第七話 名前を呼んでもいいですか。

 第三騎士隊が訓練に使っている広場は、広大な王宮の正門から近い。私たちが模擬剣で試合をしている時でも、すぐ近くの石畳の道を豪華な馬車が何台も通っていく。


「ね。あの物凄い豪華な馬車って貴族の馬車でしょ? 何でこんなに近くを通っていくの? 別の道もあるでしょ?」

 仰々しい服を着た人々が馬車の窓から覗いていることもあって、目が合う時もある。小さな子供がいる時には、思わず手を振ってしまう。異世界でも、やっぱり子供の反応は可愛い。


 訓練中、特に馬術訓練をしている時には、訓練場一帯は酷い砂埃に包まれる。風向きによっては馬車道が霞むこともあって、そんな悪条件の中を通るより迂回した方がいいように思う。正門からの道は一本ではないのだし。


 隣りにいた女嫌いの騎士がめんどくさそうな顔をしながらも口を開いた。

「正門から入ってくる馬車は、必ずここを通ることに決まってるからな。……あの紋章は外国からの客だな。俺たちが見世物みたいになってるのは広報と威嚇だ」

「広報と威嚇?」

 二つの言葉の意味がさっぱりわからなくて、首を傾げてしまう。


「普通の国では、騎士の訓練は貴族たちからは見えない場所で行われるそうだ。だから貴族たちは平時に騎士が何をしているのかわからない。ところが、この国では騎士が剣持って戦ってるのがいつも見える」

 

「うちの国の貴族たちには、戦争やってない時に騎士が何やってるのか知ってもらう。これが広報な」

 横で剣を振っていた別の騎士が口を挟む。


「外国の貴族には、こんな正面近い場所で訓練する程、騎士が多いのかと錯覚させる。兵士は騎士の数百から数千倍だ。この国の兵力を過大評価させることで威嚇する」

「威嚇したら、どうなるの?」


「戦争が防げる。めちゃめちゃ強そうなヤツに、喧嘩吹っ掛けようとする馬鹿は中々いないだろ」

「へー。そうなんだー」

 そう説明されても戦争と喧嘩が同等イコールとは思えなくて、いまいちピンとこない。そんなものかと無理矢理納得しておく。


「ユリノ、手合わせするかー?」

「はいはーい! よろしく!」

 最近、騎士仲間が気軽に練習相手になってくれて嬉しい。今までは隊長か副隊長しか相手になってくれなかった。


 模擬剣を構えて対峙する。魔物相手と違って人に剣を向けることは本当は怖い。刃を潰してあるからといっても、振り下ろす鉄の威力はすさまじいものがある。


「手加減無しで!」

「おう! 俺はそんな器用な真似はできん!」

 いつもは笑っている騎士仲間も、剣を持つと真顔になる。豪快なフォームで繰り出される攻撃を避け、その隙を狙って剣で薙ぐ。


 もちろんそんな単純な攻撃は見きられて、下からの剣で弾かれる。空へ向かった刃を上段から振り下ろすと剣で止められて火花が散る。


 命がけの勝負で、怪我をする心配はしていられない。振り下ろされる相手の剣を止めることだけに集中する瞬間が……楽しい。


 召喚時に付与された身体能力は、戦う為のもの。元の世界に戻れば、私は普通の人間になる。自由自在に剣を振るうことも馬に乗ることも、きっと二度と叶わない。だから、今を精一杯楽しみたい。


 剣を交わすうち、お互いの剣筋に疲労が見えてきた。そろそろやめる頃合いかと剣を降ろす。

「降参ー!」

「はー。良かった。俺、もう完全に限界超えてた」

 相手の騎士が、剣を支えにして項垂れる。騎士仲間は意地でも私より先に剣を降ろそうとはしないから、かなり無理をしていたらしい。


 力の入り過ぎた腕を回し、体のあちこちの筋肉を伸ばすと気持ちいい。流れる汗を布で拭くと爽快感に包まれる。


 剣とは比べ物にならない程の金属での打撃音が訓練場全体に響き渡った。何の音かと見回すと、遥か遠く、第一騎士隊が使う訓練場で誰かが戦っているのが見える。


「何?」

「ヴィンセント王子と副隊長だ」

 王子の金髪と、副隊長が持つ巨大な戦斧が煌めくのは見えても、遠すぎてよくわからない。


 副隊長が一番得意なのは、巨大な戦斧での戦闘。過去に一度、騎槍を持った隊長と模擬戦をしていた光景しか見たことがない。


「見物に行くか?」

「え? いいの? だって第一騎士隊の場所でしょ?」

 たかが訓練場と言っても、縄張り争い的なものがすさまじいのは知っている。それぞれの騎士隊の隊員は、身分の上下だけではなく仲が悪い。


「どうせ第一騎士隊のヤツらは訓練なんて滅多にしないからな。見ろ、他に誰もいないだろ」 

 そう言われてみれば、第一騎士隊が訓練しているのを見たことがない。第二騎士隊も月に数回見かけるだけ。


「第一騎士隊は訓練しなくていいの?」

「……あいつら気位だけは高いからな、表では訓練なんてしないらしいぞ」

 

 第一騎士隊は全員が貴族の第一子。プライドが高いのは嫌と言う程知っている。あの人たちが陰で訓練しているのかと思うと、そうか大変だなぁとしみじみとしてしまう。


 訓練場の周囲を囲んで生い茂る木々に隠れるようにして、数名の騎士仲間たちと回り込んで近づく。その間も、戦斧と剣が切り結ぶ金属音が力強く響き渡る。


 王子も副隊長もシャツにズボン、ブーツという軽装で戦っていた。副隊長が持つ戦斧は巨大で、普通の人間なら真っ二つにしてしまいそうな勢いがある。そんな刃を普通に見える剣で受け止める王子の技術は凄い。


 木の陰から壮絶としか感想が出ない戦いを覗き見る。

『うわー。剣、折れそう』

『いつ見てもすげーな』

『おい、副隊長本気だぞ』


 二人とも、火花を散らして刃を交わしながら笑う。その笑顔からは戦いを心の底から楽しんでいることが伝わってくる。怖いと思いながらも凛々しさとカッコよさで目が離せない。


 王子は女装の時とは全く違う。好戦的に輝く表情、重い剣を自由自在に操って戦う姿は完全に男性で、どこか遠い人のように感じて、胸がちくりと痛む。


 本当は私の近くにいてはいけない人。私は近づくことも許されない人。


 私がお嫁さんが欲しいと言ったから。そんな理由で女装して、美味しい食事を作ってくれているなんて素直には信じられない。


 剣と戦斧が交差して、互いの刃を受けとめながら押しのけようとしている。刃を削り合う金属音の中、どちらも一歩も引かない。


 均衡を崩したのは副隊長。戦斧を引き後ろへと跳躍して片膝をつく。


「申し訳ない。限界です」

 疲労困憊で悔しいという表情を隠そうともせず、副隊長が王子に告げる。

「いや、私も限界だった。怪我はないか?」

 王子も盛大に息を吐き出し、剣を降ろして笑う。


「怪我はありません。ありがとうございます」

 戦斧を杖がわりにして立ち上がった副隊長の腕を王子が軽く叩くと、緑色の光が煌めいて副隊長が苦笑した。


「貴方には隠せませんね」

 どうやら異常があった副隊長の腕に王子が治癒魔法を掛けたらしい。副隊長が腕を回して治ったと示す。先程までの戦いの緊張感は霧散して、互いを称え合い笑う二人を見ていると素敵だと思う。


「そろそろ次の公務がある。ありがとう。また次の機会を楽しみにしている」

「はい」

 持っていた剣を副隊長に手渡して、王子は訓練場から去って行った。

 

      ◆


 今日もふわりと珈琲の匂いで目が覚める。微かなシトラス系の匂いは……嫌いじゃない。目を開くと優しく微笑む女装の王子。


 昨日の凛々しさは一体どこへいったのか。今日は一段と美しく艶めいている。女装を見慣れてしまったのか王子の姿の時と違って、とても身近に感じている自分に気が付く。


「おはようございます。……王子、いつ眠っていらっしゃるんですか?」

 どんな理由があるにしても、私の願いを叶えようと斜め上の努力をする王子が可愛く思えてきた。


「心配してくれてありがとう。私は男ですもの。ユリノよりも体力はあるのよ」

 ふわりとはにかむ王子の手が、私の髪をそっと撫でる。


「……朝ご飯、一緒に食べませんか?」

 私の提案に王子の目が輝く。美味しい食事を独りで食べるのはもったいないと思っていた。


「ただし。女装は辞めて下さい」

「ええっ! 新しいドレスをたくさん作ってもらったのにっ!」

 王子が小さく悲鳴を上げる。どうやら王宮の仕立て部屋も王子の味方に回ったらしい。


「わかりました。気が済むまでどうぞ。でも、言葉遣いは普通にして下さい」

 私は苦笑するしかなかった。王子はいつの間にか、私の心の外堀を埋めてしまっている。女装していても中身は変わることはない。


「ユリノ、名前を呼んでくれないか?」

 優しい声が耳をくすぐる。女言葉ではない台詞は刺激的過ぎて、心の準備が間に合わなかった。不意打ちとも言える言葉に私の顔が赤くなる。


「ヴィンセント様」

「様はいらない」

「……ヴィンセント」

 私が名前を呼ぶと、ヴィンセントは明るい笑顔を見せた。心の底から嬉しいというのは、こういう笑顔のことなのかもしれない。何だろう、見ているだけで心が温かくなる。


 〝帰還の儀〟まであとわずかなのに、私の心はこの奇妙な嫁に捕まったのかもしれない。元の世界に帰りたいと思う気持ちと、ヴィンセントと一緒にいたいという気持ちが揺れている。


「よし。良い嫁になれるよう、更なる努力をすると誓おう!」

「だから! 嫁が欲しいっていうのは冗談ですってば! その手は何!?」

 抱き寄せようとした手をぺちりと叩き落す。少し情けない表情を見せるヴィンセントが可愛くて、私は笑う。


 ああ、もう、本当に。嫁が可愛いという気持ちが理解できる日が来るとは思っていなかった。一生懸命頑張る奇妙な嫁は、とにかく可愛い。可愛すぎ。


 いっそのこと、全面降伏して白旗を上げるべきだろうか。私は、そんなことを考えながら、抱き寄せようとする腕に抵抗を続けていた。

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