賭博異聞録シマウマ

第24話 勝負の綾

　――いつだって、不運の森の奥深く、

　　　　　　逆転への切札は隠されている――

　天馬から離れる直前、シマはそんなことを呟いた。

　振り返ると、彼女は背を向けて片手をぷらぷら振りながら書斎の奥へと消えてしまった。

　なぜなら、一緒にいる意味などないから。

　そう、シマはもう闘えない。

　オレがやるしかないのだ。

　天馬は決意を新たにし、自分で巻いた包帯を触った。

　ちりっ……とかすかな痛みが走る。

　その疼きが、吹き飛んでしまいそうな精神を繋ぎとめてくれるような気がした。

　けれど……この時、天馬はまだ気づいていなかった。

　シマの言葉の意味する真意を……。

【半荘３　東一局　親：倉田　ドラ：三萬】

　再びカガミのアイポッドから激しいロックが流れ始めたが、四人のうちの誰の耳にも届いてはいなかった。

　静かに、無駄口も叩かず、皆が手牌を揃えていく。

　深海ですらもっと賑やかだろうと思われるような静寂の中、天馬は配牌を開いた。

＜天馬　配牌＞

　三六八九萬　②⑤⑦⑧⑨筒　４７８９索

　ツモ：３ソウ

　　打：②ピン

　字牌なしの二メンツ。うまくハマればメンピン三色のマンガンを狙える手。

　しかし肝心の七萬が引けなければ、三萬や⑤ピンがくっついてメンツになってしまう可能性もありうる。

　果たして勝負の女神は、どちらを選ぶのか……。

　しかしそれは自分にはどうすることもできない。

　それよりも他にやるべきことがあった。

　天馬は自分の手よりも、他の三人の動向を注意深く窺う。雨宮だけではなく、倉田や八木からの不意打ちヤミテンを警戒しながら打った。

　とりあえず、捨て牌に端牌が多く字牌をまったく捨てていない雨宮には強力なタンピン手が入っていそうだ。

　あるいは、チートイツという線もあるかもしれない。

　ドラはまだ天馬の手中の一枚しか見えていない。警戒しなければ……。

　と思っていたところに、倉田が三萬を打ち出した。雨宮への援護かと一瞬身を強張らせるが、チーは入らなかった。雨宮は東をツモ切り。

　ドラチーしないということは、その周りの牌がないのか、あるいはやはり頭……？

　雨宮の生まれ持った強運ならば、それぐらいはあって当然。

　そう思っていると、意外な肩透かしを喰らった。三萬をツモったのである。

　急がないとドラが逃げると言わんばかりに、天馬はドラをさっさと手牌にしまった。

　これで見えているドラは三枚。雨宮の手中に組み込まれていたとしてもドラ１。

　もしチートイドラ単騎ならば待ちを完全に握りつぶされた、最悪の状況である。

　それに対して天馬はドラ抱えの三色。

　東一局にして、場が大きく動き出そうとしていた。

　そしてついに……機、熟す。

＜天馬　手牌＞

　三三六八九萬　⑦⑧⑨筒　３４７８９索

　ツモ：七萬

　　打：六萬

　確定三色ピンフドラドラ。マンガンである。リーチをかければハネマンまであるが、ここは保留。

　２－５ソウの筋はいくつか雨宮が早々と整理してしまっていて、残り少ない。押さえられてしまったらツモれないだろう。

　倉田と八木の視線を飛ばす。二人とも時折雨宮に不安げな視線を送る以外は、手牌に釘付けだ。

（アガれるとしたら、こいつらからだが……）

　しかし、またもや阻むのはこの少年。

「リーチ」

　空中でお互いの視線がバチリとぶつかるのを感じながら、天馬は震えそうになる手を必死にこらえた。

（リーチか……）

　八木は８ソウ切り。雨宮は動かない。

　天馬のツモは東。当然ツモ切り。

　さらに次順は北。

　ションパイゆえにベタオリも考えたものの、ここはテンパイを維持。

　が、

「ロン！」

　ばらり、と雨宮は手を開けて見せた。

＜雨宮　アガリ＞

　一一一一二三萬　④⑤⑥筒　西西西北

　なんということのない手である。リーチドラ１。符が絡んでもそう大きくはならない。

　しかし裏ドラをめくる雨宮の顔は、汗ばんでいた。

　指一本で返されたドラ表示牌は……

　九萬。

（加算……ドラ４……！）

「リーチ表１裏４、ハネマンだ。１２０００。

　悪いな、馬場？　おっと、イカサマじゃないぜ。

　カガミ、あんたも見てたろ」

　水を向けられたカガミは興味無さそうに頷いた。

「ええ、特に問題はありませんでした」

　カガミの保証を受けて雨宮の笑顔はますます深くなった。いまにも天馬の肩でも叩き始めそうな気配だ。

「クク……まあ諦めるなよ。まだ東一局じゃないか」

「そうするよ」

「……？」

　天馬は別段、焦ったわけでもなく、まるでただのリーチドラ１を振り込んだだけと言わんばかりの様子で点棒を投げ渡した。

（諦めるかよ）

　牌が卓へと吸い込まれ、新たなヤマが浮上する。

（弱音も言い訳もしない。

　すべてオレのミスだ。

　それに……

　ある意味、好都合なんだぜ、雨宮）

天馬…１８０００

倉田…２５０００

雨宮…３７０００

八木…２５０００

【東二局　親：雨宮　ドラ：北】

　初っ端にリーダーの雨宮がハネマンをモノにしたということで、目に見えて八木と倉田から緊張が欠け始めていた。

「チィッ！」

　倉田が２ソウを鳴いた。恐らくタンヤオで、軽く場を流してしまおうという魂胆だろう。

　雨宮の親番とはいえ、無用な親被りをさせてしまうわけにはいかない、ということだろうか。

　その時、倉田はチラリと雨宮を一瞥し、ドラの北を打った。

　その動作が天馬にある予感を走らせた。

（確認……？）

　これでいいんだな、と問いかけるようなニュアンスを倉田の視線から感じ取ったのだ。

　それは事前の打ち合わせに沿った行動なのでは。

（つまり、鳴いた後のドラ打ちでテンパイを臭わせ、オレの手に制限を加えようとしている）

　だったらするべきことはひとつだ。

「ポン」

　天馬、オタ風のドラ北をポン。えっと倉田の顔に驚愕が浮かぶ。

　恐らく雨宮には、テンパイを臭わせれば天馬は簡単に降りる、とでも指導されていたのだろう。

　なめるなよ。

　余り牌の⑦ピンを放った。タンヤオ気配の倉田には最高に危ない牌である。

　どうだ、当たれまい。そう思ったが、

「……チー！」

　お、と天馬は顔をあげた。倉田は⑥⑦⑧ピンを晒し、打８ソウ。どうやら本当にテンパイしたようだ。

（困ったな……アガられちまうとマズイ。

　いまはまだ、雨宮に親をやっていて欲しいんだよな……）

　雨宮はというと、ツモった牌を手に入れ、代わりに六萬を打ち出した。テンパイか、イーシャンテンか。ここの判別が難しいところだ。

　そして再び天馬のツモ。

＜天馬　八順目＞

　七八九⑦⑧⑨７８９南　（北北北）

　ツモ：４ソウ

　実はこの時、天馬はテンパイしていた。

　三色チャンタドラ３。二局連続、マンガンのチャンスが訪れていたのだ。

　さて、どうすべきか。

　ど真ん中の牌でタンヤオの倉田には際どいが、恐らく大丈夫だろう。ソーズの下の方はさっきの２ソウチーで使い切られてる公算が高い。

（頼むぜ……雨宮……）

　天馬の打った４ソウが、タン……小気味いい音を立てた。

　それに続く音は、倉田がヤマからツモる音ではなく……

　バラリ。

「ロン……タンピン。親の３０符２ハン、２９００」

　倒したのは、やはり雨宮。

　天馬の鼻の頭に、じわりと汗が滲んだ。

天馬…１５１００

倉田…２５０００

雨宮…３９９００

八木…２５０００