社畜の姫(JK)が変態です。今日も彼女に勝てません

緋色の雨

プロローグ

 織倉(おりくら) 陽向(ひなた)が彼女と出会ったのは自宅のリビングだった。

 高校生になって初めて迎えた夏の終わり。友人達と遊んでいた陽向が帰宅すると、見知らぬ少女がソファで眠っていた。


 手足は長くしなやかで、頭は小さくてモデルのようなスタイルをしている。

 オフショルダーのゆったりとしたトップスに柔らかそうなティアードスカート、ニーハイソックスという装いは、清楚な少女にも見えるし、妖艶なお姉さんのようにも見える。


 そんな少女が誰もいないはずのリビングでうたた寝をしている。その事実に陽向が混乱していると、窓から差し込む夕日が時間の経過と共に彼女の髪を照らし始めた。


 真っ赤な夕日に照らされて、サラサラの髪が紫に染まってゆく。黒髪だと思っていた彼女の髪はどうやら、夜空のように深く青い色をしているようだ。

 清楚なお姉さんを装った小悪魔だ――と、陽向は不思議とそんな確信を抱いた。


「んぅ……ん?」


 夕日がまぶしかったのか、彼女が小さな吐息を零す。透明感のある、それでいて悩ましげな声を上げ、彼女がゆっくりと目を開いた。

 彼女の瞳はアメシストのように綺麗な紫色をしていた。その瞳がぼんやりと周囲を見回し、目の前に立つ陽向を映した瞬間にキラリと輝いた。


「おはよう、陽向くん」

「おはよう……って言うか、誰? どうして俺の名前を知ってるんだ? そもそも、なんで人の家に勝手に上がり込んでるんだよ」


 少女の瞳が大きく開かれ、そこに様々な感情が浮かんでは消えていく。そうして最後に、その瞳はなんらかの覚悟を滲ませた。

 彼女はソファから立ち上がり、まっすぐに陽向を見上げる。


「私は姫宮(ひめみや) 秋葉(あきは)だよ」


 不意に少女が名乗ったが、どう考えても偽名である。なぜならその名は、陽向がWEBに上げて後に削除した小説のヒロイン――通称姫と呼ばれる少女の名前だからだ。


「ふざけるな。それは――」

「そう、陽向くんが書いた物語のヒロイン。それが私だよ」


 呆気にとられてぽかんと口を開ける。

 陽向は一瞬、ほんの一瞬だけ、その言葉が本当かもしれないと思ってしまった。彼を見つめる少女の瞳があまりにもまっすぐで、嘘を吐いているように思えなかったからだ。


 だけど、そう思ったのは一瞬だけだ。

 可愛くて優しくて、誰からも好かれるお淑やかな女の子。だけど、自分にだけはちょっぴりエッチに迫ってくるという、陽向の理想に妄想を詰め込んだヒロイン。

 それが具現化して作者に会いに来るなんてファンタジーな展開、現実では起こりえない。


「そんな風に言われて信じる訳ないだろ。目的はなんだ?」

「陽向くんにもう一度小説を書いてもらうこと、だよ」

「小説? 僕はもう小説は書かない」


 陽向は自分の作った物語で誰かを笑顔にするのが好きだった。それが高じて、中学生にあがる頃には小説投稿サイトに自分の書いた小説をアップするに至っていた。


 そうして連載を続けていた作品、主人公とヒロインが一緒に暮らすラブコメが運良くランキングに載り――読者から容赦ない洗礼を浴びて小説を削除したのだ。

 あんな思いは二度としたくない。

 放っておいてくれと願うが、少女は陽向の懐に飛び込んでくる。


「そんなこと言わないでお願い。小説を書いてくれるならなんだってするから!」

「……は?」


 思わず彼女を見下ろしてしまう。

 陽向の視線の先、彼女はオフショルダーのゆったりとしたトップスを身に付けていて、足を踏ん張って前屈みになることで胸元が少しだけ開いている。

 そこから見える丸みを帯びたライン、そこにレースの生地が見えていて――と、少女が前屈みになる。陽向の視界に、にんまりと笑う少女の顔が映り込んだ。


「ふふっ。陽向くんってば、いま私の胸を見てたでしょ? なんでもするって言われて真っ先に胸を見ちゃうなんて、陽向くんって意外とエッチなんだぁ~」

「――み、見てないしっ。と、とにかく僕はもう小説なんて書かないからな。だいたい、ヒロインってなんだよ。僕が物語を書かなきゃ消えるとか言うつもりか?」

「……え?」


 ラノベみたいな展開を信じている訳ではない。ただ彼女の言い分を確認しただけなのだが、彼女は思ってもないことを言われたとばかりに目を瞬いた。


「あぁ……違うよ。そんな風に自分の命を盾に執筆を迫るつもりなんてないし、ヒロインだから貴方と結ばれる運命だなんて主張するつもりもないよ。誤解させたのならごめんね」

「そう、なのか?」

「うん、私は陽向くんに小説を書いて欲しくて、そのためならなんだってする。でも、それは陽向くんの意思を無視するって意味じゃない。陽向くんの嫌がることはしないよ」

「だったら、なんでもって、一体なにをするつもりなのさ?」


 陽向は首を傾げた。


「基本的にはヒロインと同じかな。陽向くんと一緒に暮らして、炊事洗濯はもちろん、作中にある様々なシチュエーションを再現してあげる」

「……シチュエーションを再現って、どういうことだ?」

「陽向くん、自分の書くシーンにリアリティがないって思い悩んでたよね?」

「……よく知ってるな」


 散々叩かれて逃げた陽向だが、送られてきた感想を否定していたわけじゃない。リアリティがないと言われれば、どうしたらリアリティを出せるようになるかと研究していた。

 だけど、陽向があれこれ改善しようと知っている者はそれほど多くない。


「私が姫だからって言ったら信じる?」

「真面目に答える気がないことだけは分かった」


 呆れるが、彼女はイタズラっ子のような笑みを崩さない。陽向をからかっているという雰囲気ではなく、だからこそ彼女の目的が分からない。


「とにかく、私は陽向くんが思い悩んでいたことを知ってる。だからこその提案だよ。私が一緒に暮らすことを認めてくれたら、陽向くんが過去に書いた物語のシチュエーションはもちろん、これから書く物語のシチュエーションもぜぇんぶ、私が再現してあげる」

「全部って、それは……」

「もちろん、エッチなシーンの再現もありありのあり、だよ?」


 ほんのりと頬を赤く染めながらも、彼女は勝ち気な笑顔を浮かべた。

 それを見た瞬間、陽向もまた顔を赤らめる。


 陽向が書いたラブコメは、ラッキースケベが多発するちょっとエッチな内容だ。

 彼女はそれを知った上で、小説の内容を全部再現すると言った。それはつまり、陽向が小説にさえ書けば、どんな欲望でも彼女が満たしてくれると言うことに他ならない。


「ね、楽しそうでしょ? さっきも言ったけど、作中と同じく炊事洗濯は私がするし、陽向くんにとっては良いことずくめでしょ? だから、私をこの家において欲しいな」

「そ、そんなこと言われても、僕はもう小説を書くつもりはないんだ。それにキミの話が本当だったとしても、僕は実家暮らしだぞ?」


 少女が本物だろうが偽物だろうが、ここが現実の世界であることに変わりなく、両親や姉がどこの誰とも分からぬ少女との同居を受け入れるはずがない。


「それなら心配はないよ。沙月お姉さんから許可をもらってあるから」

「……は?」

「だーかーらー、沙月お姉さんから、陽向くんとの同棲の許可をもらってるの」

「……は?」


 意味が分からなかった。

 分からなかったが、とにかく姉に確認してみようと陽向はスマフォを操作する。電話帳から姉のアドレスを呼び出してコールすると、ほどなく姉の声が聞こえてきた。


「陽向、丁度良かったわ。いま、こっちから電話を掛けようとしてたところよ。引っ越し業者の手違いで姫ちゃんが困ってるんでしょ?」

「……は?」


 聞き間違いかと思った。

 だけど沙月は続けて「お母さん達には私から言っといてあげるから、ちゃんと姫ちゃんの面倒を見てあげるのよ?」と口にした。


「ちょ、ちょっと待って。姫ちゃんって誰?」

「貴方のヒロインの姫ちゃんに決まってるじゃない」


 混乱する陽向に追い打ちを掛けてくる。

 沙月は陽向が小説を書いていたことを知っているし、小説投稿サイトにアップしていたことも知っている。だけど、だからって、そのヒロインが現実にいるはずがない。

 つまり沙月の言葉は支離滅裂で、なにがどうなっているのかと陽向は酷くうろたえる。


「姉さん、その姫について、もう少し詳しく」

「――ごめん、いまは取り込み中だから、今度時間のあるときにね。それと、一緒に暮らすのは認めてあげるけど、貴方の小説みたいにエッチなことはほどほどにしなさいよ?」

「そ、そんなこと出来るはずないだろっ!」

「陽向のヘタレ」

「ちょ、ヘタレってなんだよ! するなって言ったのは姉さんだろ!?」

「しないじゃなくて、出来ないって言ったからヘタレなのよ」

「うぐっ」


 図星を付かれてうめき声を上げた。

 電話の向こうから、姉のクスクス笑う声が聞こえてくる。


「それに、するなじゃなくてほどほどにしなさい、だからね? 弟くんが自分で責任取れる範囲なら好きになさい。それじゃ、姫ちゃんによろしく」

「あ、いや、だから、姫って……姉さん? うぐ、もう切れてる」


 陽向が質問する暇もなく沙月は電話を切ってしまった。慌ててかけ直すが、今度は繋がらない。それを確認して、陽向は渋い顔で少女を睨みつけた。


「どういうことだ。おまえは何者で、どうやって姉さんから許可を取った?」

「私は貴方のヒロインで、お姉さんから許可を取ったのは魔法だよ」

「なにが魔法だよ、まったく」


 魔法なんてあるはずがない。

 だが、理由はなんであれ、姉が許可を出しているのは事実のようだ。この状況で彼女を無下に扱えば、陽向が沙月から叱られてしまう。彼女を追い出すのが難しくなった。

 それが分かっているのか、彼女は悠然と笑っている。


「……僕は、もう小説を書くつもりなんてない。だから、いくらキミが僕に尽くしたとしても無駄だ。それでも――」

「それでも問題ない。私は陽向くんのお手伝いをしたい。ただそれだけだよ。私が陽向くんに執筆を強制することはない、約束するよ」


 澄んだ瞳が陽向の姿を映し込んでいる。

 その強い意思を秘めた瞳に魅入られて、陽向は小さな溜め息をついた。


「……分かった。キミがこの家で暮らすことを認める」

「ホント?」

「ああ。ただし……キミが姫じゃないと発覚するその日までだ。もしキミが嘘を吐いていると分かれば、俺はキミを追い出すからな」

「うん、それで良いよ。これからよろしくね、陽向くん」


 無邪気な笑顔を浮かべる。その表情だけは本当にヒロインのようだった。

 

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