第3話 思い出の国


「……では、勝負を始めてもよろしいですか?」

「あ、ちょっと待って」


 カガミを片手で制すると、シマは一億が詰まったトランクを放り投げた。

 八木と倉田の視線と首が半月円を描いてついていく。

 カガミはこともなげにトランクを受け取った。投げるのもそうだが、あれ結構重いはずなんだが……。

 一方シマはてくてくと雀卓へ近づくと、じいっと卓を見つめたあと、卓の縁をつっ……となでた。

 雨宮たちの怪訝な視線も気にせずに、口元を手で押さえながらなにか考えている。

 卓になにか仕掛けでもあるのだろうか?


「ねえ、どうしてこんな狭いところに卓を置くの? もっと広いところにいこうよ」


 言われてみれば確かにそうだ。

 なにもわざわざ本の虫じゃあるまいし、本棚に囲まれて打つこともない。


「周りにスペースがあると、誰もいなくても覗かれてるみたいで嫌だろ?

 そう思ってわざわざここにしたんだよ」

「ふうん」


 シマはさして興味があったわけでもないらしく、卓の上にすでにぶちまけられていた牌をつまんで光にかざした。

 かと思うと卓から離れ、キョロキョロと辺りを見回している。

 手近な本棚から本を抜き出してぱらぱらとめくり始めた頃にようやく雨宮が問いかけた。


「なにやってんの?」

「どっかにイカサマのタネがあるのかなあ、って」


 雨宮は嘲るように鼻で笑った。


「あっそ。そう思うならどうぞ、ご勝手に」

「じゃ、勝手にする」


 そう言うとシマは背を向け、あろうことか部屋を出ようとした。

 慌てて倉田がいちゃもんをつける。


「おい、どこいくんだよ。もう始めるんじゃねえのか?」


 目をパチクリさせたあと、シマは手元の腕時計を見た。

 どういう趣味をしているのか、男物のでかい時計だった。

 これもギャンブルでかっぱらったのだろうか。


「勝負は三時からでしょ? まだ三十分くらいあるし、この屋敷の中も調べてみたいんだけど。

 ねえカガミさん、いいでしょ?」

「そうですね、いいでしょう。チャレンジャー側からの正当な要請だとみなします。

 よろしいですか、雨宮様?」


 雨宮はやや思案した後、ため息を吐いた。


「面倒くさいやつだな……まあいい。

 ただ妙な真似されると面倒だ。八木、ちょっとおまえついていけ」


 まだ痛そうに鼻をさすっていた八木は呼ばれると顔をしかめたが、これ以上の血を失う気はないらしい。

 大人しく卓から立ち上がった。

 そこでふと雨宮の動きが止まった。


「やっぱ八木、そこにいろ」

「……なんすか、どっちっすか」

「いいから言うとおりにしろ。カガミさん、お願いできますよね?」


 雨宮の高圧的な口調にもカガミはビクともしない。


「もちろんです。雨宮様の仰せのままに」


 預かったトランクを大事そうに抱えながらこくんと頷いた。

 シマがつんつんと俺の脇腹を小突く。


「ね、探検みたいでワクワクしない?」

「しない」

「…………」不満そうに口をすぼめている。子供か。


 それにしても、いつになったら麻雀するんだろう。




 シマが屋敷を調査する、なんて言い出したものだから、俺は改めて周りに意識を向けてみた。

 書斎は屋敷のエントランスから右手にまっすぐ進んだ突き当りにある。

 中は『貴重な蔵書を傷ませたくない』という雨宮のじいさんの意向で、窓のないつくりになったそうだ。

 最近は重病を患って寝たきりだそうだが、まだ生きてるのだろうか。

 俺が物思いにふけっている間に、シマは手当たり次第の部屋を出入りしている。

 なにせ部屋数が多い。二階建てだが、全部で20くらいの部屋があるのではないだろうか。

 こんないい家を『手狭だ』と一蹴して廃屋にしてしまう雨宮家の財力に嫉妬を禁じえない。


「おい、なんか見つかったか?」

「んーんー。なんにもー」


 どうやら本当に探検にワクワクしているようだ。顔を輝かせて走り回っている。

 そんなシマを眺めていると、横にカガミが並んできた。


「あの……カガミさん。こういうこと聞いていいのかわかんないんですけど……あいつらってイカサマするつもり、なんですか?」


 カガミは俺を一瞥すると、スタスタと歩き始めてしまった。

 無視された、ふふ、まあいいさ慣れていると自虐的になっていると、遅れて答えが戻ってきた。


「当然ながら、その答えはお教えできません。

 私はあなた方と彼らの間の勝負を中立にジャッジする立場ですから。

 しかし今回は本当に彼らになにか策があるのか、私は存じません。

 なにせ私も彼らとはさきほど会ったばかりなので」

「そうなんですか?

 雨宮は、昔からGGS-NETの会員なんじゃ?」


 カガミはふるふると首を振った。

 この人、言葉や表情は固いがどことなく仕草に女の子っぽさがある気がする。


「雨宮様は昨日づけでGGS-NETの会員になられました。お爺様からの推薦で」

「え、あのじじいも会員?」

「会員でした」


 いやな予感がした。


「死んだのか」

「それも昨日のことだそうで。そこから先は存じません」


 そうか、死んだのか。

 一般人は雨宮家の人間の葬儀等には顔を出せないから、まあ知らなくても当然なのだが。

 ならば当主は誰が継ぐのだろう。

 雨宮は長男だったはずだが……。


「おーい、置いてくよ~」


 シマが階段から手を振っている。


「おまえ、いつまで探検するつもりだ?」

「うーん、気が済むまでかなあ。ね、二階行ってみようよ」

「はあ……」


 二階は寝室やら物置やらで、特に大した発見や出来事はなかった。

 強いて言えば、ホコリまみれの天蓋つきベッドにシマが飛び込んでむせまくったことくらいだ。


「おまえ、ホコリくさくなったぞ」

「ごめん。……ああ、そうか。

 ねえ馬場くん。わたしそんなににおう?」

「は?」

「どうかな。正直に答えてほしいの」

「いや……その……ええ?」

「ちょっと嗅いでみて?」

「はあ!? や、やだよ」

「お願い、大切なことだから」


 上目遣いの目がうるうるしている。ひ、卑怯だ。


「う……。……。そんなには、におわないと思うけど……」

「そっか……。ちょっと待ってて」

「?」


 シマはたったったったと走っていき、トイレへと消えた。

 カガミを振り返ると心なしか視線が冷たい気がする。

 なにかまずいことを言ったのだろうか……女心は俺にはわからん。


「お待たせ」

「うわっ……おまっ、なんだそのにおい。

 キツイなんてもんじゃない、もう気持ちグロ悪ばぜぶっ」


 うしろからカガミに頭をはたかれた。


「失礼」

「カガミさんグッジョブ。

 でも馬場くん、べつにわたしはこんなの好き好んでつけたわけじゃないよ」


 俺は頭をなでながら殺人的なにおいを放つ生物を睨んだ。


「趣味以外で香水つける意味なんかあるのかよ」


 シマはぱたぱたとにおいを俺に煽ってきた。


「だからやめろって!」

「その反応だよ」

「え?」

「集中しなきゃいけない勝負の時に、こんなにおいずーっと嗅がされてごらん? すっごく気になると思うんだ。

 わたしなりの妨害作戦!

 馬場くんのおかげで思いついた。ありがと」

「……どういたしまして」


 どうやら感謝されているようだ。

 役に立てたなら幸いだが……しかし……なんだか妙な作戦だ。

 そりゃあ確かにこんなの嗅がされちゃあキツイだろうが……

 こんな大勝負の時に、あいつらはそんなこと気にするだろうか。

 なんだか違和感を感じる……。

 シマはただ、楽しげに笑っている。


「ちょっと待って!」


 もう戻ろうか、という雰囲気になりかけた時、シマが地下への階段を発見した。

 どうしてこいつがワクワクしないはずがあろう、気がついたら闇に消えていた。


「降りないのですか?」


 ぼけっと突っ立っている俺にカガミが色のない声を投げかけてくる。


「いや、降りるよ」


 ここに入るのは何年ぶりだろう。

 もうずいぶんと時を経てしまった気がする。

 そうだ、最後に入ったのは小学校にあがる前……俺の人生が普通の幸福から脱線する直前だ。

 いま、人生そのものからレールアウトする寸前の俺がここに来たのも、なにかの縁だろうか。

 地下へ降りる。地下といっても別に洞窟のように地面が剥き出しではなく、ちゃんと木造建築が続いている。


「ねえ馬場くーん。なんか面白そうだよー」


 奥の部屋からシマの声が聞こえてくる。

 ああ、よく知ってるよ。

 俺は十年ぶりにその扉を開いた。



 ガラクタの山、といえばもうそのままだろう。

 ダンボールやガードレールの破片(どっから持ってきたんだ?)、ブルーシート、木の枝、ビー玉にトランプ、漫画雑誌……。

 およそ子どもの遊び道具になりうるものが無秩序に打ち捨てられていた。

 シマはその中央で、跪いてなにかを眺めている。うしろから覗き込むと、それは写真だった。

 ここにあったのか……。


「これ、馬場くん?」

「面影がありますね」とカガミも興味があるのか写真に顔を近づけた。

「ああ……。昔はさ、雨宮と俺、友達だったんだ」


 シマは目を丸くして驚いていた。

 そりゃそうだろう。幼馴染といえば仲良しの代名詞なのに、俺と来たらサンドバッグになってるんだから。


「じゃあ、こっちの女の子って妹さん? なんか気が強そうだね」

「おまえが言えるか? まあ、美人だし学校じゃ人気あるみたいだな」

「外でやらなきゃ、あんな写真撮られなかったのに」


 そのことについてはもう数え切れないほど恨んだので食傷気味だ。


「この写真、もうなくしたと思ってたんだ……そうか、ここにあったのか」

「ね、勝ったらさ、雨宮くんどうする?

 友達に戻る?」


 俺は写真をシマに手渡した。


「それはねえよ」


 シマはどこか満足気に眉をあげると、ガラクタ漁りに精を出し始めた。

 そろそろ書斎に戻る頃だが、懐かしさもあり俺はそこに立ち尽くしていた。

 俺が壊したプラモデルがそのまま放置されている。

 妹のお気に入りだったハーモニカは、まだ音が出るだろうか。

 そして雨宮が……秀が好きだったトランプは一枚も欠かさずケースに収まっていた。

 これは実はイカサマトランプで、秀はよくこれでズルをして勝っては喜んでいた。

 あの頃からとっぽいところはあったが、今のように人を足蹴にして喜ぶ趣味はなかった。

 人は変わる。いつまでも一緒にはいられない。


「おっ、チビモンカード発見! うわ、シークレットレア。初めて見た……。

 あ、バブルくんなつかしーっ! よくさあ、庭で泡だらけにしあって遊んだんだ」

「……さすがにそろそろ言うぞ。

 おまえ、そんなんでいいのか?

 なんかもっと、家なんか調べてないで雨宮の癖とか調べたらどうなんだよ?

 負けられないんだぜ、俺たち」


 シマはガラクタを大事そうに地面に置いた。


「へーきへーき」

「平気っておまえなあ」


 シマがクルっと振り返った。

 ふてぶてしいほど不敵な笑みを浮かべている。


「わたしの麻雀は百戦して百勝する麻雀。

 大丈夫……大丈夫……

 ふふ……」




 書斎に戻ると倉田が開口一番にこぼした。


「くっせえ……」

「なんスか、その下品な香水は……」


 シマはその場でモデルのように回転した。

 撒き散らされる激臭に倉田と八木は涙目だ。

 唯一地蔵のように振動しない雨宮が底意地の悪い笑みを見せた。


「イカサマは見つかったか?」

「さあ、どうかな。それじゃあ今度こそ、始めようか。

 っと、その前にカガミさん、なにか説明ある?

 あれ? カガミさんは?」


 ふと気がつくとカガミの姿が消えていた。いまのいままで隣にいたのだが……。


「ここにいます」


 頭上から降ってきた声に倉田と八木が驚愕した。

 カガミは本棚の上に腰かけて、俺たちを見下ろしている。


「高いところから失礼。上から睥睨するのが好きなもので。

 ルールについてですが、普通の麻雀と思ってくださって結構です。

 半荘三回、喰いタンあり赤なしの頭ハネ。それだけです」


 足をぷらぷらさせながら慇懃無礼に教えてくれた。

 そこで雨宮が口を挟む。


「当然だが……イカサマが見つかれば罰符8000の支払いだ。

 そしてもちろん、俺は八木と倉田と仲間だが、お互いの牌を教えあうことも許されていない」

「あーはいはい。わかってるよ」


 シマはだるそうに首をほぐした。

 雨宮は気にせず続ける。


「それから、勝負が始まったら席を立つことはできない。トイレもなしだ。

 ただ時折、機を見ては休憩をいれるつもりだ。

 腹も減るしな、休憩室に茶菓子が用意してある。あとで食ってくれ」

「ふうん、ずいぶん気前いいね。こっちから休憩を申し出るのはオッケー?」

「構わん。好きなだけ休め。ただまあ、夜明け前には勝負をつけたいとだけ念を押しておく。明日も学校だしな。

 こんなところだ。なにか質問は?」


 シマが卓に座ると、においが近づいたためか倉田がむせた。


「うーん、そうだなあ。

 あ、なんかここ静かでさ、これから勝負! って感じじゃないよね。

 音楽かけてもいい? すっごいカッコイイやつ」

「…………」


 雨宮はしばらく黙り込み、なにか考えていたが、ようやくOKを出した。

 シマはポケットからアイポッドを取り出すとそれをカガミに放り投げた。

 長い間、物音ひとつしなかった寂れた屋敷に激しいロックが流れ始めた。

 かなり音量がでかかったが、シマがノリノリなので下げさせるのはやめておこう。

 そう、そんなことは些末なことだ。


 半荘三回勝負、第一回戦目、東一局……

 シマはその手牌を開けた。

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