに心臓が鼓動しているようだったし、おあいこということで許してあげるけれど。
ボクは玄関で靴を脱ぎ、先輩の家へと上がった。
つい昨日、先輩の家で勉強会をしたから、連日になる。
そう、昨日。
とうとう第三段階までいってしまった。
体質が変化するこの段階で、声が先輩と同じものになったのである。
表に見えているのが声というだけで、本当は体感温度やアレルギーなど、先輩と同じになったものは数多くある。
帰宅した瞬間、ボクの声が変化したことに気付いた両親は、嬉しみや悲しみが
もちろんボクは先輩を消したくなんかはない。
だから、先輩と離れることをしっかりと告げた。
先輩ともその約束で付き合うことになっていたから。
それから先輩に電話をかけ、
「最後に、先輩の時間を、一日だけボクにください」
と言った。
そう、つまり、今日は――先輩と過ごす最後の日になるのである。
この一日でやり残したこと、思い残したことをすべてやり切ろうと思った。
後悔がないように。
しかし、本当であれば、第三段階になった時点でもう会わない決断をするべきなのだろう。そう分かってはいる。
それなのに先輩に甘え、少しでもとすがる弱い自分が情けない。
けれど、今日で本当に最後だ。
余計なことは考えず、思い出に残る一日にしよう。
ダイニングで先輩が出してくれた麦茶を飲んで一息つくと、ボクはキッチンに立つ。
以前先輩がボクのためにお粥を作ってくれたことがあった。
しかし、ボクは自分の料理を先輩に振舞ったことがない。
だから朝食を作り、それを食べてもらいたかったのである。
これが今日やりたかったことの一つ目。
トースターに食パンをセットし、フライパンに油を敷いてコンロに火をつけた。
と、そこで、背後に妙な気配を感じて振り向く。
「なんですか、先輩? 気持ち悪い顔してますよ?」
先輩がにんまりとだらしない顔をしたまま言う。
「可愛い顔って言ってよ~」
「可愛いというより、先輩は綺麗って感じですけど」
「えへへへ~~綺麗って言われちゃった~~~」
「どちらかと言えばってだけです」
「でもぉ、綺麗ってうふふふふふふふ」
笑い方もなかなかに気持ち悪い。
でも不思議なもので、その笑顔を見ているとこちらまで笑えてきてしまう。
ベーコンをフライパンに乗せると、ジャーと油の焼ける音。
食欲をそそる心地の良い音だ。
「先輩、目玉焼きの卵はいくつにします?」
「んーと、じゃあ2個で!」
ピースサインをこちらに向けてくる先輩。
ボクは頷き、自分のと合わせて四個の卵を片手で割ってフライパンに落とす。
「まともなの作れなくてすみません」
「ううん、明がわたしのために作ってくれようとしただけで嬉しいんだよ! それに作るのが大変じゃない料理なんてないんだもん。ありがとね」
「そう言ってもらえると、嬉しいですが」
卵に火が通るまでの間に、洗ったミニトマトとレタスを皿に乗せておく。
目玉焼きとベーコンにしっかり火が通ったのを目視で確認し、野菜の横に盛りつける。
こんがりといい香りがしてきたと思ったら、ちょうどトースターの食パンが焼きあがった。
「はい、できました」
パンも皿に乗せ、目玉焼きと一緒にダイニングのテーブルへと運んだ。
先輩と向かい合ってテーブルへ着く。
「ほわぁ! すごく綺麗! こんな綺麗な目玉焼き初めて見たよ! もう目玉焼きの理想形だね!!!」
「そ、そんな褒めなくていいですから、食べましょう」
二人手を合わせ、声を揃える。
「「いただきます」」
初めに先輩はフォークで目玉焼きの黄身を崩し、白身と絡めて口へ運んだ。
よかった。うまく半熟になっていたようでひとまず安心。
「お味はどう、ですか?」
咀嚼していた先輩がうっとりと頬を緩ませる。
「美味しい~! これまで食べてきた中で一番美味しい目玉焼きだよ!」
「言い過ぎです」
「少なくともわたしにとってはそうなの。ベーコンの焼き具合も最高だよ!」
「誰が焼いても同じですって」
「そんなことないよ。込められた愛が違うもん」
「そ、そんなもの別に込めてないですよーだ」
まったく先輩は。
たくさん褒めちぎった上、急におかしなことを言うのはやめてほしい。
フォークを握る手が震えてしまって仕方ない。
「ねえね明、この後はどこに遊びに行く予定なの?」
「とりあえず、のんびりお散歩がしたいです。お喋りでもしながら」
「明ったらわたしのおじいちゃんみたいなこと言ってる」
「では先輩のおじいさんと気が合いそうなので、そちらとデートに行ってきますね」
「それはダーメ! 今日は明を独り占めするだもん」
独り占め、というワードにドキッとしてしまう。
今日は、先輩だけのボクでいられる。
ボクだけの先輩でいてくれる。
それが言葉では言い表せないほど嬉しかった。
朝食を食べ、片付けを終えたボクたちは外へと出た。
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