第14話 カガミの憂鬱

<東二局 親:八木>


 灰皿で殴られた倉田の手当てをしようとしたカガミだったが、奇跡的に無傷だった彼の頭皮を見て感心した。


「血、血ぃでてない?」

「大丈夫ですよ。灰まみれですが……」


 バカは風邪もひかなければ、怪我もしないのかもしれない。便利なものだ、と思いながら本棚を登る。そんな彼女を、いまだに奇妙そうに目で追ってくるのは馬場天馬だけだった。他のものは闘牌に目がいっていてそれどころではない。

 天馬をじろりと睨みつけてやると、慌てて視線を逸らした。よほどこちらのことが嫌いなのだろうか、とカガミは不快に思った。言いたいことがあるなら言えばいいのに、モニョモニョしているのを見るとイライラしてくるのだ。

 自分には、怯える自由さえなかったのだから。


 カガミは幼少の頃から、父に師事して古今東西の戦闘技術を学んできた。ささいな判断ミスは常に死に直結し、実の父親に本気の殺意を向けられて修行する日々は、彼女から歳相応に鮮やかな表情を奪い去るに充分な経験を与えた。

 同じ釜の飯を分け合った兄弟弟子が無残な骸となって転がっている光景は、一生彼女の夜を蝕み続けるだろう。

 だから、普通に生きてきて、こんな勝負の場を『異常』と認識し怯えることのできる天馬や倉田を見るといたたまれなくなる。


 あなたたちは、もっと幸せに思うべきなのだ。

 なにも考えずとも、すぐ死ぬなんてことは、そうそうないのだから……。

 

 ふう、と息を吐く。悪い癖だ、思考がどんどん逸れていく。いまは仕事に集中しなければ。

 それにしても、なんだか暑い。カガミは手のひらに浮いた汗をこっそりスーツのすそで拭った。いまの行儀の悪い行為を父が見たらなんと言うだろうか、と脳裏に二メートル以上の大男の優しげな顔が浮かぶ。

 そう、父は優しかった。いつも人を安心させる笑顔を浮かべながら、自らの子ども同然の弟子たちにこう言っていた。


 ――弱さは罪悪だ。ただ生きてるだけで何になる?

   強さを追い求めずして、生きようということがそもそも間違っている。

   永遠に生きることなど、誰にもできないというのに――


 幼いカガミたちにとって、その言葉だけが教科書だった。

 来る日も来る日も、闘い続けて、狂った世界に身を置き続けた。

 それ以外の生き方を知らずに……。



 カガミはシマに視線を落とした。相変わらず静かな笑みを浮かべている。

 彼女の噂は父から聞いていた。

 ある時期に颯爽とNETに現れた新進気鋭のギャンブラー。

 現在までの通算敗北数は……

 ゼロ。

 異常な数値である。しかし、それは決して珍しいことではなかった。

 NETの会員は、諸国のトップから空手の素寒貧まで老若男女を問わない。

 存在さえ知れば、誰でも登録可能なのだ。

 その中には、時々紛れ込んでいる。

 通常ありえぬ確立を引きこみ、予期できぬはずの偶然を回避するもの……。

 そんな異端、はぐれ者……。

 理解されぬモノたちが。



 東二局、闘牌は比較的穏やかに進行していた。

 いままでのシマなら、ここらでリーチがかかってもおかしくないのだが、この局はいままだ端牌整理の段階。

 12順目……。


<八木 手牌>

 二二三三六六萬 ①①③筒 4索 北西西

 ツモ:①ピン

  打:4ソウ


 曇っている。

 自分ならこうは打たない、とカガミは思った。この手ならチートイツを狙うのが正着手だ。

 西はすべて場に見えているし、二三六萬も見えてこそいないが他家の手牌の中にありそうな気配……まず重ならない。

 八木や倉田は自分で考えて勝負していると思っているだろうが、実は違う。

 すでに呑まれているのだ……『恐怖』という自分自身に。

 だからどっちにもいける中途半端な打ち方をする。

 彼らは間違えるのが怖いのだ。後悔したくないし、仮に間違っても言い訳がしたい。

 しかし、それこそが落とし穴。

 彼らは間違うことを罪だと思っている。

 だが、勝とうとして打つ危険牌は、蜃気楼に惑わされてオリる安全牌よりも価値あるものなのだ。

 たとえ振り込んだとしても。

 次順……


 ツモ:4ソウ


 八木の手首が止まった。案の定、テンパイを逃してしまった。

 動揺を隠しているつもりだろうが、逆効果。

 癖や性質を隠そうとする方が、違和感というものは発生しやすい。

 チラっと八木の首がシマの河の方へ傾く。が、シマは八木のことなど一瞥もせずに頬杖をつきながら、自分の手牌を見つめている。

 テンパイしている気配は、パッと見たところはなさそうだ。

 八木はきっと、そう思ったのだろう。

 

 打:4ソウ


「駄目」

「えっ……」


 手牌を見つめたまま、シマの唇がほころんだ。それまでまとっていた、あたかもノーテンのようなベールは剥ぎ取られ、倒された手牌から獣が現れる。


「タンピンドラ1。3900」

「くっ……、あ、雨宮さん待っ……灰皿はダメっ……デリケートだからっ……俺……ギャッ!」


 心が定まっていないから、こうなるのだ。

 シマは最初の打4ソウの直後に手牌を入れ替えている。

 つまり、あの時点ではノーテン。4ソウを抱え、①ピンを素直に切っていればテンパイかつシマのアガリ牌を二枚も潰せていたのだ。

 ツキがなかったのではない。自分を信じられないから敗北するのだ。

 そして、相手に不安や恐怖を抱かせることによって危機を脱しているシマ……。

 が……果たしていつまで、そううまくいくだろうか。

 死なない人間がいないように……。

 絶頂に君臨し続ける王もまた、いない。

 カガミは、シマから渡されたアイポッドを操作した。

 いままで激しいロック調だったBGMが、暗く重いメタル調へと移った。


 次の局は好調シマの親番である。


シマ:36900

倉田:17000

雨宮:25000

八木:21100

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