エピソード 3ー6
その日の陽向は蒼依と一緒に登校していた。
一緒に登校していた――というか、先に家を出た蒼依が待ち伏せしていたのだが。
「噂になると困るって言っただろ?」
「困るの? 他に好きな人でもいるの?」
「そうじゃなくて、一緒に住んでるのがバレたらヤバイって言ってるんだよ」
「それなら心配ないよ。私が待ち伏せしてたの、ちゃんと見られてたでしょ?」
「また小細工を……って、だからって抱きつくなっ」
私服姿で腕を組んで歩くより、制服姿の方がなんだかバカップル感が強い。もちろん偏見かもしれないが、少なくとも周囲の目は痛いと陽向は悲鳴を上げる。
だけど蒼依は構わず――けれど控えめに陽向の腕を抱く。
いたずらっ子が顔を覗かせていた。
「当ててんのよ――って、小説に書いてくれたら当ててもいいよ?」
「書かねぇよ」
「このあいだは書いてくれたのに?」
「……まぁ書くこと自体、前ほど抵抗はなくなったけどな」
陽向は肩をすくめ――それから小さく息を吐いた。
たしかに執筆自体は怖くなくなった。ネットに上げることは……まだ踏ん切りが付かないが、その気になれば小説を一本書くくらいは出来るかもしれない。
「ねぇ陽向くん。もし登校シーンを執筆してくれたら、それがどんなにエッチな内容でもちゃぁんと再現、して、あげるよ?」
「エッチな登校シーンってなんだよ? というか、言っただろ。そんな爛れた内容は書かないって。あの物語はラブコメであっても純愛なんだ」
「でもラッキースケベとか、いくらでも書くことはあるでしょ?」
反射的に、姫がブラを着け忘れて――とか、そういう展開を妄想してしまう。
「うぅん。でも、姫がうっかり下着を着け忘れるのは難しいよね」
「……は?」
「姫って別にドジっ娘じゃないし、下着なんて普通は着け忘れないよ。私なら故意に付け忘れることも可能だけど……それだとただの変態、百歩譲ってただのエッチな女の子だよ。ラッキースケベにこだわるなら、姫の替えのブラ、裕弥がうっかり全部洗濯するとか?」
「……おまえ、そうやって人の妄想を言い当てるの止めろよ」
自称ヒロインに自分の性癖を把握され過ぎて辛い。
「あはは、ごめんごめん。でも実際、キャラに合わない行動をどうやったら取らすことが出来るのか考えるのって面白いよね?」
「まぁそれは……たしかに」
姫は天然キャラじゃない。つまりノーブラの姫とのラッキースケベを再現するには、それ相応の設定を考える必要がある。
蒼依がさっき口にした、誰かにドジを踏ませる――というのも正解の一つではある。
ただし、陽向にはラッキースケベの信念がある。
裕弥が姫のブラを全部洗濯した場合、姫がノーブラなのは最初から分かっている。それなのに、その後でラッキースケベを引き起こすのは、裕弥の気遣いが足りない、と言える。
「やっぱり第三者かなぁ。たとえば、体育の授業でブラを盗まれるとか」
「体育でブラは外さないよ。プールはもう終わったし」
「それもそうか」
ちょっとだけ、体育ではスポーツブラを使うのでは? なんて思った陽向だが、その場合は体育の日は最初からスポーツブラを着けるのだろう。
というかスポーツブラを別に用意していた場合、ノーブラにする難易度はよけいに上がる。
「うぅん……自然にノーブラにするのは無理じゃね?」
「ダメだよ陽向くん、そんな簡単に諦めたら。陽向くんはノーブラの私を見たくないの?」
「……いやそんな、ストレートな聞き方をされると答えに困るんだが」
陽向は小説の技術的にどうやるのが正解なのか考えているだけであって、決して蒼依をノーブラにする方法を考えているわけではないのである。
結果的には同じことだとしても、男の子のプライド的に過程は大事。
「思ったんだけど、いっそリアリティから離れちゃうのはどうかな?」
「……というと?」
「半端にリアリティを求めるから無理があるんだよ。たとえば姫が階段から滑り落ちて、助けようとした裕弥がブラウスの隙間から手を突っ込んで、姫のブラをビリビリに破いちゃう」
「……なるほど」
ある意味での発想の逆転である。
たとえば、階段から落ちる女の子を助けようとした結果、キスをしてしまうとしよう。
その場合、どんな風に落ちたらキスしてしまうのかとか、キスしてしまったとして、歯をぶつけて怪我をしないのかとか、色々リアリティを問われることとなる。
だが、階段から落ちる女の子を助けようとした結果、なぜかシャツの隙間から手を突っ込んでブラを破ってしまうとか、パンツの中に頭を突っ込んでしまったりするとしよう。
それに対して、多くの人はリアリティなんて気にしないだろう。
だって、明らかにギャグだから。
その後、怒ったヒロインに殴られた主人公がお星様になったりしても、誰も物理法則について突っ込んだりはしないのと同じである。
「……いや、でも、物語ではそれでいいかもしれないけど、現実で蒼依が再現するのは無理があるぞ? 偶然どころか狙っても出来ないって」
「それはまぁ……たしかに」
そもそも、階段からもつれるように落ちるのが危険だ。
普通なら骨折してもおかしくない。
「うぅん……いっそ、蒼依が催眠術に掛かるとか」
「ああ、陽向くんのえっちぃ本にあったね」
「ノーコメントだ」
だが、物語的にはありだ。
もちろん、裕弥が催眠術を悪用したらラッキースケベから外れるのでアウトだが、設定次第でいくらでもやりようはある。
たとえば――裕弥が姫に明日はブラをしない日だという暗示を掛ける。あくまでふざけて、姫も同意の上でのチョットした戯れというのがポイントだ。
だが翌日、なんかの拍子に姫がノーブラなことに気付く。そこで初めて、本当に催眠術に掛かっていたと知った――なんて展開にしたらラッキースケベ成立である。
この設定なら、催眠術なんて本当にあると思ってるんですか? リアリティが足りないと思います――なんてツッコミは来ないはずだ。
……たぶん、きっと。
まあそんなわけで、二人はその後もどうでもいい世間話に花を咲かせて学校へと向かう。門を通って、下駄箱にたどり着いた陽向達はそれぞれ上履きへと履き替える。
転校生の蒼依は別の列で靴を履き替えている。そんな蒼依を迎えに行くと、彼女は見知らぬ男子二人に話しかけられていた。
上履きの色を見るにどうやら二年、つまりは先輩。おそらくは告白か部活の勧誘だろうと、陽向は少し離れたところで様子を見守る。
状況を確認するために陽向が聞き耳を立てたところ、彼らはサッカー部の部員。蒼依にマネージャーになって欲しいと声を掛けているようだ。
部活関連の勧誘はいままで、運動部やそのマネージャー、他には美術部や写真部のモデルなんかもあったが、特に面倒なことにはなっていない。
今回も大丈夫だろうと待機していたのだが、相手はずいぶんと食い下がっているようだ。
「なぁいいだろ。うちのサッカー部は洗濯とか自分ですることになってるし、タイムの計測とか、ドリンクの用意をするくらいで、そんなにキツいことはないからさ」
「いえ、興味はないので、ごめんなさい」
「そう言わずに、まずは体験だけでもどうかな? そうだ、今日の放課後とか――」
「蒼依、なにやってるんだ?」
見かねた陽向が間に割って入る。
「先生にプリントを出しに行くって言ってただろ、大丈夫なのか?」
「なんだよおまえ、いま俺達が彼女と話してるところだぞ」
「――あ、陽向くん、ありがとう。すぐに行くよ。そういうことだから、ごめんね」
蒼依が話を合わせて離脱しようと試みる。
だけど――
「待てよ。陽向って、おまえが織倉か。水瀬さんを独占してるって言うのは本当らしいな」
厄介なことに、相手はそれでも引き下がらなかった。声を掛けられた陽向は仕方なく立ち止まり、蒼依もまた足を止めてしまった。
「僕はたしかに織倉だけど……独占ってなんのことですか?」
「とぼけんなよ。水瀬さんが部活に入らないのも、クラスメイトの誘いを断ってるのも、全部おまえが水瀬さんを束縛してるからだろ」
「なにか誤解してませんか? 僕は別に束縛なんてしてませんよ」
上級生に凄まれるが、陽向は臆することなく答えた。それが気に入らなかったのか、その先輩が「とぼけるなって言ってるだろ!」と陽向の胸ぐらを掴む。
それでも陽向は一歩も引かない。
蒼依とのラブコメと同じだ。ここで弱気に出たら相手がつけあがる。だから陽向は「とぼけていませんし、事実です」と相手の目を見て言い切った。
刹那、相手が陽向の胸ぐらを締め上げて――
「陽向くんに、なにをしてるんですか……?」
いままで聞いたこともないような、底冷えのする声が辺りに響き渡った。
その声の主が蒼依だと気付き、先輩達が戸惑った顔をする。人当たりが良くて優しいと噂の彼女が怒るなんて、想像もしていなかったのだろう。
「水瀬、さん?」
「私は自分の意思で陽向くんと一緒にいるんです。束縛されてるわけでも、誰かに命令されてるわけでもない。なにも知らないのに、ふざけたことを言わないでっ!」
蒼依が啖呵を切った。
その声に気付いた者達が一斉に蒼依と、蒼依を取り巻く状況――つまりは、学校の先輩が、陽向の胸ぐらを掴んでいるという光景に気付いて注目する。
周囲から「え、なにあれ? 先生とか呼んだ方が良くない?」なんて声も聞こえてくる。
それで苦境に立たされるのはサッカー部の先輩だ。彼は慌てて陽向から手を離して「いや、これは、その……」と視線を彷徨わせる。
そして次の瞬間――もう一人の先輩が、慌てるそいつの背中をバシンと叩いた。
「いや、ごめんな。えっと……織倉くんだっけ? それに水瀬さんも、こいつが迷惑を掛けて悪かった。この通り謝るから、許してやってくれ」
二人目の先輩が最初の先輩の頭を押さえて下げさせる。
「いえ、その……分かってくれればいいんです。それと部活の件ですが……」
「分かってる。もちろん、こいつには諦めさせるよ」
「それなら、まぁ……分かりました」
これ以上つきまとわれないなら――ということで、蒼依は矛を収めた。
だが――
「ごめんな。こいつ、昔からHimeのファンなんだ。それで嫉妬とか、まぁ色々あって暴走したみたいで……とにかく悪かったよ。――ほら、行くぞ」
先輩が、絡んできた先輩を連れて立ち去っていく。
それで解決と思ったのだが――なぜか蒼依の顔が強張っていた。
「わ、私……私のせい? また私のせいで、陽向くんが傷付くの?」
「……蒼依?」
「――ダメっ」
心配した陽向が蒼依の手を掴んだ――直後、蒼依が弾かれたように陽向の手を振り払った。
「あっ、違っ、いまのは、その……ちょっと驚いただけだから……ごめんね」
不器用に笑う、蒼依が嘘を吐いているのは明白だった。
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