エピソード 2ー6

 昼まで蒼依とじゃれ合った陽向は、そのまま駅前まで蒼依と一緒に出掛けた。それから蒼依と別れて、電車に乗って沙月と待ち合わせをしている駅まで移動する。

 電車に揺られること十数分、降り立った街で待ち合わせのカフェへと足を運んだ。


「陽向、こっちこっち」


 陽向に気付いた沙月が手を振ってくる。

 その瞬間、なぜか沙月の近くの席に座っていた男達から睨まれた。


 なぜか――と言ったが、実のところ理由は分かっている。

 陽向の姉、沙月は19歳の女子大生。

 ピンクアッシュに染めたロングヘヤーは、ローレイヤーベースのゆるふわウェーブのパーマを掛けている。お嬢様風のブラウスに、下は黒のティアードスカートという服装。

 綺麗なお姉さんと言われて多くの人が思い浮かべる姿を体現した容姿の持ち主。


 陽向にとっては姉でしかないが、周囲から見ればそうは見えない。とても綺麗なお姉さんから親しげに手を振ってもらう陽向に、嫉妬の視線が突き刺さっている。

 わりといつもの光景で、沙月の同級生である男に絡まれた経験もある。蒼依の件で嫉妬されても陽向がわりと平気なのは姉で慣れているからだ。


 という訳で、陽向はお待たせと姉の向かいの席に着いた。それからウェイトレスに飲み物と軽食を注文して、改めて姉の沙月へと向き直る。

 彼女はさきほどから、上機嫌でニコニコしている。


「陽向、久しぶりね。少しかっこ良くなったかしら?」

「はいはい、ありがとう。姉さんは――ちょっと疲れてる?」


 ブラコン姉のお世辞はささっとスルー。

 姉の顔を見て眉をひそめた。


「最近少し忙しかったからね。……にしても、どうして分かったの? ちゃんと化粧で隠してるつもりだったんだけど、もしかしてクマが隠せてない?」


 手鏡を取り出して、さり気なく自分の顔を確認する。

 女子力の高さはさすがだけど、陽向が見つけたのは目の下にあるクマではない。


「姉さんはいつも薄いナチュラルメイクだろ。なのに、しっかりと化粧をしてたらなんか隠してるんだってすぐ分かるよ」

「あら、貴方に会うために気合いを入れたかもしれないじゃない」

「はいはい、そうかもな。でも、さっき姉さんが白状しただろ?」


 姉が自分のためにオシャレしたかもと疑ったわけではない。ただ、化粧で隠しているのがクマではなく、怪我だったりする可能性は考えていた。

 だから、疲れてるのかと確認したのだ。


「忙しいところを呼びつけてごめんな?」

「いいのよ、可愛い弟くんの頼みだもの。それに、この服の感想も聞きたかったしね」


 沙月はそう言ってさり気ないポーズを取った。

 お嬢様風でありながら、少しだけ妖艶な雰囲気を纏っている。陽向の好みに合わせた――というか、陽向がそのジャンルを好むようになった原点。

 沙月のブランドはさり気ないセックスアピールを売りにしている。


「コルセット風のハイウェストなスカートが凄く良いけど……その服のコンセプトは?」

「コンセプトはずばり“弟くんを絶対に誘惑する”よ」

「そんなマニアックなコンセプトで誰が買うんだよ」

「もちろん私が買うわ!」

「自分で買ってどうする、人に売れ!」


 思わずツッコミを入れると、沙月はクスクスと笑った。


「冗談よ。ホントのコンセプトは“女の子に幻想を抱く草食系男子を絶対に誘惑する”ね」

「……なんも言えねぇ」


 沙月の纏うお嬢様な雰囲気は幻想だが、それに騙されている男子は多いのである。


「弟くんが気に入ったのなら安心ね。貴方が気に入ったデザインはいつも、女の子に幻想を抱く草食系男子を絶対誘惑するコーディとして売れるから」

「え、ちょっと待って……」


 それはつまり、自分が女の子に幻想を抱く草食系男子に分類されて――と、そこまで考えたところで、陽向は考えることを放棄した。

 決して、その議論では勝ち目がないと思って逃げたわけではない。


「と、取り敢えず、僕の用件に入ってもいいかな?」

「ええ、もちろん。聞きたいことってなにかしら?」

「自称姫のことだよ。本名は水瀬 蒼依って言うらしいけど……姉さんは知ってたのか?」


 沙月は陽向の話に驚くどころか、採点をする家庭教師のお姉さんのような顔をしている。つまりは自称姫が蒼依であることを知っていて、同居を許可したというわけだ。


「知ってたのなら、彼女を姫だって呼んだのはどうしてだ?」

「姫ちゃんの本名が水瀬 蒼依だからよ?」

「僕の小説のヒロインは姫宮 秋葉だ」


 明らかに話が噛み合っていない。

 なのに、沙月はまるで当たり前のことを言っているような顔をしている。


「なぁ、姉さん。自分が支離滅裂なことを言ってる自覚はあるか?」

「ないわよ、そんなもの」


 魔法の影響という言葉が脳裏をよぎった。

 だが、この世界に魔法なんてあるはずがないと頭を振る。


「ねぇ陽向、貴方は姫ちゃんのこと……嫌い?」

「どうしてそんなことを聞くんだ?」

「貴方が分からないフリをしているからよ」

「……それは、どういう意味だ?」


 問い返すが沙月は答えない。

 姉はジッと陽向のことを見つめ、それから真面目な口調で話し始める。


「分かってるはずよ。あの子は貴方に嘘を吐いているって」

「嘘?」

「ええ。嘘を吐いていると分かったら追い出すのでしょ? そして、彼女は私からの許可を得るのに魔法を使ったと言った。でも魔法なんてこの世界にあるはずがないでしょ」

「それは……でも、姉さんが彼女との同居を認めたんだぞ?」

「私が貴方と姫ちゃんの同居を認めたのは、彼女と取引したからよ。私が彼女を雇ったといっても間違いじゃないわ。貴方、それに気付いてるでしょ?」

「……まぁ、もしかしたら、とは」


 合鍵を持っていた時点で怪しい。

 巨大な犯罪組織でも関わっていたら話は別だが、そうじゃなければ合鍵を持っている理由なんて、身内の誰かから受け取ったくらいしか考えられない。


「でもね? 私が認めたんだとしても、貴方には関係ないでしょ?」

「どういう意味だ?」

「彼女が姫だろうと、蒼依だろうと、ただの友人Aだろうと、私に雇われたエージェントだろうと貴方には関係ない。嫌なら追い出しちゃえばいいのよ」

「それは……」


 たしかにその通りだ。

 蒼依と取引はしたが、本当に嫌なら追い出す方法なんていくらでもある。勝手に家に上がり込んだ不審人物との約束を律儀に守る必要はない。


「彼女のことが心配だって言うなら、彼女の引っ越し先くらいは私が見つけて上げる。だから、あれこれ迷う必要はない。それを踏まえて、貴方はどうしたいの?」


 沙月が、陽向の答えを待つ。

 姉は陽向のことを溺愛している。もしここで迷惑だといえば、沙月はあらゆる手段を使って蒼依のことを追い出しに掛かるだろう。


「……嫌いじゃないよ」

「それが貴方の本心なのね?」

「まあ……ご飯は美味しいからな」

「あら、もう胃袋を掴まれているのね、さすが姫ちゃん」


 沙月はクスリと笑って、張り詰めた空気を一瞬で霧散させた。


「陽向が迷惑してなくて安心したわ。これからも困ったことがあれば相談なさいね。お姉ちゃんがすべてを懸けて弟くんを幸せにしてあげるから」

「マジか。姉さんの愛が重い」

「これは愛が深いというのよ。底なしの幸せに引きずり込んであげるわ」

「言い方、言い方ぁ」


 愛情と言うよりも、もはや呪いの言葉である。


「バカね。私がどうして家を出たと思っているのよ」

「はい? 大学の近くが良かったからだろ?」

「いいえ、うっかり愛する弟くんを襲ってしまわないようにするためよ」

「それは嘘だと言ってくれ!」

「いいわよ。弟くんがそう願うなら、嘘と言うことにしておいてあげるわ」

「いや、そんな否定の仕方をされても、もはや嘘が嘘にしか聞こえないんだが……」


 そこまで行くともはや恐怖である。陽向にとって沙月は姉でしかなく、どんなに美人でも恋愛対象にはなり得ない。

 もっとも、沙月も本気で言っているわけではない。そうなりたくなければ自分で幸せを掴み取れと励ましているのだ。沙月は過保護のようで、意外と厳しいところがある。

 いや、これを厳しいと言っていいのかは疑問だが。


「姉さん、一つ聞いてもいいか?」

「ええ、もちろん。姫ちゃんのブラのカップはDよ」

「そんなことは聞いてない。……っていうか、なぜ知ってる?」

「それくらい知ってるわよ、私を誰だと思ってるの?」

「少なくとも、僕の姉は変態じゃなかったはずだが……」

「バカね、私の職業を忘れたの?」

「デザイナー? あぁ……そっか、彼女は読モだっけ」

「そうよ。それも複数の言語で彼女のwikiが存在するくらいには有名な、ね。調べれば、彼女のスリーサイズくらいは出てくるわよ」

「ふぅん?」


 それは嘘だ。

 蒼依は二年ほど前に読モとしての活動を休止していると言っていた。それが事実なら、彼女のいまのスリーサイズが分かるはずはない。

 ブラのカップは言わずもがなだ。


 だが、沙月は蒼依のブラのサイズを言い当てた。

 沙月と蒼依の間になんらかの繋がりがあるのは事実だろう。


 もっとも、それを指摘しても沙月はのらりくらりと誤魔化すだろう。だからそれは頭の片隅に留めおいて、いまは本命の質問に集中する。


「僕の聞きたいことは蒼依の正体だよ。姫って言うくらいだし、姉さんは知ってるんだろ?」

「可愛い可愛い弟くん。貴方はどうして分かりきっていることを聞くのかしら?」

「それは……彼女の正体を知ってるって認めるのか?」

「貴方も彼女の正体を知っているはずだって言ってるのよ」


 陽向の問い掛けに、沙月は想像以上に踏み込んでくる。その言葉から推測できる可能性はそう多くない。陽向はいくつかの可能性に思い至った。

 だが、確信を持てない理由がある。


「僕は、水瀬 蒼依という女の子を、知らない」

「……あぁ、そんなこと。陽向、彼女はダブルなのよ?」


 ダブル――つまりは日本とフランスの国籍を持つ。成人するまでにどちらかの国籍を選ぶのが一般的で、そういった人間の多くはミドルネームを持っている。


(あぁ、そっか……そういうことか)


「ありがとう、姉さん」

「どういたしまして――っと、それじゃ、わたしはそろそろ行くわね」

「ああ、忙しいところをありがとな」

「どういたしまして。それじゃ、姫ちゃんによろしくね」


 沙月はふわりと微笑んで、伝票を持って立ち去っていった。



     ◆◆◆



 時間は数日ほど遡り、蒼依が陽向達と初めて昼食を食べた直後。

 クリスは、大事な話があるから残って欲しいと蒼依を呼び止めた。それを聞きとがめた陽向が警戒して少し焦ったが、蒼依が誤魔化してくれたことで事無きを得る。

 結果、クリスと蒼依は屋上の片隅で向き合っていた。


「誤魔化してくれたことには感謝します。ですが、これからする話で容赦はしません」

「一体どんな話なのかな?」

「陽向に近付いたのはなにが目的デスか?」

「ずいぶんといきなりだね。どうしてそんなことを聞くの?」

「それは私が陽向を好きだからデス。彼は私の恩人ですから」


 日本に来た頃のクリスは、いまよりももっと日本語が下手だった。

 加えて、外国育ちであるがゆえに、一般的な日本人よりも思ったことを口にする性格。中学校では珍しい金髪碧眼で、しかも周囲よりも圧倒的に胸の発育が良い。

 転校してきた頃の彼女は完全に悪目立ちしていた。


 周囲がもう少し大人であれば、逆にちやほやされただろう。だが、当時のクリスはクラスから排除され、いじめの対象となりつつあった。

 それを救ったのが陽向と一樹だ。

 その事実を蒼依に話したクリスは、だから陽向は自分にとって恩人だと口にする。


「恩人、ね。つまり、陽向のことが心配だから、私の正体が知りたい、と?」

「端的に言えばその通りデス。恋は堕ちるモノ。相手が悪人であれば陽向はどこまでも堕ちることになるでしょう。だから、貴方を見極めさせてもらいます」

「まぁ、私、結構怪しいことを言ってるものね?」

「貴方は陽向に小説を書かせようとしていると聞きました。本当に陽向を想っての行動なら、後でいくらでも謝ります。でも、陽向を傷付けたら私は貴方を決して許しません」

「……だとしたら、私はもう手遅れね」


 蒼依が自嘲気味に笑った。


「……どういう意味デスか?」

「それは――」


 蒼依の声を遮るように予鈴の鐘が鳴った。時間切れで上手く逃げられてしまったと、クリスは思ったけれど、蒼依は少し迷った後に再び口を開いた。


「私が陽向くんを傷付けようと思ったことは一度もないよ。いままでも、そしてこれからも」

「それを信じろというのデスか?」


 疑いの眼差しを向けるクリスに、蒼依はにやっと笑みを浮かべる。


「恋は堕ちるモノだとあなたは言ったけれど、愛は育むモノでしょう?」

「そんなのはただの詭弁デス」

「これでも本音で話してるんだよ? 陽向くんを想う貴方に嘘は吐きたくないから。だけど、信じられないのも無理ないよ。私が貴方なら、こんな言葉は信じないもの」

「……そうデスね。少なくとも、疑いは消えません」


 疑いは晴れないと口にしたが、さきほどよりは警戒心が薄れている。

 それに気付いた蒼依はふっと笑みを浮かべた。


「貴方は優しいのね。でも、無理に信じる必要はないよ。私もむちゃくちゃ言ってる自覚はあるから。だから、もっと私を疑えばいいよ」

「疑え、デスか?」

「ええ。私を見張って、もし私が陽向くんを傷付けようとしたら止めればいい」

「そんなことを言っていいのデスか?」

「むしろそれは望むところだよ。私も陽向くんを傷付けたくはないから」


 その言葉に、クリスはわずかな引っかかりを覚えた。

 傷付けないではなく、傷付けたくない。しかも、他人の監視を望む――つまりは監視を必要としている。それはつまり傷付ける不安があるという意味だ。

 自分の失言に気付いたのか、蒼依は少し誤魔化すように早口で先を続ける。


「いまの私の目的は陽向くんをサポートして、小説を書けるようにサポートすること。いまはそのために全力を尽くす、それだけだよ」

「……サポートと言いますが、一体なにをしているのデスか?」

「陽向くんの書いたラブコメを再現しているの」

「……ハイ?」

「シーンを再現することで、リアリティのあるシーンが書けるようになるでしょ?」

「それは……そうかもしれませんが――待ってください。再現するのは、過去に書いたシーンだけなんデスよね?」

「良いところに気付いたね。もちろん、これから書くシーンも含めて、陽向くんが望めば全部、だよ。じゃなきゃ、陽向くんが執筆したくならないからね」

「そ、そんな、いくらなんでもやりすぎデス! 陽向くんがエッチなことを書いたらどうするつもりなんデスかっ!」

「もちろん、再現するに決まってるじゃない」


 蒼依はあっけらかんと言い放つ。

 クリスは思わず絶句した。


「どうして、そこまで……」

「それが私の使命だから」

「答えになっていません。そこまで身体を張る理由はなんなんですか? なんの見返りもなく、そこまでするはずがないでしょう?」


 クリスがジト目で問い掛ける。金髪碧眼美少女のジト目にはかなりの破壊力があるが、同性の蒼依には効果がない。蒼依はクスッと笑った。


「見返りはあるよ。陽向くんがまた小説を書く。それが私にとっての見返りだもの」

「だとしてもデス。それを読みたいとか、なにかその先の目的があるでしょう?」

「そうだね。でも、いまの私の目的はそれだけだよ。そのだけのために全力を尽くす。その後のことは、また後で考えればいいかなって、そう思ってるの」

「……不器用だって言われませんか?」


 どこか呆れたような口調で問われる。

 蒼依は答えず、屋上のガーデンに植えられた小ぶりな木の下へと歩いて行った。


「殺風景な近道と、遠回りだけど木漏れ日の降り注ぐ並木道。陽向くんと歩くのなら、私は後者を選びたい。だから、これでいいの。私は……これがいい」


さあ――っと風が吹き、木漏れ日がキラキラと蒼依に降り注ぐ。まるで彼女自身が煌めいているかのようだと、クリスはそんな錯覚を抱く。

 負けたと言いようのない不安を抱き、まだ終わってないと反骨心が沸き上がる。


「……わかり、ました。一樹にも、貴方の意思は伝えておきます」

「そうしてくれると助かるよ」

「はい。それと、貴方を監視するために、私も協力いたします」

「協力? なにをしてくれるの?」


 蒼依の問い掛けに、クリスは一瞬だけ迷うような素振りを見せた。だけどぎゅっと拳を握り締め、蒼依に挑むような微笑みを浮かべる。


「陽向の書いたラブコメにはたしか、ライバル役の女の子がいましたよね?」

 

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