第十話 薔薇のペンダントはお守りです。

 魔女の転移魔法で、私たちは王宮へと戻った。私とヴィンセントが〝塔の魔女〟を連れてきたというので、王宮は大騒動。そうはいっても慌てているのは男性陣のみ。女性たちは全く動じずに、魔女を賓客として手厚くもてなしている。


 ヴィンセントは二十日後の満月に舞踏会を開くための準備の陣頭指揮をとって奔走していた。普通は最低でも二カ月かかる準備をたった二十日で終わらせようとしているのだから、物凄く忙しいらしい。朝は私のベッドで眠っている。


 無防備な寝顔を見ていると、ちくりと胸が痛くなる。結局、ヴィンセントも私が好きだから優しいのではなかった。呪われていたから、私の嫁になろうとしていただけ。


 またかという諦めを感じながら、それでも惹かれていく心は自覚している。元の世界に戻ったら、すべてはお伽話のような夢でしたと笑うことができるだろうか。


「ヴィンセント、そろそろ起きて」

 声を掛け、そっと金色の髪を撫でると柔らかな笑顔。一瞬とはいえ、ぼんやりとした無防備な表情は、きっと私だけのもの。


「おはよう、ユリノ」

「……ヴィンセント。……その手は何?」

 私を抱き寄せようとする手をぺちりと払うと、再び近づいてきた手が私の髪を一房すくいとる。『真実の愛』という言葉が頭をよぎり、一瞬で顔が熱くなる。


「起きろー!」

 私はヴィンセントをベッドから蹴り落とした。


     ◆


 無言で花茶を飲んでいたテューネが、真剣な顔で口を開いた。

「ユリノ。そのような倒錯した趣味をお持ちだったのね」

「待って、テューネ。それは誤解よ」


 恒例になりつつあるテューネとのお茶会の席に、何故か魔女が参加していた。しかも椅子に座る私の背後に立ち、後頭部に胸を押し付けつつ肩から首に腕を回している。さりげなく胸に近づく手をぺちりと叩き落す。


「お願い。暑苦しいからくっつくのはやめて」

『おや? 俺に逆らっていいのか?』

 むにゅり。振り返った私の頬に豊満な胸が当たる。ムカつく。ヴィンセントを呪った魔女でなければ、巫女の力で退けられるのに。


 魔女はやたらと私に絡みたがる。王宮に来た日の夜も、当たり前のように私のベッドで眠ろうとした。自分の部屋で寝てと言うと、素直に客室へ向かったけど。


「……あれ? もしかして、ヴィンセントより聞き分けいい?」

「ユリノ……すっかりこの方に心を移していらっしゃるのね」

『お? そうなのか? 俺は大歓迎だぞ』


「違うわよ。まだマシかもっていうだけで、大差ないから」

 ヴィンセントも魔女も性別が違うだけで、隙あらば抱き寄せたりセクハラ三昧なのは同じだし。


「椅子に座って」

『仕方ねーな』

 どかりと音を立てて、魔女が空いた椅子に座る。脚を組んで座る姿は荒っぽいのに、豊満な胸と引き締まったウエスト、腰の曲線が艶やかさを強調している。透明感のある白い肌に赤い唇。長い黒髪。その口調と仕草以外は完璧な美女過ぎて、溜息しかでない。


 おそらくは目を細めたテューネも同じことを思っている。二人で顔を見合わせて、同じ溜息を吐く。


『おい、酒をくれ』

「まだ日が高いわよ。酒臭いのは絶対にお断りよ」

 私が騎士の訓練に出ている時は、客室でずっとお酒を飲んでいると聞いている。いくら飲んでもお酒臭くならないのは知っていても、心配にはなる。


『……仕方ねーな。じゃあ、お前の茶をくれ』

 お酒を用意しようとした侍女を止め、私は飲んでいた花茶を魔女に差し出した。


      ◆


 珍しく、というより初めて王子の格好でヴィンセントが騎士の訓練場に現れた。

騎士たちがさっと直立して迎える光景も初めて見る。王子がドレス姿で現れる時の浮ついた空気は一切見られない。


 隊長に私の名が呼ばれて正式な呼び出しと告げられ、訓練場に一番近い部屋に案内された。ヴィンセントが完全に人払いを行い、部屋には二人だけ。


「ユリノ、これを受け取ってくれないだろうか」

 ヴィンセントは上着のポケットから、金の鎖のペンダントを取り出した。二センチ大のペンダントヘッドは、金の土台に淡いピンクの石。白い薔薇の繊細な浮き彫りが施されている。


「ペンダント?」

「護符だ。私の魔力を込めてある。……ユリノの神力が足りなくなった時に使ってほしい」


「足りない時?」

「ああ。巫女姫は魔力を神力に変えて使うことができると聞いている」

 ヴィンセントの指が鎖の金具を外し、私の首に掛けた。近すぎる距離に胸がどきどきするのは、きっと王子様の姿のせい。ふわりと香るのはいつものシトラス系の匂いなのに何故かときめく。


 澄んだ音を立て、ペンダントが騎士服の胸に輝く。

「ありがとうございます。いざという時には使わせて頂きます」

 魔女に絡まれている私を心配してくれているのだろう。拒む理由もないし、何より嬉しい。


「ユリノ……」

 何かを言いかけたヴィンセントの言葉を遮るように、扉が静かに叩かれた。

「……すまない。時間が来た」

 寂しげな表情をして、ヴィンセントが部屋の扉を開けた。


      ◆


 雨が降り、騎士の訓練が休みになった。本来は王宮内にある騎士の控え室に詰めなければならないのに、私は魔女の相手をするようにと隊長から正式な命令を受けていた。


 魔女が滞在する客室は、とても明るい。私が巫女姫だった頃に使っていた部屋に似ていて、アイボリー色の家具に淡いピンク色の窓布。花瓶にはたくさんの花が活けられている。


 そんな可愛らしい部屋の中、魔女はだらしなくカウチに寝ころび、あらゆるお酒の瓶が周囲に転がっている光景は不健全そのもの。


 グラスを使うのがめんどくさいと、直接飲んでいた酒瓶を魔女から取り上げ、テーブルの椅子へと座らせる。魔女は私が淹れる花茶しか飲まない。


「はい、花茶。ねぇ、お酒ばっかり飲んでて、体は大丈夫なの?」

『飯なんて必要ねーよ。これで三百年以上生きてるんだぞ』


 この世界の魔女というものがよくわからない。見た目は人と同じだし、魔物のような嫌な気は発していない。控えていた侍女さんたちにお願いして、空き瓶を片付けてもらうと一本も残らなかった。


「ちょ。マジで飲みすぎ。お酒でカロリー取ってるの?」

『熱量? なんだそりゃ』


「えーっと、お酒が食事替わりなの?」

『いや。酒を飲むのは趣味みたいなもんだな。飲まず食わずでも、俺は死なない』

「へー。それはちょっと便利かも」

 その見事なプロポーションの秘訣を知りたいと思ったけれど、普通の人間じゃなさそうだから、聞いても意味がないかも。


「塔でもお酒ばっか飲んでるの?」

『いや。俺の専門は創薬だ。あの辺りには珍しい薬草がたくさんあるからな。研究には事欠かない』

 大酒飲みだけど良い魔女。そんな気がしてきた。


 薬草の話を聞いていると、静かに入って来た侍女が魔女にメモを手渡した。

『ユリノ、モルバリとかいうヤツがお前に急用があるらしいぞ』

 魔王討伐の旅で一緒だった神官モルバリ。久しぶりにその名前を聞いて懐かしい。


 入って来たモルバリは、慌てていた。いつも一つに結んでいる水色の長髪はそのままで、橙色の瞳を微かに揺らしている。白い詰襟で長い上着にゆったりとしたズボンという神官服を着た姿は、細身の女性にしか見えない。


「お久しぶり。どうしたの? 何か心配事?」

 モルバリはいつも優しくておっとりしている。野外料理が得意で、細かい所に気が付く人。私は「勇者パーティのお母さん」と心の中で思っていた。


「ユリノ、すまないが僕たちを助けてもらえないか」

 モルバリが口を開いた途端、魔女が顔をしかめた。


『あ? お前、男か? おん……』

 私は咄嗟に魔女の口を手で塞いだ。女みたいという単語は、モルバリには絶対に禁句。その言葉を言われると、モルバリは後で盛大に凹んで愚痴っぽくなる。はっきり言うと、うっとおしくてなだめるのが大変。


「た、助けるって? 私にできること?」

「強い神力が必要なんだ。神殿まで来てくれないか」

 魔女の口を塞いだまま、私はモルバリの要請を承諾した。

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