第3話 初めてのデート ―③

 ――あきらside



 受付でチケットを買い、水族館内へ。

 入ってすぐのエスカレーターに乗りながら、後ろから透子とうこ先輩が声を掛けてきた。


「ねえ、まだ怒ってるの?」


「先輩が悪いんですからね」


 ぷいっと顔をそむける。


「ほんとにごめんって~」


 さすがに反省しただろうか。

 先輩の声が少し弱気になってきた。


 そろそろ許してあげよう。

 元はといえば、ボクに多少無理してでも合わせてくれたことが原因なんだし。


 そんなことを考えている内に、エスカレーターが上の階へ到着。

 感覚的に3,4階分くらいは昇った気がする。


 そこは、仄暗ほのぐらい空間を、青く輝く大水槽が照らす大展示室だった。


「わあ……」


 その広間に立ち入った瞬間、あまりの美しさに思わず息をんだ。


 大水槽を優雅に泳ぐ魚たち。

 エイやマンボウ、イワシの魚群などなど。

 多くの種類の魚たちの楽園がそこにあった。


 まるで太平洋の海底へとダイブしたような気分だ。


 無意識に足が動き、水槽の真正面へ。


「ここ、こんなに綺麗だったんですね……」


「んね、ここの大水槽って大迫力だよね!」


 無意識に口から漏れた言葉を先輩が拾ってくれた。

 そして、さりげなくボクの手をつかもうとする。


「あた~っ」


 先輩の手をはじいた。

 彼女はわざとらしく痛がる素振りを見せるが、軽くはたいただけだからそんなに痛いはずはない。

 その証拠ににこにこ笑顔のままだ。

 ちょっとでもボクの手に触れられてラッキー、とか思ってそうで怖い。

 なんにしても呆れる。


「まったく反省してないようですね……」


「ごめんごめん、反省してます。今しました」


「もぅ」


 やっぱりもう少し怒ってるアピールをすべきだったかもしれない。


 怒ってる……ボクは怒ってますよ……!


 そういうオーラを出すイメージをしながら、順路を先へ進んだ。

 しかし、水族館の落ち着いた雰囲気のおかげか魚の癒し効果か、次の展示室に入るまでにはもうどうでもよくなっていた。


 大小さまざま、色とりどり、まさしく千差万別せんさばんべつの魚たちにすっかり見とれてしまったのである。

 時々先輩と「きれいだね」「かわいいね」など言葉を交わしつつ進んでいく。


 ふとした拍子。

 見たことのない魚に吸い寄せられるようにして、水槽に歩み寄った瞬間だった。


 ガラスに映る自分の姿が目に入った。


 ボブカットの小柄な少女。

 幼い顔付きのせいで、ボーイッシュな格好をしていると中学生くらいにも見えてしまうかもしれない。


 ボクの……罪の証。

 欲望や醜さの印。


「あの、先輩」


「ん?」


「先輩は、自分のこと好きですか?」


「え、ナルシストかってこと?」


「違いますよ……」


 でもまあ、そう思っても仕方ない。


「えっと、自分を認めてあげられるか、とかそういう意味で」


「ああ、そういうことね。うーん……」


 先輩は眉間みけんしわを寄せてうなる。

 水槽を眺めながら5秒ほど。

 先輩が苦笑い気味に言う。


「好きになろうとはしてるよ。でもね、実はちょっと難しいんだ」


「え、そうなんですか……?」


 先輩は頷いて続ける。


八方美人はっぽうびじんで誰にでもいい顔しようとしたりして、本当に一番可愛いのは自分なんじゃないかって思って、自己嫌悪におちいることもあるよ」


「先輩が……」


「意外だった?」


 意外も意外だ。

 学校での先輩は、いつも笑顔で明るくて、誰にだって優しい。

 そんな彼女が自分に自信がないとは思いも寄らなかった。

 自分を好きになるためのお手本として聞いたのに。


「でもね、明」


 呼ばれて顔を向ける。

 先輩の目は、さっきまでとは違っていた。

 光を見つけ、そこを真っ直ぐ目指すような、そんな目だ。


「君を好きになってからは少し変わり始めた、かもしれないんだ。誰かに恋をするって――その誰かを好きになると同時に、その人に恋する自分も好きになるってことなんだと思うの。だって、”好きな人の好きな人”になろうと努力するわけだし」


「……」


 誰かを好きになること。

 それはボクにとって難しいことだ。


「でも、それだけじゃまだ完全じゃなくてね」


 先輩はまた水槽に目を向ける。

 そこには二匹の魚が寄り添うようにして泳いでいた。

 偶然か本能的か、寸分の狂いもなく同じ動きをしている。

 まるで互いが見えない糸によってつながっているようだった。


「好きな人に“好き”って言ってもらえた時、本当に自分を好きになれるんじゃないかなって。そう思うんだ。世界一好きな人が言うことだし、絶対信じられるからね」


 誰かに想いを寄せれば、今よりもっと重い罪を背負うことになる。

 そうまでして、ボクは自分を好きになりたくなんかない。

 それならば、今のこの罪とずっと向き合っていく方が数百倍もマシだ。


「そう……なんですかね」


「さあ、分からない」


「え?」


 先輩はニカッと歯を出して笑いかけてきた。


「だって、わたしもこれが初恋だもん」


 その表情と言葉に、不覚にも少しドキッとしてしまった。


「自分のことを好きになる方法なんて本当はいっぱいあるだろうし、わたしが言ったことが他の人には当てはまらないことだってあると思うんだ。人の心は、魚の生態よりずっと複雑怪奇ふくざつかいきだからね」


 確かにそうかもしれない。

 少なくともボクらは、本能だけでは生きていない。

 それゆえに苦しむし、それゆえに希望がある……のかも。


「だかんね、明。明が自分を好きになれる日も、いつかきっと来ると思うよ」


「そうなんでしょうか……」


「うん!」


 不思議だ。

 打開策なんてない。

 この呪いのような体質を抱えながらの抜け道なんて見当もつかない。


 それなのに、先輩にそう言われると、なぜだか本当にそんな日が来るような気がした。


「んん~~~」


 一つ伸びをする。

 なんだか考えすぎて疲れてしまった。


 せっかく水族館に来たのだ。

 ここからはまた、何も考えずに楽しもう。


 そう思って順路を進んでいくと、ある魚が目に入った。


「あ、この魚かわいい……」


 黄色くて小さくて、おちょこ口で少し間抜けな顔をしているのが愛らしい。

 たぶん、フグの一種だろう。


 水槽脇の紹介文を読む先輩。


「えっと、ハコフグだって。ちっちゃくて可愛いね」


「……はい」


 このハコフグという魚から目が離せない。

 見た目、ヒレの動かし方、水中の漂い方。

 そのすべてが可愛すぎる……!!!

 やばい、今ヨダレが垂れそうだった。


「ねえね、明、見て見て~」


 きゅっと口をすぼめて顔をゆらゆらと左右に動かして見せる先輩。


 え、いきなりにらめっこ?

 とりあえず同じ高校の人と思われたくないから今すぐにでも離れたい。


「何してるんですか……」


「あこうぐ~」


 小さくしぼった唇で、どうにか“ハコフグ”と発音しようとしたのだろう。


 上手く喋れてないしおかしな顔だし、もう本当に、どこまで子どもなんだろう。

 でも、


「……っぷ」


「あ、今笑った!」


「笑ってないです。ただの咳です」


「もし咳ならかなり独特だね」


 そう言って先輩はまた顔を左右に揺らす。

 一緒にいて飽きない人だな。

 そう思った。


 その後も海底を散歩しているような気分を味わい楽しみながら、展示室エリアの外へ。

 チケット売り場や売店のあるところへと出てきたようだ。


 そこで時計を確認して驚いた。

 かれこれ2時間近くもいたようだ。

 もうそろそろ帰らなければ。


 エレベーターホールへ向かおうとすると、


「あ、最後にお手洗い行ってくるから、待ってて」


 先輩がそう言い残して駆け足でその場を後にした。


 待つこと5分ほど。


「じゃーん! プレゼント~」


 戻ってきた先輩はにこにこ笑顔で両手に何かをかかげていた。


「ありきたりなんだけど、お揃いのストラップ。今日の思い出にと思って」


 豆サイズの黄色い魚のストラップ。


「あ、ハコフグ……」


 現実よりさらに間抜けな顔になっている気がするが、これはこれで可愛かった。

 泳いでいた姿を思い出し、思わず頬が緩みそうになる。


 先輩が若干得意げに笑った。


「んふふ、可愛いって言ってたから」


「別に、だからといってそこまで好きというわけではないんですけどね」


「え、そうなの?」


 本当はすごく好きです一目惚れしましたとっても可愛いです。

 先輩が調子に乗りそうだったのでついそう言ってしまっただけだ。


「ですが」


 ボクは先輩のストラップを一つ受け取って言う。


「お揃いとか、いいですよね」


「そう、よかった!」


 そういえば、誰かとお揃いのものを持つのなんて初めてかもしれない。

 まさか自分がこういうことできる日が来るなんて思ってもみなかった。


 帰りの電車は途中まで一緒だった。

 隣に座った先輩が、何度もストラップを取り出しては、にへらぁとだらしなく笑っていた。


「えへへ~、おそろい~♪」


「やっぱり付けるのやめよっかな……」


「えーなんで! ちゃんと付けてよ! ほら、バッグのこことか!」


「あ、こら先輩、勝手に付ける場所決めないでください」


 先輩がボクのバッグにストラップを付けてこようとする。

 って、それ先輩のストラップでしょう!


 ボクがグイっとバッグを引き寄せると、先輩は諦めてくれたようだった。


 ふぅ、と一息。


 今日は来てよかった。

 先輩のこともたくさん知ることができた気がするし、それに何より、初めてのことの連続でとても楽しかった。


 先輩と一緒にこれからもこんな時間が過ごせると思うと、わくわくして仕方ない。


 しかし、気を付けなければいけない。

 先輩に想いを寄せすぎないこと。


 あくまで友人として。


 そこを忘れてしまっては、この時間はすぐに終わりを告げてしまうことになるのだ。


 だから、絶対に忘れてはいけない。

 ボクは胸の内でそう唱え、バッグの中のストラップを強く握った。

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