第5話 優しくしないで ―②
具合悪くもなければ眠くもないのにベッドに横になりながら待つこと1時間半ほど。
その間、キッチンのある一階からは壮絶な物音や悲鳴が響いてきていた。
お
どうしよう……不安しかない。
音が止んだかと思えば、一歩一歩慎重に階段を上ってくる音が。
すぐにドアが開き、盆を持った先輩が入ってきた。
「はい、
「あ、ありがとうございます」
低くて小さい丸テーブルの上に茶碗が置かれる。
ボクは身体を起こし、恐る恐るその中を覗いた。
…………。
あれ、意外にも普通だ。
米が黄金色に輝く玉子粥。
中央には緑の刻みネギ。
ごく一般的、いやむしろ、大変美味しそうなお粥だった。
いやまだ分からない。
見た目は綺麗でも、味が壊滅的というトラップは漫画などでもよく見たことがある。
あれだけ豪快に音を立てて調理をしていたのだ。
普通なわけがない。
「さあ、召し上がれ」
先輩にスプーンを渡された。
ボクは床に座り、茶碗を手に取った。
さて、どんな味がするのだろうか……。
多少怖いが、それでも先輩が一生懸命作ってくれたのだ。
どんな味でもちゃんと全部食べ切りたい。
よし……!
スプーンでお粥を
「どう、お味は?」
「……美味しいです」
美味しかった。
味付けも卵の分量も、米の柔らかさもベストだ。
これならば何杯でも食べられるというくらい。
警戒していたことを謝りたい美味しさである。
「よかったぁ。お粥どころか普段からお料理しないから不安だったんだ~」
聞こえてきた音から料理に慣れていないことは察していた。
それなのに、こんなに美味しいものが出てくるなんて。
「本当に美味しいですよ! 先輩、ありがとうございます!」
「えへへ~」
そもそも元気なうえ、茶碗一杯ということもあり、すぐにお粥を平らげることができた。
「じゃあ、お薬飲んで少し眠ろっか」
盆からミネラルウォーターと市販の風邪薬をテーブルの上に置いてくれた。
薬は家にあるものではない。
恐らく先輩が買ってきてくれたのだろう。
あとでかかった費用をちゃんと弁償しないと。
しかし、仮病なのに本当に薬を飲むわけにはいかない。
「あ、えと、その前にお手洗いに行ってきます」
「じゃあ、わたしも洗い物するから一緒に降りよっか」
二人して一階に降りる。
これで先に戻って、すでに薬を飲んだことにしようという寸法である。
そう思いながらトイレを目指していた時だった。
開けられたドアから、ちらりとキッチンが見えた。
そこには、5つほど積み上げられたタッパーの山が。
一瞬しか見えなかったが、黒かったり茶色だったり、あるいは薄黄色だったり。
すぐに分かった。
あれはお粥の失敗作だ。
恐らくあの凄まじい物音の産物だろう。
普段料理をしないと言っていた先輩。
きっと調べたり試したり、尋常ではない苦労の末に、先ほどのお粥を作ってくれたのだ。
笑顔の裏の努力。
ボクのためにそこまでしてくれていたということに、申し訳なさと感謝が混じった複雑な感情が込み上げてきた。
トイレを済ませ、一足先に二階へ。
「お薬は飲んだ?」
後から戻ってきた先輩に
「はい」
そう答えると、先輩は少し安心したような笑みを見せた。
「じゃあ、眠るまでついていてあげるね」
「あの、先輩」
「んー?」
「あのタッパー、よければ置いていってくれませんか?」
「タッパーって……あ、もしかして見ちゃった?」
ボクが頷くと、先輩は気まずそうに苦笑した。
「あはは、恥ずかしいもの見せちゃったね。あれは失敗作だから明には食べさせられないよ~。持って帰ってわたしが自分で食べるね」
「食べたいんです、ボクが」
先輩がボクのために作ってくれたもの。
頑張ってくれた証なのだ。
ちゃんと全部、食べたかった。
「え、でも……」
困った顔をする先輩に、ベッドに腰かけた姿勢で頭を下げる。
「お願いします」
「わ、わかった! わかったから頭を上げて!」
そう言ってあわあわと手を振る先輩。
「じゃあ、置いていくけど、無理だと思ったら食べないでね」
ボクは頷き、再度口を開く。
「先輩」
「うん?」
「先輩はどうしてそこまでボクに尽くしてくれるんですか?」
「そりゃ、好きだからに決まってるじゃん」
思っていたよりシンプルな答えが返ってきた。
「好きだから……」
「明のためなら何だってできる。君のためだって思うと、どんな努力も大変には感じない。好きになるって、そういうことなんだよ」
「そ、うですか」
好きな人のために何でもできるという感情。
相手のためならどんな苦労もいとわないという感情。
ボクにはまだ分からない。
……かもしれない。
けれど確かに、先輩のためなら色々したい、という感情がある。
「だからわたしが努力できるのは明のおかげ。君がわたしを夢中にさせてくれたから。君が心から愛したいって思える人だから。素敵な感情をくれてありがとうね、明」
ボクは視線を逸らして頷いた。
どういうことだろう。
先輩を直視できない。
「さっきよりちょっと顔赤くなってない? 大丈夫?」
「え、あの、先輩……っ!」
先輩がこちらまで歩み寄ってきた。
待って。今日はやばい。
特に今は!
そんな近付かれたらドキドキしすぎてどうかなってしまう。
ていうか、顔を近付けてきてそんな……っ!
「え……っ」
ボクの前まで来た先輩は、あろうことか額同士を合わせてきたのだ。
心臓が爆発しそうなほど脈打っている。
先輩の顔が文字通り目と鼻の先に。
至近距離でも整った顔立ち。
顔がどんどん熱くなる。
頭は真っ白だ。
「だ、ダメですよ……うつっちゃいますからっ」
「月並みだけど、風邪ってうつすと治るっていうじゃん」
「それは迷信ですからっ」
「そっか、あはは」
ダメですよ先輩……。
そんなにボクのことを大切にしないで。
そんなにボクのことを想わないで。
だってボクは、もっとあなたと一緒にいたいから。
だからお願いです。
これ以上、好きにさせないでください。
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