第32話 希望の片鱗


<オーラス 四本場 親:天馬>


 勝利条件が増えた天馬だったが、状況は依然として不利のままである。

 なにせ誰かがアガってしまったらその場で敗北決定なのだ。

 生き残るためには、誰よりも早くアガることが前提条件となる。

 そのためにはアガりやすく、なお大きい手が望ましいのだが……。


<天馬 配牌>

 一五七九萬 ①②④⑨筒 1479索 東南


 この土壇場に来て、手はまったくのバラバラ。アガることすら危うい。

 九種九牌であれば流すこともできたが、ちょうど一牌足りない。

 どうするべきか、天馬はすぐに決めた。

(悩んだって意味なんかねえや)

 五萬打ち出し。狙うはひとつ。

 ――国士無双。


<雨宮 配牌>

 一五六八萬 ②④⑤筒 159索 北北白

 ツモ:四萬


 雨宮は天馬の五萬と、さらに明るくなってきている書斎の奥へ目をやった。

 もう時間は本当にない。あと一局か二局……。

 天馬は明らかに手役を作っている。

 チートイツか、高速形か、あるいは国士無双か。

 なんにせよ決まれば引っくり返る可能性が高い。

 自分はもうリーチチートイツにすら放銃できない点棒状況。

 切り間違いは許されない。

 速く、速く、誰よりも。

 獲物の首筋に喰らいつき、勝利の血肉を啜ってやる。

 そして……


<雨宮 手牌>

 四五六萬 ②③④⑤⑤⑤⑥筒 5索 北北

 ツモ:北


 雨宮は5ソウを手牌の右端に寄せた。

 テンパイ。①④⑥⑦ピンの四面張である。

 良形だが、ここに来て役なし。

 リーチをかけなければアガれない。

 二、三順まわして様子を見るという手もある。面前だからツモれば問題ない。

 ただ、天馬の捨て牌が異様だった。

 最初にマンピンソー三色すべてのど真ん中を切り飛ばしている。チャンタ、チートイ、国士などが考えられる。

 そしてお誂え向きなことに、四枚見えているヤオチュウ牌がないのだ。


(最後の最後まで、しつこい野郎だったが……

 これで終わりだ……!)


 4、6索と二つの筋で待てるのだ。

 ピンズを二人に指定して5ピン以外を切ってくれれば、ほぼ当たると思ってよい。

 ここはいくべきところなのだ。

 そして弱者は「見」して負ける。


(俺は違う)


 雨宮は牌を叩きつけるようにして打ち出した。


「リーチッ!」


 雨宮は穴が開きそうなほど八木を凝視した。


(こいつが打ってくれればすべてが終わる。終わってくれる)


 しかし八木が意気揚々と打ち出したのは、⑤ピン。

 牌を倒さない雨宮を見て、八木は信じられないという顔をした。

 外したのだ、この土壇場で。

 雨宮は怒らなかった。

 呆然と河の最後尾を飾る⑤ピンを見下ろすことしかできなかった。


 卓上にぽた……ぽた……と汗が滴った。

 皆、何かにのしかかられているかのように前傾気味に卓に向かっている。

 熱気と煙のせいで呼吸が苦しい。

 軽く咳払いし、ふと天馬は顔を上げた。パチパチと瞬きをする。

 一瞬、自分たちがいる場所が生き物の胃の中のように見えたのだ。

 ぶよぶよとした肉壁の内には瘴気が充満し、足元を胃酸の波がさらっていく。

 負ければそのすべてを溶かす海に埋没し、勝利すれば新鮮な外気を吸える。


(シマだったら、腹に穴でも開けて出て行くのかなァ……)


 胃の中で暴れまわっているシマを想像して、天馬は手牌を伏せた。

 裏切られたことは、もう仕方ないと思う。

 自分が甘かったのだ。

 むしろ彼女はたくさんのことを教えてくれた。

 それだけで十分だ。

 だから、もういいのだ。

 天馬はツモった牌を入れた自らの手牌を眺めた。


<天馬 手牌>

 一一九萬 ①①⑨筒 1789索 東南西

 ツモ:⑦ピン


 チャンタが見えるが一萬と①ピンはもう場に切れていてメンツにはならない。

 国士無双を狙っても、雨宮のリーチをかわしきることはできないだろう。

 負けたらどうなるんだろう。

 相当やつを怒らせてしまったから、タダでは済むまい。

 殺されるか、よくて一生家畜同然の暮らしかもしれない。

 金も得られず、女もできず、一人きりのまま……。


 いいさ。

 オレは闘った。

 闘ったのだ。

 その熱を味わえずに生きていくよりは、いい。

 ああ、そうだ。いいこと思いついた。

 このまま牌を打ち出さずに、みんな仲良く焼け死んでしまおうか。

 そうすれば少なくとも冥土の同行人は三人ほど手に入る。いや、四人か。


 天馬はチラッとうしろの立会人・カガミを見やった。

 この状況下で汗ひとつかかない仕事熱心さに感心する。


(なんで逃げねェんだろ、コイツ。

 こんな夜遅くまでご苦労なこった)


 そういえば今、何時だろう。火事に気づかないくらいなので、すでに時間の感覚などなくなっていた。

 天馬は腕時計に目を落として、その時計が止まっていることに気づいた。

 しばらくそのまま硬直した後、手牌の中から8ソウを抜き出して捨てる。

 雨宮が息を呑む。

 8ソウは白くぬらぬらした横ッ腹を三人に晒していたからだ。


「リーチ……!」

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