第5話 隠れ里

「一緒にお風呂入ろうか。背中洗ってあげる」


 ライチくんはあのあと、やっぱり飯を食わせろとついてきた。言葉は乱暴だけれども、心配してくれているのは私にもわかる。素直じゃないのがまたかわいい。


「うぜえ。なんで宇佐子が一人暮らしなのか、先ずそこを説明しろ」


 一つ屋根の下、お姉さんと二人きりで緊張しているのね。照れちゃってかわいいんだから。さっきまで目を輝かせて煮物を頬張っていたくせに、もうちゃぶ台に肘なんか突いてムスッとしている。なるべく目を合わせないようにしていることくらい、お姉さんはわかっているのだ。

 とはいえ別に隠すことはない。食後のお茶で咽を潤しつつ、私は身の上を説明する。


「私の両親死んじゃったの。助けてくれる親戚は遠くにいるんだけど、学校あるし転校したくないじゃない。だから一人で住んでるの」


「それでもお前の願い事はあれかよ。つくづく太え神経してんだな」


「ちっちゃいから恥ずかしいんだけど。やっぱり見たい?」

「んなこと一言も言ってなかったよな?」


 ライチくんの目が怖い。あれれ、やり過ぎたか。


 …でも久しぶりに一人じゃないのだ。住むところがあるのはとてもありがたいのだけれど、小さな一軒家がこんなに広く感じるなんて、想像もしていなかったよ。

 隣に誰かがいる暖かさに少しはしゃぎすぎていたのかも。そう反省していると、ライチくんは私の目を覗き込んできた。深い瞳にドキリとする。


「で、それだけか?」

「えっと、その先はまだ心の準備が」


「…宇佐子の身の上話はそれだけか? 怪しげな何かに出会ったとか、実は異世界に行ってきたとか。変なモンに追われる心当たりが、何かねえのか」


「それだけだよ、あんなの見たの初めてだし。ライチくんもあの妖怪のこと知らないの?」

「妖怪なんてこの世にいねえ。ありゃモノノケの類いだ。正体までわかんねえけど」


「ライチくんはモノノケじゃないの?」

「俺は狐だって言っただろ」


 何が違うのかちゃんと説明して欲しいんですけど。そんな願いが通じたのか、ライチくんは小さくため息をついた。


「俺は普通の狐だ。そこらの狐と違うのは、少し長生きして変化もできることだな。宇佐子は神様の使いか何かだと思っていたようだけれど、それは宇佐子に限ったことじゃない。大方狐のイメージといえば不思議で妖しい獣ってとこだろう。神様に関係なくても、人を騙したり妖術を使ったりな。もっと酷い話になると幽霊のように取り憑いたり、呪いの道具になったりする。

 それらのイメージは俺的には納得いかない部分もあるが、が俺たちの特性でもあるんだ。つまり人の願いや思いが、俺たち狐に力を与える」


 ふんふん。


「で、モノノケってのは… そうだな。願いや思いが他の形を取ったモノって考えて間違いない。あの黒い塊の正体はハエじゃねえ。ハエを黒い塊にした、何かの意思があるんだよ」


 ということは、私が理想を願いさえすれば、ライチくんはその通りに成長するわけだ。


「お前、何か変なこと考えているだろ」

「別に。つまり黒い塊を呼び出した人がいるのね。それで私を襲わせたって、私ピンチじゃん」


「モテてよかったな。ところで宇佐子。お前、お金持ってるか?」

「ふえ? 余裕はないけど多少はあるよ」


「できれば明日遠出をしたいんだが、俺は一切持ってねえ。悪いが旅費はお前持ちになる」


「それは構わないけど、どこいくの?」

「やひこ婆に会いに行く」


 一緒のお出かけは純粋に嬉しいんだけれど、また新しいキャラクターですか。

 変な人じゃなければいいんですけど。




 ◇◆◇◇




 朝早くから電車に揺られて、バスに揺られて。ずいぶん揺られて歩かされて。

 ここは一体どこなのでしょう。


「ねえ、どこまで歩くの?」


「もうすぐ着くよ。いいか、この先何があっても騒ぐな。何を見ても騒ぐな。できれば口を閉じて何も考えるな。危険はないはずだが、何かあっても俺は助けられないから、そのつもりでいろよ」


「ずいぶん脅してくれるじゃない。お婆ちゃんに会いに行くだけなんでしょ? 本当にこんな山の中に住んでいれば、だけど」


 だっておかしいじゃないの。田舎のお婆ちゃんに会いに行く、って雰囲気だったからワクワクしながら従ったのに、ドンドン山の中に入っていくんだから。


 山道を外れてほぼ獣道になって、完全に人の気配がなくなったところで、ああ、これは狐のお婆ちゃんなのね、そうなのねと私にも見当がついたけど。てかここまで気づかなかったのはむしろ迂闊だったけれど。そろそろ遭難する雰囲気すら出てきたんですけれど!?


「おし、着いた」


 疲れるから頭の中で文句を言っていると、不意にライチくんが言う。

 いやいやいや、まだ山の中だし。民家なんてどこにもないし。

 ライチくんの視線の先は崖だし。


「…え?」


 崖じゃなかった。立ち木に手をかけたまま、おいでおいでをするライチくんに歩み寄ると、何もなかったはずの空間に黄金の景色が広がっていた。

 揺れる稲穂が段々に連なる、美しい棚田。頭の垂れた合間を縫って、緩やかに下る田舎道。あれ?


「待ってライチくん。私の頭おかしくなったみたい」

「何を今さら言ってんだ。少し下がってみろよ」


 言われた通りに下がると、やっぱりそこには何もない。コエー。危ない、危ない。

 崖の方へと進んでみる。あれれ、急に棚田に切り替わった。

 崖。棚田。崖。棚田。


「傍から見てると、どこか壊れた人にしか見えねえからそろそろいいか。進むぞ」

「ま、まってライチくん。落ちちゃうのなしだよ?」


「大丈夫だ。ほれ」


 ライチくんが小さな手を差し出す。その何気ないしぐさがとても心に来るんですけど。見た目は小学生なのにね。

 かわいいい手に勇気を貰って踏み出せば、はたして落ちる事はなかった。あら不思議。


「崖は幻術で作られたもんだ。結界の一種だな。俺たちの仲間の仕事だよ」


 特定の順路を踏むことでしか解けないんだって。崖の間際でジグザグに立ち木を縫っていたけれど、それが順路ってことかな。 

 なるほど、狐の幻術とはこういう感じに見えるんだ。これはすごいよ、だって本物にしか見えなかったもの。遊園地で働けば大儲けできるんじゃない?


「先に言っておくけど、売り飛ばそうなんて考えたら容赦しねーぞ」

 あらら。そこまでは考えないんだけどな、私も。


「これ、絵に描いたような田舎の風景ね…」


 商売は諦めて、周りの景色を堪能することにした。何しろ目の前にあるのは日本昔話の世界なのだ。タイムスリップでもしたような感覚。


 晴天の下、金色に輝く山あいの稲穂。緩やかに下った先に点在する家屋は藁葺きで、両親に連れられた岐阜の白川郷を思い出す。抜ける風が稲穂に渡ると、黄金の海が揺れているようだ。言わば日本の原風景だね。

 あら素敵、水車まであるじゃん。脇を流れる小川から清涼な音が耳をくすぐる。キラキラと反射する流れに魚もいるのかしらと覗き込むと、急に間近の稲穂が揺れて大きな影が現われた。


 熊かと思ったけれど違う。熊のような大男。でかい!

 縦にも横にもでかい。縦は二メートルくらいあるんじゃない?


 未確認生物に出会えば誰だってビックリする。思わず悲鳴を上げた口を、私は必死に抑えたのだけれど。


「ん〜?」


 男は太い眉を寄せて覗き込んできた。でかいだけじゃない、顔も怖い。

 ボロい着物をたくし上げて、股引? らしきものを履いている。裸じゃないから人類っぽいけれども、実は貧乏なヤクザの親分かもしれない。


「驚くなと言ってもムリか。元気か、スーさん」

「おお、ライチじゃねえか。久しぶりだな!」


 スーさんと呼ばれた大男は、くしゃりと破顔した。笑ったところで怖いことには変わりないけれど、ライチくんの知り合いでよかった。

 冷静に考えたらこんな山奥の田舎にヤクザ屋さんがいるわけないよ。お相撲さんでもなさそうだけれど。パンチパーマで髷も結っていないし、お腹もそれほど出ていない。ということはやっぱり熊… ああ、これも変化した姿ってことか。


「ビックリしちゃってごめんなさい。大きな狐さんですね」

「誰が狐だ、こら!」


 あれ、挨拶したつもりが怒られた。

 ここは狐の隠れ里とか、そんな雰囲気じゃなかったの?


「ふん、嬢ちゃんは人間だったか。にしても…」

「ああ、引っかかるだろ。どういう事になってんだか、やひこ婆に聞こうと思って」


「なるほどな。そういう事なら儂も行こう。一人で歩かれちゃ危険だ」

「…スーさんもそう思うか」

「まあな。大事はないと思うが、用心だけはしておけよ」


 何やら不穏な会話なんですけれど。なんだか私、食べられちゃうような気がしてきたんですけれど!?

 でも賢い私はここで無益に騒ぐようなことはしない、絶対しない。テレビで見た昔話だとそういう感じでオッケーだったはず。


「このお嬢さんは?」

「ひっ…!」


 ところが不意に背後からかけられた声に、私は悲鳴で答えてしまう。


「あらこの子。珍しいお嬢さんね」


 見ればキレイな人が立っていた。ずいぶんとキレイな人だ。藍色の地味な着物にモンペらしきものを履いている。


 やっぱり農作業中だったのだろう、髪を布で覆って、化粧すらしていないはずなのに。それでいて色香だけはムンムンと発揮しているヤバい感じのお姉さん。男が推定四十代の親分ならば、この人は一回りほど若い極道の妻だ。着ているものは農家の人なのに雰囲気がカタギじゃないよ。

 そんな女性が私を見下ろし、舌なめずりをしているのだ。確定、私死んだ。食べられる。


「そんなに脅えなくても、取って食いやしませんよ」


 脅えが正確に伝わっていたのだろう、女性はうふふと微笑んだ。とても信用できねえ。


「やひこ婆のところに行くんでしょ。私もご一緒していいかしら」


 え〜、一緒に来るんですか? できることなら断りたいなー。逃げたいなー。

 ようやく私は、何も喋るな驚くな、むしろ考えるなというライチくんの言葉を思い出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る