第八話 実は呪われていたようです。
久しぶりに雨が降る午後。私はテューネに誘われて、王宮の一室でお茶を飲んでいた。
「ユリノ、まだ抵抗していらっしゃるの?」
「そりゃあ、抵抗するわよ。良いお嫁さんになるとか言われても、嫁はいらないから」
公爵家令嬢のテューネは、年上かと思っていたら私と同い年だった。いつの間にか、時々午後のお茶を一緒に飲むようになっている。
この国に紅茶はなく花茶が飲まれている。乾燥させた花びらや葉、植物の根、そういった物にお湯を注いで抽出した物。要するにハーブティ。今日は淡い紫色の花茶。レモンに似た酸味が気分をすっきりとさせてくれる。
「この世界で髪にキスをするって、どういう意味なのか知ってる?」
「まぁ! もしかして、ユリノ……! ヴィンセント様から髪に口づけを?」
テューネの緑色の瞳がきらきらと輝く。
「誤解しないで。まだされてないから」
これまでは、何とか逃げ切っている。やたらと見せつけながら髪にキスしようとするので、気になるだけ。
「それは残念ですわね。女性の髪に殿方が口づけるというのは、『真実の愛を永遠に貴女に捧げる』という誓いの意味がありますのよ。ですから気軽には致しませんの」
「そ、そ、そうなんだ……」
その光景を思い出すと恥ずかしい。熱くなっていく頬を隠し、心の中でのたうち回りながら花茶を口にする。真実の愛なんて、小説かマンガの中でしか見たことないから、聞いているだけで恥ずかしくてたまらない。
「未遂ということは、可能性があるということですのね?」
期待に輝く、きらっきらな瞳は夢見る乙女。
「大丈夫。絶対、阻止するから」
真実の愛なんていう恥ずかしい言葉を聞いてしまっては、絶対に逃げるしかない。ぐらぐらと迷う瞬間が増えてはいても、やっぱり私は元の世界に帰るべきだと思う。
「あ、そうだ。赤い薔薇みたいな噛み跡を残す虫って、どこにいるの?」
「赤い薔薇? ……まさか……左のこめかみに?」
「そうそう」
「それは辺境に住む〝塔の魔女〟の呪いに掛けられた証拠ですわよ。一体どなたが? ……ユリノ!?」
不意打ち過ぎて、お茶で盛大にむせてしまった。心配顔のテューネに背をさすられながら考える。呪い? ヴィンセントとラーシュの二人とも?
「あ、あの、旅の途中で会った人なの。今、どうしてるかな、って」
苦しい嘘だと思ったのに、テューネはあっさりと私の言葉を信じてしまった。貴族令嬢は疑うことを知らないのかもしれない。
「〝塔の魔女〟の呪いって、どういうもの?」
「三百年前から辺境にそびえ立つ塔に住んでいる魔女なのですけれど、とにかく男性が嫌いな方で、男性と会うと呪ってしまうのだそうです」
「その呪いは様々で、柱に足の指をぶつけるという軽いものから、命に係わるものまで、魔女の気分次第だと聞いております」
軽くても地味に痛そうな呪いで苦笑してしまう。
「月に一度、お酒を買いに近くの町に現れるそうですの。その日は町の男性全員が女装して過ごすとか」
「魔女には使い魔とか下僕とか、そういうのはいないのかしら。自分でお酒買いに行くなんて庶民じみてるっていうか、呪い掛けちゃうような悪い魔女って思えないんだけど」
「実際、女性や子供には優しいのだそうです。誠心誠意お願いすれば、病気に効く薬を作って下さったり、病に掛かった子供を魔法で助けたりするそうですのよ」
「あ。良い魔女でもあるんだ……。男嫌いなだけかー」
そんな魔女から、二人はどんな呪いを掛けられているのだろう。
「魔女の呪いって、どうやって解くのか知ってる?」
「やはり魔女を倒すしかないのではないでしょうか。魔王を倒したユリノなら、魔女も倒せるのではなくて?」
「でも、良いこともするんでしょ? 倒すって対象じゃないと思うなぁ。呪い解いてって、お願いするのが現実的かなー」
テューネが緑の目をきらきらと輝かせ始めた。
「旅でお会いした方を、とても気になさっているのね。まさか、その方がユリノの想い人?」
「ちーがーいーまーす」
どうもテューネは、隙あらば恋愛方向へと話を持って行ってしまう癖がある。私は話題を替え、テューネとのお茶を楽しんだ。
◆
今日の朝食は、具沢山のスープとパン。新鮮な野菜のサラダ。スープには、煮込まれて柔らかくなった肉が入っていて、口に入れるとほろりと解けて旨味が広がる。
「あ、これ美味しい……」
「口にあって良かった」
微笑むヴィンセントは今日も藍色のワンピースに生成色のふりふりエプロン。それで男口調だから違和感がある。
「肉をこんなに柔らかくするのって、時間掛かったでしょ?」
「実は魔法で時間を進めた。この肉は先日のガートゥだ」
驚いた。ガートゥの肉と言えば、硬くて噛み切るのも大変というイメージしかない。
「煮込むと、あの硬い肉も柔らかくなるんだ」
「ああ。このスープは乳母に教えてもらった。子供の頃、体調を崩すといつも作ってくれた料理だった」
優しい微笑みは、その記憶を思い出しているのだろう。見ているだけで私も優しい気持ちになる。
ふわりと緩んだ空気の中、私は疑問をぶつけてみることにした。
「ねぇ、ヴィンセント。……〝塔の魔女〟に呪われてるの?」
私の唐突な問いに、パンを食べていたヴィンセントがむせた。慌てて背中をさすって、飲み物を手渡す。
「……だ、誰から、聞いた?」
「こめかみに薔薇のアザって、ラーシュも同じ所にあるの。呪われた印なんでしょ?」
テューネから聞いたとは言えないから誤魔化すしかない。
「ああ。確かに私は呪われている」
「呪いって、どうやって解くの?」
「解くことのできない呪いだ……いや、ユリノが私を嫁にしてくれれば問題ない」
「は?」
何か話題が別の方に切り替わった。ヴィンセントが私の手を握る。
「私を嫁にして欲しい」
その近すぎる青い瞳が真剣で、どきどきしてしまう。思わず承諾しかけた気持ちを引っ張り戻す。
「お断りします」
きっぱりと断った私は話題を変え、美味しい食事を最後まで堪能した。
◆
結局、呪いの内容はわからないまま。ラーシュに聞いてみようかと思っても王女といる区画には行きたくない。
「どうしようかなー」
騎士の訓練場へと大回廊を歩いている途中、反対側でテューネが私の名を呼んで手を振っていた。貴族令嬢が平時に大声を上げることはめったにない。一体何がと思いながら、回廊の間の中庭を巫女の力で跳び越える。
「まぁ! 素敵ですわね!」
跳ぶ姿がカッコよく見えたらしい。褒められると嬉しい。
「ユリノ、こちらは転移魔法の護符です。発動方法はヴィンセント様ならご存知だと」
手渡された葉書くらいのサイズの羊皮紙二枚に、複雑な魔法陣が描かれている。魔王討伐の旅で何度も見たテオドルの特製の護符に酷似していた。
「え? どういうこと?」
「〝塔の魔女〟を倒しに行くのでしょう? お一人では難しいと思いますが、ヴィンセント様と一緒なら、きっと倒せると思いますわ」
「これ、テオドルの護符でしょ? テオドルと知り合いなの?」
「魔術師テオドルはわたくしの兄ですの」
「えぇぇぇぇぇ! 全然似てな……あ。髪と目の色は同じか……」
いつも黒い魔術師のローブを着てフードを被っていた。病的に痩せていて顔色の悪い人という印象しかない。そうか。よく考えれば顔は整ってたかも。それでもこの可憐な美人の兄とは思えない。
テオドルはユーホルト公爵家の第三子でテューネは第四子。この国の貴族の家を継ぐのは第一子と決められていて、第二子以降は自力で功績を上げて爵位を獲得するか、婿入りしなければ貴族ではいられない。魔力が強く、才能があったテオドルは早々に魔術塔に所属して魔術師になった。
「じゃあ、テューネも魔法を?」
「いいえ。若干の魔力は持っておりますが、魔法を使える程はありませんの」
「えー。転移魔法なんて便利なのがあるんだったら、これ使えば早かったのにー」
半年の苦しい旅の意味は何だったのか。こんな魔法があるのなら、早く教えて欲しかった。
「この転移魔法の護符を制作する為に、魔力を使い果たしましたので、兄は半年間魔法が使えないのです」
「え? そんなに凄い護符なの?」
「それに、魔王がいた黒い森では転移魔法は無効化されてしまうそうですの」
「あー、そうなんだ。でも、魔女を倒しに行く予定ってないんだけど」
「塔の近くには、花々に囲まれた湖や泉がたくさんありますのよ。ヴィンセント様とお二人で景色を楽しむだけでもよろしいのでは?」
「そ、それって……」
デート。お花畑でピクニック。一気に押し寄せた妄想が、頭と頬を熱くする。
「え、あ、そ、その。でも、そんな事でテオドルの半年分の魔力使っちゃうのって悪いなーって思うんだけど」
「あら。別に構わないと思いますわよ。兄もユリノがもっとこの世界を好きになって、残ってくれたらいいと申しておりましたし」
半年間一緒に旅をしていても、あまり話すことも無かったのにテオドルはそう思っているのか。
「いつでも使えるそうですから、兄の贈り物と思ってお持ちになっていて」
「……ありがとう。テオドルにも伝えて」
微笑むテューネとテオドルに感謝して、私は護符をポケットに入れた。
◆
テューネと少し話をしてから騎士の訓練場に着くと、真剣な顔をした騎士仲間に囲まれた。
「ユリノ、お前〝塔の魔女〟を倒しに行くんだって?」
「は? 行かないわよ」
誰から聞いたのかと問い掛けそうになって、大回廊は会話も筒抜けだと今更気が付いた。テューネとの話を誰かが聞いていたのだろう。それにしても伝わるスピードが速すぎる。
「あー、びっくりした。魔王の次は魔女かと、俺たち驚いたのなんのって」
皆、心配してくれたらしい。行くなら同行するつもりだったと笑う。
「心配してくれてありがと。行くつもりないから大丈夫よ」
お礼を言って気が付いた。ヴィンセントが女装で訓練場に現れてから、騎士仲間との心の壁が無くなったように思う。気軽な会話はもちろんあったけど、性別の違いなのか、それとも試験も何もなく入隊したからか、微妙な線引きがあった。それが今は一切感じない。
「よし、訓練始めるぞー!」
「おう!」
「はーい!」
もうすぐ帰るのに。少し寂しい思いを隠して、私は皆と走り出した。
◆
就寝直前、浴室から出ると藍色のドレス姿のヴィンセントが椅子に座っていた。
「ヴィンセント? どうしたの? お茶でも飲む?」
「いや。すぐに戻る」
夕食は食べた後。何か用だろうかと私も椅子に座る。
「……〝塔の魔女〟を倒しに行くと聞いたのだが……」
「あー、それは嘘。ヴィンセントが呪われてるっていうから、魔女にお願いして呪い解いてもらえないかなって思っただけなの」
「……それは……すまない。気を遣わせてしまった」
「気を遣った訳じゃないの。えーっと。えーっと……」
どうしよう。女からデートに誘うのは変だろうか。そうは言っても、もうすぐ帰るのだから王子様とデートの思い出を作ってみたい。
「あ、あのね……魔女の塔の周りって、湖とか泉とか綺麗な景色があるって聞いたんだけど……」
「ああ。今は一面の花畑の場所もある。……魔女のことは忘れて、一緒に見に行こうか」
「え? い、いいの?」
口にする前に誘われてしまった。嬉しくて頬が熱くなっていく。
「明後日、時間を作る。良い場所を知っているから、一緒に行こう」
微笑むヴィンセントに手を引かれると、勢いづいて椅子から立ち上がった私はヴィンセントの腕の中に飛び込んでしまった。ヴィンセントの膝の上、一気に鼓動が跳ね上がる。
近すぎる距離に鼓動が高鳴る。ヴィンセントの手が髪を撫で、一房をすくい上げて唇を寄せる。髪へキスされる直前に『真実の愛』という言葉を思い出し、羞恥が私の頭を爆発させた。それはとっても恥ずかしい。
「おやすみなさいっ!」
髪を取り戻し、腕の中から抜け出した私は王子を部屋から蹴り出した。
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