エピソード 3ー4

 陽向と蒼依がウォータースライダーから滑り降りてくる。

 陽向が蒼依を背後からぎゅっと抱きしめて、蒼依がそれを当たり前のように受け入れている。二人が仲睦まじく水面に突っ込む瞬間を、クリスは間近で目撃することとなった。


「やっぱり、蒼依さんが陽向のヒロインなのデスか……?」


 ずっと見ているからこそ分かることもある。

 いままで、クリスがそれとなくアプローチしても陽向は少しもなびかなかった。異性として見られてないわけじゃないのに、既に心に決めた相手がいるかのように予防線を張ってくる。


 なのに蒼依に対しては予防線を張る素振りがない。クリスがどれだけ望んでも入り込めなかった領域に、蒼依は当たり前のように入り込んでいる。

 ――まるで蒼依が最初から、陽向の心に決めた相手だったかのように。


 物語のヒロインが具現化するなんてファンタジーはあり得ない。だけど、陽向の物語のヒロインは、陽向の理想に妄想を詰め込んだ女の子だという。

 だとしたら――


「陽向の理想は、どこから来たのでしょうね」


 そう考えれば、様々なことが見えてくる。

 もちろん、それでも分からないことの方が多いのだけど。それでも、クリスに勝ち目がないことだけは明らかで、だとしたら――と、考え込むクリスの背中を一樹がトンと押した。


「……一樹?」

「おまえは色々と考えすぎなんだよ。ひとまず当たって砕ければいいだろ」

「ひとまずって、砕けたら終わりじゃないデスか」

「ばーか、砕けて終わりだなんて誰が決めた。当たって砕けて、そこから新たな関係を始めりゃいいだろ。おまえなら出来る。ほら、いいからさっさと行ってこいっ」


 もう一度、今度はさっきよりも強く背中を押される。半身を水につけた状態でつんのめって一歩。それから更に迷うように一歩。

 顔を上げたクリスは、意を決して陽向の元に詰め寄った。


「陽向、次は私と滑ってください」

「クリスが、僕と?」

「ダメ、デスか?」


 ささやかな誘いのように振る舞っているが、彼女に触れる水面が小さく波打っている。それを見た陽向は「いいよ、滑りに行こう」と了承した。


「じゃあ僕とクリスは滑るとして、一樹と蒼依は――」

「私は少し温かいお茶でも飲んで休憩してるよ。一樹くんも一緒にどう?」

「ん、そうだな、俺もそうさせてもらおうか」


 蒼依と一樹は休憩と言うことで、陽向とクリスだけがウォータースライダーの列へと並ぶ。

 列は決して長くはないが、さりとてすぐにと言うほど短くもない。二人で並んでいると、クリスが世間話のような気楽さで「陽向は蒼依が好きなのデスか?」とぶっ込んできた。


「おまえ……いきなりそれを聞くかよ」

「いきなりじゃなかったら良いのデスか?」

「そういう問題じゃ……ないな、たしかに」


 そもそも、クリスは蒼依のライバル役を演じると宣言している。蒼依をどう思っているか聞いてくるのは、その範疇と言えるし、いきなりとは言えない。

 だけど――


「なぁクリス、おまえはその答えが知りたいのか?」

「それは……」


 クリスはすぐには答えなかった。

 そうして沈黙している間に自分達の順番が回ってくる。


「お待たせしました~。あら、まだ爆発してなかったんですね――っと」


 受付のお姉さんが陽向の背後にいるクリスへと視線を向けた。後ろにいる女の子がさっきとは違うことに気が付いたようで――


「グッジョブですよ、少年!」


 なぜか褒められてしまった。


「……爆発しろとか言わないのか?」

「なにを言うんですか。キミが超絶美少女とのハーレムを形成している。つまり、世の中のイケメンが二人浮くという計算になるじゃありませんか」

「うわ、むちゃくちゃ失礼だ」


 イケメンが二人浮く。つまり陽向はイケメンじゃないと言うことだ。まぁもちろん、陽向は自分がイケメンだと思っているわけではないのだが。


「では、お二人もボートは必要ありませんね。ささっと抱き合っちゃってください」

「いや、僕達は――」


 ボートでと答えるより早く、クリスが陽向の腕を引っ張った。


「……クリス?」


 なにか言いたげな表情から察した陽向は、分かったとウォータースライダーのパイプへと足を踏み入れた。そこに、クリスが背後からぎゅっと抱きついてくる。


「それでは――青春を楽しんでらっしゃーい」


 空気を読んでいるのかいないのか、受付のお姉さんに後押しされて陽向達は滑り始める。

 クリスの豊かな胸が陽向の背中に押し付けられているが、陽向はそれを楽しんだりするような気持ちにはなれなかった。

 そしてほどなく、クリスが陽向の耳元で囁く。


「私は、貴方のことが好きです」

「……僕もクリスのことは好きだよ。ずっと親友でいて欲しいって、そう思ってる」


 努めて明るく、素直な気持ちを口にする。

 陽向は決してクリスの告白の意味を誤解したわけじゃない。

 いつもは訛(なま)っている日本語も、その告白だけは綺麗に発音されていた。きっと、その一言を言うために、何度も何度も練習したのだろう。

 だけど、だからこそ、その気持ちには応えられないと平静を装った。


 その遠回しの返事がクリスにどのような影響を与えたのか。陽向がその答えを知るより早く、二人は水面へと突っ込んだ。

 波飛沫を立てて水面を軽く滑り、それから二人揃って立ち上がる。


「……ありがとう、陽向。凄く、凄く楽しかったデス」


 いつもと変わらぬ笑顔を浮かべる。彼女が楽しかったと言ったのはウォータースライダーのことか、それとも、この数日にわたる仮初めのラブコメか……


「僕も、楽しかったよ。これからもよろしくな、親友」


 どちらにしても自分の答えは変わらないと、陽向もまた笑顔で応じた。




 ウォータースライダーを滑り終えて蒼依達と合流する。彼女はお茶をすると言っていたが、なにやら美味しそうなサンドウィッチを食べている。


「ズルい、僕もお腹すいた」

「もちろん、陽向くんの分もあるよっ」


 蒼依がお手拭きと共にサンドウィッチを陽向やクリスにも差し出してくる。手を拭いてからパクリとサンドウィッチにかぶりついた陽向は――おぉっと目を輝かせた。


「パンがしっとりとしつつも湿気ってない。しかも、卵の味付けは……蒼依が作ったのか?」

「えへへ。市販っぽく見せたのに、よく分かったね?」

「蒼依のご飯は美味しいからな」

「もぅ、褒めてもなにも出ないよ。はい、もう一つどーぞ」


 蒼依が分かりやすいほど喜んで、「あ~ん」とサンドウィッチを差し出してくる。周囲の男子から刺すような視線が向けられるが、陽向はそのサンドウィッチにかぶりついた。


「うん、やっぱり美味しいな」


 いつの間にか用意されていた紅茶を口にしながら、陽向はさり気なくクリスを盗み見る。

 彼女は既にいつも通りのように見える。

 少なくとも表面上は。


 であれば、下手なフォローは彼女のためにならない。そう思ったからこそ、陽向は気づかないフリをしていつものように振る舞った。

 振る舞ったのだが――


「――それでね、陽向くんのベッドの下を漁ったんだけど、エッチな本がなかったんだよね」

「おまえは一体なんの話をしてるんだっ」


 気付いたら蒼依がとんでもないことを口走っていて、陽向は思わずツッコミを入れる。


「だから、陽向くんの性癖を調べようとして失敗した話だよ」

「陽向は意外と羞恥モノが好きだぞ」

「止めろバカズキ! 黙らないとおまえの性癖もバラすぞ?」

「――あと、胸の大きな子が好きデスよね。髪型はポニーテールとか」

「クリスまで!?」


 まさかの四面楚歌で――いや、退路はあるが。ここで逃げるのは悪手だ、陽向がいない間に、三人がどんな話をするか分かったものではない。


「と、というか適当なことを言うなよな。おまえらに僕の性癖を話したことなんてないだろ」

「たしかにそれはないが……以前、陽向の家に行ったことがあっただろ? あのときに……」


 一樹がクリスへと視線を向けた。

 嫌な予感を覚えた陽向は、否定して欲しい一心でクリスに視線で問い掛ける。


「私は別に、陽向の部屋にある本棚の隠し棚なんて見てませんよ?」

「がはっ」


 そこにエッチぃ本を隠した記憶のある陽向は吐血した。そして同時に、クリスが一時期、ポニーテールにしていた時期があったなと思い出す。

 とても似合っていると褒めた記憶があるのだが――


(まさかあれ、エッチぃ本に出てくるお姉さんの真似、だったのか……?)


 なにを思ってクリスがそんな真似をしたのか――陽向は遠い目をして現実逃避した。と言うか、それを考える余裕もなかった。


「そっか、本棚に隠し棚があるのかぁ……」


 蒼依がなにやら聞き捨てならないことを呟いていたからだ。帰ったら、絶対隠し場所を変えようと心に誓う陽向であった。まあ……忘れるのだが。


 それからも陽向は弄られ続け――ほどなく、クリスと蒼依が二人でウォータースライダーに滑りに行ってしまった。弄られ続けてぐったりした陽向は、一樹と共にお留守番である。


「……一樹、悪かったな」

「あん? 俺ももう少し休憩したかっただけだぜ。凄いよな、女の子のバイタリティーって」

「あの二人は特に、じゃないか?」


 インドア派に見えて、以外と活発的だ。


「でも、俺が謝ったのはそっちじゃねぇよ。一樹、おまえってクリスのこと、好きだろ?」


 クリスの真似をして唐突に切り出すと、彼はぽかんとした顔をする。


「急になにを言うんだ?」

「急じゃなかったら良かったのか?」

「そういう訳じゃないが……まぁ、おまえには隠しても無駄か。たしかに俺はクリスのことが好きだよ。もっとも、おまえのことも同じくらい好きだけどな」

「はああああ!?」


 予想の斜め上の答えに今度は陽向が素っ頓狂な声を上げる。


「冗談だ。と言うか、まぁ半分は本気だが」

「すまん、僕は女の子の方が好きだ」

「知ってるよ。本気なのは半分だって言っただろ」

「じゃあ、そっちが嘘ってことは……」

「俺は親友として、おまえとクリスが好きだってことだ。っていうか、俺はおまえが幸せにならないと、自分の恋なんてしてられないんだよ」

「おまえは僕の過保護な兄貴かなんかかよ」


 両親を失った家の兄や姉が、弟や妹のために親代わりを務める。

 わりと物語なんかでありそうな設定だ。


「っていうか陽向、おまえまさか、クリスの件で俺に遠慮してたんじゃないだろうな?」

「いや、たしかにおまえに気は使ってたけど、それで身を引いたとかじゃないぞ。僕の場合は最初から、クリスと付き合うつもりがなかっただけだ」

「……おまえ、クリスが聞いたら泣くぞ?」

「さすがに本人には言わないって」


 似たようなことは言ったけれど――とはもちろん口には出さない。


「でも、どうしてだ? クリスの外見はもちろん、性格だっておまえの好みだろ? あいつ、おまえに好かれようと、あれこれ研究してるんだぞ?」


 それで本棚のエッチぃ本を漁ったのかと、陽向は妙に納得した。


「クリスが好みのタイプなのは否定しない。可愛いと思うよ」

「じゃあなんで……もしかして、好きな奴がいるのか?」

「好きって言っていいか分からないけどな。姫には一応のモデルがいる」

「……モデル?」

「最近思い出したんだけどな。小さい頃に仲良くなった女の子がいたんだよ。と言っても遊んだのは数日で、ほとんど覚えてないからモデルというほどじゃないんだけどな」

「おまえ、それって……」


 陽向が初めて明かす事実に思うところがあったのだろう。

 一樹は誰かを捜すように視線を彷徨わせた。


「さぁな。細かいことは覚えてないって言っただろ。覚えているのはリディアって名前と、小悪魔みたいな性格だったってことだけだな。だから、物語の姫とは似てるとは思えない」


 陽向はその微かな記憶にある少女――理想の女の子に自分の妄想を詰め込んで姫というキャラクターを産みだした。

 だから、姫とそのモデルの女の子がそこまで似ているとは思えない。

 よほどの偶然かなにかがなければ、だが。


「そのこと……確認はしないのか?」

「俺はその女の子と、お互いが夢を叶えたらもう一度会おうって約束したんだ」


 陽向の夢は作家になること――だけど、まだ夢を叶えていない。それどころか、挫折してそのまま二年以上足踏みしている。このままじゃ情けなくて彼女に合わす顔がない。

 だから陽向は、もう一度小説を書こうと前に進み始めた。


「だけど……いいのか?」

「いいんだよ。蒼依もなんか、仕事で雇われてるとか言い張ってるだろ?」


 姫だとかヒロインだとか言ってはいるが、それ以上のことは語ろうとしない。なにより、蒼依も読モを休止している。そこになんらかの事情があるのは間違いない。

 だから――


「だからあいつは、姉さんに雇われただけの女の子。報酬が目当てで、俺に執筆を再開させようと必死に姫を演じるただの社畜だよ」


 いまはまだ――と、陽向は声に出さずに呟いた。

 

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