第1話 舞い降りた少女③

 これが、俺の人生だった。

 俺が話し終えると、沈黙が流れた。

 シマは話の間、身動きもせずにタバコを吸っていた。そのあどけない容姿でハイライトを取り出した時はちょっとひるんだが、吸っているその姿は不思議と似合っていた。その薄い唇から煙と言葉が転がり出てくる。


「そうか、それで自殺して終わりにしようとしたんだ、妹さんのために。仲いいの?」

「いや……最近は話もしない」


 ナギサは社会の枠組みにうまく溶け込めない兄を嫌悪しているのだ。あいつからすれば、自分の平穏な生活を妨げる邪魔者だろう。


「ね、逃げちゃえば?」


 俺は驚いてシマを見た。悪びれもせず、それどころか微笑んですらいる。俺の話を冗談だと思ったのだろうか?


「それは考えたけど……できない」

「どうしてかな。べつに仲悪いなら、家族でもどうでもいいって思わない?」

「あんただったら、そうするのか」

「いいや」


 なんだそりゃ、と思ったが不思議と怒りは湧いてこない。なんとなくわかった。こいつはからかっているのではなく、本当にそう思って喋っている気がする。……ただの勘だが。


「なにか飲む?」


 シマが台所から声をかけてきたが、断った。とてもなにか口にする気分じゃない。時計を見ると10時半。あと半日足らずで勝負の場に赴かねばならない。

 くそ……あのまま死んでいれば……すべて丸く収まっていたのに……。

 俺を生き永らえさせてくれた張本人は、再びハイライトを短くする作業に従事している。

 なんで助けたんだ。

 そう言おうと口を開いた瞬間、


「なんで助けたんだ」


 シマがセリフを奪い、俺は言葉に詰まった。だがすぐに頭に血が昇った。


「そうだよ、なんで助けたんだ? 話聞いたろ? 俺が死んでりゃよかったんだ……なのに部外者のアンタが余計なことするから……もしかしたら……最悪なことになっちまうかもしんねぇ……!!!

 俺はな、どうしようもねえんだ。なにやってもダメ。運動もできねえ、勉強はできても頭はキレない、人望はなし、絵は棒人間、音程なんざわからねえ、性格もひねてて修正不能。誰がこんな人間見て喜ぶんだ!?

 俺はなぁ……生きてく才能がねえんだ!!!

 死んじまえばいいんだよ!!!!!!!」


 声を枯らさんばかりに怒鳴った後、後悔した。こんな言葉こそ他人にぶつけるものではない。無駄なことをした……。そう思い、もう出て行こうと思った時、


「死にたい?」


 とぼそっとシマが呟いた。


「なんだよ。責めるのか? 命は大切だの、生きてればいいことあるだの、そういう言葉はうんざりなんだよ。誰も俺の苦しみをわかることなんてできねえのに……」


 俺は俯いた。顔を上げるのが恐ろしい。きっとシマは怒っているだろう。軽蔑しているだろう。いままで俺と出会った人たちのように……。


 ……。


 ふ。


 ふふ……。


 シマは笑っていた。嘲りも怒りもなく、ただ楽しげに笑っていた。


「死にたいか……じゃあ」


 シマはタバコを消した。


「殺してあげる」

「は、やってみろよ」


 よく知りもしない他人を殺すメリットがどこにある。無駄な問答だ……。

 だから俺は、シマが机から拳銃を出した時も動じたりはしなかった。いや、実はちょっとドキっとした。しかし本物の拳銃がただの女子大生の机に入っているわけがない。







 なにかが破裂した。

 ベッド脇の目覚まし時計が、四回転半ジャンプを華麗にこなして地面に墜落死した。


 …………。

 え?


 俺は呆然とするほかない。

 シマはこちらに背を向け、シリンダーを回転させると、ポケットからハンカチを取り出してかぶせた。


「こうしないと、弾丸が見えちゃうからね」


 シマはまるで「こうしないとおいしくならないから」と目玉焼きを焼いているフライパンにフタをするかのように自然に喋っている。その顔は狂っているとは思えない。むしろ安楽死する老人のように穏やかだった。


「なに……する気だよ」

「知りたい?」


 シマの瞳が無感動に見下ろしてくる。


「生存率6分の1……」


 そのかわいらしい唇が歪み、獣のような笑みを作り出す。


「ロシアン・ルーレット」

「…………冗談だろ」

「わたし嘘つくの苦手なんだ。わかりやすいでしょ?」

「こんなことしたって、おまえにメリットなんかねえぞ」

「死にたい馬場くんにはメリットだらけなんじゃない? いいよいいよ、そんなに気にしないで……」


 シマが近づいてくる。俺はベッドの縁に後ずさりした。

 俺の挙動がおかしかったのか、シマは笑い出した。


「そんなオバケ見るような顔しないでよ。傷つくなあ」

「……それ、本物か?」


 俺は顎で拳銃を指し示した。


「うん。友達にもらったんだ」

「どんな友達だよ……」

「ふふ。でも残念だな……君はわたしの友達にはなれないかもしれないんだよね。でもいいよね? いらない命だもん」


 シマがベッドの上に侵略してきた。俺の目は拳銃に釘付けになったまま、動かせない。うしろに下がりたくても、すでに最低防衛ライン『壁』まで下がってしまった。

 シマの細い手首が、俺の首に回る。小柄な体が、俺の身体に密着する。拳銃が、俺の額に押し付けられる。

 ま、待ってくれ。

 あれ?

 声、出てなくないか?


「どうして人は死にたいなんて言うのか、わたしはずっと考えてきた。けど、わかってしまえばなんてことはなかった」


 おい、なんでだよ、なんで声が……。


「つまりそれは今、自分が置かれてる状況、境遇、そういったものに絶望しているから。ああいやでいやで仕方ない、このまま生きていくくらいなら死んだ方が……」


 こいつ……。


「人間て不思議だよね。野性の生き物は危機と相対したとき闘うか逃げるか、少なくとも生きようとするのに人は時に生そのものを止めてしまおうとする。肥大した脳の下した結論なのか、あるいは……」


 本気だ。

 シマの人差し指が絞られる。


「嘘なのか」





「やめ、てくれぇ……」


 目から涙があふれてくる。


「……死にたく、ない……いやだ……いやだ……」


 シマは拳銃を下ろした。


「いいんだよ、それで。どんなに潔く振る舞っていても、いざその時が来れば恐れおののくのが人間。それが生き物として正しいあり方……それを恥ずかしく思う必要はない。

 みんな、ホントは死にたいんじゃない……変えたいんだ。どうにもならないと思い込んでる色んなこと……せめて変えようとしたいんだ」


 そうだ、なんとかできるものならそうしたい。そんなのみんな思ってる。


「でも……できねぇよ……俺……」

「一人で生きようとしてるからだよ」

「だってさ……人間はみんな一人ぼっちじゃねえか……」

「目ぇ見えてる?」

「え?」

「目の前にいるじゃん。人間」

「だからそういう意味じゃなくて」

「そういう意味なんだよ。君が着てる服は君が作ったの? 君が食べてるお米は君が耕したの?」

「そんな説教されたって……」

「説教? これは事実だよ。人は一人では生きられない。言い方が気に入らないのかな。つまりさ……」


 シマの笑みが深くなる。言い知れぬ不安と期待に背筋がぞくぞくした。


「味方にならないなら、利用してやればいい。骨の髄まで……」

「どうやって……」


「教えてあげるよ。

 君に、勝利の味を」


 俺は涙をぬぐった。

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