第28話 雨宮秀一

 結論から言ってしまえば、天馬はハイテイ牌を盲牌(牌の表面をなぞり、種類を判別すること)していた。

 王牌を確認してひとまとめにし、

 三順目、ツモ間違えのフリをしてラス前の牌とラス牌をすり替えようとしたのはそのためである。


 最初から、すり替えるつもりなど毛頭なかった。

 あの優秀な雨宮がそんな小細工を易々と見逃すわけがない。

 案の定、あっさりと不審なすり替えを見破ってくれた。

 大切だったのは『ハイテイ牌をさわること』――そして『ハイテイ牌を見ないこと』。

 もしハイテイを天馬が目にしているのを確認したら、雨宮は振り込んでこない。

 しかし見ていない牌なら――

 天馬がネット麻雀しかしないことは雨宮も知っている。盲牌などできるはずがない。

 天馬はそこを、逆手に取った。

 この牌の群れを覚えているだろうか。


 シマと行われた盲牌ゲームで使用された10牌であり、すべてヤオチュウ牌。

 タンヤオに絶対に絡まない牌なのである。

 この牌がハイテイにあり、自分の手はタンヤオ傾向で、なおかつ待ちがラス牌。

 それがこの策の条件だった。ドラも絡ませねば意味なし。

 決して高い確率ではない。

 しかし天馬は成ると思った。

 そこには小難しい理屈も、閃くような勘もなかった。

 ただ自分を信じて、盲牌ゲームで使用したヤオチュウ牌を盲牌できるように直前の休憩を目一杯使って練習した。

 白は盲牌の必要がない代わりに雨宮がトリックに気づく可能性もあり、使えない。

 だからそれ以外の六牌に的を絞った。

 触り心地が似ている一萬と西、①ピンと1ソウ、中と東は念入りに区別できるように気をつける。

 いま思えば、天馬がこの策を思いつくことを見越して、シマはあの牌を持ってきていたのか……いや、それは考えすぎかもしれない。

 とにかく天馬はバカみたいに、ただ牌をなぞり続けたのだ。

 自分にできることを、できる範囲で。

 懸命に。


「誰がハイテイ牌を掴むかは運否天賦だったが……最高のところから出たなァ、雨宮よ」


 雨宮は別人のように頬がこけ、天馬が開いた西を見つめていた。

 その顔からは瑞々しさも力強さも失われ、死期を間近にした老人のようだ。

 彼からすれば悪夢のような状況だろう。

 誰がドラ3確定の手で役なしなど選ぶだろう。

 しかしだからこそ、彼は撃たれたのだ。

 狂気の単騎、渾身の一撃に……。


「ドラが二枚、配牌で巡ってきた時にやると決めた……。

 賽の目も五、ちょうど三順目にヤマが八木のところから雨宮のところに移る。

 ツモ間違いでハイテイ牌を確認するには絶好の出目だ」


 誰もが天馬の言葉に引きつけられていた。

 今まで誰からも相手にされなかった少年が、いまこの場の主役になって、三人を追い詰めている。

 それは夢のような光景だった。


「シマなら……」


 痛みをこらえるような表情で天馬は言う。


「ここに座っていたのがシマだったなら……雨宮、おまえは振らなかったろう。

 オレだから、おまえは振ったんだ。

 甘く見て、油断して、侮って。

 自分をライオンだと信じるために。

 残念だったな。

 ――おまえはただの、ハイエナだ」



「あ、そう」



 雨宮は両手で顔をぬぐうと、さっぱりした顔で牌を卓に流し込んだ。


「急ごうぜ。トロトロしてたら夜が明けちまう」

「せ、先輩……?」


 八木も倉田も平然とした雨宮の様子に戸惑って顔を見合わせている。

 二度もしっぺ返しを食らったのだ。当然へこたれると思っていたのだろう。


「おまえら、ヘナヘナするなよ。勝負はこれからだろ。

 南場を残して一万差。大したリードじゃない」


 雨宮の言っていることは正論だった。正論すぎた。

 負けたばかりの人間の言動ではない。

 これが彼の才能……。

 ピンチになった時、彼は動揺しない。恐怖も感じない。

 必要なのは冷静さ。

 ならば与えられるのだ。

 自然と体も心も万全になっていく。

 天馬が歯を食いしばり、恐怖を殺して辿り着いた境地に、雨宮はなんの労苦も覚悟もなく追いつける。

 常に神の癒しを受け続けている人間。

 それが雨宮だった。


 天馬…22400→25300→37600

 倉田…19100→16200

 雨宮…39900→27600

 八木…22600


***********


 東四局二本場は雨宮がリーピンをツモり、南入。

 南一局、雨宮の先制リーチに天馬が食ってかかり追っかけるも、流局。親ノーテンにより流れ。


 天馬…37600→36100→36600

 倉田…16200→15300→13800

 雨宮…27600→30900→31400

 八木…22600→21700→20200

(供託2)


<南二局 親:雨宮>


 お互い点差に開きはない。

 決定打を放った方が敗北する。

 そして先行したのは……


<六巡目 手牌>

 三四萬 ②③④筒 56789索 西西發

 ツモ:7ソウ


 天馬、テンパイ……!


(張ったはいいが役なしか……西はオレの風。これじゃピンフはつかない……。

 ……よし、いけっ!)


「リーチ!」


 すると河の發から指が離れぬうちに雨宮が牌を倒した。


「ポン……」


 雨宮はすでに中を鳴きさらしている。


(構うもんか。どうせ身を引いてたら死ぬんだ。

 やつが大三元だろうと字一色だろうと……オレが先に引きアガれば問題ねェ!)


 が、次に引いた牌は……


(へへ……)


 天馬の指の腹にのっぺらぼうが、そのきれいな顔を押し付けていた。


(アガれるもんなら、アガってみやがれ――!)


 タァン……!


 息を殺し、天馬は待った。

 が……スルー。雨宮は動かない。

 通った。


(雨宮……おまえの運もタネ切れみてェだな。

 このチャンスを逃がしてたまるか、一気に押し切ってやるっ……!)



 雨宮は伏せていた手牌を立ち上げた。


<雨宮 手牌>

 九九九萬 ①⑨筒 白白(發發發 対面ポン)(中中中 対面ポン)


 そう、実際は存在した。

 雨宮の手に、ゲームを破壊する爆弾が二枚しっかりと。


(鳴いて大三元を確定させちまったら、ツモった時に倉田が飛ぶ……。

 となればアガれるところが天馬しかいなくなる。

 いらねェんだ……そんな手役は)


 雨宮はツモヤマに手を伸ばした。


(俺はもう毛一本ほども油断しない。

 全力を尽くしてあの野郎を狩り殺す。

 そう、もっと昔にこうしておけばよかったんだ。

 気に入らなかった……ジジイがどうのとかじゃねェ。

 俺はこいつが気に入らなかったんだ……。

 心の底から……!)


 雨宮は栄えることが生きることだと思っている。

 他人を蹴落とし、高みを目指す。

 利用し、騙し、奪い、殺す。

 なぜか?

 死にたくないから。

 嫌われたくないから。

 愛されたいから。

 だから罪を犯す。

 みんなやっていること。

 みんな幸せになりたい。

 雨宮は幸せだった。

 それがないなんて考えられなかった。

 それを守るためならなんでもやった。

 なのに天馬はあの時……自分を糾弾しなかった。

 無駄だとわかっていても、言ったはずだ。

 自分を守りたいなら。

 守りたくないのか?

 おまえを動かしていたものはなんだ?

 それは……幸せになることより大切なことなのか?

 わからない……。


 俺にはおまえがわからない。


 ジジイは正しかった。俺はこいつと闘わねばならぬ運命だったのだ。

 俺の中の秩序を……生きる理由を証明するために。

 そして幸せになるために。

 こいつを……倒す。

 屍を積み上げ、伸ばして、辿り着くんだ。

 人生のゴールへ。

 必ず。


 九九九萬 ①⑨筒 白白(發發發 対面ポン)(中中中 対面ポン)

 ツモ:①ピン


 ツモった①ピンを手に入れ、⑨ピンを打ち出した。

 テンパイ、①ピンと白のシャボ待ち。


(頼む、来てくれ。

 もう一度、俺に微笑んでくれ。

 勝利よ――!)


 人生でこれほど強く清く願ったことはなかった。

 もしかしたら、この時が初めてだったのかもしれない。

 本当の意味で誰かと勝負したのは。

 恵まれすぎた者と、奪われ続けた者。

 鏡合わせの二人の勝負が……


「ロン」


 決した。


 天馬の河の最後を①ピンが飾っていた――。


「發中ホンロウトイトイ小三元。

 倍満……24000点」


 天馬…36600→11600

 倉田…13800

 雨宮…31400→58400

 八木…20200




 神は、天馬に微笑まなかった。

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