第九話 初めてのデートは散々でした。
テオドル特製の転移魔法の護符を使って訪れた辺境の地は、自然あふれるとても美しい場所だった。高台から見ると、あちこちに湖と泉が見えて、色とりどりの花畑が広がっている。テューネが言っていたそびえ立つ塔はどこにも見当たらない。
「魔女が住む塔って、どこにあるの?」
「隠蔽魔法が掛けられていて、月に一度だけ魔法が解けて塔の姿を見せる。……場所は知っているが、今日は忘れよう」
呪いは解かなくていいとヴィンセントは繰り返す。本人が必要ないというのなら、私は手を出さなくていいか。
「女装じゃなくて普通の服で良かったのに」
ヴィンセントは素朴なブラウスとベストにスカート。あちこちに花の刺繍が施されていて、とても可愛い。髪は長く、うっすらと化粧も施している。
「王子と気づかれると面倒だ」
成程。そう言う理由もあるのか。たしかに女装していると、王子の凛々しさとはかけ離れている。何より身近に感じるから不思議。
そう言う私も騎士服。旅の間に着ていた服は、いつの間にか無くなっていて、豪華な緋色のドレスばかりが更衣室に用意されていた。剣を下げているのは、剣帯に剣が無いとデザイン的に間が抜けてるから。
王宮の外だからなのか、ヴィンセントの顔も明るい。
「ユリノ。足元が危ない」
ヴィンセントが私の手を握って微笑む。手を繋ぐと男性の手だとよくわかって、どきどきする。
二人で手を繋ぎ、花畑を巡る。白いスズランに似た花。青くタンポポに似た小さな花。淡い緑のヒマワリに似た花。紫のアザミに似た花が揺れている。
写真を撮りたいと思った。スマホの電池はとうに切れているし、元の世界に戻っても見返すかどうかはわからない。
……ヴィンセントとの思い出は、形にしてしまうと後で悲しくなってしまうかもしれない。そう思い直して、目と心に美しい風景を焼き付ける。
お昼ご飯は爽やかな風が吹く草原で。一緒にヴィンセント特製のサンドイッチを頬張り、オレンジに似た青い果実や、紫色のリンゴを二人で分け合う。もう二度とこんな機会はないだろう。
美しい湖畔で沈む夕日を見ていると、ヴィンセントが口を開いた。
「ユリノ……名義だけでもいい。私を嫁にしてくれないか」
「どうして嫁にこだわるの? 呪いに関係あるの?」
私の問いにヴィンセントが口ごもる。
成程。ヴィンセントが私の嫁になることにこだわるのは、呪いという理由があってのこと。私が好きとか、そういう気持ちではないのか。
『なんだ。お前か、ヴィンセント』
唐突に女性の声がして振り向くと、艶やかな長い黒髪の女性が立っていた。透き通るような白い肌。濡れたような黒い瞳と赤い唇。豊満な胸の谷間を強調する黒いワンピースは、腰までスリットが入っていて、白い脚がちらりと覗く。年齢は二十代半ばから後半だろうか。
無言のままのヴィンセントが私を背に庇い、守護魔法を掛けた。
『お? ちょっとは学習したか。それよりお前は、その強大な魔力を隠蔽する努力をしろよ。朝から塔の周りをうろちょろされたら、気になって眠れないだろ』
塔と聞いて、気が付いた。もしかしたら、この人が〝塔の魔女〟。
「あ、あの……〝塔の魔女〟は貴女ですか?」
ヴィンセントの背から顔を出し、女性に問いかける。
『ああ。下界の奴らはそう呼んでるみたいだな。それがどうした?』
「話してはいけない」
ヴィンセントの制止の言葉と同時に、赤い光の球が飛んで来た。ヴィンセントが緑色の光で光球を砕く。
『俺はその女と話してるんだ。邪魔すんなよ。ヴィンセント』
魔女は顎で私の話の続きを促す。
「あ、あ、あの……呪いを解いて頂くのは、どうすればいいのでしょうか」
誠心誠意お願いすれば、魔女は話を聞いてくれることもあるとテューネは言っていた。一縷の望みを掛けるしかない。
『ヴィンセントの呪いか? それはダメだな。そいつは俺の沐浴を覗いた』
「覗いた訳ではない。あれは不慮の事故だ」
ヴィンセントが反論すると、魔女の表情が不機嫌そのものに変化した。
『俺は、その女と話していると言っただろ?』
魔女の手に赤い光球が現れて、剣の形になった。光は赤黒い剣へと変化する。
「ユリノ、下がっていてくれ」
ヴィンセントはスカートの下から短めの剣を取り出した。
『ふん。お前の剣の腕を見せてもらおうか!』
魔女と王子の剣戟が始まった。訓練ではない本物の命を賭けた戦い。魔王と戦った時以上の緊張感に足が震える。
魔王は抵抗らしい抵抗をしなかったと、今更ながらに気が付く。何度か剣を打ち合っただけで、隙だらけだった。繰り出す魔法はすべて魔術師テオドルと神官モルバリに防がれ、私が長い祈りの詠唱を行っていても無傷だった。
ヴィンセントに聖なる力を。持っていた剣を掲げ、祈りの詠唱を始めると魔女の視線がこちらに向いた。
『ちっ。めんどくせえ女だな』
手で払うような仕草で放たれた赤い光の刃が私へと向かう。それをヴィンセントが踏み込んで剣で弾いた。
「!」
想定外の動きでスカートに足を取られたのか、ヴィンセントが体勢を崩して地面へと膝と手を着く。
『とりあえず、お前は死んどけ!』
魔女が剣を王子に振り下ろす。恐怖を感じる瞬間もなく、白い光の煌めきに包まれて私の体が動いた。
金属がぶつかる嫌な音を立てて剣が削れた。私は王子に振り下ろされた剣を自分の剣で受け止めていた。
『あ? 俺の剣を止めた? はっ、何だそれ!』
魔女が後ろに跳んで距離を取った。私の剣は白い光に包まれている。
『ちっ。その光……お前、神力属性か。……使えねぇな!』
腐食してぼろぼろと崩れていく剣を魔女は投げ捨てた。また赤い光が剣の形になって、赤黒い剣がその手に出現する。
『そうか。お前が魔王を倒した巫女姫か』
「今の私は騎士だ!」
巫女姫ではなく、騎士として王子を護る。ラーシュが王女の手を取った時、巫女姫であることを捨てたことを思い出した。
「ありがとう」
体勢を立て直し剣を構えた王子と並ぶ。
『ふーん。そうか、ヴィンセント、お前が選んだのはこの女か』
魔女の真っ赤な唇が弧を描く。唐突に魔女が持っていた剣を投げ捨てた。
『よし。俺の願いを叶えてくれたら、呪いを解いてやるぞ』
地面に落ちた剣は砂のようになって消え、魔女は上機嫌な笑顔。
「願いとは何だ?」
ヴィンセントが問いかける。
『白い月が満ちる夜、舞踏会でその女と踊りたい』
「え? 踊る?」
いきなりの願いに戸惑う。そもそも、私は踊れない。
「断る」
未だ剣を構えるヴィンセントは即答してしまった。
「え、えーっと、それだけ?」
『ああ。それだけだ。我が
魔女が左手を軽く掲げると赤く光った。どうやら、これが真名に誓うということらしい。
「……えーっと。私、踊れないんだけど……」
王や王子から舞踏会を開くかと聞かれても断り続けたのは、それが理由。
『俺も踊れない。二人で練習するしかないな』
魔女はやけに爽やかな笑顔を見せる。
「それで、本当に呪いを解いてくれる? 悪い事したりしない?」
『ああ。誓ったことは絶対に破らない』
その言葉を聞いて、ようやくヴィンセントが剣を降ろしたので私も剣を仕舞う。
『そういや、あの時持って帰った薬草は効いたか?』
魔女がヴィンセントに問いかける。
「ああ。効いた。乳母は今も元気だ。感謝する」
『そうか。そりゃ良かったな』
ヴィンセントの乳母は、ラーシュの母でもあった。重い病気にかかり薬草をもらいに二人で塔まで来て、魔女の沐浴を目撃してしまったらしい。
魔女は意外と良い人なのかもしれないと思いかけて改める。いやいや。騙されてはいけない。悪人がちょっとでもいいことをすると、過剰にいい評価をしてしまうのはありがちだし。その印象操作を狙っているのかもしれない。
『よし、王宮に行くか!』
赤く艶やかな唇を弧にして、魔女が微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます