第9話 陰陽道と戦士召喚

「本当に重要なポイントは、狐じゃないの。ネズミなのよ。…ところで宇佐子さんは、十二支は知っているわね?」


 呉羽様から出たいきなりの質問にビックリして、急いでミッキーを追い出す。

 ええと、子丑寅卯… 辰さんと、羊と馬と、あと何だっけ。


 チャポリとお湯を掻きながら、うふふと肩を揺らす呉羽様。

 そんな事も知らないのかと呆れる代りに、改めて教えてくれた。ごめんなさい。



 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥――。


 ネズミ、ウシ、トラ、ウサギ、タツ、ヘビ、ウマ、ヒツジ、サル、トリ、イヌ、イノシシ。十二種類の動物たち。



「…なんだけれども、とにかくその先頭に並ぶ動物は、ネズミね」

「はい。確かゴールする時にネズミが飛び出して先頭にって、絵本で」


「十二支は年回りだけじゃなくて、方位も表すの。――


 犬が西向きゃ尾は東。でもネズミが北っていうのは聞いたことがない。呉羽様がそう言うのならそうなのだろうけれど…。


「時計の文字盤を十二支の動物に置き換えてみるの。時計で方角を表す方法があるでしょ、それと同じね。12時に当たる方角をネズミとして、北とする。そこから右回りに動物を配置すると、6時のウマは南になるわね。地図に南北に引かれた線を子午線しごせんというのは、それはここから来ているの」


 ふーん。呉羽様の説明は、つまりはこういうことか。


 北は12時の方角で、ネズミ。

 東は3時の方角で、ウサギ。

 南は6時の方角で、ウマ。

 西は9時の方角で、トリ。


 時計の上を北として、順番通りに動物が12時から11時まで対応するんだね。

 子の刻とか、丑三つ刻とか、確かに時代劇で聞くものね。


 そう言うと、十二支で時間を表す場合は、一日を十二分割しているんだって。すると一つの動物は二時間に相当するんだけれど、今は方角だから関係ないそうな。


「子は方角で、北を表す。ここまでは良いわね。十二支の歴史はとても古いのだけれど、陰陽道でも方位を表す場合にこれを使うわ」


「陰陽道って陰陽師? 日本の魔法使いみたいなやつ?」


「そう、その陰陽道。ここまで来たらもう一息よ。子は同時に冬の意味を持つ」

「ふゆ…?」


「ええ、寒い冬。そしてネズミは水でもある。陰陽五行の水気を表す」

「えっと、わかんないです。ネズミが冬で水って、どゆこと?」


 だっておかしいじゃない。ネズミだって冬眠… はするかどうか知らないけれど。水にしたって、水泳するイメージないじゃん。

 北はまあ良いけれども、冬と水はどこからくるのか。


「少しややこしいけれど、これも方位と同じ様に考えて良いわ。今度は十二支を一年に配置して、十二ヶ月に充てているのね。その場合、ネズミが冬――冬至で、一年の始まりと終わりに相当するの。すると春はウサギで、夏はウマ。秋はトリになるわ。

 もっとも現在の一月、正月はグレゴリオ暦になっているから感覚的に大分ズレてしまうんだけれど、今でも冬至という言葉は聞くでしょう。一年で最も夜が長い日を子の日、子の月の中心として、ぐるりと一年は巡っているの。だから十二支の動物をそらんじる場合、ネズミから始まるのよ」


 それが、つまり。


「冬至は太陽が生まれ変わる日。夏が過ぎ、冬に向けて徐々に力を失った太陽は、冬至の日を境に力を取り戻すの。つまりで、最も太陽が弱る日の象徴、つまり冬の象徴となるのね」


「太陽って生まれ変わるの?」


「あら、そんなに意外かしら。昔の人は、地球が動いているなんて誰も知らなかったはずよ。なら変化しながら動いているのは太陽ではなくて?」


 ガリレオだっけ、コペルニクスさんだっけ。本当に動いているのは自分たちの方なんだって私は知っているけれど。もし知らなければ太陽の方だって思うのは当たり前か。うん、私はそう思う自信がある。

 夜が最も長いということは、昼が最も短い日。確かにこの日を境にして、明るい時間が長くなっていくものね。夏に向けて強くなる。それが生まれ変わるって意味で、その象徴がネズミなんだって呉羽様は言っているのね?


「そこで考えてみて。冬至を越えて冬を越え、太陽が本当に新しくなるか否か。再び力強く輝いてくれるかは、それは誰にもわからない。もしかすると太陽は弱ったまま、二度と恩恵を与えてくれないかもしれないわ。未来はまさに神のみぞ知ることなの。

 そこで私たちにできることは何かしら。神に祈ることしかできない無力な私たちも、もしブラックボックスの中身を解明したなら、ひょっとすると神秘の仕組に介入できるかもしれない。人の手で太陽を動かすことは無理でも、は可能かもしれないわ。そのための手法が陰陽道と呼ばれるものよ」


 ふーん。陰陽師って妖怪を退治したり、鬼を召喚したりする人だと思っていたけれど、びっくりだよ。太陽を動かしたいなんてことも考えているんだね。

 にしても話が壮大すぎて、あまりよくわからない。もし呉羽様を召喚なんてした日には、返ってボコボコにされるだろうことは想像つくけど。


「何もせずとも飢饉は目前。祈りだけでは願いに届かず、ご飯が食べられないかもしれないわ。たとえ相手が太陽でも、そこに介入できる望みが少しでもあるのなら、曖昧でも試してみるしかないでしょう。

 この場合私たちにできることは唯一、冬至の象徴であり、冬の象徴であるネズミを排除することよ。つまりネズミを追いやれば新しい太陽が。新しい一年と新しい春、ついては新しい実りがという理屈よ」


 太陽が力をつければ春がやってきて、季節が回れば食べ物が実る。そのために冬の象徴を追い出すっていうことかな。

 そんなことしなくても地球は自転を続け、公転して春が来ることは知っている。でも何も知らなかったらどうするだろう。神の身ならぬ私にも、何か試せることがあるのなら。


 不思議な考え方が身を満たし、とはいっても咀嚼しきれない私に呉羽様は目を細める。笑顔のままに天を仰いで、呉羽様は言い切った。



「そして伊奈利いなり社――に当たる」

「真北なの? なんとみごとな平城京の?」


「ええ。元明天皇が平城京に遷都をした丁度その頃に、稲荷山に稲荷神が祀られたの。地図で調べてごらんなさい。位置は平城京のほぼ真北。そしてその頃、日本は天候不順が続いて飢饉の怖れがあった」


 まって。まってまって。いきなり桶で頭をパコンと叩かれたような気がする。

 呉羽様を手で制して、少し頭を整理しようと試みた。


 伏見稲荷大社は京都だから、平安時代のイメージを勝手に浮かべていたけれど。そうだよ、伏見稲荷の始まりは711年だって呉羽様は言っていたじゃない。

 710年の平城京って奈良県だったっけ。首都が作られた頃に、その真北に伏見稲荷大社が造られたのならば、まったく無関係だってことはないよね。そしてネズミの意味は、確か。


「ネズミの意味は、北で冬…」


「飢饉を解消する為には、確実な実りが必要ね。食物を実らす新しい太陽と新しい一年が必要なの。それでも事態は最悪だった。何故なら711年は辛亥かのとい、つまりイノシシ年だったの。ネズミを迎える年だから、翌年は――冬が明けない恐れだって強く抱いたことでしょう。

 伏見稲荷の社伝では、飢饉に対する御利益があったから、稲荷神を祀ったことになっているけど。実際は逆で、はず。だからこそ稲成りの神で、これは陰陽道を駆使した呪術なのよ」


「呪術って… こわ。ネズミを呪っちゃったの?」


「怖い呪いだけじゃないのよ。陰陽道における呪術の大きな目的は、確実に季節を回すことにあるの。わかりやすい例はお盆ね。お盆は仏教の代表行事になっているけれど、陰陽道と同じ理屈を使っているの。

 ウマの置物を飾ったり、火を川に流したりしなかったかしら。これは真夏を象徴する午と火を、迎えて送る呪術になっている。世間に夏を迎えて夏を送ることにより、確実に実りの秋を呼ぶための呪術よ」


 あれ? お盆ってご先祖様が帰ってくる日じゃなかったっけ。迎えるのは死んだ人のはずじゃない。ウマやウシを作ったり、迎え火やら送り火やら、確かにやっていた気がするけれど。

 訝しげにそう聞くと、伝統っていい加減よね、と呉羽様は笑う。牛はまた違う呪術が混入した結果だそうな。


「太陽暦になり、呪術の真意が失われた現代では実感はないのかもしれないけれど。今でも呪術は四季を迎え、四季を送る用途で生きている。伝統の中に隠されているのよ。私たちは陰陽道に従って、知らず知らずに呪術を行っているの。

 そして伏見稲荷の場合、この呪術の具体的な方法は、こと。では、その役目を負う動物は何かしら」


「猫じゃなくて、狐ってこと? だから狐をお使いにして… ううん、違う」


 少し違った気がする。最初から稲荷神が北にいて、狐を使ってネズミを捕ってたわけじゃないんだよ。

 飢饉の恐れがあって、それでもネズミがやって来て、春が来ない恐れすらあった。だから北に稲荷神を配置して祀ったってことは…。


 もしかして、北のネズミを追い出すために、北に狐を配置した?

 じゃあ稲荷神が狐なの?


「もう一つ言うと、陰陽道の根幹には陰陽五行思想というものがあるの。これはブラックボックスの中身に相当するわね。

 世の中の全ての事象は木火土金水、自然を統べる五つの力のバランスで成り立っている。そして五種類それぞれの力は、比べた時に優劣が存在するわ。これを相剋そうこく関係というのだけれど…」


 木剋土、木気は土気をこくする。

 金剋木、金気は木気を剋する。

 火剋金、火気は金気を剋する。

 水剋火、水気は火気を剋する。

 土剋水、土気は水気を剋する――。

 

「動物も五行に洩れず、それぞれが属性を持っている。北で冬の象徴であるネズミは、同時に水気を表すのよ。さしずめネズミは、水属性の戦士といったところかしら。稲荷に用いられている呪術のケースは土剋水」


 つまり土と水を比べれば、土の方が強ってことで…。


「水は土によって堰き止められるから、土に弱いと考えられている。要するに水属性の戦士は、ということね。水の代表がネズミなら、土の代表はナマズ、あるいは狐ね」


。じゃあ、ホントに…」


 稲荷神の正体こそが、狐だったのだ。居座るかもしれない北のネズミをやっつけるために、稲荷山に召喚された土属性の戦士だってことだろう。

 目的は新しい太陽、新しい一年を迎えるため。そして確実に食物を実らすためだから、つまり稲の神様と似た役目になるかもしれない。


 …そして召喚された神様は、役割が似た者同士で有名人の、宇迦之御魂神と合体することになる。本当は狐だった稲荷神は、神様の眷族みたいな形に収まった… ってことであってる?


 頭の中に聞きなれない言葉と歴史がぐるぐると渦巻いて気持ち悪い。でも呉羽様がウソをつく意味もないのだから、これは本当のことなのだろう。


「狐にはもう一つ、とても無視できない特徴があるのだけど。…そろそろ上がった方が良いかしら」

「はい、そうしますー。水… ミミズもネズミもいらないけれど、今は水気が欲しいです」


 気持ち悪いのは温泉に浸かりすぎた所為もあるのだ。知恵熱に加えて湯あたりだ。ざばりと立ち上がったのは良いものの、うわあ、目がチッカチカだよ。

 ふらついてしまった私を支えて、呉羽様がうふふと笑った。


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