第17話 盲牌ゲーム


 扉を開けて入ってきたシマが包丁を手にしているのを見た途端、天馬の心臓は跳ね上がった。

 刺される。

 こんな面倒事に巻き込んだ自分を刺し殺してシマは憂さを晴らすつもりに違いない。きっとそうだ。今にも鬼の形相で襲い掛かってくるのだ。

 恐れおののき、ぶるぶる震えながらベッドの毛布に包まってしまった天馬を見てシマは腹を抱えて身をよじった。


「アハハハ……。ホントに面白いなあ、君は」

「…………」

「刺すと思った? そんなことしないしない。ほら、出ておいでよ。リンゴあるよ」


 毛布の塊は少し身じろぎすると地蔵のように停止してしまった。それを見たシマは呆れ笑いを浮かべつつため息を吐いた。その様子は聞き分けのない弟をたしなめる姉のよう。

 

「どうして自分のせいだなんて思うのかなあ。わたしが勝手に受けたギャンブルで負けただけなのに」


 山がもぞもぞした。


「……俺が巻き込んだから……」


 シマはベッドに腰かけると、台所からかっぱらってきたリンゴを包丁で器用に剥き始めた。皮が流れる滝のように宙を滑っていく。


「わたしが勝手についてきたんじゃん。むしろ君が怒るべきじゃない?」


 掠れた天馬の声が毛布の向こうから聞こえてくる。


「……アンタは……ホントによくやってくれたから……俺の代わりに……なんの得もないのに……」

「そう言ってもらえると、代打ち名利に尽きるかな。

 けどさ馬場くん……ホントに責任感じてる?」

「……うん」

「じゃあさ――

 ――君が代わりに目を潰してよ」


 毛布は動くのをやめた。すっと手を伸ばしシマはそれを剥ぎ取ってしまう。現れた中身はコタツの中の猫のように身体を丸めている。その視線はシーツに縫い付けられたように動かない。


「口先だけの謝罪なんて、いらない。

 そんなことをのたまってたら、時間はいくらあっても足りないよ。

 君には君のできることがあるはずだ。そうでしょ?」

「……ねえよ……」


 馬の耳に念仏とはこのことか、とシマは苦笑いした。


「仕方ない。元気を出させてあげようかな」


 シマはポケットの中からいくつか牌を取り出し、ベッド脇に備え付けてあった丸テーブルに置いた。ようやく天馬は眼球を転がし、シマの手元を見る。


「……?」

「遊ぼうよ、これで。ギャンブルだ」


 楽しげに牌を混ぜるシマの横顔を見て、天馬の口元がわずかに緩んだ。


「懲りないな、ホンットに……。で、なに賭けんだ」


 休憩の時間はたっぷりとある。少しでも運命の刻を先延ばしにしたい心理も働いて、天馬は体を起こした。

 口元に人差し指をあてがいながらシマは小首をかしげた。


「どうしよっかな……じゃあ、わたしが勝ったら」

「勝ったら?」

「わたしが勝ったら、そうだなあ、君の大事なモノをもらおう。

 人は誰でも、失いたくないモノを持ってる。それがあるから、生きていたいという気持ちが起こるんだから。

 わたしはいろんな人を見てきたけど、みんな欲しいものはバラバラだった。お金が欲しい人は、使い道が違った。面白いよね、人間って。

 君はなにが大事なのかな。まあ、なんでもいいからさ……考えておいてよ。自分が大事だなあって思うものを」

「いいのかよ、そんなんで。やる気満々のところ悪いけど、俺、べつに今大事なモンなんて持ってねえよ。金もないし……。あ、まさか」


 あとずさる天馬にシマが呆れたように手を振る。


「だから命は取らないって。くれるっていうならもらうけど。そんなにわたし、アブない人に見える?」

「すごく」即答である。

「……」シマは口をすぼめた。「でも、なんとなくアタリはついてるけどね……君がなにを賭けるか」

「は?」

「直にわかるよ。あと当然だけど、わたしが負けたら同じように大事な大事な、失いたくないモノをあげるから」

「おまえの大事なモノって……」

「……気になる?」

「そりゃあ、なあ」

「ふふ……まあそれは勝ってからのお楽しみってコトで。そんなにつまらないモノじゃないと思うから。

 もし、それを君が手にすることができたなら……

 今夜の勝負、まだ勝ち目はあるとわたしは信じるよ」

「……つまり、このゲームの勝敗で占いをするようなもんか」

「占い……? ……そうだね、そうかもしれない。

 さ、それじゃ始めようか」


 ジャラジャラとシマは牌を掻き混ぜる。

 なぜシマがこんな益のない遊びを始めたのか、天馬にはよくわかった。ズボンを握り締める手に力がこもる。

 シマは自分を励まそうとしている。勝負には関係ない傍観者に過ぎない自分の気持ちを汲んでくれている。

 あと少しで、おのが両目を失うのは彼女の方だというのに。

 その優しさを感じて天馬はいたたまれなくった。やるせなかった。

 なにもできない無能な自分が、憎かった。



 シマが前髪をくるくる人差し指で巻き取りながら――どうやら癖らしい――宣言した。


「ゲームはズバリ、【盲牌ゲーム】だ。

 内容はいたって簡単。この10牌を引いていって、最後まで白を引かなければ勝ち」


 そう言ってシマはテーブル上の牌をすべて表にした。



<テーブル上の牌>

 一萬、①ピン、1ソウ、中、東、西、白白白白


「この牌、どっから取り出したんだ? 背の色が違うから、雨宮たちの牌じゃねえよな」


 ちらり、とシマの顔色をうかがう。一瞬、雨宮の名を出すことをためらう気持ちがよぎったのだ。今、この時はせめてシマに思い出させない方がいいのではないだろうか。

 しかし彼女は相変わらずのんきにタバコをふかしている。ぷかあ、とドーナツ煙が口から生み出された。隣に座っている天馬は少し煙たい。


「ま、なにかに使えるかと思って何牌か持って来てたんだけど、使う機会はなかったね。色が同じだったら、国士無双とかしようかなと思ってたんだけど」

「用意周到だな……」

「怖がりだから、わたし」

「どこが?」

「失礼だなあ……ふふ」


 シマは灰皿にタバコの灰を手馴れた手つきで落とす。

 穏やかな時が二人の間に流れていた。

 ずっとこのまま、ここにいられればいいのに。

 そう天馬は思ったけれど、時は止まらない。世界は進んでいく。


 天馬が目を閉じている間にシマが入念に10牌を洗牌した。


「目、開けていいよ」


 戻った視界には、9牌が裏向きに並べられていた。

 しかし、1牌だけ単独でぽつんと置かれているものがある。天馬はそれを指差して問うた。


「これは?」

「ああ、それはさ、ババ抜きとかで手札から一枚だけ飛び出させておいたりするでしょ? あんな感じ。

 さ、始めよう。白を掴んだらその場で終わりだから気をつけて」


 そう宣言すると、シマは10枚の牌を指し示した。



<盲牌ゲーム 残り枚数10>

     ?

 ?????????


「思ったんだけど、これメチャクチャ確率低くないか? 10枚中4枚ある白を最後まで引かないって」

「それだけわたしの大事なモノには価値があるのです」


 偉そうにふんぞり返っているシマを無視しつつ、天馬は牌に視線を注いだ。当然ながら、透けて見えてくるわけはない。

 まず考えるのは、一枚だけ飛び出した牌。最初に引く牌は当然、強調されたその一枚よりも他の九枚から選びたいと思うのが人情だ。なにもいきなり二分の一の勝負をすることはない。

 しかし、もしこの一枚が絵柄――白を引いたら敗北なので、便宜上こう呼ぶ――だった場合、下の九枚の内訳は白四枚、絵柄五枚。およそ二分の一。


<仮想牌図>

      絵

 白 絵 白 絵 絵 絵 絵 白 白


 最初は運良く絵柄を引き当ててクリアできたとしても、次、その次と引いていけば絵柄の枚数は減少していく。そして下の絵柄五枚を無事、引き当てたとしても、飛び出した一枚が絵柄だったら、どれだけ悩もうと下の四枚は必然、すべて白。

 ここまで来てしまえば、なかなか残しておいた飛び出した一枚がやはり絵柄とは考えにくいだろう。ほぼ確実に、白を掴むことになる。


<仮想牌図>

  絵

 白白白白


 敗北。とはいえ、このゲームにリスクなど皆無に等しい。大事なモノなど人それぞれなのだから、極端な話なんでもいいのだ。ポイントカードだろうといらないチラシだろうと。

 けれど、と天馬は思う。勝負をおろそかにすることはできない。

 シマはきっと、そういうコトを嫌悪しているのだろうから。

 天馬は牌の上で手を右往左往させた挙句、やがて一枚の牌をつまんだ。しかし、表にはしない。


「見ないの?」


 シマは剥いたリンゴを丸かじりしている。見かけによらず頑強な顎をしているようだ、と天馬は感心しながら答えた。


「これは……白だ」


 シャリシャリとシマはリンゴを細くしていく。


「どうして?」

「俺が一番最初に選んだ牌だ。絶対に白。これは間違いない」


 天馬が自信を持ってその牌をテーブルの端に寄せると、くすくすと笑い声があがる。


「なるほどなるほど……そういうの、なんていうか知ってる? 逆張りっていうんだ。落ち目のヤツの逆に張って当てるっていう、ルーレットとかで使われる張り方なんだけど……そっか、そういう……」

「なにブツブツ言ってんだ。それよりもさ、この牌、見てもいいか?」


 天馬は白と判断した牌を指差した。


「ダメダメ」シマは首を振った。「つまんないじゃん。この手のゲームは、寄せた牌を後々やっぱりアタリなんじゃないかと思ってめくって痛い目を見るってのが、醍醐味なんだから」

「わかったよ」


 とはいえ、これで一枚クリア。普段の天馬の運からすれば、この時点で数日は厄日が続く。

 再び牌に手を伸ばす。が、今度はなかなか選べない。

 所詮、こんなゲームに必勝法など存在しない。完全な運否天賦。

 しかし、それでも人は理を紡ごうとする。

 それは天馬も違わなかった。

 とりあえず、飛び出した一枚を早急に見切りたいところだ。絵柄だった場合、避けているうちに下の白を掴んでしまう……。

 結局、迷いに迷った挙句、一番端の一枚をつまんだ。

 そしてその表面に指を這わそうとした瞬間、嫌な予感がして動きを止める。

 白。あのぬるっとした感覚がありありと思い出された。

 しかし、だからこそ白ではない……。

 自分の読み、感覚など、とうに信じてはいない。

 天馬は一思いに牌を表にした。


 1ソウ。


 ほ……と胸をなでおろす。やはり自分には才能がない、と天馬は思った。あれほどの悪寒を感じながら、実際は問題なかったのだから、タチが悪い。まるで大事な時に限って痛くなる腹のよう。自分のくせに、役に立たない。


「おおー、スゴイじゃん。その調子だよ、馬場くん」

「うるせえな……っておまえいつの間に」


 ふと気づくと天馬の横にいたシマが、部屋の向こう側の本棚の前に移動していた。適当な本を選んではパラパラとめくっている。


「うーん、なにが面白いのかわからない……」


 構ってくれないようなので、天馬はゲームに戻る。


<盲牌ゲーム>

    ?

 ???????1

 寄せた牌:?


 一番端が1ソウだった……これだけではなんの情報にもならない。かといって、なにか情報を得ようにも、牌の裏は電灯の光を綺麗に跳ね返しているだけで、なんらガンになりうるモノは見当たらない。

 とりあえず、まだ開けていない左の方に手を伸ばしてみるが、煮え切らない。ひょっとすると、白がアンコのように並んでいる可能性もある。その場合、右から選んでいくだけで勝てるのに、みすみす勝機を逃してしまう。

 しばらく逡巡したが、やはり信じられるモノといえば、結局は確率しかない。


「ふぁあ……眠くなってきたかも」


 シマがううんと伸びをする。その様子は自然体で、さきほどまでの緊張感は嘘のように消え去っている。

 しかし、本当に自然体でなどいられるのだろうか。ほどなく目をえぐられるというのに……。

 なにせ、目だ。光を奪われるのだ。半狂乱になっていてもおかしくない。この余裕はいわゆるやせ我慢というか、現実逃避なのでは。

 このゲームも自分が言い出したくせにこちらを見ようともしない……。

 そう思い、適当に左の牌に手を伸ばした刹那……


 天馬の脳裏に雷光、走る。

 視線を牌から外し、無防備なシマの背中を見つめる。

 さきほどの話によれば、シマはかなり麻雀暦が長いようだ。盲牌もできると言っていた。

 もしかしたら、この牌の並びを知っているのではないだろうか。いや、それどころか洗牌した時、すべての牌を把握しながら掻き混ぜ、配置した可能性さえある。

 こちらの様子にまるで無頓着なのは、牌の位置がわかっているから。

 もしそうなら、これは確率ではなく、シマの心理を読むゲーム。

 思いついてみると、意外にこの気づきはありえそうに思えてきた。あのシマのこと、なにかトラップを仕掛けている可能性はある。

 ならば……


<盲牌ゲーム>

    ?

 ??????中1

 寄せた牌:?


 1ソウの隣から引いてきた中を天馬はテーブルに叩きつける。タン!という小気味いい音が響いて満足気な顔だ。

 確定したわけではないが、やはりシマが牌の順番を決定した可能性が高い。そして、左側に白が寄せ集まっている可能性も。

 これで絵柄はあと四枚。白も四枚。最初に弾いた牌を白と仮定すると、残りは七枚。

 次にすることはイメージだ。天馬はシマを見つめながら考える。

 シマが仕組んだ牌の並びを知るためには、シマが馬場天馬という人間をどう捉えているのか、それを想像しなければならない。

 困った時、どうするのか。運に任せるのか、理に頼るのか、あるいは諦めるのか。

 そしてシマの中の自分は必ず……

 

 タンッ!


<盲牌ゲーム>

    東

 ??????中1

 寄せた牌:?


 飛び出した一枚は、保留するだろう。現にここまで残してきたわけだから。

 問題はここからだ。天馬は居住まいを正した。

 あとは、シマが自分のことをどう考えているか、それを追っていけば……

 すると、テーブルの上にぬっと手が現れた。


「シャッフルターイム♪ イェイ」

「は? あっ!」


 シマはあっという間に寄せた一枚以外を掻き混ぜてしまった。


「おまっ……」

「ふふ……そろそろ気づくと思った。でもダーメ」


 天馬はふてくされた様に口をすぼめる。


「なんでだよ。いいじゃねえか、べつに。おまえの心理なんて、どうせ読めなかったよ」

「ふふ……かもね」


 シマは再び天馬の隣に腰を下ろした。つん……と香水の臭いが鼻につく。いくらか慣れたが、それでも強烈だ。結局、この臭いはなにか効果を発揮したのだろうか。


「ほら、早く早く」


 シマに急かされ、牌を見直す。


<盲牌ゲーム 残り7枚>

 ??東中???1?

 寄せた牌:?


 すっかりバラバラである。振り出しに戻ってしまった。

 しかし、シマのことだ。バラバラにしたと言っておきながら、この並びも覚えているのかもしれない。それを眺めながらリンゴを味わうつもりか。

 そう思い、東の左隣の牌の表面に指を置く。

 ……。

 いや、この中身は本当に誰にもわからないのかもしれない。

 シマにも、俺にも……。

 ……。


 天馬は牌を引いた。


<盲牌ゲーム>

 ①?東中???1?

 寄せた牌:?


 結局、引くつもりだった牌のひとつ隣を引いたのが、功を奏した。①ピンのざらざらした肌触りが天馬の親指を通して伝わってくる。

 これで4連続絵柄。

 クリアまで、あと二枚。否が応にも鼓動が高まる。たとえるなら役満を張った時のよう……。

 すでにここまで来ただけで、凄まじい確率を潜り抜けたのではなかろうか。

 けれど、と思いなおす。もう残りの半数以上が白である。ここから先を引くことは、さすがに不可能だろう。

 だから、どれを引いても同じだ。当たればラッキー。それぐらいの方が、むしろ当たるかも……。

 ここまで来れただけで、もう充分……

 もう……


「あともう一歩だね」


 唐突に話しかけてきたシマの顔には、不可思議な表情が張り付いていた。

 口元は笑っているのに、少しも愉快そうではない。むしろその眼球からは冷たい波動が冷気となって放出されているようでさえあった。生きている人形がいれば、こんな顔をしているのだろうか、と天馬は想像した。


「……もう引けないだろ、さすがに。べつに負けたところで、俺はなんも失わないしな。大事なモンなんか、ねえんだから。友達もいねえし、思い出もねえ。当然、金だってねえし、得意なこともない。いま、なくなって困るようなことが思いつかない。あー、つまんねえ人生だな、我ながら……」

「夢は?」

「え?」

「夢はないの?」

「……夢」


 自分はかつてなにを夢見て生きていたのだろう。

 もうだいぶ前に、楽しいとか、明日が待ち遠しいなんていう感情は喪失してしまった。待っているのはせいぜい鋭いパンチと牛乳を拭いた雑巾ぐらいのものだったから。

 誰からも必要とされないし、こっちも必要ない。

 そう思わなければ、保てなかった。弱く薄く脆い自分の心を……。


 夢……未来……

 俺にはわからない……。

 どうすればいいのか……。

 それはとても遠く、今にも消えてしまいそうな蜃気楼のようで……。


「……夢とか、ガキじゃあるまいし。明日、自分がどうなってるかなんてわかんねえんだから、意味ねえよ」

「その通り」

「え?」


 てっきり反論されるモノと思っていた天馬は肩透かしを喰らってしまう。

 シマはテーブル上の灰皿を引き寄せると、ぽんぽんと灰を落とした。紫煙が雲のようにゆっくりとたゆたっている。


「明日のコトなんて誰にもわからないよ。

 死ぬかもしれないし、やっぱり普通にぼーっと過ごしてるかもしんない。もしかしたら宝くじを当てたりしてるかも。

 わからないんだ、結局は。

 そこは不明の領域……。

 だからこそ人は、夢を見る。

 その扉の向こうを見たがるんだ。

 君もまたその一人……。夢がない?

 嘘つき。

 やっぱり君は、怖いんだ。……失うコトが」

「……抽象的すぎてよくわかんねーが、要するに俺がチキン野郎だって言いたいわけか」

「ふふ、文句あるなら否定してみせてよ」


 シマは挑発するかのようにニヤニヤしてみせる。どうもシマと話していると天馬の調子は狂わされてしまう。感傷に浸っていたい時さえ、無理やりやる気を引きずり出されてしまうような、そんな気分だった。

 ふと、シマの夢はなんなのだろうと天馬は思った。しかしそれを聞くか聞くまいか悩んでいるうちに、他の雑多なとりとめのない思考が湧き上がり、その思いつきは海に落ちた砂糖のように小さく小さくなって、やがて消えてしまった。


<盲牌ゲーム 残り6枚>

 ①?東中???1?

 寄せた牌:?


 六枚中、ハズレが四枚。やはりどう考えても絶望的な確率である。天馬はシマを不満気に見つめるが、彼女はリンゴの芯を限界ギリギリまで細くする仕事で忙しい。

 ここからはどれが絵柄か、というよりも白がどんな形で並んでいるかを想像した方がいいかもしれない。


<仮想図牌集>

 ①?東中白白白1?

 寄せた牌:白


 ①白東中?白?1白

 寄せた牌:白


 ①白東中?白白1?

 寄せた牌:?


 たとえばこんな風な並びの中では、一番上の白のアンコ形はなんとなくなさそうに思える。そして天馬が最初に引いた牌を白だと仮定すると、より安全なのは真ん中の三枚ののどれか……。

 理というほどのモノではないが、これ以上の手がかりもない。

 結局、天馬は三つ並んだ牌のうち右のものを選択。

 胸の中に黒い風が吹くような心地を覚えながら、牌を開く。


<盲牌ゲーム 残り5枚>

 ①?東中??一1?

 寄せた牌:?


 一萬。ふう……と息を吐く。と同時に背筋からなにかが這い上がってくるような不気味な心地を覚えた。

 もういい加減、出来すぎだ。確率には疎いが、これが常識的に考えて一発でできるようなコトではないことぐらい天馬にもわかる。

 なにか、シマが操作しているのか。手品師のようにこちらが引く牌を向こうが選んでいたり……。

 疑いの眼差しを向けられたシマは肩をすくめると、リンゴの芯をゴミ箱へ投擲した。外した。


「わかんないんだって……なにが起こるかなんてさ。

 みんなそれを怖がる。けど本当は、それが一番面白いのに。

 さあ……ここまで来たんだから、最後も引いてくれるよね?」

「……いいとも」


 偉そうなことを言われたが、もしやこれをまた言わせたかっただけでは、という思いが天馬の脳裏をよぎった。

 腑に落ちないがシマはご機嫌そうなので、よしとする。イカサマもしていないようだ。つまり、この引きはまったくの偶然か……。

 ふと壁にかけられた時計が視界に入る。長かった休憩も残りわずかだ。

 あと一枚で勝負は決する。そしてシマの目は……。

 せめて彼女の最後の光景は、奇跡で飾ってやりたい。

 そうだ、それが今、自分にできるコト。


<盲牌ゲーム 残り5枚>

 ①?東中??一1?

 寄せた牌:?


 寄せた牌は間違いなく白という仮定の下で天馬は思考していく。

 これは決して自分が不幸だから最初に選んだ牌は白、という理だけではない。ここまで自分が白を掴まなかったのは、つまり上の牌の中の白が三枚だったから。その分、絵柄を引く確率が高まっていたと考えられる。

 よって上の四枚のうち、どれかが最後の一枚、西。

 しかし、それでも確率は四分の一。

 どうやって引けというのだ、こんなものを……。

 やはり、適当に引くしかないのか。

 なにか顔に出ていないかシマを窺ってみるが、静かな微笑みが返って来ただけだった。


「なあ……なんかヒントくれよ」

「ええ? わたしも知らないし」

「嘘つけ。ホントは知ってんだろ」

「知りませんってば。それにまあ、ヒントっぽいモノならもうあげてるし」

「は……? そんなこと言ってたっけ?」

「いーつのーことーだかぁー

 おもいだしてごぉーらんー」

「おまえ……」

「ん?」

「歌ヘタクソだな……」


 シマが部屋に隅で体育座りを始めてしまったので、天馬は顎をさすりながら彼女の言葉の数々を思い出そうとする。

 そもそもヒントとはどういった種類のものなのだろうか。

 牌の位置についてのモノ……しかし具体的な発言はなかったはず。あるとすれば別の言葉の意味を解釈していくと、答えに辿り着くというものか……。とはいえ天馬は自他共に認めるなぞなぞが苦手な身。解けるわけがない、とうなだれてしまう。


『遊ぼうよ、これで。ギャンブルだ』


『アタリはついてるけどね、君が何を賭けるか』


『明日のことなんて誰にもわからないよ』


 なんらヒントになりそうなセリフはない……。

 あるいは、この休憩の前……?


『次、この席に座ったとき……わたしは大人しく、目を潰す。それでいい?』


 嫌なことを思い出してしまった。


『勝つか負けるか……そのスリルを楽しめなきゃ、柔軟な発想はできないし、機に気づけない』


 そんなこと言われても。


『勝負するってことは、揺らぎ続けることなのに』


 揺らぎまくってるよ、充分……。

 この四枚の中でどれを選ぶか……。

 この……四枚の……。


<盲牌ゲーム 残り5枚>

 ①?東中??一1?

 寄せた牌:?


 いや、違う。

 たったひとつ、最初から除外してる牌。

 自分はそれについて揺らいでいない。

 天馬はテーブルの縁に寄せてあった牌を引き寄せた。

 恐らく今、もっとも白である確率が低い牌。もし命が懸かった勝負なら、とても身を預けられるような牌ではない。

 しかしシマなら、自分を信じられる者なら、ためらわずに開けるであろう。

 自分にもできるのだろうか。

 シマのように、あるいは邪悪でこそあれ雨宮のように……

 自分を信じ、自分と死ぬような生き方が。

 憧れながらも、現実と妥協して捨ててきた生き方……。

 

 そうだ……

 俺だって……勝ちたい……

 負けたくない……

 勝って、変わりたい……

 そうだ、俺は変わりたかった……

 このままでいいと言われながらも……

 自分でも、そう思いながらも……

 本当は……

 俺の心は……



「おめでとう、ゲームクリア! スゴイよ馬場くん、まさか本当に合格するなんて」

「合格って?」


 天馬はまだ現実味がない様子で、ぼーっとしながら問い返した。


「君の勝負勘を試してたんだ。うんうん、やっぱりわたしが見込んだ通り、悪くない。まだ荒削りだけど、そんなにズレないし、これなら……」


 一人で興奮し部屋の中をそわそわと歩き回るシマの意図が天馬には理解できなかった。


「俺の勝負勘がなんだって……? このゲームって……えと、なんだっけ、占いなんじゃないの? 確かこれに俺が勝てば勝算がどうとか」


 シマに奇跡を見せたいと思って精を尽くした天馬だったが、彼女のあまりのハイテンションぶりについていけていない。


「え……? ああ、そんなこと言ってたっけ。

 ごめん、それ嘘」

「は……? じゃあ何のために……?」

「ふふ……その前に。

 勝者に賞品をあげなくっちゃね」


 言われて天馬は思い出した。自分はシマに勝ったのだと。

 単なる運否天賦だったとはいえ、ちょっと満足感を覚える。

 そして次に思うのは、当然シマの『大事なモノ』のコト。


「いや、いいって。いらない」

「そんなこと言わずに。ね、目……瞑って?」


 ぶっちゃけるとこの展開を予期していた天馬はニヤニヤしたくなるのを、必死に頬の裏を噛んでこらえる。

 瞼を伏せ、わくわくしながら『賞品』を待つ。



 唇になにかが触れた。

(意外と冷たいんだな……)

 天馬はそーっと目を開けてみた。

 自分の唇の先にあったのは……

 腕時計だった。


「ぺぁっ!!」


 慌てて口を離す。道理でひんやりしたわけだ。ガラスに体温などあろうはずもない。

 天馬の失態を見物していたシマがゲラゲラと笑っている。これにはさすがの天馬もキレた。


「おまえなあ……」

「わーごめんごめん! 暴力反対!」

「いや殴らないけど……ったく……」


 なんだかどっと疲れを感じた天馬は重いため息を吐いた。シマはまだくすくす笑っている。


「びっくりした?」

「当然」

「ハハ。じゃあお詫びに、ハイ」


 シマは天馬を弄んだ腕時計を、彼の左手に巻きつけた。しっかりとベルトを固定し、外れないかどうか確認する。


「これでよし」


 天馬は腕時計をかざして見た。男物の大きな時計だ。ずいぶん年季が入っているようで、ガラスにヒビが入っている。


「これがおまえの大事なモノなのか? ボロっちい時計じゃん。いらないものを押し付けたな」

「なにをー? わたしの……」


 そこで珍しくシマが言いよどんだ。


「そうだなあ、大事な友達からもらったモノ……ってことにしとこうかな」

「じゃあって何、じゃあって」

「ふふ……失くさないでね。それはお守りだから……」

「いや、ホントに大事なモノならいいぞ、無理しなくて。もらわなくたって困らないし」


 ベルトに手をかけようとした天馬の手をシマが押さえる。


「それじゃ、あんなに時間かけてゲームしてた意味がないじゃん。

 いいからいいから、気にしないでもらってよ。

 あ、もうそろそろ南場が始まる頃じゃない?」

「あ……」


 そうなのだ。

 これからシマは、その両目を……。


「顔色悪いよ、どうかしたの?」


 シマは不思議そうに天馬の顔を見上げてきた。


「そりゃそうだろ、だっておまえ……」

「もしかしてさ……




 わたしがホントに目を潰すと思ってる?」


「え……? だ、だってそう約束しちゃったじゃんか。反故になんてできねえだろ、カガミも聞いてたんだから」

「うん。反故にはできそうにないなあ。あの子、マジメそうだし」

「だったら……」


 シマは半月の笑みを浮かべた。あの独特の、勝負に向かう時の気迫が蘇った。


「心配しないで。ちゃあんと策は打ってある」

「策……? それを成功したら、おまえは目を潰さなくてもいいのかっ?」


 天馬は驚きと嬉しさでシマの肩を掴みガクガクと彼女の体を揺さぶる。


「ああああ揺ららららさなななないででででで」

「ああ、悪い。それで? どんな策なんだよ?」


 目を潰したように見せて、実は赤ペンキなどで偽装するのだろうか。それともシマの目は元から義眼なのか。最近の科学力ならありえないことではない。

 食い入るように回答を待ち望む天馬にシマはずいっと顔を近づけた。

 お互いの鼻が触れ合うほど近い距離で、シマはその策を打ち明けた。








「君が打つんだ」

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