エピソード 1ー3

 姫との買い物デートによるラブコメは陽向の完全敗北に終わった。下着売り場で敗北した後も、歯ブラシやカップを買ったりするたびにラブコメを挑んで敗北したのだ。

 そんな訳で、執筆で培った自分のラブコメ知識がリアルでは通用しないと思い知らされた陽向は、少し落ち込みつつも家の前まで帰ってきた。


「あ~すまん、ちょっと荷物を持ってくれるか? 家の鍵を捜す」


 自ら姫の荷物持ちをした結果、両手が塞がっている陽向がそう口にする。

 だけど姫は、それなら大丈夫だよと鎖で繋がれているキーホルダーをポケットから引き抜いて、そこから取り出した鍵で扉を開けてしまった。


「……やっぱり、家の鍵を持ってたんだな」


 出会った日も、誰もいないはずの家に上がり込んでうたた寝していたのだ。合鍵を持っているのは予想された結果だが――どうして持ってるのかは分からない。

 視線で問い掛けるが、彼女はイタズラっ子のように笑って答えなかった。


 姫は扉を開けると、するりと自分が先に家の中へ。そのまま扉を大きく開いて陽向を招き入れると「お帰りなさい、陽向くん」と微笑んだ。


「……ただいま」


 一緒に帰ってきただろ、とか言うだけ無駄である。

 それに、いままでほぼ一人暮らしだった陽向にとっては、おかえりという言葉が何気に嬉しい。そこまで理解した上でのセリフであろうことは予想に難くない。

 だから――


「そっちも、おかえり」

「……ふえ? それって……」

「なんだかんだいって、一緒に暮らすことになったからな。今日からここがキミの家だ。ようこそ、自称僕のヒロイン。長い付き合いになるかは知らないけど、これからよろしくな?」


 陽向は首を傾げて微笑んで見せた。むしろ魅せた。

 買い物デートによるラブコメを繰り返し挑んだ成果である。

 もっとも――


「ありがとう、陽向くん。とっても、とっても嬉しいよっ!」


 無邪気に微笑むという姫のカウンターにあっさりと敗北してしまうのだが。というか、無邪気な彼女の笑顔が可愛すぎてラブコメで勝てない。

 陽向は苦し紛れに「嘘が発覚するまでだからなっ」とそっぽを向いた。



 その後、家に上がって手洗いうがいはしっかりと。

 姫を二階の空き部屋へと案内する。


「ここが空き部屋。誰も使ってないから、好きに使ってくれていいよ」


 陽向がそういうと、姫はおもむろに部屋へと足を踏み入れた。そうして、なにやら部屋に備え付けのベッドを無言で撫ではじめる。

 その仕草は優しげで、なにやら懐かしんでいるようにも見える。一瞬、朝に見た姫の夢が脳裏に思い浮かんだけれど、それはすぐに霧散してしまう。


「一応は掃除してるけど、長いこと使ってないから埃が被ってるかもしれないぞ……って、おい、聞いてるのか? おぉいってば」

「……え?」


 何度か呼びかけて、ようやく彼女は我に返った。


「……大丈夫か?」

「え? うん、大丈夫だよ。どうかしたの?」

「いや、埃を被ってるかもしれないぞって」

「埃? あぁそうだね。掃除しないとだね。掃除道具を貸してもらってもいいかな?」

「……待ってろ、持って来てやる」



 陽向は二階にある納戸に足を運び、雑巾や掃除機を用意する。同じく二階の洗面所で雑巾を絞りながらあの不思議な少女について思いを巡らせた。


「僕に小説を書かせるのが目的だなんて言ってたけど……なんで、なんだろうな?」


 現状、陽向の中で有力なのは沙月が雇った女の子説だ。というか、いまのところ破綻せずに説明できるのはその説くらいのものだ。

 むろん、ファンタジーな理由を除けば、であるが。


 だが、沙月に雇われた人間だとすると、いくらなんでも気合いが入りすぎている。たとえば仕事で雇われたとして、あそこまでのラブコメを仕掛けてくるだろうか、とか。


 本気で惚れられているようにしか思えない。

 もっとも、そんなことを友人にでも話せば、これだから自意識過剰の童貞は――とか言われるのは目に見えているのだが……それでも、そこを意識せずにはいられない。


(それとも社畜、社畜なのか?)


 仕事に命を懸けている。もしくは命を懸けたくなるほどの報酬が示されている。

 あるいは、沙月に弱みを握られている。


 そういった可能性もありうるわけだ。そして陽向の予想はわりといいところをついているのだが、現時点で彼がそれを知ることはない。


「……まぁなんにしても、悪い奴ではなさそうだけどな」


 雑巾を絞り終え、バケツや掃除機と一緒に持って戻る。

 けれど、開け放たれたままの空き部屋に彼女はいなかった。


 昨日一泊して、そのまま荷物を置いてある沙月の部屋に移動したのだろう。そう考えた陽向は沙月の部屋の前へと移動して、その扉を――ノックした。


 当然だ。

 陽向は曲がりなりにもラブコメの小説を書いていた。この状況で部屋をノックもせずに開けたりしたら、着替え中に出くわす可能性は十分に予測できる。

 だが――


「はい、どうぞ~」


 彼女が着替え中だというのは陽向の考えすぎだったようだ。という訳で、しっかりとマナーを守って扉を開けた陽向は――そのまま硬直した。


 淡いブルーのブラにティアードスカート。剥き出しの肌はシミ一つなくて、瑞々しい潤いを保っている。その美しい姿が陽向の目に飛び込んでくる。

 姫はなぜだか着替え中だった。


(な、なんで着替えてるんだ? 僕、ちゃんとノックしたよな!?)


 そこまで考えた陽向は、ハッと自分の書いた小説のことを思いだした。

 陽向の信条はラッキースケベである。

 いや、変態とかいう前に少し言い訳をさせて欲しい。


 ラッキースケベはとても偉大な設定なのだ。

 たとえば、女の子のスカートを捲る。これはたんなる犯罪である。たとえ罪に問われなかったとしても、悪意を持って女の子を傷付ける恥ずべき行為である。


 だがラッキースケベはそうじゃない。

 たとえば女の子が階段から足を滑らせる。それを主人公が救った結果、女の子のスカートの中に頭を突っ込んでしまう。

 結果的にパンツを凝視したとしても、それは善意から発生した不幸な事故である。


 そういった過程を大切にしている。

 陽向の書く小説の主人公は、うっかりノックを忘れて着替えを覗くような真似はしない。あくまでラッキースケベが発生して、女の子の着替えを見てしまったりするのだ。


 だがここで問題がある。

 もうお気付きだろう。

 物語ならともかく、リアルではそうそうラッキースケベなんて発生しないのだ。


 ならば、リアルで作中のようなシチュエーションをどうやって発生させるか? その答えが目の前のこれではないか――と、陽向は考えたのだ。


(たしかになんでもするって言ってたけど、ホントに異性に着替えを見せたりするか? もしや社畜? 社畜なのか? それとも変態さん?)


 困惑する陽向の前で、少女がティアードスカートのホックを外し、続いてファスナーを無造作に開いた。あっと思うより早く、スカートがふわりと広がって落ちる。

 下着姿でたたずむ。そのあまりの妖艶な美しさに見惚れてしまう。

 端的に言ってエッチぃ。


「陽向くん、さっきからどうか、した……の……」


 少女は陽向の驚いた顔と自分の身体を見比べ、たったいま自分の置かれている状況を理解したかのように頬を赤く染め上げた。それから弾かれたように床に脱ぎおかれていたブラウスを取り上げ、今更ながらに自分の体を覆い隠すと――


「陽向くんのえっち……」


 恥ずかしそうな顔をして、陽向を上目遣いで睨みつけてくる。

 その瞬間、我に返った陽向は背を向けた。


「え!? あ、その……ごめん!」

「う、うぅん、いまのは私が悪いから陽向くんは気にしないで。ちょっと考え事をしてて、いつもの感じで返事をしちゃった」

「あ、いや、僕はいいんだけど……?」


 どうやら意図的にラッキースケベを再現したわけではないらしい。

 というか返答から考えると、彼女は人前で着替えることに慣れていることになる。その意味を聞くべきか聞かざるべきか、陽向が考えていると、背後から衣擦れの音が聞こえてきた。


(こ、これ、彼女が着替えてる音だよな……)


 さきほど目にした少女の姿が浮かび上がり、陽向は慌てて頭を振った。

 それからほどなく、彼女の「もういいよ」という声が聞こえ、陽向はおっかなびっくり振り返る。そこには長い髪を後ろで纏めた、ジャージ姿の彼女がたたずんでいた。


「……まさかのジャージ」

「え、変かな? 掃除するんだよね?」

「いやまぁ……そう、だな」


 たしかに選択としては間違っていない。間違っていないのだが、美しい少女とジャージという組み合わせがミスマッチなように思えたのだ。


 もっとも、こうして身に付けているところを目にすると、ジャージ姿も様になっているから不思議だ。なにを着ても似合うというのは、彼女のためにある言葉だろう。

 ――と、そこまで考えたところで陽向は我に返った。


「いや、それより、さっきはごめん」

「……う、うぅん。悪いのは私だから気にしないで。それに――」

「それに?」

「ふふっ、なんでもないよーっ」


 彼女はクスクスと笑うと、陽向をおいて部屋を出て行ってしまった。その頬が少し赤らんで見えたのは夕日だけのせいじゃないだろう。

 陽向は一瞬だけ呆気にとられて、すぐに我に返ってその後を追い掛ける。


「あ、おい、教えろよ。気になるだろっ」

「だーめっ。……あ、でも、陽向くんが小説を書いてくれたら教えてあげてもいいよ?」

「ぐぬっ。その手には乗らないからな」

「じゃあ教えなーい」


 少女は笑って空き部屋に逃げ込むと、さっそく掃除を始める。それを見た陽向もまた、別の場所を片付け始めた。それに気付いた姫が口を開く。


「陽向くんは部屋で休んでていいよ?」

「さすがにそう言うわけにはいかないだろ。ちゃんと手伝うよ」

「ありがと。やっぱり優しいんだね」

「やっぱりって言うほど僕のこと知らないだろ?」

「知ってるよ。だって私は陽向くんのヒロインだもの」

「はいはい」


 そんな風に他愛もないやりとりをしながら二人は部屋の掃除を続ける。ほどなく、棚の拭き掃除をしていた彼女が意外そうな顔をした。


「もっと埃が積もってるかと思ったけど……思ったより綺麗だね」

「一応だけど、定期的に掃除はしてたからな」

「へぇ……どうして?」

「どうしてって、なにが?」

「この部屋、空き部屋だったんでしょ? なのに、どうして掃除をしてたの」

「なんとなくだけど……別におかしくはないだろ?」


 陽向の問い掛けに、少女は首を横に振った。


「だって、陽向くんそんなにマメな性格じゃないよね? 広い部屋に一人暮らしで全部を掃除するのは大変なはずだし……その割にこの部屋は綺麗だなぁって」

「そう言われると、そうだな……」


 実際、両親や姉の部屋は放置している。姉の部屋は姉が自分で掃除するからだが、両親の部屋は放りっぱなしで、この空き部屋ほどは掃除していない。

 なんでだろうと首を傾げた瞬間、不意にこの部屋で遊ぶ子供の光景が浮かんだ。だけどその光景はすぐに霧散して、それがなんだったのか分からなくなる。


「陽向くん……ありがとね」

「え、なにが?」

「なんでも、とにかくありがとね」

「意味が分からない」

「いいからいいから。それより、さっさと掃除を終わらせちゃお~」


 彼女は笑って誤魔化して、ゴシゴシと棚の汚れを拭き取っていく。その後、ベッドのカバーやシーツを変えたり掃除機を掛けたり、二人で小一時間ほど掛けて掃除を終えた。


「ん~、凄く綺麗になったね」

「だな。なんだかんだ言って汚れてたみたいだな」


 やはり陽向の掃除にはムラがあったのだろう。二人がかりで掃除をした部屋は格段に綺麗になっていた。窓を開けて入れ換えた空気まで澄んでいるような錯覚を抱く。


「よし、それじゃ先に風呂に入っていいぞ」

「うん、分かった。その後に陽向くんが覗きに来るんだね、ウェルカムだよっ」

「覗くかっ」

「……覗かないの?」

「いや、そんな、不思議そうな顔をされても」


 自分はそんな人間に見えるのだろうかと陽向は困惑した。だけど次の瞬間、彼女は「ごめんごめん、冗談だよ」言ってクスクス笑った。


「陽向くんの信条はラッキースケベだもんね」

「いや、まぁ、そうなんだけど……やっぱり知ってたか」


 だとしたら、さっきのラッキースケベは彼女の仕込みだろうか? それにしては慌てていたようだが……と、陽向は首を捻った。

 それに気付いたのだろう、姫がむぅっと唇を尖らせる。


「い、言っておくけど、さっきの着替えは本当にうっかりだからね?」

「ホントかよ……?」

「ほ、本当だよ。平然と自分の着替えを陽向くんに見せるような変態さんじゃないよぅ。まぁでも、陽向くんが見たいっていうなら……別だけど?」

「……その発言は十分変態さんだと思うけど」


(僕が本気にしたらどうするつもりなんだ?)


 そんな心配をせずにはいられない。

 なのに姫は続けて「まぁ陽向くんに覗く気概がないのなら、先に入っちゃっていいよ」と言い放った。まるで覗かない陽向がヘタレのような扱い。

 彼女は真性の変態さんかもしれない。


「まぁ……いいや。そっちがいいって言うなら、僕が先に入らせてもらうよ」

「うん、私はそのあいだに、廊下とかも掃除機を掛けちゃうよ」

「ん? いや、それなら俺が掃除をするよ」


 陽向はそう提案するが、彼女は首を横に振った。


「私は居候の身だし、姫だって炊事洗濯とかしてたでしょ? それになにより、私の目的は陽向くんの生活のサポートをして、小説を書いてもらうことだからね」

「……でも、僕は小説を書くつもりなんてないぞ?」

「それでもいいよ。私がサポートしたいだけなんだから」

「なんで……」


 そこまでしてくれるのかと、声には出さずにその答えを探す。

 だけど、やっぱりその答えは見つからない。

 ただし、彼女が本気で陽向をサポートしようとしていることだけは理解できた。そんな彼女を見て、陽向は思いだしたことがある。

 それは、自分はいまでも物語を作るのが好きだという事実だ。


 以前のように小説を書こうとは思えない。

 だけど、それは物語を考えることが嫌いになったからじゃない。あのときのように叩かれるのが怖くて、物語を書くことが出来ないだけだ。

 そのことを思い出した。


「……分かった。そこまで言うなら後は任せるよ」

「うん、任せて任せて」


 笑顔で送り出す姫。

 陽向は踵を返して部屋を出て――扉を閉める寸前、姫にもう一度視線を向ける。


「……遅くなったけど、よろしくな――姫(・)」


 いままで陽向は、彼女のことをキミだとかおまえだとか呼んで、決して姫とは呼ぼうとしなかった。なのに、いまここで彼女を姫と呼んだ。

 彼女が物語のヒロインだなんて信じたわけじゃない。

 だけどそれでも、彼女の存在を受け入れる。これはそんな意思表示。

 それに気付いた姫が目を見張った。


「陽向くん……ありがとう、こちらこそよろしくね!」


 愛らしく微笑んだ姫はたしかに物語のヒロインのようでドキドキさせられる。

 陽向は、やっぱり彼女にはラブコメで勝てないと笑った。




 翌日は二学期の初日で、始業式を終えて教室に戻ると友人の一樹が話しかけてきた。


「よう、陽向。今日は健康そうだな」

「今日はってなんだよ、僕が普段は不健康みたいじゃないか」

「いや、わりと不健康そうな顔だったぞ。なぁクリス?」

「同意デス。このあいだ遊んだときよりだいぶ肌つやがいいと思います」


 一樹の後ろから顔を出したのはクリス・スフィールだ。

 土岐 一樹とは幼稚園からの腐れ縁で、クリス・スフィールは中学校からの付き合い。この三人はよくつるんでいて、陽向は度々この二人に連れ出されている。


 ちなみに一樹はトリプルで、クリスはダブル。

 二人はそれぞれ、生まれや目立つ容姿が理由でクラスで孤立していた時期があるのだが、陽向がその手のことに対して差別意識が全くないことが原因でつるむようになった。

 姫と出会ったあの日に遊んでいた相手もこの二人である。


「それで、沙月さんが帰ってきたのか?」

「あん? なんで沙月姉さんの話が出てくるんだ?」

「おまえが健康そうだからだよ」


 陽向の姉はときどき帰ってご飯を作ってくれる。それを知っている一樹は、陽向の健康状態から沙月が帰ってきているのだと判断したらしい。


「半分正解で半分外れだ。僕が健康そうに見えるのなら、たぶんそれは食生活が変わったせいだけど、それは姉さんが帰ってきたからじゃないよ」

「なんだ、ハウスキーパーでも雇ったのか?」

「いや、姫を名乗る美少女が家に押しかけてきた」

「……は、なにを言ってるんだ?」

「俺が小説を書いてたことは知ってるだろ? その小説のヒロインを名乗る女の子が家に押しかけてきたんだよ。それで、食事はそいつが作ってくれてる」


 陽向はあっさりと、本当にあっさりとその事実を二人にぶっちゃけた。これは陽向の性格と言うよりも、二人のことをそれだけ信頼している結果だが――


「おまえ、そんな妖しい女の子を家に上げたのかよ?」

「上げたというか、家に帰ったらリビングでうたた寝してたんだよ」

「不法侵入じゃねぇか。しかも、小説のヒロインを名乗るなんて完全にやべぇ奴だぞ」

「陽向、ちょっとは警戒した方がいいデスよ」


 話を聞いた二人に思いっきり呆れられた。

 まぁ当然の結果だろう。


「俺も最初は警察を呼ぼうと思ったんだんだけどな。不思議なことに、沙月姉さんが彼女のことを姫だって言ってんだ。それで、しばらく面倒を見てあげなさい、だってさ」

「……沙月さんがそう言ったのか?」

「ああ。自称姫に促されて電話で確認したらな」


 色々と怪しいし、陽向自身も疑っている。

 それを隠すことなく打ち明ける。そんな陽向の意図を理解した一樹が頷く。


「なるほど。ヒロインが具現化するなんてあるはずがない。でも、沙月さんがそんな嘘を吐く理由もない。つまり、なんらかの理由で二人が嘘を吐いている、ってところか?」

「まぁたぶん、そうだろうな」


 最初は動揺して、姉が脅されている可能性や、魔法に掛けられた可能性まで考えた。だが、普通に考えれば、二人が共謀して嘘を吐いている可能性が最も高い。


「それで、その女の子の目的はなんなんだ?」

「僕にもう一度小説を書かせることらしい」

「それは――」


 一樹とクリス、二人の雰囲気がいきなり剣呑になった。

 この二人は陽向がネットで叩かれて執筆を止めたことを知っていて、陽向を叩いた者達に対して敵意を剥き出しにする傾向がある。

 姫は陽向を叩いた人間ではないが、目的が小説がらみだと聞いて警戒したのだろう。


 慌てて陽向がフォローを入れようとするが、そこにホームルームのために担任の先生がやってきた。話は強制的に中断されて、陽向達はそれぞれの席に着く。

 陽向は一番後ろの窓側の席で、その前に一樹、斜め前にクリスという席順。


 陽向の右隣は空いているのだが――そこに、先生の後に続いて教室に入ってきたクラスメイトの一人が運んできた机と椅子を置く。

 ラブコメで物凄くありそうなシチュエーションだった。


(そ、そういえば、姫は何歳なんだ? 僕と同い年くらいだよな。仕事だなんて言ってたから、なんとなく社会人かと思ってたけど――)


 推測する必要はすぐになくなった。

 先生が転校生を紹介すると言って扉の外に向かって呼びかけた直後、この学校の制服を身に纏った姫が姿を現したからだ。


「初めまして、水瀬(みなせ) 蒼依(あおい)です。父は日本人ですが、母はフランス人で、いままではフランスで暮らしていました。至らぬこともあると思いますが、よろしくお願いします」


 明らかに陽向に視線を向けてイタズラっ子のように笑う。彼女は間違いなく、陽向の家に転がり込んできた彼女に間違いなかった。

 だけど――


(水瀬 蒼依? フランスから来た? ――あいつ、戸籍まで魔法で作ったのか!?)


 そんなはずはない。

 むろん、陽向も本気でそう思ったわけじゃない。いまのはただの現実逃避である。陽向は溜め息をついて、自己紹介を続ける姫改め蒼依をジト目で見つめる。


 陽向の言いたいことはたった一つだけ。

 おまえ、姫という設定はどこいった? である。


 そんな陽向の視線に気付いた彼女はふわりと微笑んだ。普段の小悪魔のような笑みとは違う清楚な笑顔にクラスメイト達が湧き上がる。

 彼女が自己紹介を終える頃には、クラスメイト達の心をしっかり掴んでいた。そうして出来過ぎなくらい出来過ぎな自己紹介を終えた彼女が陽向の隣の席へとやってくる。


 席に着いた蒼依にどういうつもりかと視線で問い掛ける。

 彼女は陽向の方へと顔を向け、それからいたずらっ子のように微笑んで、陽向にだけ見えるようにスカートの裾をぴらっと捲った。


 陽向の視線が反射的に彼女の足へと吸い寄せられる。

 黒いアーガイル柄のニーハイソックスが途切れて、白い太ももが少し露わになっている。その絶対領域には陽向が選んだガーダーベルトの黒い吊りヒモがちらりと見えた。


 ――下着とセットで着けるからね。


 下着売り場で彼女が口にした言葉だ。

 陽向が選んだ下着を身に付けているというシグナル。それに気付いた陽向が息を呑むと、彼女は反対の手の人差し指を唇に押し当てて、にぃっと小悪魔のように微笑んだ。


 可愛くて、だけどいじわるで、ちょっぴり変態チックな彼女は今日も絶好調だ。彼女とラブコメを作れたら楽しいだろうなと、不覚にも、本当に不覚にもそう思ってしまった。

 陽向は今日も彼女に勝てそうもない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る