第5話 優しくしないで ―①

 ――明side



 星川ほしかわ あきら

 ――そういうわけで、すみません先輩。

 ――デート、ドタキャンしてしまって…


 望月もちづき 透子とうこ

 ――ううん、いいよいいよ! 風邪なら仕方ないし!

 ――それよりもお大事にね!

 ――栄養ちゃんと取って! 温かくしてね!


 星川 明

 ――ありがとうございます



「はあ……」


 罪悪感に押しつぶされるようにして、自室の学習机に突っ伏す。

 本当であれば今頃、先輩とのデートを楽しんでいたというのに。


 ボクは今日、透子先輩とのデートをキャンセルした。

 風邪だと“嘘”をいて。


「これでよかった……のかな」


 本音を言えば行きたかった。

 映画をに行った時も、海に遊びに行った時も楽しかった。

 久しぶりに心から笑うこともできた。


 けれど、このまま楽しい時間を過ごしていたら、別れを早めてしまうかもしれないということを思い知らされたから。


 先日、海へ遊びに行った帰り。

 先輩に指摘をされて気が付いた事実。


 ――あんねぇってわたしの口癖だよね。うつっちゃったんだ。


 完全に無意識だった。

 そもそも先輩の口癖がそれだということも知らなかった。


 つまり、考えられる可能性としては……。

 ドッペルゲンガーが誰かを好きになりかけた時に起こる現象。

 段々と相手に似ていってしまうということ。


 第一段階 癖、口癖


 まだ不確定だ。

 ひょっとしたら偶然かもしれないし、ドッペルゲンガーとは全く関係なくうつってしまった口癖なのかもしれない。


 けれども、念のため、一度距離を置くことにした。

 もし第一段階に入ってしまったのなら引き返せるかもしれないし、そうでないとしても、第一段階に入る予防になると思ったから。


 そうすれば、先輩と一緒にいられる時間が少しでも長くなると信じて。


 だけど、


「先輩には悪いことしちゃったなぁ……」


 ボクの意図なんか知らない先輩を振り回すようなかたちになってしまった。

 しかし、先輩は口癖に気付いただけで、ボクのドッペルゲンガーとしての体質が原因だとは微塵みじんも考えなかったようだった。


 だとしたら、変に気遣わせるよりも、ボク一人がこうして背負うだけの方が数倍もマシだ。


 ――ピンポーン


 来客を告げる呼び鈴が鳴った。

 両親は仕事に出かけていて留守にしている。

 ボクは玄関へと向かった。


 客が来るなんて話は聞いていない。

 宅配便か何かだろうか。


 そう考えつつドアの覗き穴から外を見ると、


「ふぇっ、なんで先輩が……っ!?」


 そこには透子先輩が立っていた。

 帽子をかぶり、黒いTシャツにホットパンツとスポーティーな私服姿。

 顔を赤くしてパタパタと手うちわで扇ぎ、外から呼びかけてくる。


「明~!! 大丈夫~?」


 まさか先輩が家に来るなんて……!


 確かに、海に遊びに行った日の前日に住所を教えていた。

 ボクが朝強くないって話をしたら、いざとなれば起こしに来ると言って、確かそんな流れで……。

 だけど、だからって会いに来るなんて。


 な、何しに来たのだろうか……!

 お見舞い? 偶然立ち寄ったから? それとも、仮病であることがバレたとか!?


 いやいや、普通に考えてそれはない。


 ともかく、今日会うのはよくない。

 デートを断ったことが無駄になってしまう。

 心苦しいけれど、ここは居留守を。


 …………。


「明~? あれ、病院に行っちゃったかな」


 先輩が何度か呼びかけてくるが、じっと身を潜めて耐える。


「じゃあ帰ろうかな。んぅ……明、大したことないといいんだけど」


 憂いに満ちた声。

 不安で不安で仕方のない声。

 心から気にかけてくれているのが分かる。


 ――ガチャリ


 気が付けば、ボクはドアを開けていた。


 Tシャツにパンツと病人らしくないカジュアルな部屋着だが、そんなことは構わない。

 あまりに心苦しすぎて、ボクのことを心配する先輩をこのまま帰せなかったのだ。

 それに、先輩に会いたい気持ちがピークに達してしまったのもある。


 ともかく、これでデートをドタキャンしたことが無駄になった。

 けれど、それでもいい。何でもいい。


 今は先輩の声をもっと聴いていたい。

 大丈夫だから心配しないで、と伝えたい。


「せ、先輩、どうしたんですか……?」


 踵を返して今にも帰ってしまいそうな先輩を呼び止めた。


 先輩は少し驚いたように目を丸くしたが、顔に安堵の色が浮かぶ。

 そして優しく微笑みかけてきた。


「どうしたって、看病しに来たんだよ? だって、ご両親がお仕事でいないんでしょ? 何かと大変かなって思って」


「ですが、先輩に風邪をうつしてしまうかもしれませんし、申し訳ありませんが今日は挨拶だけで……」


 今日はこれだけにして別れよう。

 そうすればまだ、デートを断ったことが意味を持ってくる。


 しかし、言いかけて止まった。

 よく見れば手にはエコバッグが。

 スポーツドリンクや冷えピタの箱が少し覗いている。


 先輩の額には玉のような汗。

 髪は肌にべっとりと張り付いているようだ。


 きっと暑い中、買い物をして慣れない道を歩いてここまで来たのだろう。

 ボクのために。

 ボクが具合悪くて困っていると思って。


「わたしたち、付き合ってるんでしょ?」


 不意に、改めてそう言われ、ドキッとした。


「そ、そうですね……!」


「付き合ってるなら風邪ひいた相手を看病するのが普通でしょ?」


「そうなのでしょうか……っ」


「知らないけど」


 って、知らないんですか。

 先程の予想外の一言が効いていて、そうツッコむ余裕はなかった。


「んーとじゃあ、ご飯作るだけ、作ったらすぐ帰るから」


「わかりました。それだけなら」


 ボクのために頑張ってくれた先輩を無下にはできない。

 せめて少しでも休んでいってほしかったし、少しでも一緒にいたいと思った。


 ドアを大きく開け、先輩を招き入れる。


「お邪魔します。あっ、てか出てこさせちゃってごめんね明っ!」


 玄関に入って早々、先輩が思い出したかのようにボクを支えてこようとしてきた。

 腰に手を回され、腕を握られる。


「いえっ大丈夫です」


「やっぱりちょっと顔が赤いね。明の部屋まで一緒に行こうっか」


「ほ、ほんとに大丈夫ですからっ」


「無理しない」


「は、はい」


 あれ、なんだ。

 なんなんだ。


 今日の先輩、なんだか、先輩って感じがする。

 いつもの子どもっぽい笑みではなく、穏やかながらも芯があるような、頼れる年上女性って感じの表情だ。


 先輩、こんな顔もするんだ……。


 二階の自室に行き、ボクをベッドに寝かせた先輩は、すぐに部屋を出て行こうとする。


「じゃあ、ちょっとキッチン借りるね。おかゆ作ってくるから」


「あのっお気遣いなく」


「あ、もしかしてお粥嫌いだった?」


「そ、そういう問題ではなくてですね……」


 ただでさえ暑い中来てもらうことになってしまい、その上たくさん心配をかけたのだ。

 これ以上の迷惑はかけたくない。


「あの、先輩」


 ベッドに横になりながらも、心からの感謝の気持ちを込めて先輩に言う。


「今日は来てくれてありがとうございます。先輩の顔が見れてすごく安心しました」


「そっか、よかった~!」


「けれど、ボクは本当に大丈夫ですのでお構いなく。そうだ、よかったらシャワー浴びていってください。冷蔵庫にある物は好きに飲み食いして大丈夫なので」


「んふふ、それ看病しに来た意味なくない?」


「ですが……」


 先輩には悪いことをしてばかりで申し訳ない。

 しかも仮病なのに……。


「とりあえずお粥作りに行ってくるね。というわけでキッチンお借りします」


「先輩……」


「ん?」


「ありがとう、ございます」


「うん」


 先輩はにこりと目を細めて、キッチンへと降りて行った。


 一人になった部屋で、ぼうっと天井を見つめ、深くため息を吐く。


「何やってるんだろ、ボク……」


 先輩と一度距離を置こうって決めていたのに。

 結局こんなことに……。

 先輩にもすごく迷惑を……。


 ああ、自分の意志の弱さが嫌になる。


 なのに……。

 どうしてボクはこんなにも胸のあたりが温かいんだろう。


 いや、理由は自分でももう分かっている。

 認めようとしていなかっただけだ。

 認めてしまったら今度は、第二段階へ進んでしまうのではないかと恐れているから。


 先輩の近くにいられることが。

 先輩とお話できることが。

 先輩にたくさん尽くしてもらえることが。


 嬉しくてたまらない。

 この時間が愛しくて仕方ないのである。


 顔が火照ったように熱を感じ始めた。

 嘘から出た誠?


 どうやら本当にボクは、病にかかってしまったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る