舞台はアジア圏を連想させる架空の国アジェンナ。
この国はカサン帝国の植民地であり、身分制度や差別が色濃く残る国です。
主人公の教師ヒサリはまだ若いながらもしっかりとした理想と志を持った女性です。
彼女はアジェンナ国の片田舎スンバ村に教師として赴任することになり、12人の少年少女がヒサリの生徒になります。
この生徒たちが非常に個性豊かな子どもたちです。
靴職人の子どもダビ。口は悪くともやさしい心を持っているナティ。みんなのリーダー的存在になっていくラドゥ。そして、もうひとりの主人公でもある物乞いの少年マル。
マルは皮膚病のために身体中をイボイボに覆われていますが、とても純真な子どもです。それからマルは妖怪たちの言葉を理解したり、歌うことで物語を綴る特技を持っています。
ヒサリ先生と物乞いの少年マルとの出会いはとても印象的でした。
やがて、マルもヒサリの元で教えを乞うのですが、たのしいことばかりではありません。
出会いもあれば大切な人との別れもあります。純粋がゆえの無知、あるいは若さゆえの理想と現実との葛藤。生徒たちにも先生であるヒサリにも、それぞれ悩みや苦しみがあります。時には先生と生徒で衝突も……。
それでも、ヒサリ先生と12人の生徒たちはすこしずつ成長していきます。
この作品では、それぞれの心の機微や絆がとても丁寧に描かれていて、読み進めているうちに、ついつい登場人物に感情移入してしまうことも……。
図書室で置かれているハードカバーの本をすこしずつ読み進めていくイメージといえば、伝わるでしょうか?
読み終わる頃には、この物語を好きになっていますし、登場人物たちの成長をもっと見てみたい!とそう思うはずです。
なお、この物語はシリーズの第1作目で、その後も青春編や恋愛編に続いています。
この物語に魅了された1人として、シリーズ完結までぜひとも見届けたいとそう思っています。
この物語の舞台はアジアに本当にありそうな架空の国です。
植民地であるアジェンナ国にはインドのカースト制度を彷彿とさせるような根深い身分差別と貧困が蔓延しています。その世界で子供達は自分たちの文化と価値観の中で育っていきます。彼らの仕事は物乞いやくみ取りや葬儀屋といったもので、代々親からその仕事の技を引き継いで生きていく。それに対して疑問を持つことなく、貧困と共に文化を繋いでいくのです。
そこへ、カサン帝国から熱い情熱を持った若き女性教師がやって来て、学校を作ります。先生は子供達の心に、純粋に、懸命に教育の火を灯していきます。
生徒の一人マルはイボイボ病という体中イボに覆われる病を持つ物乞いの子供。彼は言葉を紡ぐ素晴しい才能を開花させていきます。
子供達が自国の文化とカサン帝国の文化の違いや、自ら置かれている貧困や差別といった境遇の狭間で悩んだり勇敢に戦ったりしながら成長して行きます。
子供達の幼いながらも気高い姿や、先生の熱い情熱に心を激しく動かされつつ読み進めていきました。
架空の国の物語ですが、現実世界を映す鏡のような一面もあり、考えさせられることもしばしばありました。
本当の幸せって、何だろう。本当の正義って、何だろう。
そんなことを考えさせられる物語です。
答えはまだ見つかりません。
続編となる「青春編」が連載中ですので、彼らの成長を見守りながら一緒に考えていこうと思います。
そんなのないですよねぇ。
正義は立場によって大きく変わります。身分制度が厳しければ、その階級ごとに正義が異なるのでしょう。
このお話では、それぞれの正義が激しくぶつかります。それはそれは大きく激しい音をたてて。
その戦いの中で生徒と先生が大きく生長していく物語です。
私的には主人公の正義が最も共感できるのですが、読者それぞれに好きなキャラクターがいる事でしょう。現実世界では戦争の危機が近づいています。どんなに間違った正義でも良いですから、子供たちがお腹いっぱい食べて、ヘラヘラ笑っていられる世の中を作る正義が、受け入れられますように。
異世界ファンタジーといえば、中世ヨーロッパがモデルの舞台になっている事が多いですが、このジャンルでありながら、アジア圏がモデル。アジア圏作品としても中国やインド等の大国ではなく、タイやベトナム、東南アジアの雰囲気です。
今時のファンタジーの衛生観念は現代日本レベルというパターンが多く、お風呂に入る、洗濯はこまめにという事で、とにかく綺麗で清潔な世界が多いですが、人間がまだ未熟な文化でいるとき、実際はそんなに清潔なはずはなく。
美しいものを美しく書かれた物語は多いけれど、汚いとされるものを魅力的に書く作品は少ない。その稀有な方です。
主人公マルは貧しい物乞いで、イボイボ病。不衛生からくる皮膚の病気なのですが、刺激を与えれば潰れて膿が出る、足の裏から表情がわからないぐらい顔まですべて覆われている状態。ビジュアル的には、到底美しいとはいえないけれど、彼の性格や行動全てが可愛くて愛おしく、魔女が彼を独り占めしたいがためにそういう病気にしたのだという作中のお話が、まさにそうなのではないかと思える感じで。気付けば泥にまみれドロドロになっていても美しい。彼はしっかり生きて輝いている。才能もすさまじく、まさに原石。
植民地支配、身分や性別での差別がメインプロットに存在し、清濁が混在し現実的。社会派的な切り口もあって奥深いです。
真っすぐで純真なたくさんの個性的な子供達が、差別や新たな文化の潮流に翻弄されながら、ヒサリ先生という若い情熱をもって導かれていく成長の物語。先生自身も若く、成長過程にあるという。皆が、未来に向けて進んでいく力強さを覚える名著。
学びの大切さ、世界への視野、文化への憧憬、社会の歪み。読めば必ず何かを心に残す、示唆に富んだ内容です。
妖人という身分のある国では、その上の身分を目指すことは難しい。同じ人であるのに、皆が平等で暮らせない日常がそこにある。しかし、そんな体制を少しでも変えていこうと血気盛んに村へ飛び込んだ若き女教師のオモ・ヒサリ。彼女の熱意は次第に村の子供たちに伝染し、手と手を取り合って色々な壁に立ち向かっていく姿は、作中の色々な場面で登場する「アジェンナの歌物語」と重なって見える。
見た目が悪く、周りから忌み嫌われている男の子(マル)の清らかな心とセリフ回しに酔って欲しい。読み進めるほどに、彼を応援したくなる気持ちは高まる事でしょう。彼の先生に対する小さな「好き」から、今後どこまで大きく「愛」というものが育まれていくのか……その辺りも読みどころの一つです。
少年少女編を終え、新たな局面を迎えた子供たちと先生。次なる新編も大いに期待しています☆
教育の理想に燃える若き女教師オモ・ヒサリ先生。彼女はカサンという帝国の出身であり、帝国の植民地であるアジェンナ国のさらに田舎にある村に自らの希望で赴任します。そこには差別されている「妖人」と呼ばれる身分の人々がおり、さらに貧しい人々もいます。
そこで出会ういろいろな子供達、中でも皮膚病を患うマルという少年は歌を歌って物乞いをして生きています。ヒサリ先生は彼の中にとんでもない宝物、まさに天賦の才を見出し、彼を「立派なカサンの臣民」に育てようと心に誓うのですが……
マルをはじめとした子供達の行動や思いが、いわゆる「大人が思い描く子供」ではなく、大変リアルにみずみずしく描かれています。読んでいるうちに、彼らと一緒に心が子供時代に戻るような感覚がありました。あの頃周囲にいた大人やクラスメイトの行動、自分が抱いていた苛立ち、大切な友人、初恋……。
大人になった私がいつの間にか忘れていたもの、仕方がないと清濁併せ飲んでしまっていたものが、当時の感覚のままよみがえり、とても素敵な読書経験をさせていただいております。
そしてヒサリ先生。若く理想に燃える先生は、きっと子供の頃に出会っていれば私の大好きな先生になっていたでしょう。彼女は子供たちに教えます。「人はみな平等です」「カサン帝国の臣民であることに、何ら違いはありません」「知識だけでなく、カサンの精神を身に着け、立派な帝国臣民とならなければいけません」……彼女の言葉にマルは純粋に思います「立派な帝国臣民にならないと、どうしていけないのかなあ。そんなことより先生にほめてもらいたいし、喜んでもらいたい」と。
作者様いわく、お話は最終章に入っています。(私は115話ほど読んでいますが、まだ最終章ではありません)作中ではすでに何年もの時が過ぎ、生徒達の中にはそろそろ将来のことを考え始める子も。そうなのです。「学校」という場所には、人生でほんの数年しか身を置くことができません。そこで出会う「先生」という人は、子供にとって大きな存在です。ヒサリ先生に出会った子供達がどのように成長して巣立っていくのか。この先も見守らせていただきたいと思います。
寒い冬の中で、松のような常緑樹の「緑」が長く残っていることを知ることができる――という論語の言葉です。
カサン帝国のオモ・ヒサリという若き女教師は、植民地であるアジェンナ国の田舎の村のスンバへとやって来ます。
そこは、妖人と呼ばれる、あまり良くない扱いを受ける人々がいます。
彼ら妖人は妖怪を相手にできるという異能がありますが、それゆえにこそ、「平民」を始めとする他の集団、人種から蔑まれています。
――その妖人の子どもたちに、教育を施すという使命を胸に抱くヒサリ。
彼女にとって、「寒い冬」ともいうべきスンバ村において、彼女は「緑」=教えを示すことができるのか。
また、妖人の子どもたちもまた、酷い扱いという「寒い冬」の中、「緑」=心や才能を示すことができるのか。
……アジア風な国と、近現代の雰囲気の時代の中、彼女と子どもたちが、どこまで「緑」をくっきりと表すことができるのか。
それを見守っていく物語です。
是非、ご一読ください。
40話くらいまで読み進めた段階でのレビューです。
異民族が混在することによって差別や偏見もある世界観です。この世界観が良く練られていて、民族によって異なる言語を持っています。
この言語が植民地時代の朝鮮半島における日本語教育のように差別の演出として使われていたり、登場人物の行動や思想にも影響しています。
ファンタジー世界で言語を人々の文化や思想、感情まで反映させるには相当な世界観の作りこみが必要です。なのでテンプレファンタジーでは、少なからず言語については触れずに、唯一の異世界言語=日本語として言語の問題を回避したりします。(酷い作品では回避したのに異世界人が主人公の知らない英語やドイツ語を使ったり)
そこにあえて踏み込めるという事は作者様はおそらく外国語でも会話できる方でいらっしゃるか、もしくは相当アジア圏の旅行経験をお持ちでいらっしゃるかのどちらかであろうと感じました。そう感じさせるだけの練り込まれています。
また、学校がテーマであるからか、子供の理解力についても作者様はよく調べたのではないかなと感じました。
子供には発達段階というものがあり、ある一定の年齢に至らなければそもそも思考自体ができない物事があります。特に客観視や物事の抽象化の概念は小学生高学年から中学生にかけて身に付く能力ですが個人差が大きく、詰め込み式の教育が横行した日本においては乏しいまま大人になっている人も少なくありません。
登場する生徒たちにこれらの客観視や抽象化の能力のばらつきが適度にみられるのに驚きを感じました。
子供をリアルに描きたい作家さんにも勉強用におすすめできる作品だと思いました。
舞台は帝国の植民地。登場人物は、差別や貧困にくるしむ子供たちと、帝国から派遣された女教師。
理想と正義感に燃える女教師は、みにくく不潔な風貌だけれど清らかな魂と歌の才能をもつ少年に惚れ込んで熱心に教育しようとするのですが――
一面的な正義で主役を美化するのでなく、単純な善悪で割りきるのでもないストーリーが、物語を読みごたえあるものにしています。
人間と妖人と妖怪が身近に同居する夢幻的な世界。宗主国が交代し、植民地の住民たちの間でも対立や差別があったりと、東南アジア/南アジアを髣髴とさせる社会構造の描写が世界観を重厚にしています。
そして少年の明るく清らかな魂、そこから湧き出る歌の詩情が、物語をうつくしく彩ります。
子供たちだけでなく女教師の成長も楽しみな、夢幻の世界をぜひおたのしみください。
私が子供の頃に、もしこの物語に出会っていたら――
この世界に足を踏み入れたとき、最初に思い出したのは子供の頃の自分でした。
中つ国を妄想し、自分を夢の世界に沈めて旅をした幼くも楽しい日々。
あの瞬間にこの物語があったら、どんなに素敵だったか!
作品の舞台となるのは、架空の異世界。
言語、文化、人種の異なる人々の交流やすれ違いを児童文学のような優しい文章で描き出し、ときに静かに、ときに華やかに、幻想世界の息遣いが確かな筆致で紡がれていきます。
物語の主軸となるのは主人公の女教師オモ・ヒサリ。
そして彼女に導かれる教え子たち。かけがえのない教えや奇跡のような出会や事件を経て、彼らは様々な問題に直面し、共に手を取りあい、苦しみ喘ぎながら、それでも諦めずに乗り越えていきます。綺麗なお話しばかりではなく、辛い場面も多いですが、その裏に秘められた人の情熱と愛の鼓動は、きっと誰の心にも響く素敵な音色で読者を満たしてくれるはずです。
ああ、この世界の住人になりたい!
思わずそんな風に声を上げてしまうような、優しく不思議な子供たちの成長譚。
是非是非、ご覧下さい。