エピソード 2ー2
家に帰ると、蒼依はまだ帰っていなかった。
部屋着に着替えた陽向は、なんとはなしにパソコンの前へと座る。
ネットで調べ物をしたり動画を見たり、毎日のようにパソコンに触ってはいるが、今日はワープロソフトを立ち上げ、あの日から更新を止めてしまったファイルを開いた。
モニターに陽向の書いていた小説が表示される。
「あ~そうそう、こんな感じ。久しぶりに見ると……ハズい」
幼少期に出会った裕弥と姫が高校生になって再会し、ちょっとした手違いからルームシェアをすることになって始まるラブコメだ。
主人公である裕弥は不器用ながらも優しい男の子だ。色々あって最初は素っ気なかった姫も、次第に裕弥に対するあたりが柔らなくなっていく。
そこで発生するいくつものラッキースケベイベント。
姫がうっかりバスタオル姿で移動して、それを陽向が目撃してしまったり。お風呂で陽向がウトウトしていると、それに気付かなかった姫が入ってきたり。雷が激しい夜に、姫が怖いから一緒にいて欲しいとベッドに潜り込んで来たり。
先日陽向が体験したような下着を選ぶシーンもあるし、他にも浴衣で夏祭りを見に行ったり、アイススケートに行ったりして、そのたびにラッキースケベイベントが発生する。
青少年の妄想を詰め込んだようなラブコメ小説である。
「こうして読み返すと欲望丸出しだな……」
当時はわりと平気で人に見せていた陽向だが、いまは恥ずかしさの方が勝っている。思わず身悶えて、だけど……と小説の内容に再び目を通した。
「でもこれ、いずれは姫……じゃなかった、蒼依が再現してくれるんだよな? それどころか、たとえばこれをこう……」
キーボードに両手を乗せて、ブラインドタッチで風呂場で出くわすシーンに入力を合わせ、リターンキーを叩いて改行を入れる。
裕弥と鉢合わせして、真っ赤になって悪態を吐く姫。そのセリフの後に『か、風邪引いちゃうから、一緒に入ってもいい、かな……?』――と。
そんなセリフを打ち込んでから、ふと我に返って真っ赤になった。
「うあああああああっ。僕はなにを書いてるんだっ!?」
バックスペースを連打して即座に削除。
(は、恥ずかしい。というか、まんまと乗せられてるじゃないか)
書いた内容が再現できるって思ったら、執筆したくなるかもしれないでしょ? と、彼女が言っていたことを思いだして両手で顔を覆う。
だけど次の瞬間、陽向は真顔になって自分の書いた文章を見返した。
「……違う。あいつなら、そんな分かりやすいデレ方はしない」
たとえば陽向が風呂でウトウトしていて、それに気付かず蒼依が入ってくるとする。陽向と出くわした彼女は頬を赤く染め、だけどニヤっと笑ってこう言うのだ。
『陽向くん、私と一緒にお風呂に入りたければ、素直に言えばいいのに』――と。
そうして、誤解だと慌てる陽向をからかう。
まるで小悪魔のように振る舞ってから、最後は照れくさそうに、風邪引いちゃうからとか、なにかそれっぽい理由を付けて、結局は一緒に入ることを提案してくる。
そういう落差による可愛らしさを見せる――と、陽向は蒼依の行動を予測した。
その予測による行動は、陽向が思い浮かべたシーンの姫よりもずっと可愛い。現実の蒼依と比べて、陽向の書く姫は魅力が上手く引き出せていない。
(僕の小説が叩かれるのも当然だな)
陽向はパソコンの電源を落とし、それからベッドの上に寝転がる。そうして思いだしたのは、陽向に送られてきた感想の数々だ。
陽向に文句を言いたいだけの書き込みもたくさんあったが、物語がより良くなることを願っているからこその厳しい意見もたくさんあった。
そういった書き込みはきっと、ヒロインがもっと可愛く書けていれば届かなかったはずだ。
可愛いは正義。
陽向は、自分の書いていた小説がいかに未熟だったのかを思い知らされた。そして、いまの陽向は以前よりも少しだけ、ヒロインを可愛く書くことが出来ると確信する。
自分に成長の余地があるのなら、少しずつでも進んでいけばいい。
たとえば――とあれこれ考えを巡らせながら、陽向はそのまま眠ってしまった。
陽向は玄関が開く物音で目を覚ました。ほどなく「ただいま~」と愛らしい声が聞こえてくる。どうやら蒼依が帰ってきたらしい。
陽向はベッドから起き上がり、リビングへと足を運んだ。
「おかえり、遅かったな」
「ふふ、遅かったな、だなんて、私が帰るのを待ちわびてたの?」
「違うし。寄り道した僕より遅かったから、ちょっと気になっただけだ」
「なるほどなるほど、私が他の男の子と遊んでたんじゃないかって心配になったんだね。それじゃ、スマフォ各種のアカウント教えてよ」
「そんな心配してないし……って、アカウント?」
「だよ。SNSとかコミュニケーションアプリとか入れてるでしょ」
「そりゃ、入れてるけど……」
躊躇っていると、いいからいいからとスマフォのロックを解除させられる。続けて彼女が表示したQRコードを入力させられ、各種アカウントを登録させられた。
ほどなくポコンという音がして、メッセージアプリに通知が届く。開いてみれば、これからよろしくねと可愛らしいアイコンが表示されていた。
「陽向くん、陽向くん」
「今度はなんだ――って、おい?」
蒼依が陽向の胸のあたりに肩を押しつけて、外側の腕をかざしてスマフォを自分達に向ける。いきなりのことに驚く陽向と、笑顔を浮かべる蒼依の姿が高画質な画面に映り込んだ。
「おい、なんだよ急に」
「いいから、行くよ~」
カシャッと音が鳴り、画面の隅っこに微笑む蒼依と戸惑う陽向の顔が表示された。
「ふふっ、陽向くん、変な顔~」
「おまえがいきなり写真を撮るからだっ」
再びカシャとなって、今度は怒った顔の陽向が映し出された。だからちょっと待てと陽向が言うより早く、三度目のシャッター音。
「ほらほら、陽向くん、笑って笑って」
「そんなこと急に言われても――」
四度目のシャッター音に陽向が口を閉ざす。
次の瞬間、蒼依が陽向の腕を抱き込んだ。当ててんのよというより、もはや押し付けてるのよというレベルの体勢。
腕を包む柔らかな感触に赤くなった瞬間、再びシャッター音が鳴った。
「わぁ見て見て、陽向くんの顔、真っ赤っかだよ」
「うっさい、おまえの耳も赤くなってるからな」
「えへへ、恥ずかしいね」
「だからそこで照れるなよっ」
からかわれて反論しただけなのに、まるでイチャついているかのようだ。
蒼依の話術に翻弄された陽向はますますテンパっていく。
それに、さきほどから陽向の腕を包んでいる胸が気になって仕方がない。
だが、それは明らかな罠だ。
うっかり蒼依の胸に視線を向けようモノなら、その瞬間を写真に撮られるに決まってる。そんなことされてたまるかと、陽向は必死に視線をカメラに固定した。
「陽向くん、表情が硬いよぉ~?」
「そんなこと言われても――っていうか、なんでこんなことになってるんだよっ。僕は写真を撮っていいなんて言ってないぞ!」
逃れようとしたら、腕に押し当てられている胸の感覚がダイレクトに伝わってくる。かといって、逃げなければくっついたままだし、視線が胸に吸い寄せられそうになる。
おまけになんだか良い匂いまでして、陽向は身体を動けなくなってしまった。
刹那、蒼依が小悪魔のように笑って、陽向の耳に顔を寄せた。
「もしかして……意識、しちゃった?」
耳元で囁かれた蒼依の甘いウィスパーボイスが脳髄を刺激して、身体がゾクリと震える。いわゆるASMR(アスマー)といわれる現象で、陽向はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「い い よ」
「い、いいって、なにが?」
「私の胸、見たいんでしょ? ちゃぁんと、見てるところを撮って、あ げ る、から」
「お、おう……って、完全に罠じゃねぇか!」
陽向の脳髄を蕩けさせてしまいそうな囁き声――だけど、その紡がれた言葉は、胸に吸い寄せられた悲しい男の性を写真に収めるという鬼畜な所業。
そんな恥ずかしい写真を撮られてたまるかと反論する。
「あはは、さすがにバレちゃったか」
「まったく、おまえって奴は」
仕方ないなぁと笑うと、カシャッとシャッター音が響く。高解像度の液晶に、仲が良さそうに寄り添う、陽向と蒼依の二人が映り込んでいた。
「ふふっ、上手く撮れたね。待ち受けにしようっと」
蒼依はそう言って、手際よく写真を待ち受けにした。続けて彼女がスマフォを操作すると、ポコンと陽向のスマホがメッセージの受信を告げた。
そこには、蒼依が撮った二人のツーショット写真。
「陽向くんも待ち受けにしていいんだよ?」
「す、するわけないだろ!」
「むぅ、私の魅力が足りないって言うんだね」
「え、いや、そういう訳じゃないけど……」
基本お人好しの陽向は、蒼依の言葉に罪悪感を抱いて訂正する。
けれど――
「次は陽向くんが待ち受けにしたくなるような、ちょっぴりエッチな写真を送るね」
罪悪感を抱くだけ無駄である。
蒼依は落ち込むどころか、どんな写真なら陽向が待ち受けにするかと小首をかしげ、次の瞬間にはブラウスのボタンをプチプチと外し始めた。
そして上からボタンを二つだけ外し、ブラウスを指で引っ張って胸元を開く。次の瞬間、いたずらっ子のような顔をしてシャッターを押した。
「――って、こらこらこら、なにをやってるんだよっ!?」
「胸の谷間が映ってる写真なら待ち受けにしてくれるかなって」
「よけい恥ずかしいわっ」
ツッコミを入れるのと同時、ポコンと陽向のスマホが鳴った。まさかと思ってみると、指で開いた制服の胸元からブラチラしている蒼依の写真が添付されていた。
「……おまえ、これはいくらなんでもやりすぎだ」
「大丈夫、分かってるよ。陽向くんは『エッチなのはいけないと思います』って感じで反対したけど、私が勝手に送ったってことにしておけばいいんだよね?」
「いや、そうだけどそうじゃない」
「そうなんだよね?」
「ぐぬぬ……」
陽向だって年頃の青少年なのだ。知り合いの、しかもとびきり美少女のちょっときわどい写真をもらって嫌なはずがない。ただ、色々なしがらみがあって素直に喜べないだけだ。
ゆえに、断ったのに無理矢理送られたというのは究極の免罪符である。
もっとも、そういうことにしておけばいいんだよね――と確認されてしまえば、やっぱり、いや、そんなつもりじゃないと否定するしかなくなる。
年頃の男の子はわりと言い訳が長くて面倒くさいのである。
「……にしても、何気なく撮ったように見えて、えらく写真写りがいいな」
「それはまぁ本職だからね」
「そういや、読モなんだっけ?」
「……うん。休止中、だけどね」
蒼依の笑顔が少しだけ曇ったように見えた。
なにか休止する理由があったのだろう。それは彼女にとって触れられたくないなにかであると気付いた陽向は「そう言えば、お腹すいたなぁ」と呟いた。
蒼依はキョトンとして、それからクスクスと笑った。
「陽向くん、話を逸らすの下手すぎだよ」
「うっさいなぁ……いいだろ、別に」
「うん、いいよ。陽向くんが優しいのも分かったし。……ありがとね」
陽向は舌打ちを一つ。
たまたまだと、良く分からない言い訳をしてそっぽを向いた。
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