第8話 最後の一日 ―②


 お昼前の公園をゆっくりと散歩。

 それから近くの通りへと行き、ウィンドウショッピングを楽む。


 その間ずっと、他愛たあいのない会話が続いていた。

 最近買ってよかったものや、周りで流行っているものなど。

 本当にどうでもいい話。


 それでも先輩のことだと思うと自然と熱心に聴いてしまっている自分がいて。

 自分のことは些細ささいなことでも知っておいて欲しいと話してしまう自分がいた。


 会話の合間に、隣を歩く先輩を盗み見た。

 ポニーテールに結った黒い髪をなびかせ、真っ直ぐと背筋を伸ばした姿勢で歩く綺麗な少女。

 今日は黒いブラウスにふわりとした花柄スカートで、同じ高校生とは思えないほど大人っぽい雰囲気が漂っている。


「好きな人とだと、どこへ出かけても楽しいよね」


 ブラブラと通りを歩いていた時、先輩がまるで独り言のように呟いた。

 一瞬、見つめていたことがバレたのかと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。

 ボクは呼吸を整えてから相槌あいづちを打つ。


「そうかもしれません」


「結局、どこへ行くかより、誰と行くかなんだろうね」


「そうかも、しれませんね」


 曖昧あいまいに答えたが、本当は心の中で力強く頷いていた。


 先輩と一緒だと、これまで何気なく通り過ぎていた場所でさえ興味が湧いてくる。

 一緒に行ってみたい。一緒に何かを共有したいと思う。

 前まではこんなことなかったのに、なんだか不思議だ。


 しかし、ここで肯定してしまうと、先輩のことを間接的に好きと言ってしまうような気がして。

 そうしたら一気に好きの段階が進んで、今日の最後まで一緒にいられなくなるかもしれないと思って、曖昧に答えた。


「あ、そうだ明!」


 先輩がグッとボクの腕を掴み、ちょうど通りかかったアパレルショップを元気よく指差す。


「せっかくだし今日は、わたしが服を選んであげるよ! この間のお返し!」


「え、いいです……本当に」


「うわ、本気で嫌そうな顔しなくてもいいじゃん。あれから雑誌とか読んで勉強したんだからね!」


「ほうほう、ではその勉強の成果を拝見させていただきましょうか」


「ふふん、びっくりさせちゃうから覚悟しておいて~っ!」


 先輩に手を引かれ、店内に入る。

 ボクの手首を掴む先輩の手は温かくて、しっとり汗ばんでいて、だけどなぜか心地よくて、ずっと握っていてほしいとさえ思った。


「はい、じゃあわたしは服探してくるから、明は試着室に入ってて。その方がわくわくするでしょ?」


 店の奥まで行ったところで先輩は手を離してしまった。


「いやいや、不安しかないです。せめて着せられるのはボクなんですからせめて監督を……あっ、ちょっと先輩」


 行ってしまった……。


 先輩の手の名残惜しさを感じるより先に、不安の波が押し寄せてきた。

 いったいどんな服を着せられる破目になるのやら……。


 だけど、なぜだろう。

 自然と笑みがこぼれてきてしまう。

 先輩の壊滅的センスの餌食になるのは気が引けるが、それ以上に楽しいという思いが勝っているのである。


 先輩と一緒にいる時間は楽しい。

 一緒にいればいるほどもっと楽しくなる。

 もっと好きになる。


 ……待って。

 まずい。それは。

 こんなにも楽しくて、こんなにも好きになって大丈夫だろうか。


 ドッペルゲンガーとしての段階が……進んでしまっていないだろうか。


 次の段階、第四段階で変化するのは――容姿。


 急に心臓が早鐘を打ち始めた。

 額や手足から冷や汗が噴き出す。

 呼吸が乱れる。


 床だけを見つめながら試着室に入った。

 そして鏡がある方を向く。


 まだ鏡に映った足先しか見えていない。

 第四段階に進んでしまったのか……先輩と同じ容姿になってしまったのか分からない。


 しかし、確かめる必要がある。

 ボクは恐る恐る、ゆっくりと視線を持ち上げていった。


 足から腰、腹から胸元。首……。


「――はあっ、はあはあ」


 不意に肺の中の空気がすべて追い出された。

 荒い呼吸を繰り返す。


 そこでボクは、ずっと息を止めていたことに気が付く。

 でも――


「まだ、ボクだ」


 鏡に映っていたのは、不安一色の星川明の顔。

 ボクの顔だった。


 よかったぁ……。

 まだ段階は進んでしまっていないようだ。

 今日はまだ、先輩と一緒にいられる。


「はいよ明!! これ着て!」


 服を手に戻ってきた先輩と目が合い、きょとんとした顔をされた。


「って、どうしたの、泣きそうな顔して。わたしと離れて寂しかった?」


「そ、そんなことありません」


「じゃあ、次の服持ってくるね!」


「え、次って!?」


 一着だけじゃなかったんだ……。

 先輩は試着室のカーテンを閉め、ステップを踏むような足取りで次なる服を探しに行ってしまった。


「着せ替え人形になった気分……」


 それはそうと、先輩一体どんな服を持ってきたのだろう。

 手の服を広げてみると、思わず眩暈がした。

 白いフリルをあしらった黒のワンピース。白いエプロン。ガーターベルト。


「って、メイド服!?」


 こんなオシャレそうな店にコスプレ衣装が置いてあるなんて。

 センスの悪い服を見つけてきた時も思ったが、先輩には妙なものを探し当てる才能がある。


 どうしよう、これ着るべきだろうか……?

 軽くこれを着た自分の姿を想像してみる。


「いや、むりむりむりっ!!!」


 絶対恥ずかしすぎて恥ずか死する!!!

 着られるわけがない。


「どう、明ー? 着られたー?」


 試着室の外から投げかけられた先輩の声。


「着られるわけないじゃないですかっ!!」


「えぇ、せっかく明に似合いそうな服見つけてきたのに。次は執事衣装が待ってるんだよ~」


「もう次のを見つけてきたんですか!?」


「とにかく、来てよ。お願い!ね!」


「うぅ……」


 いくら先輩にお願いされても嫌なものは嫌だ。

 ボクにだって拒否権くらいはある。

 コスプレはいくらなんでも恥ずかしすぎる。

 どう考えても着られるわけ――


「ほわぁあああああああ!! 可愛い!! 可愛すぎるよ明!!!!!」


 ――着てしまった……。

 結局先輩に押し負けてしまったのだ。


 目の前で今にも鼻血を垂らしそうな勢いで興奮する先輩。


「うぅ……やっぱり恥ずかしいです」


 カーテンを閉めようとするものの阻まれてしまった。


「ダーメ! はいもっと見せて~!!」


「うぅ……いじわる」


「かっわいぃいいいいいい!!!!!」


 先輩が店内で奇声を上げるせいで、他の客や店員の視線がこちらへ集まった。

 わぁどうしよう、ボクのメイド姿が他の人にまで……!


「ちょっと先輩っ! 恥ずかしいですから!!」


「だけどだけど、可愛いんだもん~!!!」


「わ、わかりましたからっ! 抑えて抑えて……!!」


 その後は、先輩の着せ替え人形となって何着もコスプレをさせられた。

 執事服や巫女服、警察官の衣装や白衣など。


「はあ、はあ……もうこれくらいに……」


「あ、待って、最後にこれだけ着てみて」


「え」


「そんな身構えなくて大丈夫だよ。これはコスプレじゃないから」


 そう言って先輩に渡された服は、確かにこれまでの雰囲気とは違った。


 肩がしっかり出るタイプのフリル付きブラウスに、ふんわりフレアスカート。

 ボクが普段は絶対に選ばないタイプのガーリーな服だった。


「これ、先輩が選んだんですか?」


「うん。あれ、もしかしてまた変だった……!?」


「いえ、何というかその、すごく可愛いです」


 まさか先輩がこんなまともな服を選ぶ日が来るなんて。

 雑誌を見て勉強したというのは本当だったらしい。


 カーテンを閉め、着替えてから先輩にお披露目する。


「ほぉおお可愛いっ!!!」


 先輩は目をキラキラと輝かせ、ボクの毛先からつま先まで舐め回すように見つめた。

 こんな可愛い服を着ることはほとんどないし、太もものあたりがスースーして落ち着かない。


「やっぱり明にはそういう可愛い服も似合うね。いつものボーイッシュな感じも好きなんだけど」


「そう……ですか?」


「明はもっと、自分らしくていいんじゃないかなって思うんだ」


「ボク、らしく……ですか」


「そう」


 ボク、とは何なんだろう。


 小学生の頃、初恋をするまでがボク?

 それとも、初恋の後、この姿になったのがボク?

 あるいは、先輩に恋をし、少しずつ先輩っぽくなってきた今がボク?


 どれが本当のボクなのか。

 どれも本当のボクではないのか。


 時々分からなくなる。


「ボクらしいって何なんでしょうか」


「あはは、難しいよね」


 先輩はあごを触って宙を見上げて、考える仕草をする。


「うーん……自分が思う自分が、自分らしいっていう感じ? 他人が決めた自分じゃなくて」


「自分が思う自分って、何なんでしょう」


「さあ、何でもいいんじゃない?」


「え」


「そこは自由なんじゃないかな。だって自分のことなんだし」


「自由……」


 自由とはつまり、答えがないもの。

 いや、自分で決めたものが答えになるということか。


 こんな存在が定まらないボクなんかに、答えが見つけられるだろうか。


「少なくとも今日のコスプレは全部素敵だったよ! 自信持って!」


「何の自信ですか……」


 ニカッと歯を出して親指を突き立てる先輩に思わず呆れ顔。


 でも、どんなボクでも素敵だということが言いたかったのだろう。

 不器用な先輩らしい言い回しだ。


 でも、一人でもそう言ってくれる人がいると思うと、ましてやそれが先輩だと思うと、すごく安心できた。

 どんな自分でも受け入れてくれる人がいる。

 たとえボク自身が自分のことを嫌いでも、好きでいてくれる人がいる。

 それがなんとも心地よかった。


 それからボクは、先輩に選んでもらった服だけ購入し、二人で店を出た。


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