第7話 天辰の刃

「やっぱりお前も気づいてたか。庄司だったか、頭はともかく感覚は捨てたもんじゃねーな」


 ライチくんはニヤリと笑って振り向いた。と同時に短刀を逆手に持っていた。なんだろう、きっとこういうシーンもあるだろうと鏡の前で練習していたんだろうな、男の子だし。

 蠢く木陰を凝視する。すると鬱蒼とした木々の隙間に、黒い靄が立ち上った。次第に濃くなった靄は、やはりブーンブーンと羽音を立てて。


「またこれ?」

「いや、注意しろ。違うぞ!」


 ライチくんが警告を発した途端。

 ブーンブーンはブブブブと短い音になり、ブブ、ブブという音を残して固まった。何万もの羽虫が一所に固まり、闇に姿を与えたのだ。気持ちわるっ!


 塊となった闇は二本の足で、木陰を割って歩み出てきた。木漏れ日に現れた姿はまさに化け物。ヤクザの親分、スーさんを一回りも二回りも大きくしたような巨体で、動く度にズシリとした音を立てる。

 突き出たような広い肩に、不格好にも長い手や潰れた頭のようなモノまでついていた。それでもハエだかアブだかの塊だ。黒々とした肌は虫が溶けてくっついて、でも溶けきらない無数の羽と足と複眼が表面に蠢いているという、正視に耐えられないものだ。


「…随分と力をつけたみたいだが?」


 そんな気持ち悪いものを見て、庄司くんは感想を述べた。木の上から。


「よっぽど宇佐子が気に入っちまったんだろう。付き合ってみるか?」

「こんなの全力でお断りよ!」


 遠慮した途端だった。黒いヤツの腕が動く。

 大きな手を木にかけると、そのまま幹をへし折ってしまう。バリバリと音を立てた幹はそれほど太くなかったとしても、ものすごい力だ。

 器用に両手で持ち上げたかと思うと振りかぶって…。中身が飛び出た大福のような頭には目も鼻も口も確認できないのに、瞬間、目が合ったような気がした。


「危ねえ!」


 ライチくんが私を押し倒す。でもわかってる、自重しろ私。木は僅かに弧を描いて、背後に大きな音が爆ぜた。


「はあっ!」


 宙を飛んだ庄司くんが、空中でくるりと回って相手の頭を足で捕らえた。それでも黒いヤツはびくともしない。


「こいつ随分と柔らかい。柔らかくて体術が効かぬ!」


 ってことは、庄司くんの足があれにめり込んだってことかな。ぐちゃっとか、ぬちゃって音が聞こえたし。あの足で二度と近づいて欲しくない。


 対して怪物は出鱈目な力で木を引っこ抜き、振り回す。庄司くんが距離を取ると、そのまま大木を投げつけた。パワーはあるけれどスピードは無く、コントロールも悪い様子。

 忍者のごとくすばしっこい庄司くんは難なく躱すが、危ねえ。あんなのに当たったら死んじゃうことは確実で。


「ライチくん!」

「ああ」


 ライチくんが頷くと、黄金色に輝きだした。

 すると相手は静止する。急に興奮を手放したかのようだった。荒く息をするかの如く肩を上下させているも、暴れる気配はない。狐の幻覚に嵌ったのだろう。


「ほう、これが君の術か」


 感嘆の声を上げつつ、私たちの脇に降り立つ庄司くん。思わず身を引いちゃったけど、大丈夫。気づかれてはいないはず。


「ねえライチくん、流石にアレはお腹壊すと思う」

「食わねえ。…こいつを試してみるか」


 食べる代りに短刀を掲げた。それを見た庄司くんは目を細めている。

 懐から説明書を出して、ライチくんは悠長に読み始めた。


「なになに。波動を切り裂くやいばは天、地方五行を統べる相。鬼の鍛えし我が名は天辰てんじん、円をもこくする破邪の相。円天地方の法理を越えて、切れぬモノ無し天辰の刃。鉄樹てつじゅの花が今、開く!」


 訳わかんないことをほざいたと思ったら、刀がライチくん色に染まる。

 黄金の光りを発し始めたのだ。


「虚空に帰れっ、抗魔切斬!」


 ズサアッ。一飛びに懐に詰め寄り、弧を描いた剣閃が不浄な肉塊を切断する。


「やったかっ!?」


 巨体に走った黄金の閃光に庄司くんの快哉。しかし残心するライチくんの背後にグチャリと落ちたのは、ヤツの太い腕のみだった。本体の方は一部を失ったにも係わらず、何ら痛痒を感じていない様子で。


「切れ味はいいが、どうも手数が必要らしい。手を貸そう」

「頼む!」


 大地を蹴って高く跳ね上がったライチくんの軌道に沿って、眩い剣線が一本、巨体の正中に引かれる。タイミングを同にして庄司くんが腕を振り上げた。

 足下から轟音を立てて、火柱。ライチくんが裂いた傷に合わせて中から焼こうというのだろう。

 その攻撃にはさしもの巨体もダメージを負った様子だ。黒い異形が咆哮を上げると、表面の羽と足が必死に蠢く。


「でやあっ!」


 そのまま巨体を飛び越えて背後に回ったライチくんは、中空で横薙ぎに刃を振るった。相手の頭部が宙を舞う。


 虫が固まって作られた頭部が意味のある器官だとは思えないけれど。首を取られた巨体はボロボロと虫をまき散らしながら、その場にドシリと膝を着く。すかさず火薬が火を吹くと、業火に身を包んだ化け物は崩れ落ちた。


「やった。友情の勝利だね!」


 ライチくんがまた私を守ってくれたのだ。ついでに庄司くんも。

 感極まった私は、ふわりと着地した小さな男の子に抱きついた。


「ってあぶねえ。まだ刃物持ってんだぞ!」


 え〜、ヒロインに対してそういう怒り方ないと思う。


「ところでその短刀。業物のようだが…」


 私の気持ちなんか全く無視して、庄司くんはライチくんの手元を見ている。ライチくん共々、もう発光は収まっていた。


「凄かったよね。ペカーって光って」

「いや、そうでもねえ。確かに切れ味は良いんだが…」


 首を傾げるライチくん。どういうこと?

 手の中の刃物を矯めつ眇めつしながら、ライチくんが何かを言いかけた時だった。


 全身にゾクリとした悪寒が走る。血の気が一気に失せる感覚。


 本当に一瞬のことだった。庄司くんは飛びすさり、血相を変えたライチくんが胸の中へ。しかし私の意識は遠くなって…。

 上映前の映画館でスッと明りが落ちるような、そんな暗さが頭の中に下りてきた。


「おい宇佐子、気をしっかり持て、宇佐子…!」


 目の前にいるはずの、ライチくんの声は遠く。

 意識は急速に光を失い、完全な闇に落ちようとした間際。


「大丈夫か嬢ちゃん!」


 私の頭は、大きな手に鷲掴みにされた。




 ◇◆◇◇




 ぐわしと鷲掴みされた可憐な私。そんな熊みたいな手で乱暴になんてされたら、華奢な首なんてすぐにでももげて… って、もどったあ!


「宇佐子!」「平気か嬢ちゃん」

「ふえ?」


 何やら大きな手でぐらんぐらんさせられている気がするけれど、もう大丈夫だから、意識はあるから。


「間に合ったか。危ないところだった」


 ようやく私から離れた手を見れば、その先に大きくて怖いヤクザ顔。スーさんだ。


「スーさん、今のは!?」

「あいつはな…」


 鋭く問うたライチくんの声に答えつつ、スーさんは厳しい目を周囲に走らせている。私はストンとその場に尻餅をついてしまい、何が起こっているのやらまったくわかっていなかった。


「………!」


 まただ、また悪寒がくる。嫌な予感が押し寄せる。

 その感覚に、私は右手を振り向いた。


 ――ズササササ……


 実際には音などしなかったかもしれない。それでも何かの気配が風のようなスピードで、右手の森を掻き分けて迫ってくるのがわかったのだ。


「ひっ…」「そこじゃあ!」


 右手に向けて。私が恐怖に目を逸らしたその方向に向けて、スーさんが太い腕をつき出した。


 ――ぴぎゃあああああぁぁぁぁァァァ……。


 轟く悲鳴……。悲鳴だと思う。

 断末魔のような何かの感覚を残して、嫌な気配は散っていった。


「…気配が消えた? 殺ったのかスーさん」

「ああ。もう大丈夫だぞ嬢ちゃん」


 差し出された大きな手。思わずそれを握ってしまい、何が何やらわからないまま、私はスーさんに立たせて貰う。口を尖らせているライチくん。


「スーさん、あれは一体?」

「ありゃあな、出来損ないの鬼だ」


「あれが鬼…?」

「ああ。お前さんにゃあ、出来損ないの神と言った方がわかりやすいか」


「…そういうことか」

「ねえ、どういうことなの?」


 ライチくんは納得しているようだが、もちろん私にはわからない。


「あの社。宇佐子が拝んでいる神社だが、そこにいる神様の親類らしい」

「え、やだ。あの神社にもそんなのがいるわけ?」


「もっとタチは悪いけど、あんな感じのがいるんだよ。だから…」


「ライチくん」

「何だ」


「守ってくれてありがとう」

「…急に素直になるな、バカ」


 あれ。もしかしてデレた? かわいい。


「妄想は時と場合を選べ。とにかく助かったよスーさん、俺だけだと危ないところだった。ところでこの短刀だけど…」


「効果なかったみたいね?」

 ひっ! いきなり背後からこの声は心臓に悪い。


呉羽くれは様も来てくれたのか… って、その人間は敵じゃないけど」

「あら。そうだったかしら」


 見れば庄司くんが引きずられていた。美女に首根っこを捕まれてずるずると。完全に気を失っているご様子だ。見た目に反して随分すばしっこい感じがしていたけど、難なく捕まえるあたり、やはりこの女コエー。


 先ほどとは違い、今は黒地に赤い紅葉をあしらった小袖の着物を着ていた。髪も簪で纏められ、妖艶さに磨きがかかっているよ。美女はお洒落にも余念がないらしいけれど、やっぱり極道なのかなと思ってしまったのは内緒。


「特に変化ないからおかしいと思ったけど、呪文が効かなかったのか…」

 ライチくんが悲しそう。


「よくわかんないけど、光ってカッコよかったよ?」

「あの光は狐のオーラみたいなもので、本来の効果じゃないの。そうよね?」


 あっさりと言いながら、庄司くんをポイ捨てする呉羽様。

 本来の効果ってなんだ? それに答えたのはスーさんだ。


「ああ。本当は実体だけじゃなく、霊体を切る力が宿るはずだった」

「適当にしつらえた呪文じゃ効果ないんじゃないかしら」

「ふむ。あれで良いと思ったんだが…」


 スーさんは目を閉じて唸っているけど、ちょっとまて。呪文って、ライチくんが唱えたヤツだよね。波動を切り裂くなんとかって。


「あの呪文を作ったのって、ひょっとしてスーさんですか?」

「おお、カッコいいじゃろう。会心の出来だと思ったんだが、不発だったわ」


 カッコいいかどうかはともかく。


「ライチくん、ちょっと教えて欲しいんだけど。呪文って世界の真理に問いかけるとか、精霊の力を借りるとか、そういうもっともらしい理屈があるんじゃないの?」

「いやあ、その辺りは俺にもさっぱり。さすがに切れ味は良かったんだが」


「儂が考えたと言っておろう、もっともらしい理屈などあるか。…地方五行のくだりを変えてみるか」

「鉄樹の花っていうのも私、わかり難いと思うのだけど。そもそも文言が短かすぎるからダメなのよ」

「そうは言うが、戦いの最中にクドクドと長ったらしく唱えるわけにもいかんじゃろう」


 何やらぶつぶつ言っている大男と美女。

 落ち着け私。落ち着こう私。…よし落ち着いた。


「先生質問。もしかして、効果の検証とかされておられない感じですか?」

「ああ、もちろん試したことはないが。…なぜ嬢ちゃんは怒っているのだ?」


 ふざけんなよ大男。出来るフリしてできない男って、マジ最低だかんな。


「宇佐子さんが怒るのは当然よ。男の人ってこれだから嫌よね?」


 いや、女心がわからないからとかそんな理由でもないんですけど。

 何だか私、この先がとても心配になってきちゃったんですけど。



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