エピソード 2ー1

 二学期の始業式だったこの日は、ホームルームで各種連絡を聞いて終わる。担任の先生が連絡を終え「それじゃ気を付けて帰れよ」と部屋から退出していった。


 ――刹那、生徒の大半が一斉に立ち上がり、砂糖菓子を見つけた蟻のように姫改め蒼依の元へと群がった。陽向の視界半分が生徒の背中で覆い尽くされた。


「水瀬さん、フランスから来たって言ってたけど、日本語も凄く上手だね!」

「ふふ、ありがとう。小さいときに一度日本に来たことがあるし、父は日本人だからね。それにBien sûr que jeもちろん peux parlerフランス語も Français aussi.喋れるよ


 陽向には聞き取れなかったが、流暢なフランス語が響いた。とたん、クラスメイト達が沸き立った。まるでアイドルでも迎えたかのような反応に陽向は呆気にとられる。


(すっごい人気だな。クリスが転校してきた時だってこここまでじゃなかったぞ)


 ちらりと斜め前の席、人混みに押しやられているクリスに視線を向けた。金髪碧眼の彼女は、日本人から見るといかにも外国人といった容姿の美少女だ。

 そんな彼女が転校してきたときですら、ここまでの騒ぎにはならなかった。


 もっとも、彼女の場合は日本語が不得手で、クラスメイト達と上手くコミュニケーションが取れなかったというのも大きかった。

 クリスの場合はそれが原因でイジメに発展したのだが――蒼依の場合は大丈夫そうだ。


「陽向、乗り遅れちまったな」

「ん? なんの話だ?」


 前の席の一樹に声を掛けられ、反射的に首を傾げた。


「水瀬さんのことだよ。こういうのはやっぱり、最初に声を掛けるのは大きいからさ」

「あぁ、そういう意味か。僕は興味ない」

「へぇ……意外だな。水瀬さんの容姿って陽向の好み、ど真ん中だと思ったんだが」

「……まぁな」


 蒼依の外見はたしかに好みそのものだが――と、陽向は自分の鞄などを纏めてささっと帰る用意をすると、一樹を連れて教室の前へと避難した。


「なんだよ、彼女の側だと話しにくい話題か?」

「いや、彼女の側というか、彼女の側にいる連中の側だと話しにくい話題だ。というか、単刀直入に言うが、あれが姫だ」

「は?」

「だから、あれが俺のヒロインを名乗って家に押しかけてきた自称姫だ」

「……はぁ? いやだが、水瀬 蒼依とか言ってたぞ?」

「言ってたな」

「しかも、フランスから留学してきたって言ってたぞ?」

「言ってたな」


 陽向としても、支離滅裂なことを言っている自覚はある。

 だが、彼女が自称姫なのは事実だし、フランスからの留学生で、水瀬 蒼依と名乗っているのもまた事実。どういうことなのか聞きたいのは陽向の方である。


「つまり、陽向は担がれたってことか?」

「かもしれないが……姉さんがなぁ」


 ヒロイン云々は全部嘘で、実はただの留学生なんてオチも零ではない。だが、沙月が彼女を姫と呼んだのもまた捨て置けない事実だ。


「たしかに、沙月さんってそういう冗談をいうタイプじゃなさそうだよな」

「ああ。彼女が姫というのは信じられないが……」


 と、二人はいまだクラスメイトに囲まれている蒼依へと視線を向ける。彼女は上手く受け答えをしているようで、さきほどよりも周囲は沸いていた。


「水瀬さん、頭ちっさいね」

「モデルみたい」


 女子達からそんな声が上がり、それを聞いた生徒の一人が「あれ!?」と声を上げる。


「水瀬さん、もしかしてファッション誌に出てなかった?」

「え、嘘っ、ホント!?」


 クラス中の視線が蒼依に集まった。蒼依は表情を強張らせたが、それはわずかな変化でクラスメイトは誰も気が付かない。


「いまは休止中だけどね。……うん、以前は読モをやってたよ」

「すげええぇぇぇぇえぇっ!」


 クラスメイトが更に沸き上がる。

 そのやりとりを見ていた一樹が再び陽向に視線を向けた。


「読モらしいぞ、知ってたか?」

「名前すら知らなかったのに、そんなの知るわけないだろ」


 なんなんだあいつはと、陽向は言葉に表せない苛立ちを覚える。

 そのあいだにもクラスメイトと蒼依の会話は続く。


「水瀬さん、彼氏はいるのか?」

「ちょっと、男子、がっつきすぎ」

「ば、そんなんじゃねぇよ。って言うか、おまえらだって気になるだろ?」

「たしかに、それは気になるかも。ねぇねぇ水瀬さん、そこんとこ、どうなの?」

「彼氏はいないけど――」


 蒼依がちらりと左隣に視線を向けるのが見えた。

 嫌な予感を覚えた陽向は一樹に「帰る」と告げて歩き始める。


「あ、おい、陽向? 急にどうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもあるか、厄介なことになる前に逃げる」

「だから、どういう意味だよ?」

「あ、陽向くん。もう帰るの?」


 不意に響き渡る、その声にクラスがざわめいた。なぜなら、クラスメイトに囲まれていた蒼依が、いままでの会話を無視してそんな声を上げたからだ。


 いきなりのことに呆気にとられるクラスメイト達の間を縫って、蒼依がとことこと近付いてくる。その顔に浮かぶのは柔らかな笑顔だが、陽向にはそれが悪魔の微笑みに見えた。

 そして――


「陽向くん、帰るなら一緒に帰ろ?」


 蒼依は自然体で特大の爆弾を落としてくれやがった。


「お、おま、おまえ、き、気安く話しかけてんじゃねぇよ!」

「えぇ、なにそれ、お高くとまってるフリ? 陽向くんには似合わないよ?」

「ちげぇ! 俺が言ってるのは、状況を考えろって話、で……」


 周囲を見回した陽向はそのセリフを飲み込んだ。


(見てる。みんな僕を見てるっ!)


 いつの間にか教室が静まり返っている。

 さきほどまで蒼依を取り囲んでいたクラスメイトはむろんのこと、他のことに気を取られていた生徒達すら陽向に視線を向けていた。


「な、なぁ織倉、水瀬さんと仲が良いみたいだけど……知り合い、なのか?」


 さきほど恋人がいるのかと蒼依に聞いたクラスメイトが、今度も周囲の沈黙を恐れず問い掛けてくる。陽向はとっさに言い訳を考えるが、この状況ではなにも思いつかない。

 そして、迷って浪費した一瞬に蒼依がふわりと微笑んだ。


「実は私、陽向くんに会うために留学してきたの」


 二つ目の爆弾が誘爆した。

 一瞬の静寂が広がり、続いて衝撃が波となって周囲に広がった。蒼依に一目惚れした男子を撃破して、ドラマティックな恋に憧れる女子を沸き上がらせた。


「わあっ、凄い! 織倉くんに会いに来たって、もしかして二人は付き合ってるの!?」

「いや、違う」

「うん、私の片思いだからね」


 おぉう……と、陽向は天を見上げた。

 天井に備え付けの蛍光灯の光がまぶしくて涙が出そうになる。


「み、水瀬さん、いまの話って本当なのか!?」

「え、うん、本当だよ」

「か、片思いなのも?」

「うん、本当だよ」


 周囲がざわめくが、蒼依は平然と振る舞っている。さすがは情熱の国フランスで育っただけのことはあると、陽向は遠い目で窓の外から見える空を見上げた。


「み、水瀬さん、織倉より俺と付き合おうよ、俺ならすぐに付き合えるよ!」

「好意を抱いてくれるのは嬉しいけど……ごめんね、私は陽向くんがいいから」

「ぐは……っ」


 勇者は速攻で玉砕した。フローリングの床にくずおれるが、彼は以前から軽薄なセリフが目立つ生徒なので誰もフォローはしない。

 ただ、陽向への嫉妬の炎がそこかしこから噴き上がった。


「はいはい! 織倉くんのどこがいいの?」

「好きになった切っ掛けはなに!?」

「――僕はもう帰るっ」


 更なる質問が飛んでくる中、気恥ずかしさと、嫉妬の炎に包まれた息苦しさに耐えかねて逃げようとするが、ゴシップ好きの女子に「まぁまぁいいじゃない」と捕まってしまった。


 力の差は歴然で、振り払うことは簡単だが、そんなことをしたら怪我をさせてしまうかもしれないと思うと強く振り払えない。

 それを見た蒼依が、ふふっと笑みを浮かべる。


「色々あるけど……優しいところかな?」

「……なるほど」


 蒼依の視線をたどった女子が頷く。

 そして――


「他にも律儀なところとか、格好いいところとか、いいところはたくさんあるよ。でもやっぱり一番は……秘密かな」

「え~どうして?」

「だって……ライバルが増えたら、困る、でしょ?」


 ちょっぴり照れくさそうにいじらしいことを口にする。蒼依の可愛さに陽向は悶死しそうになった。だが、同時に周囲から向けられる殺気が増している。


「ちょ、ちょっと、すまん!」


 陽向は隙を突いて拘束から逃れ、代わりに蒼依の腕を掴んで教室の端っこに引きずっていく。むろん、それをクラスの連中に見られているわけだが、もはや今更である。


「おい、どういうつもりだ?」

「……どういう意味?」

「だから、その……僕を好きとか、どういうつもりで言ったんだ」

「だって、どうせラブコメしてたら勘ぐられるよ。それなら、私の片思いだって言っておいた方が、陽向くん的には被害が少ないでしょ?」

「そ、そうかなぁ……?」


 たしかに、どういう関係かと陽向に詰め寄ってくる連中は減るだろう。その代わり、蒼依に惹かれる男達の嫉妬を一身に受けるハメになりそうだ。

 だが、どのみち嫉妬されると考えれば、妙に勘ぐりをされるよりはマシ、かもしれない。


(学校では他人のフリをするのが一番平和だけど……無理だろうしな)


「……まぁ、分かった。どうせ遅かれ早かれこうなってただろうし、この際さっきの発言についてはなにも言わない。ただ、家のことは内緒だからな?」

「はぁい。じゃあ、私はみんなと話してから帰るね」

「……ああ、そうしてくれ」


 陽向は疲れ切った顔で、クラスメイト達のもとへと戻る蒼依を見送った。

 クラスメイト達の視線が蒼依に釣られて陽向から外れる。その隙を逃さず、陽向は教室から逃げ出したのだが――


「陽向、どういうことデスか?」


 教室を出たところでクリスに呼び止められた。

 金髪を後ろで束ねている彼女は爽やかな美少女に見えるのだが――その後ろにはなぜか妖気のようなモノが渦巻いていた。

 でもって、その横には困り顔の一樹がいる。


「すまん、陽向。クリスに脅されて、彼女が自称姫だって暴露しちまった」

「いやまぁ、どうせクリスには話すつもりだったからいいけど」

「……私にも、教えてくれるつもりだったのデスか?」

「そりゃ、クリスは一樹と一緒で僕の親友だからな」


 陽向の答えに、クリスはぱちくりと瞬いて、それからふっと笑みを浮かべた。


「でしたら場所を移しましょう。詳しい話を聞かせていただけます、よね?」




 金髪碧眼の美少女に笑顔で凄まれては逆らえるはずもなく、陽向は二人に両脇を挟まれた状態で、近所のファーストフード店に連れて行かれた。


 向かいが一樹で、その隣がクリス。陽向だけが壁側のソファで上座的な位置に座っているが、むしろ退路を断たれたという方が正しいかもしれない。

 学校の通学路からは少しだけ外れていて、同じ学校の生徒は見当たらない。ここなら存分に話が出来ますよねと言われている気がして、陽向はブルリと身を震わせた。


「陽向、まずは情報を纏めましょう。彼女は陽向を堕落させる魔女、ということデスね?」

「待て待て待て、情報を纏めるんじゃなかったのかよ」


 一樹がツッコミを入れた。

 暴走クリスを宥める友人に頼もしさを感じる。

 だが、陽向が頷いていると「魔女認定するのはちゃんと裁判を終えてからだ、証拠は必要だぞ」と聞き捨てならない言葉が聞こえた。

 ブルータス、おまえもか状態である。


「……おまえら、なにを言ってるんだ?」

「陽向、それはこっちのセリフだ。おまえはなにを暢気にしてるんだ」

「暢気にしてるつもりはないんだが……」


 困惑する陽向に対して、一樹とクリスが顔を見合わせて――それから静かに、まるで諦めるように互いに首を横に振った。


「確認だ、陽向。あの自称姫――水瀬さんか? 彼女はある日突然、おまえの家に押しかけてきたんだよな?」

「ああ、おまえらと遊んだ日、帰ったらリビングでうたた寝してた」

「で、小説のヒロインである姫を名乗った。沙月さんがそれを認め同居する許可を出した。加えて、彼女の目的は陽向に小説を書かせること。……ここまではあってるか?」

「ああ、おおむねそんな感じだ」


 陽向が肯定すると、二人は意見を纏めるように顔を見合わせる。


「どう考えても沙月さんの差し金だろ」

「そうデスね。合鍵なんて、早々用意できないでしょうし」


 それは陽向も可能性として一番に考えているパターンである。

 だが問題なのは、その結論に至った二人が妙に不機嫌なことである。


「二人とも、なにをそんなに怒ってるんだ?」

「なにをって、そんなの――っ」


 声を荒らげかけたクリスを一樹が手で制する。

 そうして彼が代わりに口を開いた。


「陽向。本音を言えば、俺達はおまえの書く小説が好きだった。でも同時に、おまえがあの件でどれだけ苦しんだのかも知ってる」

「それは……えっと、ありがとう?」


 なんと言葉を返せば分からなくて陽向は困ってしまう。

 だが、一樹は顔色一つ変えずに話を続けた。


「沙月さんだって、そのことは知ってるはずだ。なのに、女の子に姫を名乗らせて、おまえに小説を書かせようとするなんてあんまりじゃないか!」


 それを聞いた陽向はようやく友人がなにに怒っているのか理解した。


「……もしかして、クリスも同じ理由で怒ってたのか?」

「当然デス。そんな強引なやり方で陽向に小説を書かせようとするなんて許せません」


 一樹も、クリスも、沙月の差し金であることを前提に、騙すような方法で陽向に小説を書かせようとしていることに怒っている。

 それを理解した陽向は――相好を崩した。


「良かった、安心した」

「陽向、おまえなにを聞いてたんだ?」

「いや、僕はてっきり、おまえ達が僕に対してなんか怒ってるのかなって」


 一樹とは小学校からの付き合いで、クリスとは中学校からの付き合い。そんな親友二人が怒っている理由が、自分を心配しているからだと気付いて安心したのだ。


「バカ言うな。なんで陽向に怒らなきゃならないんだよ!」

「そうデス、陽向が心配なだけデスよ!」


(こいつら、僕のことを好きすぎるだろ)


 陽向は思わず口元をほころばせる。なお、こんなことを言っているが、周囲に言わせれば、陽向も十分に二人のことを好いている。

 いつも三人で一緒にいる仲良しという認識だ。


「そういうことならいくつか訂正するぞ。まずはあの自称姫の最終目標は僕に小説を書かせることだが、僕に強制するつもりはないらしい」

「そうなのか? だが、姫を名乗るなら物語の続きを書かなきゃ自分が消えるとか、そういう脅しをしてきてるんじゃないのか?」

「僕もそう思って最初に聞いたらキョトンとされたよ。むしろ、仕事だから感謝する必要も、責任を感じる必要もない、みたいなことを言ってたぞ」


 そのときのやりとりを思い出して、陽向は再び口元をほころばせた。あのとき仕事だと強調したのは、自分に負担を掛けたくないからだと、陽向は確信している。


「……陽向、おまえはあの自称姫を迷惑に思ってるわけじゃ、ない……のか?」

「うぅん。言ってることはめちゃくちゃだし、平和な日常は脅かされてるよな。明日からは学校でも苦労しそうだけど……なんでだろう? 迷惑とは思ってないな」


 陽向は困ったような顔をした。自分でも彼女が怪しいのは理解しているのに、やっぱり迷惑とは思えない。そんな自分を不思議に思っている。


「そうか。追い出すつもりなら手伝おうと思ってたんだが……おまえが迷惑じゃないなら、俺達がどうこうすることじゃなかったな」

「まぁ……怪しいのは怪しいんだけどな。ひとまずは様子を見る予定だ。あいつが姫じゃないって分かるまでは、彼女が僕のサポートすることを認めるって約束したからな」

「そうか、よけいな気を回して悪かったな」

「いや、そんなことはないさ。心配してくれてありがとな」

 

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