エピソード 3ー1
沙月から話を聞いた後、陽向は家でパソコンに向かっていた。
目的は蒼依と約束した水着回のシーンを執筆すること。
いままでの執筆分が唐突に途切れているために繋がりがなく、閑話的な位置づけになってしまっているが、今回は仕方ないと妥協する。
重要なのは、もう一度執筆すること。この勢いのままに書き始めなければ、そのまま書けなくなってしまうような気がしたのだ。
まずは主人公である裕弥の親友がチケットを当てた設定で、二人の仲が進展しないことにヤキモキした彼が、裕弥に姫を誘えと二人分のチケットをくれたことにする。
で、裕弥は照れながらも姫を誘い、姫もまた悪態を吐きながらもデートに応じる。
そして次の休みの日。
裕弥が待っていると、水着姿の姫が姿を現すのだが、そこで作者として疑問を抱いた。
姫は主人公にこそ積極的だが、本来は純情で奥手な女の子だ。蒼依がコーディネートしたような大胆な水着を、姫が自主的に外で着るだろうか――と。
(着るわけないな。けど、ここで着せないと蒼依が着てくれないしなぁ)
どうしたものかと考えた陽向は、もう一人の親友である女の子に協力させる。
男の親友が陽向にチケットを渡し、女の親友が水着選びを手伝い、裕弥はこういう水着が好きだからと姫に大胆な水着を勧める。
その結果、当日の姫は大胆な水着を恥ずかしがってパーカーを上に着て登場。裕弥くんが見たいって言うなら――とか言いながら、目の前でパーカーを脱ぐわけだ。
(でもって、水着の描写はしっかりと)
蒼依に着てもらいたい一心で、彼女が口にしたコーディネートを事細かに描写する。そのときのシチュエーションとして恥じらう姫を書きながら、蒼依ならどうするだろうと考える。
人並みの羞恥心を持ち合わせているようにも見えるのだが、ときどきかなり大胆な行動を取る。少なくとも、人前に水着姿で出るのが無理――なんてことはないだろう。
だけど――
「あいつの行動は予想出来ないんだよな」
思わずそんな呟きが零れた。
着替え中に陽向を招き入れたかと思えば、耳まで真っ赤にして恥ずかしがる。見せパンだとかのたまって勝負下着を見せたかと思えば、やっぱり恥ずかしそうに頬を染める。
行動だけなら変態――もしくはエッチなお姉さん。だが、愛らしく照れていることを考えると、陽向のためにエッチなお姉さんぶっている純情な女の子にしかみえない。
沙月に提示された報酬のために、蒼依が身体を張っている可能性も零じゃない。だが、沙月からほのめかされた情報を推測すると別の可能性が浮かんでくる。
蒼依が本当に姫、陽向にとってのヒロインである可能性だ。
「あいつが姫だったら――っと」
モニターの前に設置していたスマフォがメッセージの受信を知らせる。ロックを解除してアプリを開いた陽向は――思わず咳き込んだ。
『陽向くんはどっちの私と遊びたい?』
そんなメッセージとともに、蒼依の自撮り写真が二枚表示されている。
どちらもオフショルダー&シースルーのアウターだが、その下に透けているビキニの色が違う。片方はブルーがベースで可愛らしく、もう片方は黒でなんとなく大人なイメージだ。
「あ~い~つ~は~~~っ」
顔を真っ赤にして呻きつつ、蒼依が送ってきた自撮りから目が離せない。
場所は更衣室のようで、背後にある鏡に蒼依のビキニのヒモしかない背中が映っている。
それはきっと、蒼依が狙って映したのだろう。だが、もしかしたら、蒼依は鏡に気付かず、自分の背中を映してしまったのかもしれない。
そう考えると、妙な背徳感が沸き上がってくる。
「……ぐぬぬ、絶対わざとだって分かってるのに、もしかしたらって思っちゃう、悔しいっ」
なにより悔しいのは、陽向の性癖がバレていること――ではなく、たったいま執筆した水着回の描写が、デートが始まる前から既に負けていること。
まさか、試着の自撮り写真を送ってくるとは――と、陽向はうめき声を上げ、それから負けてなるものかと、自分の書いたシーンの書き直しを始めた。
――送られてきた写真を保存しつつ、好みの方をメッセージで蒼依に伝えた後に。
そうして陽向が黙々と執筆を続けているとほどなく蒼依が返ってきた。
だが、一人ではないようで話し声が聞こえてくる。誰か連れてきたのかと陽向が玄関に顔を出すと、なぜか蒼依と一緒にクリスがいた。
二人とも買い物袋を抱えている。
「蒼依、おかえり。それと……クリスはどうしたんだ?」
「陽向、三角関係を始めましょう」
「……はい?」
クリスはなにを言ってるんだと首を傾げ、それから説明を求むと蒼依に視線を向け――やっぱり聞かない方が良さそうだと踵を返す。
――寸前、クリスに捕まってしまった。
「陽向、蒼依から事情は聞きました」
「えっと……どのあたりの?」
「陽向の執筆した内容を、蒼依が再現するという話です」
「よりによってそこか……というか、蒼依?」
呼び方が変わっている。いつの間に仲良くなったのかと疑問を抱き、そう言えば――と、出掛けるまえの蒼依が、これから女の子とデートだと言っていたことを思い出す。
「もしかして、二人で水着を選んでたのか?」
「ハイ、蒼依に選んでもらいました」
「……なぜ?」
聞くまでもなく、クリスもプールに行くつもりだろう。そう思っていてもたしかめずにはいられなかった――というか、なぜそうなったという疑問が強い。
そして――
「陽向の書いた小説に、恋のライバルがいますよね?」
「え……?」
返ってきたのは予想の斜め上の答え。
そんな奴いたっけなと、陽向は首を傾げた。
「女友達の凜デスよ」
「あぁ、彼女? あの子は親友であってライバルじゃないぞ?」
「いいえ、あの子も実は陽向――じゃなかった、裕弥のことが好きなんデス!」
「なん、だと……」
作者の知らない事実がいま明らかに! ――なんてなるはずはない。
ただ、物語をどのように読み解くかは読者の自由だ。
だから、なにかと裕弥と姫の世話を焼いて、二人をくっつけようとする凜が、実は裕弥のことを好きだと考えるのもクリスの自由だ。
実際、その展開は王道だと言えるだろう。
もっとも、作者である陽向的にそのつもりはない。多少は他の女の子に嫉妬するような展開があっても、あくまでヒロインは姫だけだ。
なのに――
「私も蒼依と同じように、凜の役で協力します!」
クリスはそんなことを言う。
正直、どこから突っ込めばいいのか分からない。
「ええっと……意味、分かって言ってるのか?」
「はい。陽向が書いた小説の内容を再現すればいいんデスよね?」
「そうなんだけど……そんなさらっと。ホントに分かってるのか?」
「大丈夫、陽向の妄想と欲望のはけ口にされる覚悟はできてます!」
「そこまでの覚悟はいらないからな!?」
あと蒼依、おまえは「やったね陽向、もてあそべる女の子が増えたね」とか言ってないで、少しは止める努力をしろと睨みつける。
蒼依がぷいっと明後日の方向くのを見てため息を一つ、再びクリスに視線を戻す。
「あのな、クリス。手伝おうとしてくれる気持ちは嬉しい」
「では――」
表情を明るくする。そんなクリスのセリフを「だけど――」と遮った。
「僕の書いている小説はラブコメだけど、純愛なんだ。ハーレム展開にするつもりはない」
ラッキースケベな展開が起きる相手は姫だけ。
裕弥が想いを寄せる相手も姫だけなのだ。
だからクリスの協力は必要ない――と、その気持ちは正しく伝わったのだろう。クリスは黙りこくってしまった。そこに蒼依が「陽向、ちょっと」と口を開く。
それから彼女に引っ張られて、クリスがいないところへと連れて行かれる。
「……どうしたんだよ?」
「自分で言うのもなんだけど、私って怪しいでしょ? だからクリスさんが心配してるのよ」
「まあ……それは当然だな」
「そこは否定してよ」
「自分で言ったくせにわがままだなぁ。客観的に怪しく見えるのは事実だろ」
不法侵入からの、小説のヒロイン宣言。
これで怪しくなければ、世の中の大抵の人物は怪しくない。
ただし、客観的に見ればの話である。ここしばらく彼女と暮らしている陽向は、既に蒼依がある程度信頼出来る相手だと知っている。
それが伝わったのだろう、蒼依はクスッと笑った。
「まぁそんな訳で、心配したクリスは自分も参加して、私を見張りたいって言ってるの。だから、彼女の参加を認めてあげたら?」
「認めるって言ってもなぁ。僕は純愛を曲げるつもりはないぞ?」
「なら、そういう風に書けばいいだけでしょ?」
蒼依の言葉に陽向は沈黙。
少し視線を彷徨わせた後に溜め息を吐いた。
「……つまり?」
「裕弥が姫しか見てなかったとしても、ライバル役の女の子を参加させるのは可能だし、恋愛小説ではそういう対象って珍しくないでしょ? 陽向くんだって、言ってたじゃない」
「まぁ……それはな」
三幕構成には、ミッドポイントなど複数箇所に登場する『敵』が必要とされている。この敵というのは広義の敵で、いわゆる目的達成を邪魔する障害のことだ。
ラブコメであれば、ライバルのような人物に限らず、ヒロインがトラウマを持っていて、それが原因で主人公との関係を進められない、みたいな設定も当てはまる。
後者の設定の場合、二人が良い感じになるたびにヒロインはトラウマを発動させてしまって逃げたりする。で、主人公は嫌われているんだろうかと誤解して葛藤する、とかだ。
そういう意味で、純愛でも『敵』は必要となる。
そしてそれが、恋のライバルであっても問題はない。裕弥が姫しか見ていなかったとしても、凜が裕弥に言い寄ることで姫が勝手に誤解する、なんて展開も可能だからだ。
正直に言って、物語的にはありだろう。むしろ王道とも言える。
だが、ここで大きな問題がある。
裕弥は姫しか見ていない。
つまりセントラルクエスチョン――物語の主目的は裕弥が姫と結ばれること。それが大前提である以上、裕弥が凜と結ばれる可能性は零に等しい。
これが文学小説、もしくは昼ドラなんかなら、途中でメインヒロインが事故や病気で死んで、悲しみに暮れる主人公を慰めるサブヒロインと結ばれる、なんて展開もある。
だが、陽向の書く小説にそんな展開は存在しない。つまり凜は――凜を演じるクリスは、負けが確定したサブヒロインと言うことになる。
「クリスがどんなつもりで参戦すると言ってるのかは知らないけど、負けが確定しているサブヒロイン役なんてさせるわけにはいかないだろ?」
「物語的に必要ないと思うなら断ればいい。でも、その役をやりたいかどうかを決めるのは、陽向くんじゃなくてクリスでしょ?」
「……おまえ、分かってて言ってるな」
もしもクリスが自分を好きだとしても、陽向はその想いに答えるつもりがない。であれば、下手に期待させる前に断るのもまた優しさだ。
だからこそ、陽向は断ろうとしている。
だが、あくまで手伝いたいと言われただけで、クリスに告白されたわけではない。しかもクリスが望んで、蒼依も後押ししている。この状況で角を立てずに断るのは難しい。
「陽向くん、私は受けるべきだと思う」
「……その心は?」
「物語的にはありでしょ? でもって、陽向くんにも選択肢は必要だと思う。それに、クリスはここで断られても諦めないと思う」
「……なるほど、ね」
物語のため、陽向のため、クリスのため。
たしかにそういう考え方だってある。振るのが優しさだというのはあくまで陽向の意見であって、クリスの意見ではないのだから。
でも、だけど――
(その選択のどこに“おまえのため”があるんだ?)
陽向はそう思わずにはいられない。
(結局は、僕が小説を書くことに繋がっている、という訳か)
「……分かった。蒼依が、そしてクリスがそれでいいなら」
「私はもちろん構わないよ」
「私も構わないデスよ」
「うぉあっ!?」
真後ろからクリスの声が聞こえて思わず飛び上がった。
「お、おまえ、いつから聞いてた」
「蒼依が受けるべきだと言ってくれていた当たりから、デス」
「そうか……」
負けヒロイン云々は聞かれていないと知って安堵する。
だが、クリスはその辺りからいたと言っただけだ。クリスが本当はいつから陽向の背後にいたか知っている蒼依は苦笑いを浮かべる。
そして、それを見た陽向もまた、なんとなく察してしまった。
「……クリス、本当にいいのか?」
「大丈夫デス。決して戦わずに負けるのが嫌だとか、物語で負けるのが決定していたとしても、現実では分からないじゃないデスかとか、想ってるわけじゃありませんから」
「……お、おう」
ツッコミ待ちだろうかと戸惑ってしまう。
そんな陽向を見て、クリスはすぐに相好を崩した。
「冗談デスよ、陽向。私がライバル役を買って出たのは、あくまで恩返しです」
「僕に感謝してるのは知ってるけど、そこまで恩を感じなくてもいいんだぞ」
「あのままだったら、私は不登校になっていたかもしれません。でも、そんな私を陽向が助けてくれた。だから、今度は私が陽向を助ける番です」
「……分かった。そこまで言うならありがたく協力してもらうよ」
それに陽向がよけいなことを書かなければ、大したことにはならないだろう。
なんて、陽向の希望的観測でしかなくて。
この直後、陽向はさっそく自分の決断を後悔することとなった。
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