第2話 少年とお姉さん
通学に丁度いい近道がある。裏手の山を抜ける道。
細く舗装もない凸凹道は上り加減に竹林を通り抜け、途中で分かれる登山道を入るなら、ちょっとしたハイキング気分も味わえるのだけれど。
そうでなければ山裾をぐるりと回って町へと下るわけで、つまり近隣住民の抜け道になっている。
だけど疎らになった竹林が少しだけ途切れるあたり。
山際に存在する鳥居を潜る人間はどれだけいるのだろう。
おんぼろの鳥居の向こうはすぐに傾斜となっていて、目の前に杉の木が立っている。その右側に目を向ければ、小さな鳥居が上に連なる参道だ。右手には竹が迫り、左手は雑木林の境界。十基ほど連なった鳥居は急な勾配を作っていて、先には笹と雑木に抱かれた社が現われる。
神社と言うには申し訳ないほどの、古ぼけた小さな社。
それでも手入れをする人はいるのだろう、登山道のような参道が下草に覆われることはなく、丸太を埋めて土を留めただけの雑な階段も、歩くには申し分ない。
人一人が収まれるかどうかという程の、僅かばかりの社殿はこんなにも草臥れているのに。それでも偉そうに連なる鳥居と、乾いて
今朝も鳥居を潜って手を合わせたら、なんと小さな人影が現われた。
いきなり現われたと思ったら、いきなり私は怒られたんだ。
社の扉から出てきた人物に、驚いて妙な声を出してしまったけど、目の前の少年が神様じゃないということは…。
「私の願い事、勝手に聞くなんてひどくない?」
「うるせえ。気配にも気付かずに口走っていたのはお前だ。だいたい願い事が《おっぱいを大きくして》だと!? 毎日毎日、ずいぶんな信心出して言いたいことはそれだけか」
「ふん、子供に乙女の一途な願いはわからないのよ」
「いいや子供にだってわかる、お前はおかしい。乙女心がわかるとは言わないが、お前がおかしいことはわかるんだよ。そもそも俺は子供じゃねえし」
「子供じゃないって…」
そう言われて、改めて不躾な少年を観察してみる。
黒い印象の子供だった。肌が黒い訳じゃないけど、黒いシャツにハーフパンツ。
もう季節は秋だというのにパンツからはスベスベの足が覗いている。
長めの髪はサラサラで、黒目がちな大きな瞳と長い睫毛が印象的。
華奢な腕を組んで、不機嫌に曲げた唇がほんのりと色付いて。
あら、ずいぶんとキレイな子。いわゆる美少年というやつだ。
どう見ても小学生だよね、低学年の。でも。
「子供じゃないなら、やっぱり神様?」
「とんでもねえ!」
「じゃあただの子供じゃないの。おっぱい大きくしてくれないならもういいわ。お姉さん忙しいの」
「嘘つけよ、忙しい人間がこんなとこ来ないだろ。だからこの機会にもう一つだけ言わしてもらう。だいたい願いごとをする時って、何か持ってくるのが筋だろ」
「おさい銭くらいしたわよ。お正月?」
「少ねえ。いや、そうじゃなくって食べ物とか。オニギリとか油揚げとかあるだろ? 毎日来るならたまには何か持ってこいよ。ここが何の社か知ってんの」
「知らないけど」
「これだから最近の人間は。いいか、ここは稲荷社だ。稲荷といえば食べ物も貢ぐもんなんだよ。大きなお姉さんなら、そういうところ気遣えよ」
背丈も胸までしかない小さな子供のくせに、随分と生意気なことを言う。
願い事を聞かれたのは癪だが、なぜこの子はこんなに食べ物に執着するんだろう。
…あ、もしかして。
「あなたお腹が空いているのね? いいわ、お姉さんが奢ってあげる」
きっとお腹が空いていたから、こんなに怒りっぽいんだね。
最近は育児抛棄とか児童虐待とか多いってテレビで聞くし、朝から一人で遊んでいるなんて、ひょっとして可哀想な子なのかも。
「まて。お前ちょっと失礼なこと考えていないか?」
この子キレイだし、大きくなればそれなりにカッコよくなるはず。
ううん、今でもこんなに美少年なんだから、絶対にカッコよくなるよ。
ここで餌付けしておくのは悪くないアイデアかも。
ふっ、ふふふ。これはもしかして、ぎ、ぎゃく光源氏…。
「やっぱり失礼なこと考えてるだろ?」
「いいから、おいで。お手々繋いであげるから」
「お前ぜったいおかしいぞ。何でこんなのの前に出ちゃったかな、俺」
ぶつぶつ言っている気がするけど、この子、ずいぶんと手もキレイね。
…こうして可愛い男の子をゲットしてラッキー、と思っていた時期が私にもありました。
私の名前は
時の流れに身を任せて生きてきた私は、これからよくわからない事態になるのだけれど。まだ暫くは流されたままでいきましょう。
◇◆◇◇
「ほら、お口拭くよ」
「ん…」
黒い少年はよく食った。あまりの食いっぷりに感心する。よっぽど可哀想な子だったんだね。しかしこの子、口を開いていないと本当にかわいいな。
「うまかった。久々だしな、ハンバーガー食べたの」
「そうなの?」
どうしよう。手を引いてMのナルドに連れてきたのはいいけれど、育児抛棄されているなら警察とかに相談した方がいいのかな。でも逆に逮捕されたらこまる。冷静に考えてみれば誘拐の一歩手前だよね、これ。店員に通報とかされてたりして。
「お前、また変なこと考えてるだろ」
「そんなことないよ。それよりも、私には宇佐子って名前があるの。だからお前はやめようね」
「痛々しい名前だな。ごちそうさまでした、宇佐子」
「どういたしまして。じゃあ私のおっぱいを」
「俺は神様じゃねえ」
「そう、あなたの名前は?」
「ライチ」
宇佐子よりもライチの方が痛い気がする。
でもそんなことを言ったら拗ねるだろうから大人な私は口にしない。
「神様じゃないライチくんは、どうして一人であそこにいたの? ちゃんとお家あるの」
「いちいち気に障る女だな。まあ、確かにあの社が家みたいなもんだ。だから毎日おま… 宇佐子が来るのを見ていた」
「お家、ないんだ」
「おい、なんか変なこと考えたろ」
「別に」
「…まあいいや。お前は知らないだろうが、あそこの社はやめておけ。ロクな神様じゃないからな」
「そうなの?」
「ああ。そもそも稲荷社って何だか知っているのか?」
「…お稲荷さんは、おいしいよね」
「よーし知らねえな。いいか、稲荷社っていうのは大抵、
「食べ物の神様なのに、食べ物をあげるの?」
「…わりと勘が良いんだな。そんなことより、どうしてそこまでおっぱいに拘る」
「やだ、まだ子供なのにそんなに興味が?」
「……」
「彼氏欲しいじゃん、やっぱり。男の子って大きい方が好きなんでしょ」
「そんな男はやめておけ。お前が不幸になるだけだ」
その言葉にキュンときた。こんな小さな子が、俺にしとけだなんて、そんな。
もしかしてこの子、毎日見かける可憐なお姉さんが気になって嫉妬しちゃってるのかしら。
「いや違う。たぶんお前の考えていることは違うが、お前の熱意はまずいんだ。よく聞けよ宇佐子。そのままだとお前はきっと、よくないものを引き寄せる」
何ですって。ライチくんの言っていることがわからない。
いやわかるけど、よくないものって何よ。
「胸なんてどうでもいいだろ。だからあの社に通うのはやめろ。…それじゃあ」
ライチくんは言いたい事だけ言うと、さっさと席を立とうとするが。ちょっと待て。
「ライチくん? お姉さんわからないんですけど」
「何が」
「よくないものって一体何よ」
「例えば、あれ」
ライチくんの指し示した方角を見ると、隣のテーブルからこちらを伺う挙動不審の男性がいた。ああ、あれのことか。
「あれはね、ストーカーっていうのよ」
「十分ヤバいヤツじゃねーか。てか、気づいていて人気のない場所に来てんじゃねーよ」
「でも一応クラスメイトだし。私、人を見る目だけはあるんだよね」
「その言葉、信憑性一切ゼロだな。まあ境内で手出ししようもんなら、俺がどうにかしてたけど」
そうか。私を陰から守っていてくれてたのかこの少年は。
そんな健気な存在に気づかなかったなんて、私ってなんてニブいんだろう。
…でも、ということは。
「まって。じゃあライチくんもストーカー?」
「なぜそうなった?」
とても嫌な顔をしている。指摘してほしくないことって誰しも持っているものね。
…とまあ、冗談はそのくらいにして。
すると視界の隅で挙動不審の男が動いた。気にしたことを悟られたらしい。
「やあ宇佐子さん、こんなところで奇遇だね。この子は弟?」
「弟じゃねえし、奇遇でもねえだろ」
「まあまあ、あんまり噛みつかないの。
「おい宇佐子。お前こそ学校どうした?」
「…え? ああっ!」
「大丈夫か、こいつ」
ライチくんに急げ急げと煽られて、私と庄司くんは慌ててその場を後にした。
そして庄司くんの背中を追いかけながら、私は少しだけ後悔したのだ。
結局ライチくんをそのままにしてしまったから。
おんぼろの社に住んでいるという、お腹を空かせた男の子。
もし彼の正体が神様でないのだとしたら。
狐あたりが定番なんだと思うんだけれど。そんなことでいいのかしら?
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