第6話 やひこ婆
しゅる、しゅる、しゅる。
人里離れたあばら屋で、夜な夜な包丁を研ぐ鬼婆。安達ケ原、黒塚。
…この扉は開けてはならぬ。決して見てはならぬのだぁ。
そんなおどろおどろしいイメージに震えていた私は、拍子抜けすることになる。
村の中心と思しき合掌造りの一室で、カタギではない大男と美女とに挟まれて。引き合わされたお婆ちゃんは豆みたいな老婆だった。
粗末な座布団にちょこんと座った、シワシワの豆だ。かわいい。
小さな体躯が豆の置物感を出していて、布団に鎮座している感じ。かわいい。
「…おい」
ライチくんに促された私は、ハッとして畳に手をついた。礼儀なんて知らないけれど、深く深く頭を下げる。
「お久しぶりです、やひこ婆。今日はこの娘のことで、お話を伺いたく参上しました」
なんと、ライチくんが丁重な言葉遣いをしているではないか。すると相手は思った以上に大物らしい。
体はライチくん程に小さいし、肉なんてカケラも食べないような今にも干からびそうな豆だけれど、やっぱり鬼婆なのだろうか。気づけば舞台が似通っているだけにヒナミザワ的な。ところが。
「息災で何よりじゃ。そちらのお嬢さんも顔をお上げ」
しわしわだけど、優しげな声に促される。見れば深い皺の一本一本までが微笑んでいるかのよう。小さな目もほとんど皺の中だよ。
「この娘は宇佐子と言います。ほれ、宇佐子も名乗れ」
「辛島宇佐子と申します。本日はお日柄もよく…?」
失敗した気がする。でも雰囲気だけで馴れない挨拶なんてしたら、こうなるじゃない。頭を抱えたライチくんとは対照的に、豆婆… じゃなかったやひこ婆は、コロコロと笑った。
「礼節は大事でも、畏まる必要なんてないんじゃよ。ライチも宇佐子さんも、普段通りで結構じゃ。儂はやひこ婆と呼ばれるもの。本名ではなくとも、それ以外で呼ぶ者などいやしまい。そう呼んで下され」
なんだ、見た目通りの優しいお婆ちゃんじゃないの。ビビって本当に損した気分。
鬼こもれりと言ったのは誰よ?
「ところで、宇佐子さんのご出身はどちらかな?」
初対面で出身を聞かれるなんて、初めてのことだ。そこ重要なところなのかな。
「えと、新潟です」
「ご両親の出身も?」
「…ううん、九州の方です」
「では本当に。なるほど、なるほど」
何を納得しているのかわからないけど、知っているのかな。私の両親を?
「やひこ婆。宇佐子の家に何か問題でも?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。宇佐子さん、あなたにとっては本当にどうでもいいことじゃ。今どき家名なんて関係ありませんからの。それも大昔の話じゃから、それこそ全国津々浦々、同じ血を引く人間はごまんとおるじゃろう。それでも時として、眠った血の一滴が悪さをする、そういう事が起りえる」
「お婆ちゃんは、私の両親を知っているんですか?」
「いいや。何世代遡ったところで儂は知らん。でもほんの少しだけ、僅かな血の一滴だけ、儂の推測を補強する家名を持っていたと、それだけのことですじゃ」
「じゃあ、宇佐子から出るこの感じは。このヤバさの原因は」
「宇佐子さんは、
かんなぎ? かんなぎって何だっけ。回復系の人だっけ。
「巫とは一口でいうと、神に仕える人物。
「ふげきは知らないけど、巫女は神社でコスプレする人でしょ。私バイトなんてしたことないよ?」
「神社に仕える職業巫女だけではないのじゃよ。一口に巫と言っても、零落した神に仕えて市井に紛れた者もおる。歩き巫女は主に口寄せを行うが、特定の神を持たない者もおる。社を持たない巫女にとって重要なのは、何よりも才能じゃ。宇佐子さんは特に神霊と相性が良い性質をもっておる。いわゆる神降ろしじゃろう」
「思ってたよりよっぽどヤベーじゃねーか。こいつは多分、自覚ないぞ」
「そうだよ、自覚ないぞ。ところで何がやばいの?」
「いろんなもんから取り憑かれ放題で大人気ってこった。モテモテなんだよお前は」
「…何か初めて、モテてもあまり嬉しくない気がしてきたんだけど?」
「それで正しいよ。つまり宇佐子、お前から出る純粋みたいな感覚は、誰でもウェルカムオーラだったってことだ」
えー。確かに彼氏は欲しいけれどさ、流石に相手は選びたいのだけれど。
軽薄な関係はぜったいイヤだし。
「そうだろう、そうしろよ。でも待て、今まで宇佐子は危ない目にあったことないんじゃなかったか」
そうなんだよね。私はこの上ない無能だから回復呪文なんて使えない。生返りの呪文とか使えたらどれだけ良かったことだろう。だからいまいちピンと来ないんだけれど、急に隠された血が目覚めちゃう展開とか、そういう系の話かな。
聞けば豆婆ちゃんがふうむ、と唸る。
「原因の推測はできるが、それこそ知っても栓なき事じゃ。それよりライチはこのお嬢さんが心配なんであろう。これからどうするか。それを考えるべきじゃろう」
「ああ、そうだな…。まてよ、ここなら安全なんじゃ?」
「それは許可できんな」
見れば今まで存在感だけだった親分が口を開いた。スーさんだっけ。
「そうね。このお嬢さんは里に災いを引き起こすかもしれない」
「どうして…」
えー。極道のお姉さんからもトラブルメーカー認定されてるよ。
一方ライチくんは納得いっていない様子だった。もっと言ってあげて、私トラブルメーカーなんかじゃないって。
「儂たちは無益な争いを回避するために隠れている。お前の眷族の力を借りてな」
「ああ、知っている。だからここが一番安全かと」
「それが違うのよ。この子はね、とてもおいしそうなの。忘れた感情が騒ぐほど」
「まじか…」
まって。さらっと言ってくれたけど、やっぱり私はお食事なのね?
それもワンコにあげる骨くらいにはむしゃぶりつきたいご馳走なのね?
「ら、ライチくん…」
「怖がらなくていいわよ、ここには私とスーさんがいるんだから。他の人たちだってきっと大丈夫。大丈夫なはずよ」
「うむ。大丈夫だったらいいな、と思っとる」
「どんどん自信なくなってんじゃないのよ!」
「この里にいる連中は、みんな心穏やかに過ごしたいと、そう願って止まない連中だ。それは儂が保証する。しかしいざこの娘を目の前にして、揺らぐ者すら絶対にいないと、そう保証する自信はない。わかるか、この娘はそれだけ魅力的なんだ」
「私、そんなに魅力的…」
「わかっているだろうから突っ込まねえぞ。やひこ婆ちゃんの見立ても同じか?」
「そうじゃな。血の一滴がもたらした悪戯が、何の因果を引いたか知らぬが。永い時を生きる我らも一生に一度、出会えるか出会えないか。宇佐子さんにはそう思わせるだけの力がある。そしてな」
豆婆ちゃんは言葉を切った。ごくり。イヤな予感しかしないんですが。
「これは勘じゃが、宇佐子さんは大切な天命すら持っている。そう感じるんじゃよ」
◇◆◇◇
天命。天の命令。それとも店名かな、宇佐子亭とか。うどん食べたいな。
「おい宇佐子。現実逃避してても意味ねえぞ」
「でもさー、こういうお話って、大抵意味ありげな言葉なげかけてくるけどさ。実態を教えてくれないと困るだけじゃない?」
「引きとかいろいろ都合があるんだろ。それよかどーだ。この刀」
隠れ里からの帰り道。獣道を掻き分けながら、ライチくんは豆婆ちゃんからもらった短刀を自慢気に見せびらかしていた。さすが男の子、かわいい。
ライチくんが持つと大きく見えるし、銃刀法違反とかで捕まる前に隠しといた方がいいとは思うんだけどさ、どうせ女はわかってねーとか言うだろうし。すごいすごいと感心して見せた方が険が立たないってもんですよ。
私もペンダントもらったし。アミュレットって言うのかな、青みがかった安っぽい石で、あんまり可愛くないけれど。
豆婆ちゃんの隠れ里は農業やっているだけじゃなくて、実は鍛冶のエキスパート集団だとかなんとか。なんで隠れて包丁研いでいるのか、私にはぜんぜん意味がわかんないですけどね。
「でもどうして説明書がついてるの?」
「それが俺にもわかんねえんだけど。使う時には呪文を唱えろってスーさんが」
「どれどれ」
休息がてら、脇に転がる大きな石に腰を落として巻物をはらりとめくる。
「
頭痛くなってきた。あれだ、中二病的なやつだ。ライチくんには似合ってるかもしれないけどさ、こういうのって唱えてるうちにやられちゃったりしないのかな。
「宇佐子のペンダントにもあったろ」
「そだね。なになに、鎮魂の勾玉説明書:ピンチの時には以下の呪文をとなえること。一、愛は心に。勇気は胸に。溢れる想いを手の中に…」
なめてんのか、あのばばあ。変身でもしろってのか。
「宇佐子にぴったりじゃねーか」
中二病のライチくんは上機嫌だ。私そこまで頭わいてないんですけど…。
でもさ、隠れ里でレアアイテムげっとって、なんかRPGっぽくて楽しいよね。
実はこれらのアイテムは、せめて身を守れるようにと渡されたものだった。ライチくんも喜んでいるし、変身シーンさえカットしてくれればいっか。
「ところでさ、あの怖いお姉さんはだれ?」
私はお姉さんの存在がとても気になっていた。スーさんも顔が怖いが、お姉さんは笑顔が怖い。極道コンビは夫婦って関係でもなさそうだったけれど。
「
「へえ。二人して豆婆ちゃんを守っているとか、そんな感じなんだ」
「豆じゃねえ。やひこ婆だ」
「それよ、だいたいおかしいじゃない。狐の里じゃなければ妖怪の住処とか、どうせそんなんなんでしょ。なんで現代にそんなものがあるのよ」
「妖怪なんぞいねえって言ったろ。いいか、妖怪ってのは近年成立した言葉だ。偉大な漫画家が生み出した、有象無象をひっくるめた広義の概念なんだよ。元ネタになっている画図百鬼夜行ではバケモノとか、怪異という。あれも半分は創作で、冗談みたいなもんだが…。とにかくほぼ作り物かまがい物であって、それっぽい何かがいたのなら、必ず正体は他にある」
「ふんふん。じゃあ豆婆さんは何者なわけ」
「やひこ婆は鬼だ」
「妖怪じゃないのよ。やっぱり食べられるところだったんじゃないのよ!」
「鬼は鬼だ、妖怪じゃねえ。そういう誤解から身を守るために隠れてんだよ。察しろよ」
「…ほう、鬼の隠れ里だと?」
「コッソリ聞いてんじゃねーよ、ストーカー!」
降った声に見上げれば庄司くんがいた。何で木の上に登ってんですかね。
てか、どうしてこんな人気のない山の中にいるのよ。
「そんなものがこの御山にあったとは。さてどうしたものか」
「いいか忍者。里に手を出そうなんて考えたらお前の命はねえぞ。その前に俺が容赦しねえ」
「一つ誤解を解いておこう。僕は忍者じゃない」
「ただのストーカーが火遁の術とか、よっぽどいかれたキャラ設定じゃねえか」
「僕は忍者じゃない。山伏だ」
「ほら、似たようなもんだ」
「そうでもないさ、根は同じでも主旨が違う。それよりも後ろの連中、どうにかした方がいいんじゃないか」
後ろ? 庄司くんの指摘に振り向いた私はゾッとする。背後は樹影ばかりで何も見えなかったのだけれど。鳥の囀りも虫の音も、いつの間にか一切の音が止んでいた。
代りに悪臭。ザワザワと揺れ出した木陰に、ぞわりと鳥肌が立ち上った。
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