第十一話 赤い宝石の声は、闇への誘い。

 王宮内の客室から神殿の入り口へと、魔女が転移魔法で私とモルバリを運んだ。白い石で出来た神殿には清浄すぎる空気を感じる。常に背筋が伸びるような緊張感が漂うので、あまり好きな場所ではない。


 いつもは神官たちがせわしなく行き交う広い中央廊下を誰一人として歩いていない。不気味な静寂の中を早足で進んでいく。


 モルバリに案内されながら、空気が淀んでいくのが分かった。針で刺すようなぴりぴりとした痛みが指先を包む。

「何があったの?」

「今朝、呪物が……呪われた首飾りが持ち込まれたんだ。所有者が次々と死に、ついには一つの村が全滅したらしい。神官長が浄化の儀式を始めたら、宝石の中から魔物が溢れ出した」


「今、神官長と神官が神力で結界を作って封じ込めてるけど、浄化する為の神力が足りないんだ。だからユリノの神力を借りたい」


 神殿中央の祈りの間と呼ばれる部屋の扉の前で神官長と神官たちが祈りを捧げていた。扉や壁が白い光に包まれている。


「巫女姫ユリノをお連れしました!」

 モルバリの声で神官たちの安堵の息が漏れる。その期待は完全にプレッシャー。扉の隙間から漏れてくる淀んだ空気が、魔王の城を思い出させた。


 ――あの時、私を護ってくれた勇者はもういない。


 神力という不思議な力を与えられていても、怖い物は怖い。体が震えそうになった時、魔女の手が私の肩を包んだ。

『ユリノ、俺が必ずお前を護ってやるから、心配すんな』


 ラーシュと全く同じセリフを聞いて、私の恐怖が落ち着いた。女性なのに自信たっぷりな笑顔がとても頼もしく見える。


『ユリノ、俺が魔法で魔物を消すが、おそらく呪物は魔力では壊せない。お前の神力で壊すしかないが、いけるか?』

「わかった。任せて」

 私の答えを聞いて魔女は豪快に笑い、私の肩を優しく叩く。たったそれだけなのに、気持ちが決まった。これが腹を据えるということなのか。


『おい、お前ら! 俺が合図したら扉を開け放て! 火炎魔法で魔物を焼き払う!』

 魔女の手が肩から離れ、呪文の詠唱が始まった。赤い光の線が魔女の体に模様を描いていく。私は剣に浄化の術を掛けた。

 

『扉を開けろ!』

 魔女の合図で、両開きの大きな扉が重い音を立てて開かれた。黒い泥のような得体の知れない何かが触手を伸ばして逃げ惑う人々へと襲い掛かる。


『劫火招来! 悪しき物を焼き尽くせ!』

 魔女の左手から放たれた赤い炎が、巨大な二匹の蛇が絡み合うようにうねりながら泥を炎で焼いていく。炎の蛇は扉の中へと突入し、ごうごうと音を立てて部屋の中を炎で満たした。


『行くぞ、ユリノ。俺の後ろから着いてこい。他は続けて結界を張れ!』

 魔女の言葉に頷いて答える。魔女はとても凛々しくて、安心して着いて行けるような気がした。


 走り出した魔女の背中を追って部屋の中へと入る。炎で焼かれたはずなのに、壁も床も調度品も焼けていない。魔女の炎は魔物だけを焼き尽くしたのか。


『あれか……』

 見上げる魔女の視線の先、金色の首飾りが宙に浮いていた。大小の金の円盤をつなげたような形で、首飾りと言うよりベルトに近い印象。中央には私の握りこぶしくらいある巨大な赤い宝石が嵌められている。


「……何か……気持ち悪い……」

 光の加減なのか、円盤の一つ一つが目を細め口を弧にして笑っているように見える。視線が合ったように感じて、ぞくりと背筋を悪寒が走り抜けていく。


『ヤバイな……どんだけ人を喰らってるんだ……』

「何? どういうこと?」


『あの赤い宝石あるだろ? あれは人の命だ。数千、下手すりゃ万の命を取り込んでる。浄化する前にあの石を割らないと厳しいな』

 魔女の手に赤い光が現れて、赤黒い剣へと変化した。魔法攻撃ではなく、物理攻撃で割る必要があるらしい。私も剣を抜いて構えた。


 背後で開いていた扉が勢いよく閉まり、ちらりと振り返った魔女が鼻で笑う。

『それで俺たちを閉じ込めたつもりか。とっとと片付けるぞ』


 部屋は闇に塗りつぶされ、首飾りが歌い出した。一人の声ではなく、何十、何百という人の声が、体に絡みつく。

『ユリノ、声を聞くな!』

 魔女に注意されても耳は歌に囚われて、一人一人の怨嗟の声が心を揺さぶる。


『神力で浄化しろ! ユリノ!』

 魔女が私の肩を抱いて揺さぶっているのはわかる。それなのに体は言うことを聞かない。


 そして私の意識は、闇に沈んだ。


      ◆


「あれ?」

 朝の光で目を開くと、元の世界の自分の部屋だった。女性専用のワンルームマンションの一室。


 何か物足りない気がしながらベッドから起き上がると、いつものパジャマ。持っていたはずの剣もないし、騎士服なんて影も形もない。


「えーっと、夢。だったのかな」

 それにしては生々しい夢だった。異世界での半年の旅は大変だったし、騎士になった後は女装の王子に追いかけられて。


 王子の笑顔を思い出して、きゅっと胸が痛む。また夢を見れば会うことはできるだろうか。

 

 時計を見ると朝の六時。もう一度眠ろうかと思ったけれど、起き上がる。

「今日、何日だっけ?」

 手にしたスマホは何故か電源が入らない。充電器の上に置いても反応しない。


「まさか、故障? まだ買って三カ月なのにー」

 保証期間内だから、交換してもらえるはず。バックアップデータはクラウドサーバーにあるからすぐに戻せる。


 壁に貼られたカレンダーには、大学の講義の時間とバイトの時間がびっしりと書き込まれている。これが私の本来の日常。今日も一日が始まると息を吐く。


 ――高校生の時、家が火事になった。私の家は古くから続く和菓子屋で、祖父母と父母が犠牲になって。ちょうど修学旅行中だった私だけが助かってしまった。


 家も店もすべてが燃え尽きて、何が原因だったのかは不明のまま。突然のことで実感がなくて泣くこともできず、何がなんだかよくわからないままにお葬式が行われ、集まった親族から遺産について聞かれた。


 遺影の前で、親族は祖父母の遺産でもめた。店舗を兼ねた家は駅近くの一等地にあって、古くから取引のある上客も多かった。私は全然知らなかったし、贅沢もしていなかったのに実は物凄い資産があった。


 何もわからなかった私は親族たちに騙され、このマンションの一室を与えられて放り出された。


 今ではたった一人、奨学金を受けて大学に通い、毎日のバイトで生活費を稼ぐ日々。高校の時の友達とは何となく気まずくて会えなくて、大学ではバイトに忙しくて友達は作っていない。


「そっか。また独りになっちゃったのか」

 夢の中での楽しい日々が、遠くて懐かしく感じる。何よりも、女装の王子との朝の馬鹿馬鹿しいやり取りが、一番楽しかったと気が付いた。


 私が勇者との結婚を夢見ていたのも、独りが寂しかったから。


「さて、現実に戻らなくちゃ。夢は夢だし」

 カーテンを開けると白い光が部屋を照らす。窓の外に青空はなく、ただ白い。


「え?」

 異常を感じて胸に手を当てると、硬い何かがが指に触れた。視線を落とすと、王子から贈られたペンダント。


 すべては夢だと思っていた。それなのに、このペンダントはここに存在していて。


 ペンダントから、遠く誰かが呼ぶ声が聞えるような気がする。

「……ヴィンセント?」  

 何故、私を呼んでいるのか。夢ではなかったのか。微かな声に聴き耳を立てて、私は目を閉じた。


      ◆


「ユリノ!」

 再び目を開くと、王子の姿のヴィンセントが跪いて私を抱きしめていた。

「な、何? 何が起きたの?」

「闇の力に意識が飲み込まれていた。私の光魔法でユリノの意識を呼び戻した」

 ヴィンセントが安堵の息を吐き、強く抱きしめる。


『……悪いが、そろそろ限界だぞ』

 不機嫌な魔女の声を聞いて周囲を見渡すと、黒い泥のような物が波打ち、うごめいていた。禍々しいという表現がぴったりで、絶対に触りたくない。


 魔女は赤い光でドームを作り、私とヴィンセントの三人を包んでいる。ヴィンセントの手を借りて立ち上がり、私は自分が無事であることを確認。

「大丈夫。私も戦えるから」

 剣を構えても平気。


『ユリノ、俺たちが雑魚を片付けるから、お前は浄化の祈りに専念しろ。祈りが完成したら、お前の道を作る』

 魔女が視線で指し示したのは、宙に浮く首飾り。あの宝石を浄化しろと魔女が言う。

 

『障壁を解くぞ。準備はいいか』

「いつでも構わない」

 ヴィンセントの答えを聞いて、魔女は赤い光のドームを消した。ヴィンセントと魔女の足元には黒く濁る泥が巻き付いているのに、私だけが緑色の光に包まれている。


「私の障壁だ。ユリノを必ず護る」

 短い一言の後、走り出したヴィンセントは緑色の炎に包まれた剣で周囲の泥を切り裂く。魔女も赤い炎の剣で泥を焼いていく。

 

 私は私の役目を全うしなければ。剣を掲げ、この世界を作った女神に祈りを捧げる。


 首飾りの宝石から滴り落ちる黒い泥は意思を持っているかのようにうごめき、ヴィンセントと魔女を捕まえようと様々な形になって襲い掛かる。私へと向かって来た泥は、緑の光に触れると消えていく。


 祈りの詠唱は長い。ヴィンセントと魔女に疲労が滲む。

 私を助けてくれた二人を助けたい。ただそれだけが私の願い。


「完成した!」

 剣は清浄の白い光で輝く。浄化の祈りは、女神の力。すべての闇を消滅させる光。


『よし、ヴィンセント、ユリノの道を作るぞ!』

 魔女は赤い炎の蛇で泥を焼き、ヴィンセントは緑色に光る茨の蔓で泥を消し去っていく。


 私の前に首飾りへの道が出来た。

「行きます!」

 二人が作った道を駆け、巫女の力で跳躍する。剣を赤い宝石に振り下ろす瞬間、「やっと死ねる」という声が聞えた。


「浄化!」

 清らかな白い光は、闇を内包する赤い宝石を粉々に砕いて消し去った。

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