賭博異聞録シマウマ

顎男

第1話 舞い降りた少女①


 今日は俺の十七回目の誕生日だった。

 そして恐らく、命日になるだろう。


 帰宅ラッシュが終わり、すっかり人気がなくなった駅のホームに俺はいた。学校帰りからずっとここにいるから、もう何時間もまるで人形のように立ち尽くしていることになる。

 幾度となく過ぎ去っていく電車を見送りながら、俺はいつ死のうかと思案していた。躊躇もしていた。しかしどうしても死なねばならなかった。

 平常から死にたい死にたいと繰り返していた俺だが、いざ死のうとすると足が動かない。どこかの国では宗教のために人が死ぬ。そうすれば極楽へいけるのだという。しかし資本主義かつ無宗教のこの国で一体なにを信じろというのか。

 生きることも死ぬこともできず、俺はただ途方に暮れるしかない。


 駅前の繁華街からは誰かの楽しげな笑い声やパチンコの騒音、行き交う車のエンジン音などが聞こえてくる。すべて俺から遠くの世界で起こっていることだった。ああ、俺も普通に生きてみたい。友達と楽しく過ごして、彼女とか作って、まじめに働いて、いい上司や部下に恵まれて、孫の顔を見て死んでいきたい。しかしダメだ。

 死ね、馬場天馬。おまえは死ななければならない。

 なぜなら、俺が生きていれば妹が地獄の苦しみを味わわねばならなくなる。

 単純に命の価値の話だ。誰からも必要とされない俺が犠牲になり、みんなから愛されている妹が助かるべきなのだ。

 ああ、死にたい。しかし死ねない。恐ろしくて……。

 電車が来る。何本目だろう。


「早くしてよ、電車来ちゃうでしょ!」

「大丈夫だって、急がなくてもさあ」


 高校生らしき制服を着たカップルがはしゃぎながら階段を駆け上がってくる。俺はため息を吐いた。

 ああ、いっそ俺をここから落としてくれないだろうか……。

 そんな言葉が頭に浮かんだ瞬間、俺の身体は中空へと投げ出された。突然だった。女の「あっ!」という声が聞こえたかと思うと、顔めんにはげしいしょうげ、き、が……。





 深い……とても深い眠りから、俺は目を覚ました。

 ここはどこだろう、俺はどうして寝ているんだろう。寝過ごした時によくあるように、記憶が判然としない。思い出そうとするが、なんだか考えるのが面倒で、俺は寝返りを打った。もう一眠りしたい。

 ああそれにしても、いま何時だろう。もう朝だろうか。もしかして昼だろうか、それなら学校を休んでしまったことに……。

 学校?

 俺は布団を蹴飛ばした。重い体を起こし、そしてようやくここが自分の部屋ではないことに気づいた。俺の部屋にテレビはない。

 どこだここは?

 ベッドも机も見慣れぬものだ。ただ本棚の中身には見覚えがあった。『徐々に奇妙な冒険』や『賭博黙示録アカジ』が全巻置いてある。しかし俺の本棚に『30世紀少年』はない。

 ととと、と足音が聞こえた。自然と身がこわばる。


「あ、起きた?」


 扉を開けて現れた人物を見て、俺はまだ夢を見ているのかもしれないと思った。くりくりした大きな目が不思議そうに俺を見つめている。


「大丈夫?」


 夢のような美少女が、俺に向かって首を傾げていた。頬を噛んでみる。痛かった。





「……というわけだったんだ」

「そうですか、ありがとうございました」


 そう言う他になかった。

 少女の話によれば、駅のホームに落ちそうになった俺を反対ホームから見ていた彼女は、線路を走り抜けて俺の顔面に膝蹴りを食らわしてホームに戻したのだという。

 だが、残念ながら究極のお節介だ。俺は死にたかったのだから……。


「ねえ、なんで死のうとしてたの?」


 少女はパソコン机に腰かけながら問いかけてきた。正しくはバカップルにぶつかられただけなのだが、元々死ぬつもりだったのは間違いない。しかしどうしてその理由を、命の恩人とはいえ見知らぬ他人に喋らなければならないのか。


「あの……ええと」

「ん? ああ、そうだった。嶋あやめって言います。君は?」

「……馬場天馬」

「馬場くんか。歳いくつ?」

「十七……」

「ふうん、高二?」

「まあ」


 その後も嶋あやめは俺にいろいろと質問を重ねた。どこに住んでいるのか、高校はどこか、家族はいるのか、学校は楽しいか、などなど……。俺はうんざりしながらも、他にすることもないのでいちいち答えてやった。


「投身自殺なんてよくやろうと思ったね。痛そうじゃない?」

「べつに……一瞬で死ねればなにも感じないでしょ」

「死ねなかったらどうするつもりだったの? しばらく生きてることとか、あるらしいよ」

「……知るか。なあ、あんたなんなんだ? 助けてくれたとはいえ、どうしてあんたに身の上話なんてしなくちゃならねえんだ」


 少し言い過ぎたかと思ったが、シマは照れくさそうに頭をかいた。気にしていないようだ。


「実はわたしさ、大学で心理学を専攻してるんだ。なにか助けになれるかも、と思って」


 ……助けだと?

 俺は激しい嫌悪にかられた。心理学を専攻? 数年前に俺を診察したプロの精神科医はなにもできずにサジを投げた。それをただの学生にいまさらどうにかできるわけがない。

 俺を憐れんでいるのか? それとも蔑んでいるのか? 俺を見る人間の目は常にどちらかだ。そして共通なのは、どいつもこいつも俺を『どうしようもないクズ』だと見下している点だ。

 俺はシマの目を憎悪をこめて睨みつけた。

 無垢な瞳に「?」と書いてある。

 ……?

 その時、なにか違和感を感じた。

 なんだろう、なにか今まで見てきた人間と違うような……。

 ただのお節介焼きに見える目の奥に、なにか、俺の想像しているのとはべつの意志があるような気がした。

 なんだ……こいつ……。

 そもそもおかしくないか? いくら人が死にそうとはいえ、電車が迫ってくる中の線路へ飛び込んでくるだろうか。

 善意にそこまで人を動かす力はない。

 なら、なにがこのシマという人間を動かしめたのだろう……。

 ふと気がつくと、俺の口は物語り始めていた。

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