第五話 その顔を見せるのは反則です。
貴族の女性たちを味方につけた王子は、更なるスキルを身に着け始めた。
私の部屋に花を活け、私を題材にした詩を作り、私の肖像画を描く。
化粧の腕が上がり、清楚から妖艶、さまざまな表情を見せる。
「ユリノ、どんなお嫁さんが好みなの? ユリノの好みに合わせるわ!」
「だーかーらー、嫁が欲しいっていうのは冗談です!」
選べと言われても選べる訳がない。毎日の攻防は徐々に周囲を巻き込み、女装姿の王子を見ても、誰も驚かなくなってきた。
◆
王子から逃げる途中の廊下で、私はユーホルト公爵家の令嬢テューネに呼び止められた。綺麗に巻かれた銀髪に緑の瞳。細やかなタックやフリル満載の深緑のデイドレス。繊細なレースの扇を持って侍女と従僕たちを連れ歩く姿は貴族令嬢のイメージそのもので、可憐な美人なのにちょっと怖い。
「ユリノ様、少しお時間を頂けますか?」
「は、は、は、はいっ」
見た目は怖くても、久しぶりに女性に声を掛けられたことが嬉しくて声が上ずる。今ならどこでもついて行ってしまいそう。
豪華な部屋の中に案内され、人払いがされた。高そうな革が張られた椅子に座ると落ち着かない。
「ユリノ様。ヴィンセント様がお嫌いですの?」
直球過ぎる質問で、私の思考は停止した。これまで話をした貴族たちは、婉曲表現だらけで何を言ってるのか理解するのに苦労したけど、これはこれで答えにくい。
「いえ、その……」
好きでも嫌いでもないというのが、今の正直な気持ち。忙しい中で美味しいご飯を作ってくれるのはありがたいと思うし、可愛いと思う瞬間も増えてきた。そうは言っても、毎朝ベッドに潜り込んでくるのは困る。
「これまで女性を避けてきたヴィンセント様が、唯一興味を示しているのが貴女ですのよ。貴女が最後の望みなの」
いきなりテューネが私の手を握りしめて詰め寄って来た。私より背が高くても、可憐な美人に迫られると心臓に悪い。そんな趣味はないのに、胸がどきどきする。
「で、で、でも、私は元の世界に帰るので」
「そんなことおっしゃらないで! お忙しい公務の中、貴女のお気に召すようにと必死で努力を重ねていらっしゃるのよ? どうか、ヴィンセント様の行動を見て差し上げて!」
「えーっと」
どう返答すれば納得してくれるのか。
「まさか……元の世界に想い人がいらっしゃるの?」
「……いえ」
想い人どころか、複雑な事情があって家族もいない。バイト先と大学を往復する生活に戻るだけ。だから私は、この世界で勇者と結婚することを夢見ていた。
「それではヴィンセント様に、何が足りないとお思いなの?」
「そ、そ、その……女性に対する気遣い、でしょうか」
「十分に気遣っていらっしゃるでしょう?」
「朝、ベッドに潜り込まれるのは困ります」
「まぁ! ……そ、それは問題がありますわね……」
テューネは王子が毎朝私のベッドに潜り込むことを知らなかったらしい。頬が赤く染まっていく。
「……申し訳ありませんわ。それは……もう、最大の失点ですわね……。未婚の女性の寝所に押し掛けるだなんて……とてもうらや……いえ。非常識ですわね」
今、うらやましいという単語が聞こえたような気がした。
『確認するけど、この国ではベッドに潜り込まれるのが乙女の夢だったりするの?』
他の人は誰も聞いていないのに、声を潜めてしまう。
『そんな破廉恥な夢はありませんわよ?』
つられたのかテューネも声を潜める。
『うらやましいって言わなかった?』
『何のことです?』
ダメだ。完全にしらを切るつもりだ。ほほほと扇で口元を隠しながら上品に微笑まれると、もう追及できない。まぁ、それが乙女の夢でなく非常識なだけとわかって良かった。
「寝顔を恋人でも何でもない男性に見られるんですよ? 耐えられます?」
「そ、それは厳しいですわね……。やはり殿方は女性の格好をされても、心までは理解できないものですのね」
溜息すら絵になる美人がうらやましい。
「理解して頂けて嬉しいです。誰にも相談できずに困っていました。どうしたらやめて頂けるのでしょうか」
騎士仲間に知られたら、それはそれは盛大にからかわれてしまうのは間違いない。尾ひれがついて、私が王子を部屋に連れ込んだことになってしまいそう。
王子がベッドに入ってくるのを辞めてもらって、美味しい朝食だけ食べたいというのはワガママだとわかっている。とっても、とーっても心残りだけれど、朝食を諦めてもいい。
「わかりました。ヴィンセント様にやめるように進言致しますわね」
「お、お願いします」
テューネの微笑みを見て、少々の残念さを感じながらも私は安堵の息を吐いた。
◆
テューネと別れて廊下を歩いていると、きらびやかな一団が遠くに見えた。先導するのは濃い赤色の騎士服を着た第一騎士隊の騎士。王族が通ると判断して、道を開ける。王族や高位貴族が通る際、騎士は道や廊下の端に控え、利き手を胸にあて直立して通り過ぎるのを見守るのが、この国での作法。
中央を歩くのはヴィンセント王子だった。藍色に金で装飾されたキラキラしい王子の衣装を着た姿は、ただひたすらに凛々しい。髪も短くなっていてドレス姿の時とは全く異なっている。きっとこれから公務に向かうのだろう。
通り過ぎる直前、王子と視線があった。淡い微笑みと視線での軽い会釈。たったそれだけのことなのに、胸が高鳴る。
いつもの姿とは違うから。そう理由を付けてみても、どきどきするのは止まらない。
王子は私に声を掛けることなく、早足で行ってしまった。寂しくても、これが王子と騎士の普通の関係。身分違い。そんな単語が頭をよぎる。
魔王討伐の旅から帰った時、異世界の巫女という特別扱いではなく騎士として扱って欲しいと王に願った結果だから仕方がない。すべては私が望んだこと。
「さって、私もお仕事、お仕事」
心を奮い立たせるために呟いて、私は騎士の控室へと歩き出した。
◆
珈琲の香りと微かなシトラス系の香り。もう朝かと目を開くと、隣で女装の王子が眠っていた。目を閉じていても、あふれる色気は隠せない。
カーテンの隙間から零れる朝の光の中、王子の寝顔を観察する。
まつ毛が長い。ウィッグかと思っていたのに、どうやら地毛。魔法か何かで髪を伸ばしているのかも。至近距離で顔を見ているうちに、王子が少しやせたような気がした。公務と私の朝食作りで、疲れているのかもしれない。
公務の合間に令嬢たちから様々なことを習っているとテューネが言っていた。どうしてそんなに無理をして、私の嫁になろうとするのか。そうはいっても何かを期待してはいけないと思う。
私は勇者ラーシュの巫女に対する優しさを受けて『愛されている』と勘違いしてしまった。王子の優しさも、私が巫女だからというだけなのかもしれない。隣国王女との縁談を断る為だけでなく、もっと何か別の理由があるのかも。
「ん……」
身じろぎした王子の前髪がさらりと流れて、左のこめかみに小さな赤いアザが見えた。
「あれ?」
勇者ラーシュにも同じ場所に似たアザがあった。小さな小さな赤い薔薇のようにも見えるそれは、虫に刺された跡だと言っていた。同じ虫に刺されたのかもしれないけれど、場所も似ている。
髪で隠れてしまったアザをもう一度確認しようと手を伸ばした時、王子の目が開いた。ぼんやりと焦点の合っていない青い瞳、力の抜けた口元がふわりと柔らかな弧を描く。
それは最大級の衝撃だった。可愛い。絶叫したくなる程、可愛い。一気に鼓動が跳ね上がり、心がときめく。
王子が瞬きをすると、無防備な目覚めの表情は消え失せた。
「おはよう。ユリノ」
「お、おはようございます」
胸のどきどきは止まらない。落ち着こうと深く息を吸っても、頬が熱くなっていく。
いつものように、ベッドから押し出さなければと思っても、衝撃で体が動かない。くすりと微笑んだ王子が、私の髪を撫でる。
「寝顔を見られるのが嫌と聞いたから、私が後に起きればいいと思って」
「は?」
意味がわからない。
テューネは貴族特有の婉曲表現で伝えたから、変な風に伝わったのか。そうとしか思えない。冷静な判断力を取り戻した私は、王子をベッドから押し出して対峙する。
「私は、朝、ベッドに潜り込まないで下さいとお願いしたはずですが」
「そんな……。私、ユリノのお嫁さんなのにっ」
よろりとよろめく姿は、いつものとおり艶やか。きらきらと輝く金髪がさらりと肩を零れ落ちていく。
「王子と騎士なんて、身分違いです!」
「そんなことで悩んでいたのね! 大丈夫。私は気にしないから!」
咄嗟に口走った叫びの隙に、王子が抱き着いてきた。
私を包み込む腕の中から見上げる王子の微笑みは優しくて、微かに香るシトラスが心地いい。
「ユリノ……」
甘い声というのは、このことかもしれない。耳が溶けてしまいそうで動けない。
王子の片手が私の髪をそっと撫で、一房をすくい上げた。何をするのかと見ていると、王子の唇が髪に近づいていく。
髪にキスされる直前、羞恥に塗れた私は髪と平常心を取り戻す。恋人でも何でもないのに、こんなことされていい訳がない。
「出てけー!」
腕の中から抜け出た私は、王子を部屋から蹴り出した。
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