第4話 やっぱりボクは先輩のことを ―③


 午後は少し沖にある岩まで泳いで行ってみたり、浜でボール遊びをしたり、砂の城を作ったり、夕方までずっと遊びっぱなしだった。

 シャワーを浴びて水着から洋服に着替え、ビーチ近くのカフェで冷たいジュースを飲んで休憩をする。


「せっかくなら海に沈む夕日を見たかったね」


 ガラス越しに水平線を眺める先輩が独り言のようにそう言った。

 日が沈みかけの海は、一般の海水浴客はほとんど見えないが、サーファーたちがその日最後の波を求めて待っているようだった。


「基本は日本海側でしか無理ですね」


「そっか」


 先輩がにこりと笑みを向けてくる。


「じゃあ次回は日本海側行っちゃおっか?」


「うーん、結構遠いですよ?」


「お泊まりで行っちゃおうよ」


「いいですけど、もちろん部屋は別ですよ?」


「えぇええなんで! それじゃ意味ないじゃん!!」


「何の意味がないんですか……だって先輩、よからぬこと考えてそうなんですもん」


「ぎくっ」


 本当にこの人は、分かりやすい人だ。

 先輩は誤魔化すようにしてオレンジジュースをごくごくと飲んだ。

 反応が可愛らしくて、ボクは心の中でクスクスと笑っていた。


 そして少しの沈黙の後、先輩が伸びをしながら言う。


「ああ~それにしてもたくさん遊んだね~!」


「ボク、まだ水の中にいるような感覚がします」


「あは、わかる」


 先輩が手をフラフラさせて笑った。


「ねえあきら、今日はデートしてくれてありがとうね」


「いえ、こちらこそ誘っていただきありがとうございます。ボク、こういうことしたことなくって」


「ふーん、初めてってことは、今日はわたしとの思い出が色濃く刻まれたね」


 キメ顔をし、変に演技がかった口調でそう言う先輩から目を逸らす。


「ああ、えっと、そうですね」


「なんか反応薄ーい!」


「そう言われましても……」


 どう反応すればいいのか分からなかったのだ。

 むしろ先輩はよく恥ずかしげもなくそんなこと言えるな、と感心する。


「あ、明、動かないで」


「え……」


 先輩の手が伸びてきて、ボクの髪にそっと触れ、撫でるようにする。


「ほら、砂が付いてた」


 先輩が紙ナプキンの上にぱらぱらと砂を落とした。


 な、なんだ、そんなことか……。

 急にどうしたのかと焦った。


「あ、ありがとうございます、先輩」


「ねえ、今思ったこと言っていい?」


「な、なんでしょう?」


「明って、やっぱり可愛いね」


「へ?」


「今ちょっと目を真ん丸にした表情、たまらなく可愛かったぁ~!!!」


 突然気持ちの悪いくらいにやぁとして興奮したようにそう言う先輩。


「そ、そうですが……」


 どうしよう、喜んでいいのか気持ち悪がればいいのか分からない。


 それにしても……。

 やはり、話すべきなのかもしれない。


 いや、話さなければいけないことだ。

 本当は最初に伝えておくべきことだったくらいである。


 でも……これを話せば、嫌われるかも。


 ううん、それが何だと言うんだ。

 今言わなければ。


「先輩」


「ん?」


「先輩はボクの姿、好きですか?」


「好きだよ」


 即答だった。

 ズキン、と胸が痛む。


 先輩はボクの、ボク以外の部分も好き。

 だとすれば、意図せずとも先輩を騙していたことに他ならない。


 それでも話さなければ。

 むしろだからこそ、言わなければ。


「先輩、黙っていたことがあります」


「うん」


 雰囲気を悟ってくれたのだろう。

 先輩は茶化すことなく正面からこちらを見つめて、ボクの言葉を待ってくれた。


「この姿は実は……」


「……」


 一つ深呼吸をしてからもう一度口を開く。


「この姿は、本当のボクのものではないんです」


「本当の、明じゃない……?」


 ボクは頷いてすべてを話した。


 ボクが本当は男の身体だったこと。

 この姿は初恋の女の子のものであること。

 その時に起こったことをすべて。


 ゆっくりと少しずつ言葉を紡いだのに、先輩はじっとこちらを見つめて待ってくれた。

 そして話を聞き終えた先輩は、数秒間うんうんと静かに頷き、


「話してくれてありがとうね。明にとっては、すごく話しづらいことだと思うのに」


 と微笑みかけてくれた。


「え……」


 てっきり、非難されるものだと思っていた。


 最初に言ってほしかった、騙された気分だ。

 そう言われるとばかり。


 それなのに先輩は……。


 優しすぎる。

 好きな人だと思っていた姿が、全く別の人間のものだったというのに。

 ボクは最低なことをしてしまっているというのに……。


 それでもこの人は、ボクを気遣ってくれているんだ。


「先輩は、ボクのこと嫌いになったりしないんですか? だって、この姿は偽物なのに……」


「明はちょっと勘違いしてるよ」


「え」


「確かにわたし、明の姿好きだよ。そもそもは明の雰囲気に惹かれたんだけど、その雰囲気はこの外見だったからというのもあると思う。だけど、それだけじゃなくて、性格も考え方も、表情も声も大好き。長所も短所も好き。君のすべてが好きなの」


「すべてが……?」


「うん。何が決め手で、とか、何がきっかけで、とかは分からない。好きなところが多くて、いつしか存在そのものを好きになっていたんだから。だからね、たとえ明がどんな姿になろうとも、君のことを愛するよ」


「先輩……」


 先輩にとって、目に見える姿は関係ない。

 ボク自身を好きでいてくれる。

 それが嬉しくてたまらなかった。


「それにね、明」


 先輩は続ける。


「明のその姿が偽物なんていうこともないよ。今はそれが明自身の姿なんだと思う。人の性格が大人になるにつれ変わるように、明は姿が変化しただけなんじゃないかな。つまり、どんなに変わってしまっても、自分であるということは変わらないってこと。だから、自分の姿をちゃんと愛してあげて。少なくともわたしは、すでに明の姿を愛してるんだから」


 不意に視界がにじんだ。


 身体がふわふわとしている。

 まるで海の中にいるようだ。

 全然前が見えず、ぽたぽたとテーブルに水滴が落ちる音が聞こえる。


 ああ、ボク、泣いているんだ。

 手で目元を拭うが、次から次へと目から水が零れてきて切りがなかった。


 先輩にハンカチを差し出され、それで涙をく。


 姿が変化し、消しかけ、怖がられ。

 この姿を見るたびに罪悪感と自己嫌悪ばかりだった。


 ずっと怖かった。

 これを話してしまったら、せっかくボクのことを好いてくれた先輩にも、嫌われてしまうのではないかって。


 しかし先輩は、ここまで自分の姿を愛してくれ、肯定してくれたのだ。


 すぐには難しいかもしれない。

 けれど、先輩が愛してくれるというのならば、ボクも少しずつこの姿を好きになってみようか。自分の姿として。


 それにしても本当に、いつまで経っても涙が止まらない。

 心配した先輩が向かいから隣の席へ移ってきて、背中を擦ってくれる。

 その優しさがかえって涙を助長した。


 ひとしきり泣き、ようやく落ち着いてきた。


「……先輩のばか」


「え!? なんで!?」


「ボクのことたくさん泣かせたからです」


「え、あ、うん……ごめん。でも、明が勇気を出して打ち明けてくれたから、こっちもその思いに応えなきゃって思って」


 また視界が滲む。

 胸の底から温かいものが込み上げてくる。

 すでに枯れるほど泣いたのに、まだ涙が出てくるなんて。


「ああごめんっ! 泣かせるつもりじゃ――」


「先輩……」


「う、ん?」


「……ありがとうございます」


 ボクを認めてくれて、受け入れてくれて、愛してくれて。

 心の底から感謝が込み上げてきた。


「ううん、お礼を言われるようなことじゃないよ」


 先輩はボクの顔を覗き込むようにして、優しい声音で言う。


「これからもよろしくね、明」


「はい」


 明日も、一週間後も、一年後も。

 その先もずっとずっと一緒にいたい。

 心からそう思えた。



   ◇◇◇◇◇



 街明かりの中を抜ける電車に揺られ、ボクたちは帰ってきた。

 家の付近では一番大きな駅。

 乗り換えの関係で駅のホームで別れる。


「それじゃ、またね明」


「はい」


 回れ右をしようとしたところでふと、先輩の後ろ髪がピョンと跳ねていることに気が付いた。

 そういえば先輩は帰りの電車でずっと寝ていたから、その寝癖だろう。


「うふふふふ」


「え、急にどうしたの明っ」


「あんねぇ先輩」


「あ、今の」


 指を差されるが、何か言ってしまっただろうか。

 全く心当たりがない。


「?」


「あんねぇってわたしの口癖だよね。うつっちゃったんだ。なんだか嬉しいな~!」


 笑顔を輝かせる先輩とは真逆に、ボクの顔からは一気に熱が引いていった。


「え……」


 これがただの友達同士、恋人同士なら、笑い話で終わるだろう。

 しかし、ボクはドッペルゲンガーだ。


 第1段階 癖、口癖


 ああ、そっか……やっぱり。




 ――――ボク、先輩のこと好きになっちゃったんだ。


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