エピソード 3ー5

 プールデートの後も、少なくとも表面上は特に変わらぬ日々が続いている。だが、すべてが変わっていないかといえばそんなこともなく、蒼依の注目度は日増しになっている。


 休止中ではあるが、複数の言語でwikiに載るほどの有名人。その知名度に相応しい容姿の持ち主であり、しかも優等生であり人当たりも良い。

 蒼依がちょっぴり変態なことを知らない連中が熱を上げるのも当然と言えるだろう。


 ……いや、ちょっぴり変態なことを知ったらなおさら熱を上げるかもしれないが。

 まぁ問題はそこじゃない。

 問題なのは、蒼依の人気が日々上がっていることだ。


 アイドルに近い立場にありながら人当たりが良い。そんな噂が広がって、蒼依を呼び出して告白する連中や、部活動関連の勧誘が後を絶たなくなった。

 そんなわけで――


「ごめんなさい。気持ちは嬉しいですけど、私は陽向くんとしか付き合うつもりはないので」


 今日も今日とて、蒼依は中庭の片隅で上級生の告白を断っていた。陽向はそれを覗き見するストーカー……ではなく、蒼依に頼まれて見守っているナイト様だ。


 運動神経が良いとはいってもそこは普通の女の子。

 人気のない場所に知らない異性と二人っきりは怖いらしい。だが事実として、中にはしつこい相手もいるので、彼女が心配するのも当然だ。


 そんなわけで蒼依の断り文句を聞いた陽向は、蒼依らしいと感心した。

 ささやかなる倒置法。

 もしも『気持ちは嬉しい』と先に口にしたら、ほんの一瞬の天国から地獄へと落とす可能性が高い。それを嫌ったがゆえに、先にごめんなさいと謝罪しているのだ。

 ほんの短い言葉の中に、蒼依の優しくて凜とした性格が表れている。


(断り慣れているだけかも知れないけどな)


 相手を気遣う素振りは見せているが、蒼依の拒絶には迷いがない。それが功を奏したのか、今日の告白者は素直に引き下がったようだ。



「お疲れ様」


 落ち込む先輩を置いて立ち去る蒼依を追い掛けて、少し離れたところで声を掛ける。陽向に気付いた蒼依は「いつもありがとう」と表情をほころばせる。


「ごめんね、面倒なことに巻き込んで」

「別に構わない。それに面倒な奴がいないとも限らないからな」


 しつこく食い下がってくる奴がいるかもだし、いつでも僕を頼れ――と陽向が笑う。蒼依は嬉しそうに微笑んで、陽向の腕にしがみついた。




 そんな日常を送っていたある日。

 陽向が帰宅すると、蒼依がリビングで雑誌を読んでいた。

 でもって、テーブルのうえには雑誌が積み上げられている。一番上の雑誌、表紙に映ってるのはエッチな恰好のお姉さん。陽向が本棚の隠し棚に隠していたエッチぃ本である。

 クリスに隠し場所を暴露され、処分しようとして忘れていたモノだ。


「お、おまえ、なにをしてるんだよ!?」

「勝手に捨てるのはあれだから、陽向くんに確認を取ってから捨てようかなって。……あ、いま読んでるのは陽向くんの性癖を確認するためだよ」

「僕の部屋を勝手に漁った時点でアウトだっ」

「勝手じゃないよ、陽向くんの部屋を掃除する許可は取ってるし、邪魔なものは捨ててもいいって許可も取ったじゃない」

「そうだったぁ……」


 蒼依の家事能力が素敵すぎて、うっかり彼女に多くの権限を与えてしまった。それを思い出した陽向は膝からくずおれて、そのまま四つん這いになった。


「というわけで、一冊ずつ中身を検証しながら陽向くんに捨てる許可をもらっていくね」

「どっちにしても捨てる気じゃねぇか。というか、中身の検証ってなんだ?」


 陽向の問い掛けに蒼依がにへらっと笑った。

 よく見ると雑誌の山は二つあって、片方の表紙はどことなく蒼依に似ている。


「……まさか、一冊ずつ、この本の女の子は私に似てないからアウト。こっちは私に似てるからセーフとか言うつもりじゃないよな?」

「違うよ。こっちは私に似てないからアウトの山。こっちは私に似てるから――どうして私にモデルを頼まないのかって問い詰める山だよ?」

「……勘弁してくれ」


 一冊一冊中身を一緒に確認して『へぇ、陽向くんはこういうポーズが好きなんだ~』とか、どんな罰ゲームなんだって話である。


「もう、勝手に捨ててくれ」


 どうせ雑誌は一部だけで本命はPCの中だ。隠し棚に隠している雑誌は、むしろ処分に困ってしまっていたのがほとんどなので、処分してくれるのならありがたい。

 ――と、陽向は声に出さずに呟いた。


「なんか、陽向くんの考えてることが分かる気がする」

「たぶん勘違いだ」

「まだなにも言ってないよ。というか、陽向くんには毎日私の写真を送ってるでしょ?」

「……たしかに届いてるけどさぁ」


 蒼依から届くのはブラチラとか、ちょっときわどい写真が多い。ジャンルとしては全年齢対象かR15くらいがせいぜいだが、蒼依のスペックを考えれば十分すぎるだろう。

 なにが十分、とは言わないが。


 だけど、だけどである。

 一緒に暮らしている、けれど恋人ではない女の子。そんな女の子の写真を渡されて、どうしろというのか――というのが、陽向の偽らざる本音である。


「ちゃんと陽向くんの性癖に合わせた写真のはずだよ?」

「いや、まぁ……否定はしない」

「ならなにが不満なの? 知ってる人を使うと気まずくなるとか思わなくていいんだよ?」

「分かってるなら言うなっ! というか、おまえはちょっとやりすぎだ。……待ってろ!」


 陽向はスマフォを取り出して、メールを開いてタタタタンとタップしていく。そうして打ち終わったメールを蒼依のアドレスに送りつけた。


「なになに? 写真のリクエスト?」

「まあ、似たようなものだ」

「ふえ……? え? あ、これって……」


 驚いた蒼依がメールに目を通し、その内容に目を丸くした。

 そこには陽向がたったいま書いたささやかな原稿。姫が裕弥のエッチな本を見つけてしまい、だけど恥ずかしくなって見ないフリをするという、ただそれだけの内容。


 要するに、この件で干渉するのは止めろという意思表示なのだが――それを読んでいた蒼依はハラハラと涙を流し始めた。


「うえぇっ!? ちょ、蒼依!? どうしたんだよ、いきなり!」

「だって、だってぇ。陽向くんが小説を書いてくれたから」

「いや、このあいだ、水着回のシーンを書いて渡しただろ?」

「でもでも、あれは私がお願いしたでしょ? 今回は違いじゃない。陽向くんが気軽に物語を作ってくれるのが嬉しくて……ぐすっ」

「おまえ、そんな……」


 大げさな――とは言えなかった。

 陽向はいつからか、こんな風に気軽に物語を作ることを止めていた。逆にいえば、昔はこんな風に気軽に物語を作って、周囲に聞かせたりしていたのだ。


 陽向が再び執筆することを願って、わざわざ外国から留学してきた蒼依にとってはきっと、陽向が自主的に執筆したのは大きな意味があることなのだろう。


「分かった……これくらいで良ければ、またときどき書いてやるよ」

「ホント!?」

「ああ。蒼依にはお世話になってるしな」

「……お世話、写真のこと?」

「炊事洗濯とかのことだっ!」


 絶対分かっているくせに、わざとらしいとうめき声を上げる。それから、結局エッチぃ本は資源ゴミに分類して、それから二人で一緒に夕食を作って一緒に食べる。

 まるで新婚夫婦のような甘い生活。


 食事が終わったら、二人はどちらともなくリビングのソファに並んで座った。蒼依がポチポチとチャンネルを変えるが、これといって興味を引かれる番組がないらしい。

 手持ち無沙汰になった蒼依はTVのリモコンを置いて、代わりにスマフォを取り出した。


「……ねぇねぇ陽向くん。スマフォアプリのゲームってやってる?」

「ん? いくつかやってるけど……どれだ?」

「これなんだけど――」


 蒼依が起動したのは、最近半周年を迎えたタワーディフェンスのゲームだった。

 学生である陽向はマンスリーパスしか購入していないが、それでもそこそこ欲しいキャラが手に入り、相応に強くなれる優良なゲームである。


 ただ、陽向は蒼依のゲーム画面を見て思わず吹き出した。編成画面には育成が最大まで進んでいる星6キャラがずらりと並んでいたからだ。


「……おまえ、意外とヘビーなユーザーだったんだな」

「こう見えても貯金はあるからね。といっても、そこまで使ってるわけじゃないよ?」

「まぁ、わりとお財布に優しいゲームだしな」


 ちなみに、ウサギなヒロインがとても優しくて可愛い。ときどき、笑顔でもっと働けみたいな鬼畜な発言をしてくるが、そこがまた可愛い。


 閑話休題(それはともかく)。

 蒼依はプレイヤー情報の画面を開いて、トントンとプレイヤー名を指先で指し示した。

 それを見た陽向もまたゲームアプリを起動してプレイヤー名を検索、タップ操作でフレンド登録を申請する。すぐに許可が出て、二人はフレンドになった。


「登録したけど……このゲーム、一緒に遊ぶ感じじゃないだろ?」

「戦友のキャラを助っ人に連れて行けるでしょ? それにネットだと一緒にはプレイ出来ないけど……えいっ」

「えっ、おいっ」


 蒼依がソファから腰を浮かせ、陽向の膝の上に飛び乗ってくる。

 その物理的な衝撃は柔らかなソファが吸収してくれる。だけど精神的な衝撃――髪のさらりとした触り心地や、リンスの甘い香りが陽向の煩悩を刺激した。


「な、なにやってるんだよ……?」


 思わず顔をそむけて問い掛ける。

 そんな陽向の気配を察したのか、蒼依はクスクスと笑い声を上げた。


「プールでは水着姿で私のこと抱きしめたのに、私からくっつかれるのはダメなんだ?」

「……悪いかよ。って言うか、おまえも同じだろ」


 自分からくっついて陽向をからかう小悪魔のくせに、陽向からくっつかれると途端に赤くなる。防御力がお留守の攻撃特化型ヒロイン。

 本当は奥手なのに、好きな男のために積極的になる姫と同じタイプである。

 つまり――


「――でも、たしかにこうすれば、このゲームでも一緒に遊べるな」


 陽向は背後から蒼依を抱きしめて、肩越しにスマフォの画面を覗き込んだ。ここで恥ずかしがって引くよりも、反撃した方が勝算があると考えての行動である。


 そして――


「ひ、陽向くん。えっと……陽向くんの手、暖かいね」

「~~~っ。そ、そういう蒼依は、い、良い匂いがするな」


 相手の攻撃にどれだけ照れさせられようとも、二人は決して反撃の手を緩めない。蒼依と陽向のノーガードの殴り合いが始まる。

 陽向の反撃に蒼依は耳まで赤く染め、けれどそうして恥ずかしがっている愛らしい姿すら武器に変え、自らを抱きしめる陽向の腕にそっと手を乗せた。


「は、恥ずかしいよぅ。……でも、陽向くんにそう言ってもらえたら嬉しい、かな」

「うぐっ。……僕も、同じだ。蒼依が喜んでくれると、僕も嬉しい」


 甘い言葉を囁き合う。

 端から見たらイチャついているようにしか見えないが、その実、二人は恥ずかしい気持ちを押し殺し、相手を恥ずかしがらせようと全力を尽くしている。


 からかわれたからからかって、からかったからからかわれ返される。

 不毛で終わりのない意地の張り合い。


 爆発しろというツッコミは不在。

 こうして、織倉家の夜は更けていった。

 

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