エピソード 4ー2
その日もまた、陽向は蒼依と一緒に登校していた。
蒼依も手慣れたもので、陽向よりも少しだけ早く家を出て、少し離れた場所で陽向を待ち伏せ――もとい、待ち合わせして一緒に登校する。
最初こそ同居がバレることを危惧していた陽向だが、蒼依の小細工は完璧だった。
別々に家を出たとしても、同じ家から出掛けている以上はバレる可能性が少なからず存在する。それどころか、いつも同じ方面から来ると言うだけでも勘ぐられる可能性がある。
だが、蒼依が毎日同じ場所で陽向を待っていることで、蒼依はどこか別の場所から健気に迎えに来ているという認識が周囲に広まった。
結果、同じ方面から来ていることに勘してはカムフラージュが出来て、陽向と蒼依が同居しているとバレる可能性はその分だけ下がったわけだ。
そんなわけで、陽向も蒼依との登校を受け入れており、二人は世間話をしながら登校。下駄箱で上履きに履き替え、二人揃って教室へ入ったのだが――
「……なんだ?」
陽向と蒼依が教室に顔を出した瞬間、クラスメイトから好奇の目を向けられる。視線の先は陽向か蒼依のどちらかではなく、二人にまんべんなく向けられているようだ。
「……蒼依、この視線、なんだと思う?」
「分からない、けど……興味津々っぽいね」
「……だな」
陽向と蒼依が一緒に登校するのは今日が初めてではない。ついでに言えば、蒼依が陽向を追い掛けて日本に来たという話も最初に打ち明けている。
今頃になって二人が注目を浴びる理由を陽向は思いつかない。
だけど――
「陽向!」
「あぁ、一樹か。ちょうど良かった、この空気はなんなんだ?」
「その話だ。水瀬さんも、ちょっとこっちに来てくれ」
険しい表情の一樹に腕を引かれて教室から連れ出される。ちなみに、それに興味を抱いたクラスメイトもいたようだが、そっちにはクリスが対応している。
なにやら厄介なことになっているようだと、陽向と蒼依は素直に一樹に従った。
連れてこられたのは別の校舎へと続く渡り廊下。
そこで一樹が足を止めて振り返った。
陽向を見る彼は唇を噛み、とても……そう、とても辛そうな顔をしていた。まるで、伝えたくないことを、陽向に伝えなくてはいけないと、そんな覚悟を決めた顔だ。
「……一樹、なにがあったんだ?」
「いいか、落ち着いてよく聞け。二年ほど前、おまえが削除したネット小説があるだろ? あれの作者がおまえだって、学校で噂されてる」
「……は? なんだよ、それ。なにかの間違いじゃないのか?」
「いや、間違いじゃない。それに、キャッシュから復元された小説が無断転載されてるんだが、それのURLも広まってるんだ」
「なんだよそれっ、どうしてそんなことになってるんだ!?」
意味が分からないと陽向が声を荒らげた。一樹は困った顔でゆっくりと視線を横に移す。その視線の先にいるのは――蒼依だ。蒼依は……目を見開いて固まっていた。
「あ……あ、あぁ……私、私のせい、だ。私のせいで、また陽向くんが!」
「蒼依? どうしたんだよ」
落ち着かせようとした陽向が腕を伸ばす。
だが蒼依はその腕から逃げるように後ずさった。
「……やだ、来ないで」
「蒼依、落ち着け。俺はおまえが言い触らしたなんて思ってないぞ」
「違う、そうじゃない。私……私は、また――ごめん、ごめんなさいっ!」
蒼依は踵を返し、その場から走り去る。
陽向が「蒼依っ!」と手を伸ばすが、その手は彼女に届かず空を切った。
「一樹、悪い!」
「ああ、こっちは任せておけ」
「すまん、恩に着る!」
必要最低限のやりとりを経て、俺は蒼依を追い掛ける。だが、その必要最低限の時間だけで、足の速い蒼依は陽向の追走を振り切っていた。
陽向は一階まで駆け下りて、蒼依の下駄箱に外履きが入っていることを確認。それから、彼女がどこへ行ったのだろうかと考えた。
女子トイレとかなら終わりだ。
さすがに、女子トイレを一つ一つ探して回るわけにはいかない。だが、蒼依はどちらかというと、狭い場所に閉じこもるような性格ではないはずだ。
だとしたら――と、陽向はかつて彼女と世間話をした屋上へと足を運んだ。
「……やっぱりここか」
屋上の落下防止のフェンスに寄りかかった蒼依がその身を震わせている。見ているだけで切なくなるような背中。彼女が泣いているのだと分かった。
いますぐ駆け寄りたい衝動に駆られる。
だが、そうしても彼女はまた逃げるかもしれない。だから陽向はスマフォを取り出してメッセージアプリを起動、そこにとある文章を打ち込んで――送信。
陽向は彼女の背後にゆっくりと歩み寄る。
わずかな間を置いて、蒼依がピクリと身を震わせた。そうしてポケットからスマフォを取り出すのを確認――した瞬間、その小さな身体をそっと抱きしめた。
「……蒼依、なにを泣いているんだ?」
「陽向、くん? ……ダメ。ダメだよ、離して!」
「離さない――というか、おまえが逃げるのは禁止だ、約束は守れ」
「約束って……なんのこと?」
「メッセージ、見ただろ」
その言葉に蒼依は再びスマフォに視線を落として――息を呑む。陽向から届いたメッセージはたった一行、本当に短い小説の文章が書き込まれていた。
『学校の屋上。裕弥に背後から抱きしめられた姫はその腕に身を委ねる』――と。
「僕の書いた小説は、どんな内容でも蒼依が再現するって約束だったろ?」
「……ズルイよ、陽向くん。こんな文章作られたら逃げられないじゃない」
蒼依は肩の力を抜いて、陽向に寄りかかってきた。
ひとまず約束を守るつもりはあるらしい。
「……で、一体なにをそんなに取り乱してるんだ?」
「それは……」
陽向の腕の中、蒼依はもぞりと動いて半回転した。
陽向の腕の中、落下防止のフェンスを背にした蒼依が陽向を見上げる。
「……私が。……陽向くんの小説の感想が荒れたのは私が原因なの」
「なにを……言ってるんだ?」
言葉の意味が理解できなかったわけじゃない。
だが、どうしてそんな話になるのかがまるで理解できない。蒼依は沙月に雇われた社畜で、陽向にとっての姫で、ちょっと変態なだけの女の子だったはずだ。
戸惑う陽向の腕の中、蒼依がもぞもぞと動いて取り出したスマフォを操作して、開いたページを陽向に向けてくる。
それは有名な纏めページで『Hime フランスの読モ』と見出しがあった。
「Hime……? これは、蒼依の読モとしての名前、なのか?」
「うん。そのページの下の方を読んでみて。私が活動を休止した理由が書いてあるから」
蒼依からスマフォを受け取って、指でページをスクロールする。
彼女がフランス人と日本人のダブルであることなどが書かれていて、続いてキッズモデルとしてデビュー、その後は子役でドラマにも出たりと、その経歴が書かれている。
そして、その次には休止理由という項目があった。
陽向はそれをタップして詳細を開く。
Himeは、日本のライトノベルのコアなユーザーだったらしい。そんな彼女がある日、日本のとあるWEB小説のファンであることを告白する。
だが、その事実に嫉妬した一部のファンがその作品の感想を荒らし始めた。Himeは冷静な行動を呼びかけるが、行き過ぎたファンの行動は収まらなかった。
結果、その日本の作家は作品を消してしまった。責任を感じたHimeは活動の休止を表明、そのまま引退に至る――と書かれていた。
「これって……まさか、僕の小説のこと、なのか?」
陽向の呟きに蒼依はこくりと頷いた。
陽向はその告白を確認するために、いくつかのワードで検索。
その内容に目を通して――そうかと呟いた。
「それで、さっきあんなにショックを受けてたのか」
蒼依の行動を切っ掛けに、陽向が小説を削除するに至った。
それが事実なら、蒼依が献身的に陽向のサポートをする理由は明らかだ。彼女は自分がしたことに責任を感じ、陽向に罪滅ぼしをしているのだ。
だから先日は、ファンの嫉妬が陽向に向いたことで取り乱した。
そして今日、Himeが日本まで追い掛けてきた相手という理由から、WEB小説の作者が陽向だとバレそうになり、再び陽向を傷付けるかもと震えている。
「ごめん、ごめんなさい。私が……原因なの。私がうっかり作品名を呟いたから、だから陽向くんの小説の感想が荒れて、それで……それで……陽向くんが――っ」
彼女の瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
それがスマフォの画面を濡らしていく。陽向はそのスマフォを蒼依の手に返す。それから片手で蒼依の腰を抱き、もう片方の手で頭を優しく撫でつけた。
「驚いたけど……蒼依のせいじゃないよ」
「違う、私のせいだよ!」
「いいや、蒼依のせいじゃない。感想が荒れたのは僕の小説が未熟だったからだし、必要以上に荒らされたのは、一部の暴走したファンが原因だろ」
それに、陽向の小説の感想板を荒らしたファンはとっくに制裁を受けている。
当時のファンは、嫉妬で陽向の小説の感想を荒らし、それから作者の身元を特定しようとしたらしい。その行動に同調するものも少なからずいた。
だけど――
Himeが活動を休止したことで流れが変わった。
Himeが休止したのは、嫉妬で感想を荒らした奴らが原因だという流れになって、今度は感想を荒らしたファン達が吊し上げられた。
その結果、身元を暴かれた者までいる。
そういった顛末が、さっき陽向が検索した他のページに書かれていた。
彼らはとっくに相応の報いを受けているのだ。
それに――
「それに、蒼依は僕のファンだったんだろ? ファンが推しの作品を好きだって呟いただけなのに、それをせめたりなんて出来ないよ」
「それは……でも、今回の件はどうするの? 私のせいで、また……」
「それも、大丈夫じゃないかな?」
再びスマフォの検索結果に視線を落とす。
今回の一件も話題になっているが、同時に蒼依が沙月の経営するWEBショップのモデルをしていることも話題に上がっている。
Himeの復活を願う人間にとって、陽向のWEB小説叩きはタブーなのだろう。それをいまこのタイミングで繰り返そうものなら、Himeのファンが黙ってはいない。
――というか、
「既に犯人捜しが始まってるぞ、今回の噂」
いまの時点では、うちの学校の生徒があれこれ書き込むような事態にはなっていない。だが、最初にその憶測を書いた人間は既にネットから姿を消しているらしい。
「放っておけば、ネットの方はすぐに下火になるだろ。下手につついてHimeが再引退したら、自分が犯人にされかねないんだから」
「だとしても、学校での陽向くんの噂はどうするの? 小説のこと、バレちゃうよ」
「そっちはとぼけちゃえばいいよ」
蒼依は日本人が書いたとあるラノベが好き。その蒼依が日本で陽向という少年に入れ込んでいる。だからラノベを書いた日本人は陽向に違いないという憶測。
実際正解ではあるのだが、そんな憶測、当てずっぽうも同然だ。事実を知っているのもクリスや一樹、それに沙月くらいだから、とぼけてしまえば証明する手立てはない。
「そうだなぁ……沙月姉さんのところでモデルをしてるんだし、姉さんに雇われて日本に来たってことにしておけばいいんじゃないか?」
「え? えぇ……? それは、ええっと……沙月さんが定期的に私を使うことを了承してくれたら出来なくはない、けど……」
「じゃあ決まりだ」
陽向は素早く自分のスマフォで沙月に概要をメールを送る。
ほとんど時間をおかずして『姫ちゃんをモデルに起用してから売れ行きが増してるから、契約してくれるなら大歓迎よ』という返事が返ってきた。
「ほら、これで僕の問題は解決だ。だから――もう泣くな」
「陽向くん、頼もしくなったね」
「……うん?」
「えへへ、なんでもないよーだっ」
クスクス笑う蒼依は、やっぱりまだすべてを打ち明けるつもりはないらしい。
だけど――
「って言うか、僕の小説がランキングに載ったのは、蒼依が呟いてくれたからだったんだな」
さっきHimeのアカウントを見たのだが、Twitterはフォロワーが120万、Instagramに至っては270万というとんでもない数字だった。
その多くは外国人だが、日本人のフォロワーもたくさんいる。陽向は知らなかったが、日本でも放送された海外ドラマの子役もやっていたらしい。
でもって、陽向の投稿していたサイトは日本で最大級のWEB小説サイト。
一日でおよそ50人がブックマークに登録すると、評価ポイントなんかを加えてランキングに載る仕様なので、Himeの発言一つでも十分すぎるほどに影響力がある。
だけど、蒼依は首を横に振った。
「それは違うよ。ランキングに上がったのを見て、嬉しくなって呟いちゃったの。だから、ランキングに上がったのは陽向くんの実力だよ」
「……そうなんだ。って言うか、ランキングに載る前から読んでたんだな」
よくよく考えれば凄いことだ。
当時のブックマークは数ヶ月投稿してようやく500件とかそれくらいだった。その中の一人が蒼依、120万人のフォロワーを持つ読モ。
(……って、あれ? なんか、忘れてるような? ……そうだ。当時、必ず感想をくれる人がいた。あの人の名前はたしか――Aoi)
「え、もしかしてAoi、感想をくれてたAoiなのか!?」
「そうだよ、やっと気付いたの?」
「……マジか」
(蒼依の正体については色々考えたけど、まさか僕のファンが押しかけてきたって言うのが正解だったとは……予想外だ)
「なら、僕のところに来たのは贖罪、なのか?」
「違うよ」
陽向の予想は、けれど蒼依の口から否定された。
「え、でも……」
「責任は感じてるし、罪悪感はすっごいよ。だから贖罪はする。なんだってする。でも、私の目的はその先、もっともっと先にあるの。それが、私が陽向に会いに来た理由」
――約束。そんな言葉が陽向の脳裏をよぎり、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。けれど彼女は「だけど――」と悲しげに微笑んだ。
「もう、ここにはいられないね」
「……なんでだよ? 噂の件なら責任を感じなくていいんだぞ?」
「違うよ。私がここにいるのは、私が姫という嘘がばれるまでって約束、だったでしょ」
一瞬なにを言われているか分からなかった。
でもたしかに、最初はそう言う約束だった。彼女が姫じゃない、陽向のヒロインじゃないと分かれば、この家を出て行ってもらうという約束だった。
でも、そんなのは詭弁だ。
蒼依はただ、色々と諦めて身を引こうとしているだけだ。
だから――
「嘘じゃないだろ」
「え?」
「おまえはちょっぴり変態だけど、姉さんに雇われて姫として僕に小説を書かせようとする社畜だ。なにも嘘は吐いてないじゃないか」
「変態って……酷いなぁ」
蒼依が困った顔をしても、陽向はそれに応じなかった。
代わりにそっぽを向いて、それから――
「実は、僕には好きな人がいる」
唐突にそんな秘密を打ち明けた。
「え、なにそれ、聞いてないっ、誰!?」
「初めて言ったからな。まあ……好きだったというか、初恋だったというか……正直に言うと、あんまり覚えてないんだけどな」
そのとき、彼女はどんな顔をしたのだろう。蒼依の顔をまともに見られなくて、窓の外に見える空を見上げる陽向には分からない。
「覚えてるのは、その子がリディアという名前の女の子だってこと。小さいときに会った女の子で、小悪魔みたいな性格だった。そして僕は、そんな彼女と約束をしたんだ」
陽向はプロの作家になって、リディアは女優になる。そしていつか、陽向が書いた小説がドラマ化したら、リディアがそれに出演するために日本に戻ってくる。
それが陽向とリディアが交わした再会の約束。
そのリディアこそが、姫のモデルになった女の子だ。
もっとも、陽向はリディアのことをほとんど覚えていない――どころか、自分が生みだしたキャラクターだと思い込んでいたのだが……実在した、というわけだ。
「そんなわけで……きっと彼女は今頃、蒼依と同じように可愛くて、ちょっぴりイジワルで変態な女の子に成長してるんだろうな」
「……変態にはなってないと思うよ?」
ジト目で睨まれ、陽向は「どうだろうな」と苦笑いで応じる。
「まぁでも、僕はまだプロの作家になってない。それどころか、ちょっとネットで叩かれたくらいで逃げ出して、いまの僕は彼女に合わせる顔がないんだ」
「リディアはきっと、そんなことを気にしないよ。それに、リディアだって、いまの自分が情けなくて、陽向くんに名乗り出られないよ~なんて、うじうじ悩んでるかもしれないよ?」
「かもな」
それが、蒼依が素性を明かさなかった理由。
もっとも、蒼依は最初から、自分は陽向のヒロインだと主張していた。その時点で陽向が彼女のことを思い出していたのなら、彼女は素直に名乗っていたのだろう。
ダブルの子供にはよくある、セカンドネームを。
「まぁでも、僕はしばらく、お前でいい。沙月姉さんに雇われた社畜の姫で、ちょっぴり変態のお前でいい。おまえと物語を作るのも、楽しいからな」
陽向が笑うと、蒼依は胸の前できゅっと手を握り締めた。
そして――
「……陽向くん。もしかして、そういうことにしておかないと、私が陽向くんの書く小説のシチュエーションを再現してくれなくなるし、とか思ってない?」
「いまのいままで思ってなかったよっ!」
「ふふ、いまは思っちゃったんだ~?」
蒼依は耳まで赤くなりながらも、ニマニマと陽向の顔を覗き込む。
色々と台無しである。
「って言うか、小説のシチュエーションを再現するのは、いまだけなのか? 僕達の関係がいまと変わったら、蒼依はもう小説の内容を再現してくれないのか?」
「え? それは……そんなこと、ない……けど」
「だったら、関係ないだろ」
「……うん、そうだね。陽向くんが夢を叶えて、ついでにリディアも夢を叶えるまでは、私が陽向くんのサポートをしてあげる。……よろしくね?」
「ああ。これからもよろしくな」
蒼依は少し驚いた顔をして、それからにへらっと微笑んだ。上目遣いの蒼依はとてもとても可愛くて、陽向は今日も彼女に勝てそうもない。
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