第11話 宴の後
宵の穏やかな風に乗って、美しい琴の音が耳を撫でる。
日が落ちた山間の里は途端に気温が低くなるけど、燃え盛る篝火のお陰もあるのだろう、今は肌寒さよりも熱気が勝っているようだ。むしろ冷たい空気が火照った体を拭うようで心地良い。
何が何やらわからないうちに私は舞台を下ろされて、さっそく始まったのは呉羽様の独奏会。因みに熱気の主な原因はこれと料理ね。
儀式にあった緊張も静謐さも今はもうどこにもなかった。いつの間に用意されたのか広場の周囲に屋台が立っていて、美味しそうな匂いが漂っている。
演奏に聞き惚れている人もいるけれど、舞台を前に料理に舌鼓を打ち、お酒を酌み交わしている者もいる。中には私の背中を叩き、ニヤニヤ笑うセクハラ野郎も。うっとりとした目で眺めてくるヤバそうなご夫人もおられる。
ご馳走並べてお酒を交し、お祭りというか宴会だね。完全に。
儀式が無事に終わったみたいなのは良いけどさ。可憐な女子高生をこんな宴席の中に放ったらかしもどうかと思うじゃない。所在なげな私に男も女も入れ替わり立ち替わり寄ってきて、お酌どころか飲まされそうな雰囲気なんですけれど。
やだ、どこの子供か知らないけれど浴衣引っ張んないで。ああこら、酒臭い。どさくさに紛れて肩を抱くなっての。鬼の集団にかどわかされそうな幼気な私。やっぱりこのまま鬼のご馳走になっちゃうのでは?
心の叫びが届いたのか、両手に食べ物を抱えたライチくんと庄司くんが現われて、ようやく私は救出された。
「おつかれ。宇佐子も食えよ、腹減ったろ?」
「ライチくん…」
肉ばかりが刺さった豪快な串焼きを渡してくれるライチくん。ふわりと外套もかけてくれる。あれれ。その姿を見た途端、涙が込み上げるのはなぜだろう。お肉でほお袋一杯にしたライチくんの顔は面白いのだけれど、私の心は悲しいままだ。その理由を私はライチくんに訪ねてみる。
「私。さっき、舞台の上で何してたのかな?」
「さあ。俺は儀式のことはさっぱりだから」
笑って誤魔化された。
「ねえ庄司くん。私ひょっとして、何してた?」
「あ〜、僕の位置からはよく見えなかったから」
視線をサッと逸らされた。なによ、酒飲んだみたいに赤くなってんじゃないわよ。
冷静になって考えたら何かすごく、ものすご〜く恥ずかしいことをされた気がする。初めてだったのに。それが公衆の面前だとか、いきなりだとか同性だとか、泣いたって良いよね?
「何をしてたのかは見てないが、あれは反閇だ」
「へんばい?」
「うむ。確かに
ふ〜ん、どうでもいいや。
庄司くんはがく然としているけれど、興味がないものは仕方がないよね。ウホウホしつこいっての。
「玉女反閇じゃ。やひこ婆が自らアレンジした法だから効果は確かだと思うが。どうだ?」
上から降った声はスーさんだった。熊のような手に下げているヒョウタン徳利は酒だろう、舞台で大役をこなした大男はすでに赤ら顔。
それは良いけれど、どうだって聞かれても。これもあれか、セクハラか。気持ち良かったとでも言わせたいのか。
「禹歩には悪いモノを退ける効果があると言われている。そこで祓った神聖な場に、玉女を召喚するのが本来の趣旨だな。…本当に何も変わった所はないか?」
まさか、変わったのは私の純潔――そんな。
もしお嫁に行けなくなったらライチくん、貰ってくれるんだよね!?
「こいつ何も変わってねえぞ。なあスーさん、儀式は失敗だってことか?」
「いいや。嬢ちゃんが普段通りなら成功だ。一安心だな」
「それってどゆこと? 私が普段通りならって、じゃあ儀式って何だったの」
「なあに。意味がわからないから故に、式には意味が生まれる。隠されたモノは隠されているからこそ価値があるということよ。それ以上聞くのは野暮だ」
でかい男はガハハと笑う。なんだか男の子が好きそうなことを宣っているけれど、たぶんそんなに深くない。やっぱり出来るフリして使えねえ男って最低だよ。
ライチくんにテキトーな呪文を教えてくれたこと、まだ私は許してないからね。ぷんぷん。
舞台の上では演者が増えて、三重奏が始まるようだ。増えた奏者はお万さんと、年下と思われる少女である。お弟子さんかな。
二人を従えた呉羽様の妖しい姿に、少しドキドキしてしまう私は本当に大丈夫なのだろうか。
◇◆◇◇
翌日。結局丸二日もお世話になった面々にお礼を言って、ようやく私たちは帰路についた。庄司くんも含めた三人で仲良く山を下る。でもね。
「特に変わったわけでもないのに、本当に大丈夫かしら」
儀式と称して何かをしてもらった訳だけれど、別れ際に渡されたのは赤く小さなお守り袋だけ。神社とかでもらうヤツ。今回は小刀とかペンダントとか、わかりやすいアイテムではなかったのだ。あのアイテム類も大概だったけれどもね。
「変わったことなら、あるじゃねーか。ほれ」
ライチくんの指摘に私は後方を振り返る。すると庄司くんが視線から逃れるようにサッと膝を着きやがった。どうせ帰る場所は同じなんだからさ、もっと一緒に歩けばいいのに、この微妙な距離感は何なんだろう。
「如何なさいましたか、宇佐子様」
「……聞いていい?」
「何なりと」
里を出てからこれなのである。なぜか私に近づこうとはせず、態度や言葉遣いまで変わっている。絶対おかしいよねこれ。元々おかしい人だったけれど、人の目があれば私までおかしく見られかねない。影で呉羽様にシメられたってわけでもなさそうだけれど。
「その腫れ物に触るような態度はなあに? 先に言っておくけど、妙な言葉遣いは今後一切禁止だからね」
「そうは言っても、そのオーラに打たれると反射的に。僕はどうしてしまったのか」
目を逸らして脂汗すら流している庄司くん。それを見たライチくんが唸った。
「庄司、本当にお前の感覚は人間にしておくのが惜しいな」
「どゆこと?」
「変わらないって宇佐子は言うが、変わったんだよ。誰でもウェルカムだったオーラが、危険なオーラに変わりやがった。里にはヤバい気が充満しているから気づかなかったが、コイツに近づくと危険って感じがヒシヒシと漏れ出ている」
えー何ソレ。それじゃ私、危ない人みたいじゃない。
「前から危ない人だったろ、そこは変わっちゃいないと思うが。でも見ろ、さっきから鳥も虫も近づかねえ。きっと動物園とか行っても面白くないかもな。ペットショップならパニックだ」
「サラリと言ってくれるけれど、それじゃ私に誰も近づけないってこと?」
「普通の人間なら気づかないから大丈夫だろ。庄司が特別なんだよ。モノノケの類いは、まず宇佐子の存在に恐れおののくと思うぜ」
ってことは庄司くん、あなたモノノケの類い?
「そんなことはないが。女王様とお呼びしても良いだろうか」
「妙なものに目覚めてんじゃないわよっ!」
修験者って忍者だかストーカーだかお坊さんだか知らないけれど、これ以上拗らせたら目も当てられない。まあそれはそれとして。
虫よけ効果がある様子なのはありがたいけど、ワンコもニャンコも一切寄りつかないってことかしら。それは可憐な美少女として、いや人としてどうなのか。ディズニープリンセスは夢の中?
「じゃあライチくん、あの儀式って」
「儀式のことはわからないけど、こうなると何があったか推測はできるな。たぶんお守りと同じ理屈だよ」
「お守りなら貰ったよ?」
「まあそうなんだが、神社でもらう厄除けのお守りの仕組は簡単だ。お守りを身に付けることによって、どんな神様がバックにいるのかを知らしめているんだ」
何よ、そのヤクザみたいなシステム。その言い方だと神社のお守りって、反社会的組織に納めるみかじめ料みたいなものじゃない。
「わりとそのままだから突っ込めねえ。俺の後ろにはこんな怖い神様がついている。だから手を出すと酷いことになるぞって、まんまヤクザだよ」
「もしかして私のバックには、呉羽様がついている?」
「そういうことだろうな。その為の儀式だったんじゃねえのか。今の宇佐子は、寅の威を借る狐ってところだ」
そう笑って狐は宣った。さしずめ私は今、呉羽様の皮を被ったウサギさんだということらしい。まあ背後でうふふと呉羽様が笑っているって考えたら、そりゃ怖いよね。
儀式の最中に侵入してきたように感じた呉羽様の気配。それが体の中に留まっているってことかもしれない。改めて想像するとちょっとエロいけど、私そんなに変態じゃないからね。たぶん。
…そこまで力を貸してくれたのか。豆婆ちゃんもスーさんも、昨夜顔を見ただけの里のみんなも。見ず知らずの人間である私にそこまで。
私、守ってもらってばっかりだね。ライチくんや庄司くんはもちろんのこと、とても返し切れないほどの恩を受けているんじゃないだろうか。
「そっか。…でももし、ヤクザとヤクザがケンカしたらどうなるの?」
「強い方が勝つに決まっているだろ。だからお守りってのは普通の神様じゃなくて、怖くて恐ろしい怨霊の方が効果があるんだ」
ふーん、神様にも力関係ってあるんだね。極道の世界も大変だ。
――でもその言葉が本当だったことを、私はすぐに知ることになる。
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