第16話 エピローグ

 通学に丁度いい近道がある。裏手の山を抜ける道。


 細く舗装もない凸凹道は上り加減に竹林を通り抜け、途中で分かれる登山道を入るなら、ちょっとしたハイキング気分も味わえるのだけれど。

 そうでなければ山裾をぐるりと回って町へと下るわけで、つまり近隣住民の抜け道になっている。


 だけど疎らになった竹林が少しだけ途切れるあたり。

 山際に存在する鳥居を潜る人間はどれだけいるのだろう。

 神社と言うには申し訳ないほどの、小さな社。


 連なる鳥居が見えるので、ここはきっと稲荷社だ。宇加之御魂うかのみたま神という食べ物の神様を祀っている神社。本当は稲荷神っていう神様なんだって、どこかで聞いて知っているんだけれども。


 この社を見上げる度に奇妙な気持ちにとらわれる。

 暖かいような、懐かしいような不思議な感覚。


 でもきっと、おんぼろの鳥居の先は異界になっている。竹林と雑木に挟まれた参道は現世とあの世を別ける道だ。踏み入ればたちまち何かに呑まれてしまう。

 人が入ってはいけない場所や、知らなくていい事柄が世の中にはいくつかあって、この鳥居もそんな場所の一つなんだって心の奥底が訴えるんだ。


 もしも鳥居を潜ったのなら、きっと何かが起こる。それは良いことかもしれないけれど、後悔してもしたりないほどの不幸かもしれない。だからこの先のことは何もわからないのだけれど。


 私にわかることもある。鳥居の先なんて知らなくたって、私は平気だってこと。

 心の奥底で訴えている感覚が、同時に守ってくれているのを感じるからだ。

 お前は大丈夫だからって。俺が居るから大丈夫だって。


 これって一体誰だろね。まさかこの先の神様なのかしら。どうせ稲荷社なんだから、狐の神様だったら良いのにね。尻尾がフサフサした黄金色の狐さん。もしそうならば、きっとかわいい神様だよ――。


 一陣の風が竹林を渡り、私は夢想から呼び戻された。

 いけない、学校に遅刻したら、また庄司くんにどやされるよ。




 ◇◆◇◇




「なあ呉羽様。記憶を弄る必要まであったのか」

「あら、宇佐子さんは良い子だものね。残念だったかしら?」


「そうじゃあねえが。宇佐子だっていつまでも俺に係わるよりは、人と生きた方が幸せに決まっている。ただ、なんて言うか…」


「気持ちはわからなくもないけれど。今回のような事はもうないでしょうから、忘れた方が良いのよ」


「かもな。でも本当に記憶を消しただけか?」


「心外ね。あの子は私に全てを差し出した。ならば魂まで貰っても文句はないはずだけれど。――安心なさい、一番大切なものを頂いただけよ。まだあの子を死なすわけにはいかなかったもの」


「やひこ婆の命令があったのか」


「断っておくけれども、彼女が何を負っているのか私にだってわからないわよ? ただ、あのままだとあの子の命はそう長くなかったんじゃないかしら」


「穏やかじゃねえぞ。呉羽様、それはどういう」


「あの子には腫瘍があった。急に能力が漏れ出したのはそれが原因ね。やひこ婆は気付いていた様子だけど、あそこまで危険だとわかっていれば里でどうにでもしていたでしょうね。それを弄るのに代償を少しね」


「じゃあそのためだけに、呉羽様は宇佐子の体に?」


「まさか。私は神社に祀られている鬼ではないけれど、未だ多くの人間に手を合せられている存在。それでも蛇神を打ち倒すには彼女の力が必要だった。それ以前に私だって、彼女のことが好きなのだけど」


「呉羽様からそんな言葉が出るとは驚きだ。にしてもアイツを倒せた理由、俺にはどうもわからねえよ」


「単純よ。私は力を少し借りて、天敵の存在を蛇の意識にすり込んだだけ。後は彼女自身の祈りの力、魂振りの力のお陰よ。それ以上聞くのは野暮ね」


「スーさんかよ。とにかく俺は宇佐子に救われたわけだ。宇佐子が信じてくれたから、俺にも力が宿ったってことだろう?」


「うふふ。でも私たちの出番はここまで。あとは宇佐子さん自身が、彼女の両足で道を切り開くのよ」



 そうか。いくら腫瘍が治っても性格までは直らねえ。だから心配は尽きないが。

 人には人の道がある。もし必要なら今度は俺が、例え覚えていなくても。


 もう見えない宇佐子の背中に、俺は心から幸せを願った。



(完)



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