第25話 終わりの始まり

【東二局 一本場 親:雨宮 ドラ:⑨ピン】

 もうすぐだ。

 もう目の前なんだ。

 使っても使い切れない金、権力、栄光。

 それが俺の目の前に転がっている。

 そう、簡単だ、それを拾うのは。

 川原に転がる石のように、山野に咲く菖蒲のように、それは静かに俺を待っている。

 だから……

 いま楽にしてやるよ、シマウマ。


 雨宮は積み棒を卓縁に置いた。天馬から直撃を奪い、好調の連荘である。

 この局だ、と思った。決めるならここ。

 問題はたったひとつ。

 果たして天馬は、この仕組みに気づいているのか。

 普通に考えれば、恐らくバレている。

 でなければどうして見張り役のシマがこの場を立ち去る理由があるだろうか。

 油断させて、こちらにイカサマをさせようという魂胆が見え見えだ。

 先ほどは自分のアガリに浮かれていた天馬の隙を突けたが、二度同じ手は通じまい。

 雨宮は自分の手牌を開いた。


<雨宮 配牌>

 一一四七九九萬 ①②④⑥⑨⑨筒 東西


 字牌こそ少ないものの、トイツが多い。どれかがアンコになるか、チートイツを狙うか。どちらにせよ遅い手だ。


(だがチートイツでいけば、ドラが絡んでマンガンやハネマンさえ射程圏内……)


 顔を上げると、バッチリ天馬と視線が合った。しかしそれも一瞬で、すぐに彼は左右の倉田と八木に均一に目を配る始めた。

 特に雨宮の手牌へ重度の関心を払っているようには見えない。とはいえ、それもまたブラフかもしれない。


(今はまだ焦ることない。サマは保留だ……

 まァ、こいつ相手に様子見ってのはちょっと気にいらねェがな……)

 九順後。


<雨宮 手牌>

 一一九九萬 ②②④④⑥⑨⑨筒 3索 東

 ツモ:3ソウ


 チートイツドラドラ。親の25符ハン、9600点である。

 待ち候補の片割れである⑥ピンは倉田と天馬の河に一枚ずつ。残りは一枚の地獄待ち。対して東は生牌。


(当然、⑥ピン切りだな。そして……)


 雨宮は牌を横にした。


「リーチ」


 天馬の肩が緊張で大きく上下する。

 確実なアガリを拾うのなら、ダマでも充分な手であった。しかし何かが雨宮の背をそっと後押しした。


(あのバカから直撃を取り、裏が乗ればハネマン……)


 直後、下家の八木が五萬を打った。雨宮の捨て牌だけ見れば危険牌の筆頭である。


(これをサシコミだと疑うなら、マンズの3-6-9あたりはかなり切りにくいハズだ。

 他のスジも切りづらい……となれば字牌落としに走る公算大……!)


 しかし天馬は恐れなかった。


「リーチ」


 横にされた六萬が卓を打ち、雨宮は思わず眉をひそめてしまう。


(くそ度胸が……振り込んだら一発だぞ。

 まあいい、どうせ先にロン牌を掴むのはテメェだ)


 しかし驚くべきのはまだ早かった。

 天馬は手牌に手を添えて、


「オープン」


 倒した。


<天馬 手牌>

 三四萬 ⑦⑧⑨筒 123索 東東東北北


 オープンリーチ東ドラ1。マンガンである。

 しかし重要なのは点の高さではない。

 雨宮の目が大きく見開かれていた。


(なぜ……)


 ロン牌消滅――東暗刻。

 恐らく百回に一度あるかないかの、天馬の奇跡。

 元々の運は圧倒的に雨宮が勝っているにも関わらず……。

 砕けた奥歯がちりっと痛む。


(こんな不合理……あっちゃいけない……

 あっちゃいけないんだ……!)


 その時。

 天馬がリー棒を取るために、雨宮から視線を外した。


 刹那、雨宮の手、走る。

 思考がほとんど停止しているにも関わらず雨宮は最適な手段を取っていた。

 反射と言ってもいい。あるいはこう考えられるかもしれない。

 勝利の女神が彼の代わりに手を動かしたのかもしれない、と。

 今なら天馬はイカサマが終わるまでに雨宮の手を掴むことはできない。

 現場を押さえなければイカサマではないのだから。


 雨宮が河の前に伏せられた手牌を卓縁に引き寄せるのと、天馬がリー棒を投げるのがほぼ同時だった。

 点棒が一直線に卓を横切っていく。

 手牌が卓を滑っていく。

 なにもかもがスローに感じられる瞬間が流れていく……。

 すべてが変わろうとしていた。

 雨宮は終わりの闇を感じ……

 天馬は始まりの風を思っていた。


 めりっ。


 雨宮の手牌が、卓縁に半分ほど埋まっていた。



「絶対にやると思ったよ」


 その場にいる全員の視線を一身に集めながら、天馬はぽつぽつと喋り始めた。


「リーチ棒を出す時……オレの視線は必ずおまえから外れる。

 そんなチャンスをおまえが見逃すわけがない。

 なにせ親の役満なら直撃でもツモでもオレを飛ばしてこの勝負を終わらせることができる。

 勝ち逃げできる。

 なら……やるのさ、おまえは。

 昔からそうだった」

「……………………」


 雨宮はなにも答えず、ただ天馬を睨みつけている。

 視線に威力があったら、恐らく天馬の顔には穴が空いていただろう。

 しかし今の天馬には、そんなものなんの効果もなかった。

 有史以来、視線で死んだ人間はいない。


「シマに教わったのか」


 雨宮の声は低かったが、不思議と落ち着いていた。それがまた彼の感情の激しさを裏打ちしているようだった。

 天馬は首を振った。


「自分で気づいた」

「……どうやって」

「最初はヤマや河が関係しているかと思った。

 けどある事実が、別の場所から牌を持ってきていることを教えてくれた」

「事実……?」

「おまえが国士無双をアガった二回戦の南三局一本場……ドラは2ソウだった」

「……だから?」

「イーソウはオレの手にアタマで二枚。おまえに振った一枚。ドラ表示牌にも一枚。

 そしておまえは十三面待ち。

 ……五枚あったんだよ、イーソウが。

 あの時、指摘していればタネなんてわからなくても、オレの勝ちで終わっていたんだ。

 ちゃんと最後まで場を見ていれば……諦めることなく……」


 ひょいと河のイーソウを拾い、灯りにかざして眺めた。


「牌を入れ替えている。それは今のでわかった。

 どうやって?

 ここでまたオレは行き止まりにぶつかった。

 おまえの手は常に卓上にあった。怪しい動きなんて少しもなかった。

 正直な話、マジで魔法でも使ってるのかと思ったよ。

 そんな時、唐突に答えに出くわした」


 手のひらの上の牌を握り締め、隠した。


「仕舞っちまえばいい。そのまま、スライドさせて。

 そしてそれができる卓上のスペースは……

 手牌の手前しかない」


 天馬はぐるりと辺りを見回した。今夜の勝負を見守り続けてきた書斎を。


「そもそもなんでこんな書斎の奥まったところに卓があるのか。

 背後に回られたくなかったんだ。

 そして調べられたくなかった。自分の卓の手元を」

「……」


 雨宮は静かに、卓にめりこんだ手牌を取り出した。

 そしてその奥にある、手牌の侵入を拒んだ天馬のリー棒も。

 それを取り出すと卓縁の空洞が音も無く閉じた。無音かつ漆黒のシャッターだった。


「普通の卓より、少し縁が高いんだ。まァおまえは知らないだろうがな。

 手牌をこの中に入れると、自動的に中を移動して入れた手牌は卓の足の中へと流れ込む。

 するとセットしてあった国士の手牌が俺の手元に流れてきて、排出される。あっという間だ。プロの小手返しよりも速い」

「でも、敗れた」


 天馬は噛み締めるように繰り返した。


「敗れたんだ、このオレに。

 おまえの国士の弾丸は、もうオレには届かない」

「……そうみてェだな」


 雨宮は無造作に八千点の点棒を投げ渡した。これでいいんだろ、と言うように。

 それを見る天馬の眼は、燃えていた。


「卑怯者が」

「なんだと……?」


 二人の間に流れる触発の雰囲気に、カガミがそっと身構えた。


「散々……格が違うだの、才能だの言っておきながらよ……

 なにこれ……?

 三人で囲むわ、機械任せのイカサマするわ……

 オレは……オレはこんなクズにビクビクしてたのかよ……

 ハハ……笑えてきやがる」

「てめェ……調子に乗るのもいい加減にしろよ……!!」


 雨宮の長い腕が卓を横切り、天馬の胸倉を掴み上げた。

 しかし天馬は怯むどころかさらに怒りを増したようだった。


「そうだ……そうやってムキになって来いよ。

 熱くなって向かってきやがれ。

 ブッ潰してやるからよ……!」

「この野郎っ……!!」

「いい加減におやめください」


 カガミの手がすっと雨宮の手を掴んだ。途端、彼の顔が苦痛に歪み、パッと手を放した。


「馬場様も、挑発行為はお控えください」

「ああ……」


 カガミは一度も天馬の顔を見ることなく、再び後ろに下がった。


「くそ……パシリ女が……」


 相当強く握られたのか、雨宮は右腕を大切そうにさすっていた。


(オレは知っている)


 天馬はじっと、雨宮と、その横で顔をいよいよ真っ青にした倉田と八木を観察した。


(怖いんだろ? 気もそぞろだろ?

 なんたって、ついに始まるんだから、おまえらにとって。

 頼るものも、逃げる場所もない……)


 天馬はにっと笑った。

 シマのように。獣のように。



「ようこそ、勝負の舞台へ」

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